第五章

第18話 ミロイズ共和国01

「ん~~? おかしいねえ? 来ないねえ? どうしたのかなあ、リルヴ族の皆さんは?」


 ミロイズ共和国・アドガン要塞の司令室に、三人の男がいた。鷲鼻の男と金ぴかの鎧の男、そして無精ひげの疲れた顔の男だ。鷲鼻の男――アドガン要塞総指揮官、カーン・ゴイズス将軍は、革張りの椅子にゆったりと身を預けながら、机の真向かいで大汗をかいている、無精ひげの疲れた顔の男に問い質した。


「い、いや~、ハハッ。道でも混んでいるのでしょうか、なーんて……」


 薄茶色の髪と軍服を汗でじっとりと湿らせながら、三〇ほどの男は益体も無いことを言う。


 リルヴ族への傭兵依頼を上官であるカーンへ上申したのは、このスタンリー・ラック百統であった。そのリルヴ族が、期日を一週間も過ぎたというのに姿を見せないどころか、連絡の一つもない。すでに前金を支払っており、提案者として立つ瀬が無かった。


「ラック百統。ここでの軍務は君には不向きなようだ。もっと君の才能に相応しい任地を用意しよう。無論、その能力に見合った待遇でね」


 それは左遷、降格通告であった。


「いやー、まだここで働きたいなー、なんて……」


 無理でしょうかね? とスタンリーは上官の顔色を窺う。カーンの見下すような視線は、『断じて否』であった。スタンリーは項垂れるがすぐに胸を張り、敬礼する。


「承知いたしました。新たな任地で粉骨砕身、がんばりたいと思います」


 歯を食いしばるスタンリーに、嫌味のような拍手がなされる。趣味の悪い金ぴかの鎧を着た男であった。


「どうぞご安心を、ラック百統殿。貴殿に代わり、『暁の戦士団』団長バンレノ・ミハイが、悪逆非道の帝国からこのアドガン要塞を死守してご覧にいれましょう」


 カーンの隣に立つバンレノが、ニヤリと嘲笑する。この『暁の戦士団』なる傭兵連中は、今やアドガン要塞の中心戦力だ。


「ということだ。下がりたまえ」


「……はい。失礼します」


 この上官が耳を貸す気が無いことを理解したスタンリーは、スゴスゴと司令室から退散する。廊下を歩き角を曲がると、壁にゴンッと頭をつけた。


「あー……、終わった…………」


「あー……、やっぱ終わっちゃったッスか……」


 暗澹たる気分のスタンリーに憐れみの目をしていたのは、背の低いぽっちゃりとした、カエル顔の若者だった。


「おー、ナマル。俺の降格からの僻地転任が決定されたぞ」


「そッスか。お疲れ様でした。新しいトコでも頑張ってくださいッス」


 クルリと背を向け、さっさとこの場から離れようとしたナマルを、ガシッとスタンリーが掴む。


「おいおい、ナマル上級兵。冷たいじゃないか? 俺とお前の仲だろお? もっと慰めろよー」


「いやッス! おいらは長いものに巻かれたい人なんッス! 落ち目の上官なんて、ただの加齢臭のするオッサンッス! ……ぐああああっ、く、首を絞めないで欲しいッス! すんませんでした! すんましぇんっ!」


 謝りながらも何とか絞め技から逃れたナマルに、流れるような関節技を掛けるスタンリー。部下の格闘技術の拙さに訓練時間を増やそうと心に決めつつ落ち着きを取り戻し、泣き喚くナマルを解放する。


「ま、俺の左遷はともかく」スタンリーはパンパンと手を叩き、廊下から外へと視線を移す。「どうにかしてこの状況を生き残ってから、だな」


「…………スね」


 肩関節を解しながらナマルが応じる。


 スタンリーは外へ出る。地平には、赤い波が広がっていた。大地を埋め尽くすほどの赤は、凪いだ海のようだ。だが、それは数日以内に津波と化すだろう。


「帝国さん、本気だな……」


 その数、約一三万。血の色の鎧を身に纏ったディグナ帝国の兵士達が、獲物に喰らいつく直前の獣のように、静かに時を待っていた。帝国の紋章である赤獅子の大旗がそこかしこではためき、その武威を殊更に示していた。


 ここアドガン要塞での帝国軍との衝突は、数年ごとに起こる恒例行事のようなものだ。しかしそれは三万人程度のものだった。それが今回は四倍強の大軍勢。帝国の本気度が窺えた。


 対する共和国軍の数は三万二〇〇〇。戦う前から戦況は厳しいと言わざるを得ない。


「この兵力差で、リルヴ族無し……か」


 スタンリーはキリキリと胃が痛み、顔を顰めた。


「リルヴ族って、そんなに強えんッスか?」


 能天気なナマルを、スタンリーは羨ましく思う。


「あー……そういやお前、三年前の戦いの時は赴任してなかったか。そうだな、リルヴ族一人で、共和国兵一〇〇人分の働きはすんな」


「は? ヤベエじゃねえッスか! 何で来てないんッスか!」


「こっちが知りてえよ」


 そう。それが一番わからないことだった。リルヴ族の長・ライデンは、間違っても金を受け取っておいて約束を違えるような下劣な男ではない。ましてあの一族が持つ帝国への敵意の苛烈さは、スタンリー自身もよく知るところだった。名状しがたい嫌な予感が心の内から離れなかった。


「ヤベエッスね……。なんとか逃げらんねえかな……」


「ナマル~? 敵前逃亡は極刑だぞー?」


「やだな何言ってんッスか! 共和国兵士たるもの、母国のために命を投げ打って戦うのは当然じゃないッスか!」


「嘘付け」


 ナマルがおたつく様に、スタンリーは逆に腹を括る。どうせ、逃げられはしないのだ。


(頑張りますか……死なないように)


 スタンリーは折れそうになる心に鞭を打ち、背筋を正し帝国軍を睥睨した。


 この三日後のフォルス暦九九〇年五月五日。後に時代の転換点として語られる、アドガン要塞攻防戦の火蓋が切って落された。

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