第16話 ディグナ帝国004

「何だ……?」


 アスライが目を向けた方角に、村があった。悪寒が全身を包む。


(これは、これはきっと……)


 カンカンカンッ! とけたたましい鐘の音が響く。


「敵襲の鐘? ……村が!」


 村を囲う防壁の一部が、ぐらりと倒壊する。アスライは駆け出そうとして止まる。


「トワ、離せ!」


「い、いや、です……」


 アスライの左腕を、体全部で引き止める。力ずくで引き抜くことは出来るだろうが、彼がそんなことをしない人間であることは知っていた。何をしてでもこの人を行かせてはならない。


「い、行かないでください……」


 アスライが大いに困り、葛藤していることがありありと分かった。けれどここにいれば死なずに済む。トワが死相を見て取った人間は、一人の例外もなく死んでいた。アスライのそれは今まで見た誰よりも色濃かった。


「行かせてくれトワ。村の皆を助けないと」


「ダ、ダメです! 絶対にダメ!」


 梃子でも動かない構えのトワに、アスライは苦笑する。


「兄の言うことを聞け――義妹よ」


 その言葉に虚を突かれる。力を入れようとしても、両腕に力が入らなくなった。行かせたくないという思いと、義妹と呼んでくれるこの人の言うことを聞きたいという思いがごちゃ混ぜになっていた。


「ズルいです……それはズルい……です」


 どんな痛みにも慣れたと思っていたけれど、こんな痛みは初めてだった。この体は誰でも引き裂けるけれど、心を引き裂けるのはこの人だけだと、トワはアスライの腕を離す痛みに耐えながら思った。


「死なないで」いま自分は、グチャグチャのみっともない顔をしているだろう。「生きて、帰ってきて」


「ああ、約束する」


 言うや否や、アスライは疾風のように駆けていった。


「神様……っ」


 トワは、一度として願いを叶えてくれたことの無いフォルス神に、祈らずにはいられなかった。


       ∞∞∞


 全速力で村へ。


 アスライは、枝葉が体を打つのにも構わず走る。


 速く速く速く。焦りで足を速めていると、争う音が聞こえてきた。村から戦闘の気配がする。


(一体なにが?)


 近づくほどに、戦闘の規模が想像以上であることがはっきりする。使用されている神授の強さと頻度が尋常ではなかった。敵の数は、一〇や二〇ではあり得ない。


 村の裏手から入ろうとすると、防壁に何かが取り付いていた。それに我が目を疑う。


(魔獣……ではない?)


 丸太の防壁を乗り越えようとしていたのは、魔獣ではなく人間だった。数は四。一体どうやってここへ?


 アスライは疑問を抱きつつも、体は素早く敵のところまで移動し、足を掴み地面に叩きつける。


「ガハッ!」


 背を打ち付けられ、苦悶の声を漏らした敵は、黒い鎧を着た兵士だった。


(黒く塗られているが、この鎧は帝国兵!)


 ディグナ帝国のシンボルカラーの赤ではないが、形状から帝国の兵士だと判断したアスライは、ガラ空きになっている首を踏み潰し、頚骨を砕く。


 魔獣と命のやり取りをするここストロキシュ大樹海にあって、殺すことへの逡巡は死を意味する。だから人であってもアスライに命を奪う躊躇いはなかった。それが村を襲う、憎き帝国人なら尚更だ。


(遅い)


 背の大剣を抜きざま、二人を斬る。残る一人を蹴り飛ばし、心臓を一突き。他に敵の姿が無いことを確認し、上を見上げる。


「山を越えて来たのか……?」


 アスライはセイリーン山脈を睨む。山越えは、数千人規模での行軍になるはずだ。そんな大人数なら、村に接近する前に感知できなければおかしい。だが敵の数が一〇〇ほどしか感じられない。どういうことだと訝る。


 ――ゾクッ、と肌が粟立ち、大きく飛び退く。


 ゆらりと、四体の死体が立ち上がった。


 曲がった首が正しい位置に戻り、胸の穴と裂傷が血泡を上げ塞がっていく。


 見たことがあった。それにアスライは血が凍りつくような戦慄を覚える。


(これはあの時の牙虎と同じ……【不死】の神授の力!)


