第23話 ミロイズ共和国06
「皆、別れは済ませたな?」
アスライの問いに、子供達が頷いた。
魔獣を駆逐し、八〇〇を超える遺体をそれぞれの家に安置するのに一昼夜かかった。
アスライを含む一七人は、焚き火を囲んでいる。アスライは息を吐き、迷いを振り払う。
「父よ、母よ、師よ、友よ。多くの愛する同胞達よ。お前達を満足に弔うことも出来ぬ不甲斐ない族長を許して欲しい。だが約束する。再びこの地を訪れる日に、必ず皆の魂を鎮めることを。だから今しばらくの猶予を与えてくれ。……では、さらばだ」
一七人、一人一人が焚き火から火を手に取り、家々につけて回る。家屋は木材や藁、獣の皮などで作られているため、燃料を焼べてやれば、火は勢い良く燃え上がる。
リルブ族の暮らすストロキシュ大樹海は、魔獣の巣窟だ。そこで八〇〇人で維持してきた場所を、一七人で守ることはできない。やがてここは、魔獣どもの縄張り争いで荒れ狂うだろう。だから遺体は、すぐさま焼却してしまわねばならなかった。
家と共に、大切な人々の肉体と思い出が燃え崩れていく。その様に、アスライは一筋の涙を堪えることができなかった。
『――君よ、眠れ』
自然とアスライと子供達は、歌を口ずさむ。
『君よ眠れ。喜びも哀しみも忘れ、深く。
我ら、神に見捨てられし迷い子。なれど知る、この世に生きる喜びを。
君と見た、空の青さを。君と聞いた、川のせせらぎを。君と嗅いだ、花の香りを。君と味わった、果実の甘さを。君と感じた、風の心地よさを。君と生きた。我ら、君と生きた……。
忘れない、君と森を駆け抜けた日々を。忘れない、君と囲んだ焚き火の温もりを。忘れない、君の笑顔と優しさを……。
これは、ひと時の別れ。我らやがて、君の元へ逝く。血は水となり、肉は土となり、魂は風となって再び君と世界を巡らん。
されど君と我ら、今は別々の道を行かん。どの旅路も、やがては一つになるものが故に…………。』
村が燃えていた。死者は炎と共に天へと還る。
アスライ達は村を捨てる。始祖・リルヴらが起こし、一〇〇年間つづいた村の、終焉であった。
「兄上……いえ族長。これからどうするのですか?」
シウがアスライを、『兄上』ではなく『族長』と呼んでくる。炎に照らされた顔からは幼さが消え、精悍な顔つきになっていた。
「ミロイズ共和国へ行く」アスライは他の者にも言い渡す。「共和国へ行き、帝国を打倒し、前族長の首と、トワを取り戻す」
ここストロキシュ大樹海は、三つの大国から等距離にある。ディグナ帝国、ミロイズ共和国、カド神王国。
帝国は論外。神王国は異教徒を受け入れない。ならば帝国を倒すには共和国へ行くしか選択肢が無かった。
「…………どうして?」
その声の主に、アスライは耳を疑う。天真爛漫なミアから発せられたとは思えない、暗く淀んだ声音だったからだ。
「どうして、あのヒトをたすけるの? ミア、きいたよ。ミアたちのむらがこんなになったのは、テイコクがあのヒトのことをおいかけてきたからなんでしょ? テイコクのあかいのがいってたの、ミア、きいたんだからっ!」
ミアがこれほど激昂するのは、アスライの知る限り初めてのことだ。それは他の者にも同様らしく、答えを求める眼差しを全員が送ってくる。
「そうだ」
アスライはミアの前に立ち断言する。「帝国がこの村を襲撃してきたのは、逃亡したトワを追ってきたせいだ」
「なら!」
「そして――」
本当の妹のように思っているミアにこのことを告げねばならないことに、強い罪悪感を覚える。「そして村にトワを引き入れたのはオレだ。あいつが、村を去ろうとしていたにも関わらずな。だから村が滅んだのは、オレに大きな責任がある」
「……え? あ、…………うう?」
責任は自分にあると自白したアスライに衝撃を受け、ミアはヨロヨロと後ずさる。アスライは開いた距離を詰め、族長の証・『雷喰力換』の柄をミアに向ける。
