第17話 ディグナ帝国005

(これは……毒、か?)


 やられた。あの小剣には毒が塗られていたのだ。賞賛したのは間違いだった。研鑽を重ねた戦士ではなく、戦いに毒を使う卑怯者だった。この人でなしの帝国人が! アスライは大剣を取り落とし、胸中で毒づく。


 双剣の毒使いは起き上がる。顔面の損傷は癒え始めていた。逆にアスライは膝をつき、立つことも出来ない状態だった。


「アスライ! コイツ等を倒すまで頑張りなさいっ!」


 ライラから飛ばされた檄に、アスライは涎を垂らしながら頷く。大剣を杖代わりに立つアスライに、毒使いは良心の呵責なく襲い掛かってくる。


「待テ」


 くぐもった声に、帝国兵どもの動きが一斉に止まる。ある者は武器を掲げたまま、ある者は槍で腹を貫かれたままで。


「下がレ」


 同じ声の主が命を下すと、波が引くようにサーッと後退していく。残ったのは二人の大男。一人は二メートルを超す巨漢で、それよりもさらに長大な大鉄棒を担いだ短い白髪の男。もう一人は巨漢を縦にも横にも上回り、真っ赤な全身鎧に身を包んだ男。兜で顔を隠されているが、声の主はコイツだろう。魔獣の如き存在感だった。


「強ク、美しきリルヴ族の戦士ヨ。貴殿がこの村で最強と見るが、如何カ?」


 篭っているが、落ち着いた口調で全身鎧の男が問い掛けてくる。


「あら……? 帝国の軍人にしては見る目があるじゃない。ええそうよ。アタシがリルヴ族で最も強く、美しい女よ」


 ご満悦のライラは『美しい』という部分を強調し、周りの同胞達を呆れさせる。しかし族長のライデンを除けば、リルヴ族最強の女がライラであることは事実だった。


 答えに満足したか、全身鎧の男は斧槍ハルバートを一振りする。


「我が名はリオネイブ・エレジアン。貴殿に一騎打ちを申し込ム」


「いいわ。遊んであげる」


 ライラが獰猛さを滾らせ微笑む。


「では、もう一人は俺が受け持ちましょう」


 ボルドラが大槍を手に、大鉄棒の男の前へ進み出る。二メートルには届かぬまでも、ボルドラとて一九〇センチを超える巨漢。筋肉の岩塊のような大男二人が対峙する。


 ライラはしゃなりしゃなりと引き締まった体を揺らしながらリオネイブへと歩み寄る。その手に武器は無い。リルヴ族の頂点に立つ父をも超える莫大な神授力を有した彼女に、無骨な武器は不要。ただ神授で圧倒するのみ。右腕が持ち上がり、神授の効力を高める神授銀のブレスレットが、シャランと音色を奏でる。


「悪いけど、最初から全力でいかせてもらうわ――」


 アスライを目の端に留め、ライラは【雷】の神授を解放する。


「【雷を以って邪を滅さん。出でよ破邪の蛇――雷烈蛇ラレージ】」


 バチバチと雷光を放ちながら出現したのは、黄金に輝く大蛇。人一人を丸呑みに出来るほどの大口を広げ、リオネイブを威嚇する。


「さらに一つ」


 ライラは【雷烈蛇】を左手からも生み出す。生物を形取り、複雑な動きのできる強力な雷の蛇をニ体も操れるのは、リルヴ族でライラだけだ。


「【雷よ、我が腕に剛力を。我が脚に神速を】」


 ボルドラが両手両足に神授の加護を二重に纏う。筋肉が肥大し、ギシィッと軋みを上げた。


「……ほウ」


 左右に雷の大蛇を従えたライラと、肉体が倍加したようなボルドラに、リオネイブは感嘆の声を漏らす。


「アタシたちリルヴ族に手を出したことを後悔なさい――あの世でねっ!」


 二体の【雷烈蛇】が、踊るように身をくねらせリオネイブに襲い掛かる。【雷烈蛇】はリオネイブを絞め潰しながら絡みつき、視界を白く染めるほどの大放電をする。


「セリャアアアアアッ!」


 一撃が大木を貫くほどの威力を秘めたボルドラの豪槍が五連撃。それが過たず、大鉄棒の男の体を打ち穿つ。


「残念。立派な鎧だけど、雷は防げなかったようね?」


 ライラがクスクスと、鎧の隙間から炎を吹き上げ、内部から焼却されるリオネイブを笑う。


「じゃ、念のため首を落して――って、残ってないかしら」


 火達磨になるリオネイブにライラは近づく。が、


「ぐっ!」


 炎に包まれたままのリオネイブがライラの首を掴み、高々と持ち上げる。


「そ、んな……人間に耐えられる……温度じゃ……ああっ!」


 掴まれた手に喉を焼かれながら、ライラは疑問を呈する。


 ビキッ、と高熱で変形した兜がひび割れ、砕ける。


その中に入っていたのは、人間ではなかった。


(あれは……獅子?)


 アスライは、兜の中から現れた者を凝視する。


 真紅の鬣を持った獅子。そうにしか見えなかった。作り物ではない。あれは血の通った本物の顔だ。


 獅子の頭を持った化物が、姉を殺そうとしている。その現実がアスライを震わせる。


「……この程度カ」


 リオネイブは獅子の口を開き、獅子の顔で失望を露にする。造作は獣でも、表情は人間のそれであった。


「所詮、旧世代の失敗作ヨ」


「このっ!」


 ライラが獅子頭を蹴るが、全く痛痒を感じている気配は無い。


「あ、姉……」


「姉上ッ!」


 ライラの窮地にボルドラが救援に向かう。しかし、それは叶わなかった。


「なん……っ」


 ボルドラは大鉄棒の男に痛撃を与えていた。右肩を奪い、左肘を奪い、脇腹の二ヵ所と太股に風穴を開けていたが、首だけは無傷であった。首を刎ねなければ、大鉄棒の男は行動を止めない。この男もまた不死身だからだ。


 他に意識を向けていたせいで無防備になっていたボルドラの懐に飛び込み、大鉄棒の男は逆にボルドラの首筋を噛み千切る。


「あ……兄…………」


 鮮血を迸らせながら倒れこむボルドラに、癒着した右手に握られた大鉄棒がグシャリと突き落とされる。


「ア、アス……逃げ、」


 ボキンッ。ライラの首が直角に折れ曲がる。


「あ、あ…………あああああああああ――――っっっっっ!」


 ゴミのように投げ捨てられたライラに、激情が毒を上回りアスライは疾走。大剣をリオネイブに振り下ろす。


「笑止」


 リオネイブは無感情に大剣を受け止め、小枝をへし折るように破壊。次いで右手から真紅の爪が伸び、アスライの腹を貫く。


 大剣の残骸を取り落とし、ヨロヨロとアスライは後退。己の腹から大量の血液が溢れ出るのを見、ドウッと倒れる。


(くっ……こんな……こん……な…………)


 血溜りの中から、リオネイブを睨みあげる。


「に……兄様ッ!」


 トワが駆け寄ってくる。


血で汚れるのにも構わず、アスライの傍らにへたり込む。


「あ、あ……そんな……。わたしのせいで……また、わたしのせいで…………っ」


 涙が、アスライの顔に滴る。


(守ると……家族になると誓ったのに…………)


 約束を果たせなかった。


「ト……すま……な…………」


「ア……イ…………ま…………死…………ア……………………」


 光が失せ、音が失せ、匂いが失せ、感覚が失せ、舌に感じていた味が失せ、そして、

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