 トワが帝国で実験体にされていたのは、【不死】の神授の移植の為だった。それは成功していたのだ。


 無防備に近づいてきた一人を斬る。が、胴を真っ二つにしても、上半身が下半身をくっつけると、傷口が再生し立ち上がるのだった。


(ダメだ。こいつらは死なない)


 やはりあの牙虎と同様に、トワの不死性を獲得した『不死者』だった。


「く……ッ」


 四人が同時に襲い掛かってくる。剣や槍の腕前はアスライに及ばないが、その身体能力は常人とは比べ物にならないほどだった。


(こいつら、何て力だ!)


 防御を剣で受け止めることから、回避することへ切り替える。


「【拘束せよ雷――縛雷クバイン】!」


 神授で感電させる。効果が薄い。それでも一瞬の隙を作れれば充分だ。


「フッ!」


 二振りで四人の首を切断する。首と胴を切り離されてもこの不死の兵士どもは死なず、尚も動き続けていた。


 アスライは、地面で蠢く首の一つを掴むと、全力で森へと放り投げた。


 ポーンと背の高い木を、首が越えていく。それが二つ、三つ、四つと続く。頭部を失った四つの体は考え込むように停止すると、己が頭を求め森へと走っていった。


「…………」


 滑稽な光景であったが、笑うことは出来ない。あれは人があっていい姿ではない。吐き気を催す不快感が、腹の中でぐるぐると渦巻いていた。


(……行こう)


 意識を持ち直し、村の中へ入る。


「何……だ、これは……?」


 数え切れないほどの同胞が横たわっていた。


 リルヴ族は、一人一人が一騎当千。こんなことが現実であるはずがなかった。


「ッ! メンターク! フィオンナッシュ!」


 血だらけで倒れている白髪の老人と、恰幅の良い女に駆け寄る。


「お、おかしいねえ……。頭を……潰したってのに……生き返る……なんて…………」


「お逃げ……ください、坊。あれは……人では…………」


「メ、メンターク? フィオンナッシュ? ……おい! しっかりしろっ!」


 いくら揺さぶっても反応が無い。開きっぱなしの眼球からは、生命の光が消失していた。


 アスライは、二人の遺体から顔を上げる。目に映るのは、血で染まり力なく横たわっている同胞たちの姿。その全員が生きていないことが分かる。


「う、嘘……だ」


 自分の目が信じられず、アスライは足を縺れさせながら村の中心へと歩く。足を進めるごとに交戦の跡は激しくなり、死体の数は増えていった。鍛冶屋のブラッカスがいた。酒造りの名手のホウルがいた。みんなみんな死んでいた。


 ドウッ、と足元に何かが飛んできた。帝国兵だ。


 怒りに任せ首を狩る。暴れる胴体を大剣で串刺しにし、頭を踏みつけながら辺りを見回す。


 消火用の水瓶を発見し、中に帝国兵の頭を突っ込む。呼吸が出来なければ、死なないこいつらも行動不能になる。


兵士が飛んできた方角を見る。


「姉上! 兄上!」


 囲まれながらも圧倒的な強さで敵を撥ね退けているのは、ライラとボルドラだった。


「あら、遅いじゃないアスライ」


「うむ。戦場に遅参とは、戦士の名折れであるな」


 ライラとボルドラは、全身を朱に染めながら凄絶な笑みを浮かべた。彼女らの率いるリルヴ族は三〇ほど。力尽き、倒れ伏しているのはその何倍になるだろうか。それでも周囲からの敵兵の攻勢に晒されていても、その表情に悲壮感は微塵も無かった。命尽きるまで勝利を諦めないのがリルヴ族の誇りだからだ。アスライは窮地の同胞を助ける為、叫ぶ。


