第15話 ディグナ帝国003

 トワが洗濯を終えた帰り、アスライの姿があった。


 豊かな葉を茂らせた大木の前で跪く彼を陽光が照らす。金色の長い髪と、睫毛までもが光っていた。神聖な宗教画のような光景だった。


「洗濯は終わったのか?」


 トワを見ず、アスライが言う。


「あ……はい」


「どうした?」


 目を開いたアスライが、不思議そうな顔で聞く。


 あなたに見蕩れていました、とは言えなかった。一週間も経つというのに、ボウッと見ていた回数は十や二十では足りない。でもそんなことを口にすれば、この少年は怒って……いや哀しんでしまうだろう。彼が見た目にコンプレックスを抱いていることは察して余りある。


 勇猛さを求められるリルヴ族の男性にとって、性別を超越するほど美しいことは不名誉なことでしかないらしかった。


 本当に綺麗なのにな、と伝えたい気持ちをトワは飲み込む。


「いえ……アスライ兄様は何を?」


「うん? 祈っていた」


「祈る……ですか?」


 辺りには樹木ばかりで、墓らしきものは見当たらなかった。


「そうか……帝国とは埋葬の仕方が違うのだったな」


 アスライは祈っていた大木を撫でる。


「これはルツの木だ。始祖・リルヴが亡くなった五〇年前に植えられた。オレ達は故人の好きだった植物を墓とし、冥福を祈る。例えば、」


 移動するアスライに、トワは付いていく。


 この人は、意外とおしゃべり。ライラ姉様やボルドラ兄様、メンターク様やミアさん達とは沢山喋るが、他の人とはあまり話さない。人見知りということではなく、好きな人とそうでない人をはっきり分けているみたいだった。そしておしゃべりになる側に自分がいられることを、トワは幸福に感じる。


「これはまだ蕾だが、もっと暖かくなるとモン薔薇が咲く。生前、バラが好きだったラズレの墓だ。隣には何も無いように見えるが、秋になると野苺が実る。子供達が命日に来るようにと、アーミアが画策した。それに見事引っ掛かり、ミアは祖母の墓参りか苺摘みにか分からないが、毎年ここに来ている。あとは……」


 スラスラと語っていたアスライの表情が曇る。アスライが哀しそうになると、自分も哀しい気持ちになるのを、トワはなぜだろうと思う。


「あそこにも、何かを植えたいな……」


 アスライは、石で仕切られた箇所に目をやりながら呟いた。


「あそこは、セイリーン山脈やストロキシュ大樹海で死んでいた者達を弔った場所だ。ディグナ帝国から逃げてきたり、口減らしで捨てられた者達のな。何か手向けてやりたいが、何がいいのか分からない」


 アスライから眼差しを向けられ、声が出そうになる。


「帝国の……お前の故郷では、どんな花が咲く?」


「え……と」


 故郷……家族との思い出…………。何も思い出せない。トワは俯く。


「ごめんなさい……わからないです……」


 申し訳なさで小さくなっていると、アスライが首を振る。


「何か思い出したら教えてくれ。ここを、彼らの故郷の花で満杯にしてやりたい」


「それは……」


 ふいに、真っ白な花が一面に花開いている風景が浮かんだ。これはいつの記憶? それとも幻? しかしその風景は、トワの心を懐かしさで溢れさせる。


「それは、とても良いことだと思います」


「そうか」


 アスライが子供のように笑う。この人の笑顔はとても可愛い。言ってはいけないけど。


「あの、私にもお手伝いをさせてください」


「勿論だ」


 アスライが頷いてくれて、トワは嬉しくなる。こんな日が、こんな時間が、いつまでも続いて欲しいと願ってしまうのは、いけないことだろうか?


「そうだ、これを」


 アスライが懐から、巻かれた紙を取り出す。


「これは……?」


 受け取った紙を開くと、長い文言の下に数名の名前が記されていた。


「父上……族長は、お前をリルヴ族に迎えるのに一つの条件を出した。それは成人五名に、お前の行動に関する責任を負わせるというものだ。もしお前が不義理な行いをしたら、お前だけでなく、それに署名した者も連帯して処罰される。その証文には、内容を了承した五人が署名している」


「……そんな、私なんかのために……?」


 アスライは首肯する。


「オレと姉上と兄上、それにメンタークは個人的な繋がりがあるが、最後の一人は違う」


 証文の、最後の一名に目を落とす。


「フィオンナッシュさん……」


「フィオンナッシュは言っていた――『あの子は小さくて力も無いから、洗濯物一枚を洗うのにも他人より時間がかかる。でも川の冷たさに愚痴を漏らさずせっせとやるから、人と同じ分量をきちんとこなす。でもって、一番小さくて弱いあの子が頑張っているから、いつもサボりがちな子等もやらざるを得ない。なもんで結果、仕事が早く終わる。アタシも怒鳴らずに済むからあり難いことさね。あの子は良い子だ』とな。トワ、フィオンナッシュに名を書かせたのはオレではなく、お前が仕事に真面目に取り組んだ成果だ」


「――ッッ」


 柔らかくアスライが微笑む。


「おめでとう、トワ。お前はすでに、リルヴ族の一員だ」


「ありがとう……ございます……っ」


 証文を掻き抱き、トワは涙で震える。アスライはトワを抱き締め、背を撫でた。


「これでオレも、何の憂いも無く戦場へ行ける」


「…………え?」


「今しがた、始祖へ初陣の報告をし終えたところだ。ミロイズ共和国の北東にある、アドガン要塞へ救援に行く」


「せ、戦争にいくんですか? ど、どうして?」


 争い自体を忌避するトワの感覚は、戦うことと生きることがイコールで結ばれているアスライには無いものだ。だから平穏を望む少女と、初陣で戦果を挙げようと意気込む少年の思いは大きく隔たっていた。


「共和国から援軍の要請があった。三年前は成人していなかったから参戦できなかったが、今回は行ける」


 トワが黙っているので、説明が必要と思ったらしいアスライが続ける。


「オレ達は、帝国と敵対している共和国と神王国に傭兵として雇われることがある。依頼があったアドガン要塞は、相対するエンナラーム城での妖しい動きを警戒している。戦闘になるかは分からないと父上が言っていたが、始祖へ祈願したからきっと戦うことになるだろう」


「エンナ……ラーム……?」


 その単語が引っ掛かった。胸の内にイヤな思いが湧く。不快感の出所を思い出そうとするトワとは反対に、アスライは高揚していた。


「大丈夫だ。リルヴ族は一人一人が一騎当千。帝国の弱兵どもを蹴散らし、泣きべそをかかせてやる」


 アスライは、今にも飛び出さんばかりだ。リルヴ族にとって帝国を打ち倒すことは、何にも勝る名誉だった。


「ま、待って……待ってください!」


 ダメ、この人を行かせてはいけない。絶対に。


 トワには確信があった。戦争に行ったら、この人は死ぬ。


 人生の大半を牢で拘束され、実験によって万に届こうかというほどの人の死を見てきたトワには分かった。アスライに、はっきりと死相が出ていることに。


 アスライの腕を掴む。すがり付いてでも止める。


 あなたを死なせたくない。トワの行動に、アスライは驚いて目を点にする。


「あ――――」


 ――――ドオォォォォォンンンッッッッッ!


 轟音がとどろき、震動が大地を揺らす。

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