第22話 ミロイズ共和国05

「…………に……え! ……にうえっ!」


 声だ。声が聞こえる。懸命に、誰かが呼んでいる。


「…………う……?」


「兄上! 良かった、生きてる……っ」


 眼鏡をかけた利発そうな少年が泣いている。誰だ? と一瞬思い、それが義弟のシウだということをアスライは思い出す。


(オレは……何で生きて? あのとき確かに……)


 リオネイブ・エレジアンという獣面の帝国兵に、腹を突き破られたはずだ。なのにそこは血で濡れているものの、傷も痛みもまるで無かった。


「兄上……、目が……」


「……目?」


 瞼を瞬いても、異常は感じられない。シウが腰の短剣を抜き、刀身を鏡がわりにする。


 そこには瞳と前髪が一房、本来の金から赤へと色彩が変化していたアスライの顔が映りこんでいた。瞼の上から目を擦っても、前髪を引っ張ってみても、色は元に戻らない。血で染まっているわけではないらしい。


(どうして目と髪が? ……いや、これは……これをオレは知っている)


 牙虎、死なない兵士。全てが繋がる。


「そういう、ことか……」


「兄上……?」


「大丈夫。大丈夫だ」


 心配そうなシウを、アスライは宥める。


 アスライは辺りを見渡す。太陽の光が、包み隠さず全てを白日の下に晒していた。


 死体と瓦礫の山。男も女も、老人も子供も関係なく、同胞達が死んでいた。


 アスライは頭を潰された遺体と、首を折られた遺体の傍へ座り込む。


「兄上……姉上……っ」


 これは何だ? あれほど生命力に満ち満ちていた姉兄の、この無残な有様は何だ? 夢なら醒めて欲しい。しかしこれは紛れも無い現実だった。


「誰が、生きている?」


 黙祷し、アスライはシウに問う。「生きているのはお前だけか?」


「……こちらへ」


 シウの後をついていく。


 崩れた家、折れた槍、血溜りに沈む死体。折り重なる遺体が、苛烈な戦闘の跡を物語っていた。


「おにいちゃん……っ」


 ミアが泣きじゃくりながら抱きついてくる。だがアスライは無反応に立ち尽くす。


「これで、全員です」


 全員? アスライはぼんやりと数を数える。


 一六。シウとミア、そしてリフを入れても、生き残ったのは一六人の子供しかいなかった。そして、その子供達が囲んでいるものは何だ? アスライはヨロヨロと、それに歩み寄る。


「ち」声が掠れる。「ち、ちち、うえ?」


 アスライの父、ライデンが、剣を突き立て祈るように膝をついている。しかし、


「首が……首はどこだ?」


 周囲に視線を彷徨わせる。


「族長は、僕らを隠すために敵を引き付けて、」


 シウが説明しようとしているのをアスライは聞かず、右往左往する。


「首はどこだ……首が無い、首が無いぞ? ……どこだっ! 父上の首はどこだあっっっ!」


 激昂したアスライが絶叫する。


「あにうえぇ…………」


 泣いた。年に見合わぬ落ち着きを持つシウが泣いていた。ミアもリフも、生き残った一六人の子供達が、堰を切って大粒の涙を零し泣いていた。最年長のアスライが、我を忘れて喚いたせいだ。


 アスライは絶望で、膝を付きそうになる。


 ――嘆くな、バカ息子。


 父の声が、アスライの内で甦る。


 ――己が不幸を嘆き、他者を詰るは、愚者のなすことぞ。


(――父上)


 アスライは、ライデンの遺体に向き直る。


(では、どうすればいいのです、父上?)


 ――考えよ。


(……考える?)


 ――己が何をすべきか、どうしたいのか、自らに問え。


「オレが……何をしたいのか」


 自分の胸に手を当てる。


(オレはこいつらを……リルヴ族の最後の希望である子供達を守りたい。そして)


 アスライは一人の少女を思い描く。


 閉じていた瞼を開き、ライデンの前に跪いた。


 ライデンの体は傷だらけだった。特に突き刺した剣を握る両腕は特に酷い。


 帝国兵はリルヴ族族長の証たる神剣・『雷喰力換ラグリカン』を奪おうとしたのだろう。しかしその腕は鉄のように硬くなっており、奪えなかったに違いない。彼は子供達と、この剣を守り抜いたのだ。


