第12話 リルヴの教え04
「アス兄!」
リフが警告する。
【雷】の神授を持つ者は、生物の微弱な電位の変化を感じ取れる。リフのそれは、アスライよりも鋭敏だった。アスライも己の感覚に接敵を感知する。
(数は……一四。大きさは二メートルくらいか)
筋肉の動きと体の形状からして、『群れ熊』だろう。魔獣にしては小型だが、群れで連携を取るので厄介だ。ここは奴らの餌場では無かったはずだが、また縄張りが更新されたのか。
こちらの戦力は大人が二人、子供が三人、闇狼が五体――アスライは瞬時に判断を下す。
「ミアとシウは女達の避難誘導。リフは魔獣の牽制。オレとメンタークと闇狼で防衛に当たる。いいな?」
「よろしいでしょう」
メンタークの許可が下りる。ミア、シウ、リフが、アスライの作戦通りに動き出す。
二年ほど前から、メンタークは戦闘の指揮をアスライに任せるようになっていた。「若者を育てるのはジジイが楽をするため」と公言して憚らない男だ。成人した自分に今度は何を任せるつもりなのか、アスライは考えたくもなかった。
「トワは皆と一緒に逃げろ――来るぞ」
アスライは大剣を抜き、メンタークは刺突剣を構える。
匂いで気付かれてるのか、群れ熊の接近の仕方は慎重だった。先頭の一頭が、木の陰から辺りを確かめるよう鼻先を出す。
「フッ!」
間髪いれず踏み込み、大剣で群れ熊の頭蓋を破壊する。
「まず一つ」
「二つです」
メンタークが群れ熊の頚動脈を貫き、次へと取り掛かっていた。
「三!」
「四!」
競争するように魔獣を倒していると、群れ熊のボスらしき貫禄のある個体が吼え、群れを下がらせる。逃走するか? と予想したが、ボスの眼光は闘争心でギラついていた。引く気は無いようだ。
「【拘束せよ雷――
ならば手加減は無しだ。アスライは神授を発動させ、感電により群れの動きを封じる。が、数が多いせいで効果が薄い。感電のショックから立ち直りだしている。
「ウルク!」
愛狼の名を呼ぶ。闇狼の被毛は光をほぼ完全に吸収し、暗闇の中でその姿を視認することは不可能。その隠蔽性は、真昼でも絶大だった。茂みや木の上に潜ませていた闇狼五体が電撃で動きの鈍くなった獲物の背後に襲い掛かるのは、アリを踏み潰すかのように簡単だった。
奇襲で群れ熊はパニックに。ここで決めようとアスライは踊りかかる。
「アス兄悪ぃ! 一匹逃がした!」
「なッ!」
矢で群れを牽制していたリフが慌てて弓射するも、一頭が見る見るうちに離れていく。その先は女達がいる方角だ。
「メンターク、ここは任せる!」
「承知いたしました」
逃げた一頭を追う。
「【雷よ、我が脚に神速を】!」
自らの足に電流を流し、強制的に筋力の限界を超えた速度でアスライは疾走するが――
(マズイ、間に合わない)
正気を失い逃げ惑う魔獣が、逃げ遅れた肥満体の女目掛け突進していた。フィオンナッシュであった。
「――危ないッ!」
「グルアッ!」
突然顔面に飛びつかれ、群れ熊は進路を逸れる。フィオンナッシュは難を免れたが、トワは暴れる群れ熊の上から凄まじい勢いで振り落とされる。
「きゃあっ!」
木に衝突しようとしたトワを、寸前で受け止める。
「あ、アスライ兄様、フィオンナッシュさんが!」
「問題ない」
倒れていたフィオンナッシュは立ち上がり、膝の土を払っていた。そして首をグキグキと鳴らしながら群れ熊を睨みあげた。
「やれやれ、このフィオンナッシュ様も耄碌したもんだよ! まさか木の根っこにけっ躓くなんてさ! あーあ、せっかく集めたグプレ葡萄が台無しじゃないかいっ!」
「グルゥッ……」
脆弱な人間の癖に自分を恐れた様子もない女に魔獣は困惑げだったが、大きく身を震わせると、フィオンナッシュへと突進した。
「【雷よ、我が腕に剛力を】! これでも喰らいなッ!」
グシャッ、という音で群れ熊が停止したかと思うと、二度、三度、四度と同じ音が繰り返される。
フィオンナッシュの拳を連続で叩き込まれた群れ熊は、ギュルンッと錐揉み回転しながら吹っ飛ばされる。
「やだやだ、ちっと本気で殴ったらこれかい! 昔のようにはいかないねえ!」
フィオンナッシュの両手の指数本が、あらぬ方へ曲がっていた。
「す……すごい…………」
「オレたちリルヴ族は、一人一人が生まれながらの戦士だ。だからといって戦いを好む者ばかりではない。フィオンナッシュは病を得てからは、そんな者達の取りまとめ役をやっている。しかし、元々は優秀な戦士だった」