「姉上、そいつらは死にません! 首を落し、遠くへ投げ捨ててください!」


 するとライラは渋面になり、「弟ちゃん。末の弟が頭のおかしなことを言い出したわ。お医者はどこかしら?」


「残念ですが、イータは祖霊の元へ旅立ちました。とまれ、此奴らはいくら突こうが叩こうが死なないこともまた事実。ここは末っ子の言を信じてみましょうや」


 言うが早いか、ボルドラはその巨躯に見合った大槍を操り、帝国兵の首を一狩り。ポロン、と落ちる花弁の如き首を空中で蹴り飛ばした。防壁を遙かに超え、森へと消える。


「うっわキッモ! 首無し死体が自分の頭を追いかけていったわよ!」


「悪夢にしても趣味が悪いことです」


 ボルドラはライラと共に、辟易した顔をする。


「でも、ま、これで何とかなりそうね」


「同意」


 攻略法さえ分かれば、例え不死身でも対応は可能だ。ライラ達は次々に首を飛ばす。


(よし、オレも)


 参戦しようとしたアスライの背筋に、ゾワリと悪寒が走る。


 身を捩ると頬に痛み。背後からの奇襲を、すんでのところで躱した。


「…………」


 二本の小剣を構え直し佇むのは、何のことは無い身長一七〇センチほどの細身の男だった。しかし黒の鎧兜で表情は窺えないが、発散される圧力が他の兵士とはまるで違う。


「…………」


「っ!」


 無言で距離を詰め、細身の男は双剣を繰り出してきた。上下左右、間断の無い連撃に、アスライは後退を余儀なくされる。


「【縛雷】!」


 神詞の詠唱を省略した【雷】の神授の威力は弱く、感電による硬直はほんの僅かだったが、その間に相手から離れる。


(強い……。内に入られれば手数の差で不利か。ならば神授で速度を――いや)


「【雷よ、我が腕に剛力を】」


 アスライは、神授で攻撃力を上昇させる。


 男が突っ込んでくる。それに合わせ大剣を横薙ぐも、素早く屈まれ空を斬る。慣性で流される体に、男が伸び上がりながら刺突。


「ハアアッ!」


 アスライは気合と共に大剣を急制動。強引に縦斬りに変化させる。


「――ッ」


 冷静な男に焦りのようなものが見えた。大剣の剛撃を双剣で逸らせながら回転し、その場を離脱する。狙いを外された大剣が大地を陥没させる。


「……やるな」


 憎き帝国兵ではあるものの感嘆してしまう。一朝一夕では達しえぬ達人の強さであった。


 奴は強い。ならば果敢に攻めるのみ。


「オオオオオッ!」


 咆哮と共に大剣を振り落とす。が、双剣使いの卓越した体捌きでいなされ、攻撃後の隙に突き出される小剣で浅い傷をつけられる。


 横と見せかけて縦、縦と見せかけて突きと、虚実を織り交ぜて斬撃を振るうが、双剣使いには届かない。その間もアスライの傷は増えていく。両者に流れる汗と血の量の差が、苦境を如実に現していた。


「くっ……ああああっ!」


 易々と踏み込んでくる双剣使いを、大剣の大振りで下がらせる。軽々と飛び退るその様は優雅ですらあった。逆にアスライは肩で息をしていた。


 ゼエゼエと息をつきながら呟く。「頃合か」


 グウッ、と体勢を低くした双剣使いが地を蹴った瞬間、アスライは大剣を地面に深々と突き刺す。


「――ガアアアアッッッ!」


 全身全霊で大剣を振り抜く。射程内に双剣使いは居ないが、代わりに、大量の土砂が殺到する。


 空振りを繰り返し大剣を叩きつけ、土を柔らかくしていたのだ。神授で増強されたアスライの力で成し得た荒業だった。


 凄まじい速度の土石に、無表情だった双剣使いの顔に感情らしきものが過ぎる。がそれも、石くれによってグシャリと潰される。


(好機!)


 弾き飛ばされる双剣使いに追撃を行おうとするが、カクンと膝が抜ける。


「あ…………?」


 眩暈と手足の震え、全身の脱力感。この感覚には覚えがあった。

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