 アスライはそっと、ライデンの両手に自らの手を添える。


「父上……リルヴ族族長・ライデンよ。あなたのお役目、不肖、このアスライが受け継ぎます」


 【雷】の神授で電流を流すと、ライデンの掌が開き、『雷喰力換』とライデンが、アスライへと倒れてくる。アスライはこれをしっかりと受け取り、力の限り抱き締める。


「父上、どうか全てをこの愚息に任せ、安らかにお眠りください」


 アスライは『雷喰力換』を握り、ライデンを横たえる。


「聞け! リルヴの同胞達よ!」


 泣き崩れていた子供達が顔を上げる。一人一人の目を見つめ、アスライは『雷喰力換』を天へと掲げる。


「族長、ライデンは死んだ。この時より彼に成り代わり、このアスライがリルヴ族の長となる。異議のある者は前に出よ」


 子供達は戸惑い、互いの顔を見合わせる。


「お、おにい――」


「異議のある者は前に出よ!」


 ミアは、アスライの迫力に口を噤む。他は前に出るどころか、立ち上がることさえしなかった。


「異議は無いか? どうした、口がきけなくなったのか? ……異議は無いか!」


「「「い、異議無し!」」」


 慄きながらも、子供達は賛意を口にする。


「いいだろう。では、族長としてお前たちに命ずる――泣くのはもう、終わりにしよう」


 その声は深い哀しみを湛えていた。父と姉と兄、そして多くの同胞を無くした、十八才の少年としての言葉だった。


「オレ達は、八〇〇人以上いた。だが今は、ここにいる一七人だけだ」


 また泣き出しそうになる者を目で制し、アスライは語り続ける。


「だから泣くのではなく考えよう。ここにいる仲間を、家族を、どうすれば守ることができるのか。どうすれば幸せにすることができるのかを」


 子供達は、真剣に耳を傾けている。彼ら彼女らに自らの思いを伝えることが族長としてすべき最初のことであると、アスライは心得ていた。


「オレはお前達の兄として、族長として、お前達を命に代えても守ることを誓う。お前達は自分と仲間の命を…………」


 穏やかだったアスライの表情が険しくなり、怒気を発し始める。


「……まず、やるべきことがあるようだ」


「……あ」


 アスライに続き誰かが察する。遺体に、何かが集っていた。


 『貪り鼠』だ。この人間の子供ほどある大型の鼠は、弱った生き物を敏感に嗅ぎ取る嗅覚がある。死臭を惹かれて来たのだろう。奴らが何十匹と集まれば、人の体などものの十分で骨となってしまう。


「武器を取れ! 同胞達を奴らの糞尿にさせるな!」


「「「はいっ!」」」


 子供達は涙を拭い、一人残らず立ち上がる。顔には、リルヴ族としての誇りが芽生えていた。


 誰よりも早く貪り鼠へと迫ったアスライは、しかし手にしていた武器に不安を覚える。


(む……この薄い刃で、持つか?)


 リルヴ族族長の証・『雷喰力換』は、始祖・リルヴがディグナ帝国から強奪したとされる神聖な長剣だ。うねる雲のような不思議な形状をした黄金の刀身は美しいが、いつも自身の身長と変わらぬくらいの大剣を振り回しているアスライからすれば、心もとない軽さと薄さだった。


 ここは剣ではなく、【雷】の神授で戦うかと神授を活性化する。と、体から力が抜ける――いや、吸い取られる奇妙な感覚を覚える。


 アスライの左手には、神授によって神気から変換されていた雷が溜まっていた。それが右手にある『雷喰力換』に吸い取られていき、グングンと重量と大きさを増していく。


(この剣は……雷を吸収し、自在に形を変えるのか。流石は始祖の剣)


 『雷喰力換』は儀礼用の飾りではなく実用としてのものであることに、祖先を誇らしく思う。


 使いやすいアスライ好みの大剣になったところで神授を停止し、『雷喰力換』を両手で握る。


「ヂヂッ!」


 接近すると、貪り鼠が三体飛び掛ってくる。


 アスライが一閃。黄金の軌跡を残し、三体を同時に斬る。


(……ん?)


 だが斬った感触がまるで無く、斬られた貪り鼠も、戸惑ったような仕草で傍らを通り過ぎたアスライへと反転する。


思わず『雷喰力換』を確かめ、どういうことだ? とアスライは訝しんだ。


 ビチャッ、という物音に目を戻すと、貪り鼠が二つに分かれていた。しかし頭部のある側はまだ生きているようで、自らに起こったことを信じられないかのような表情でもう一つの半身を見、その瞳から生命の光を消失させていった。


「……恐ろしい切れ味だな」


 包丁でバターを切るほうがまだ手応えがあるほどの凄まじい性能だが、斬ったのにしばらく生きているのは具合が悪い。アスライは神授を発動させ、もう少し刃を鈍く変形させる。


「次だ」


 アスライは、魔獣の駆逐を再開する。

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