アスライは、抱きとめていたトワを下ろしながら説明する。
「怪我は無いか?」
「あ……大丈夫、です……」
右腕に深い裂傷があったが、それが嘘のように消えていくのを、トワは恥じ入りながら隠す。
「…………」
「坊。奴らは退散しました」
トワから視線を切り、メンタークの報告に頷く。集合の指笛を鳴らすと、返答の指笛が返ってきて、ミアとシウと共に女達が戻ってくる。リフがいるのは最後尾だ。
「リフ」
弓を携え居心地悪そうにしていたリフが、ビクッとする。アスライの元へ来て、恐々と見上げてくる。
「難しかったか?」
「え?」
「矢で群れ熊を牽制するのが難しかったなら、すまん。オレの判断ミスだ」
謝罪をすると、リフがブンブンと首を振る。
「ち、違う! アス兄のせいじゃない! お、おれが、おれが油断してたから……」
「油断?」
「う、うん……。アイツら体も小さくて、ガリガリだったから……」
「ほお……」
良く見てる。言われてみれば確かに小さかった。冬眠から明けたばかりの若い個体の群れだったのかもしれない。
リフは目が良い。動作も機敏で、弓の腕前も大人顔負けだ。だが、
「鋭い観察眼を持っていても、そのせいで自分が能力を発揮できなくなっては本末転倒だな?」
「う、うん……。ゴメン……ゴメン、ナサイ……」
涙ぐむリフに、緩みそうになる口元を引き締めなければならなかった。
リフは、自分の油断が同胞を危険に晒したことを心の底から悔やんでいる。形は小さくとも、軽薄そうに見えても、コイツは立派なリルヴ族の男だった。それが抱き締めたくなるほど嬉しかった。だがそんなことをしてはならない。失敗の後悔を和らげる行為は、リフの成長の妨げになる。苦しみと痛みが人を強くする。苦痛という試練を与えるのが、年長者としての役割だった。アスライは一瞬だけ、リフに労わりの眼差しを送る。
「失敗は誰にでもある。重要なのはそこから何を学ぶか――などというのは幾度と無く聞いただろうが、こういうときは耳が痛いだろう?」
「……うん」
「これから何度もあるぞ。……オレはそうだった」
苦笑すると、リフも少し笑う。
「では、帰り道の索敵を頼む。出来るな?」
「お、おう! 任せとけ!」
リフはドンッと胸を叩くと木に登り、猿のように枝から枝へと移っていく。
(調子に乗って、足を踏み外さなければいいが……)
義弟を案じる種は尽きない。
「うっ、うっ……。あの坊が、立派になって……っ」
「イヤだねえ……。年取ると、ホントに涙もろくなっちまって……」
年寄り二人が鼻を啜っていた。尊敬する師父と戦士であっても、煩わしいと思わないわけではない。
「いいなあ~。ミアもおにいちゃんにしかられたい。おにいちゃん、しかってしかって~」
ミアが無邪気に纏わりついてくる。後ろのシウは困り顔だ。
「やめろお前達。ほら、他の魔獣が寄ってこないうちに、群れ熊を解体してしまおう。フィオンナッシュ……はその手では無理か。ミア、解体の出来る誰かを呼んできてくれ」
「は~い」
ミアがピシっと手を挙げて、タタターと走っていく。
「それとトワ。ついでに解体のやり方を教えておく」
「え……えっ……と」
ダラリと舌を出してくたばっている群れ熊に、トワはとても嫌そうな顔をする。
「教える」
「……はい」
否を言わせぬアスライの口調に、トワは観念する。
「お嬢ちゃん! あんた、トワってのかい! 助けてくれた命の恩人にアタシって奴ぁ、まだ礼の一つも言ってなかったね! ありがとうね、トワの嬢ちゃん!」
感謝するフィオンナッシュだったが、樽のような体と遠慮のない大声に、トワは萎縮している。
「え、う……す、すぐに投げ飛ばされてしまって、あまり役に立てなかったかと……」
「なに言ってんだい! あの時飛び掛ってくれなきゃ、アタシゃおっちんでたよ! 謙遜かい? 謙遜ってやつかい? ダメだよ、良い女ってのは謙遜なんかしないもんだよ! アタシみたいにね!」
フィオンナッシュは科をつくる。それが色っぽい良い女のポーズかどうかを指摘するのは、勇気では無く蛮勇であろう。
トワはモジモジし、長い前髪で表情が隠れていたものの、喜んでいるように見えた。
「……おい。解体は?」
アスライの言うことなど、誰も聞いてはいなかった。
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