「だからミア。トワを恨むのなら、まずはこの剣でオレを裁いてくれ」
「あ、ああ……お、おにい…………」
「村を滅ぼしたのはオレだ。さあ」
断罪を迫るアスライの瞳には、どんな裁きでも受け入れる覚悟があった。
「さあ」
どこまでも穏やかなアスライに業を煮やしたか、ミアが『雷喰力換』を掴み引き抜く。しかし、数秒もしないうちに剣を取り落とし、ダランと両腕を下げたまま項垂れる。
「できないよ……。ズルイ……ズルイよ、ミアがそんなことできないって、わかってるくせに…………」
ミアは心優しい女の子だ。彼女が赤ん坊のころから共に育ったアスライは、そのことを十二分に理解していた。
帝国が村を滅ぼしたのはトワが原因であり、トワを村に留めたのはアスライである。この事実はミアが口にせずともいずれ発覚したことだ。これを知った子供達は、アスライに拭いがたい不信感を持つだろう。それを避ける為にアスライは、ミアが糾弾者になったことを利用し、断罪を迫った。ミアが決して自分を害せぬことを分かっていてなお。
ミアがアスライの罪を断じなかったことで、他の者も不満を言い出しづらい状況ができあがった。今いる一七人のうち、成人はアスライのみ。子供達の心がバラバラになることを防ぐ為にアスライは、ミアの優しさを踏み躙ったのだ。
「……すまない」
アスライは心の底から詫びた。だからといってミアを利用したことが許されるわけではない。
「おにいちゃんなんか、だいっきらいだよ…………」
「オレは、お前のことが好きだ」
「だい……きらい……っ」
唇を噛んで震えるミアを、他の女の子達が慰める。アスライはそこから視線を切り、全員を見る。
「他にも、オレを長とすることに納得のいかない者もいるだろう。だが、お前達はまだ幼い。お前達が成長し成人になったその時に、オレのことを許せないと思うのであれば、その時はオレを殺せ」
皆に言い含めるようにアスライは語りかける。
「その時が来るまでオレは、お前達を必ず守る」
全員に理解が行き渡り、反対意見が出ないことを確認する。
「では、出発の準備を」
各々が動き出す。
アスライは森まで歩んでいき、指笛を鳴らした。
まだ燃え盛る炎を飛び越え、黒い影が眼前に降り立つ。体高三メートルの魔獣、『闇狼』のウルクだ。
「ウルク……お別れだ」
光を反射しない、闇そのものの色をしたウルクの被毛に差し入れた腕に、惜別の念をこめる。ウルクが頭上で、「クルルル……」と哀しげに鳴く。
「この村は終わる。オレ達は別の土地へ移る」
ウルクの夜の静けさを湛えた瞳と見詰め合う。人と魔獣。種族は違えど、生まれた時から常に傍らにいた存在だった。だから言葉によらない多くの思いが行き交った。
「どうか壮健で。オレの、もう一人の姉よ」
アスライは踵を返す。が襟を噛まれ、足が半分浮く。
「ウルク、冗談じゃないんだ。離せ、離せと…………」
首を捻ると、ウルクに見つめられていた。決意の篭った、真剣な瞳だった。
「……まさか、付いてくる気か?」
言うとウルクの力が緩み、解放される。
「族長!」
声の方を向くと、一六人の子供たち全員が、闇狼に騎乗していた。アスライはウルクを見上げる。
「バカだな、お前は……」
涙が出そうになり、顔を伏せる。ウルクがグリグリと鼻で頭を撫でてきた。
ウルクら一七匹の闇狼は、アスライ達と共に行く為、群れと決別してきたのだろう。ウルクの所属する群れは、五〇〇以上の大集団なので、一七匹が抜けても大きな影響は出ないはずだ。本当にバカな魔獣たちだった。
(ありがとう、ウルク。心強いよ)
アスライはウルクに顔を埋め、涙を誤魔化す。
「行くぞ、ミロイズ共和国へ!」
ウルクに騎乗したアスライが駆け出すと、一七の黒い風が、ストロキシュ大樹海を吹き抜けていった。
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