第14話 ディグナ帝国002
――洗濯できる?
そう聞かれたときに思い浮かんだのは、そのやり方ではなく、洗濯する母の後姿だったことにトワは驚く。母のことなど、もう何年も考えた事さえ無かったのに。
自分に【不死】の神授があると発覚したせいで、父と母も共にディグナ帝国に捕えられ、離れ離れにされてしまった。きっともう、生きてはいない。帝国はそういう場所だった。それを哀しいとも感じない自分は、どこか壊れているのだろう、とトワは思う。
記憶の中の母の顔は霞んでいて、父も同様だった。その顔も声も、はっきりとは思い出すことは出来なかった。
「あ~、おせんたく、やだな~」
不満たらたらのミアの声に、トワは意識を現実に戻す。隣で頬をプウーと膨らませているミアを微笑ましく思う。
トワがリルヴ族の村に連れられてきて、一週間が経過した。今日は川に洗濯へ来ている。
もう五月に近いけれど、セイリーン山脈の雪解け水が流れ込む小川は、肌を刺す冷たさだった。
リルヴ族は本当に良く働く。炊事、洗濯、掃除。子供に読み書きを教え、家の修繕や武具の修理をし、村をぐるりと囲む防壁を監視する。皆なにかしらの仕事をしていて、手を止めている人を探すのが難しいくらいだった。
小川で洗濯をしている人は女性や年長の子供が多かったが、男性の姿もある。狩りでの怪我や病気、年齢などを理由に戦士を引退した人たちだそうだ。
彼らは洗濯し終えて重たくなった衣類を運び、干すことを担当していた。男性、特に高齢のお爺ちゃんがテキパキと服を物干し台に掛けているのには、目が点になった。帝国では、家事をする男性など見たことが無かった。
自分の出来ることをすること、互いに協力すること、人の良さを引き出すこと。リルヴ族の人たちはそういった祖先の教えを大切にしていて、実践していた。
「アンタたち! ちゃっちゃと終わらせないと日が暮れちまうよ! 口より手を動かしな手を!」
フィオンナッシュが尻を叩くと、「はあーい」と、水中の洗濯物を素足で踏むスピードが速まる。
「ひゃあー、みずがつめたいよー。あうー、くさいよー、さむいよー、つらいよー」
「ミア、文句が多い」
「こんなん、テキトーでいいんだよテキトーで……うりゃうりゃうりゃーっ」
ミアはブーブー言いながら、シウは黙々と、リフは荒っぽく、割り当てられた洗濯物を片付けていく。やりようは様々だが、作業速度は並の人間の比ではない。幼くとも、リルヴ族の身体能力は高い。
すごいなあ……と感嘆しながら、トワはトワで作業を進める。
こんもりと山盛りになった衣類の一枚を小川に浸し、足で踏んで汚れを落とす。汚れで濁った水が、踏んでいるうちに澄んでくる。そうしたら水から上げ絞る。水分をたっぷり吸った服を絞るのはとても力がいる。他の子たちは数枚を重ねて絞るが、非力なトワには出来ない。だから一枚一枚絞る。
洗濯物を踏み、絞る。これを延々と繰り返す。
(羨ましいな…………)
服は、踏んだり絞ったりすれば綺麗になるのに、自分は踏まれても絞られても汚れるばかりだ。この体に染み付いた罪はどうやったら落せるのか、ずっと考えているけど、トワに答えは出せていなかった。
「……い。……おーい。おーいってば!」
「…………え? あ、はい! ご、ごめんなさい!」
物思いに沈んでしまっていて、声が耳に入っていなかった。フィオンナッシュたちが、河原から呼んでいた。
「体、冷えただろ? こっちに来て火に当たんな!」
持っていた洗濯物を絞りきり、トワはフィオンナッシュ達の囲む焚き火の元へ向かう。
「ひゃっ、て、つめたーい。こんなになるまでガマンしちゃダメだよー、おねえちゃん」
「ご、ごめんなさい……」
「あやまらないー」
ミアがトワの手を握り擦る。温かいお茶と、乾燥させたグプレの実を手渡され、休憩する。
沢山の人と火を囲みながら、他愛も無い会話で花が咲く。
(どう、するんだっけ……?)
人と一緒にいる時に、どんな態度を取ればいいのか分からない。帝国に囚われる以前は自然に出来ていたはずだけれど、忘れてしまった。
「はい。おちゃー」
新しいお茶を、ミアが注いでくれる。温かい。お茶も人も、温かかった。
「……ありがとう」
ミアは一瞬キョトンとしたが、すぐに太陽のような笑顔になる。「どういたしまして!」
トワは、自分の頬に触れた。知らないうちに笑っていた。この人たちが笑顔にさせてくれた。トワは人の温もりを肌で感じた。
「……さてと! もうひと踏ん張りするかねえ!」
バシンッとフィオンナッシュが腿を叩くと、全員が「はあーい」と重たい腰を上げた。
(頑張ろう)
トワは深呼吸し、皆に続いた。
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