第11話 リルヴの教え03
村の入り口で、腰に手をあて頬を膨らませているミアを先頭に集まっているのは、護衛を担う面々と、果実採集をする女達だ。
「すまない。待たせ、」
「何だい何だい。このフィオンナッシュ様を待たせるたあ、偉くなったもんだねアスライの坊や! まさか成人したからって調子に乗ってやしないだろうねえ? もしそうならこのアタシ直々に、きっついお灸を据えてやらにゃあならんところだけど、今日は成人の祝いってことで勘弁してやろうかね! ……おんや? そこの娘は、例のよろしくやってたっていう嫁さんだね! 何だい、ガリッガリッじゃないかい! そんなんじゃあ丈夫な良い子は産めないよ! アスライの坊や、アンタがたーんと稼いで、アタシみたいな魅惑のボディにしてやらにゃあ! ガハハハハッ!」
フィオンナッシュは呵呵大笑しながら、太鼓腹をボーンッと叩く。その威勢の良さに、アスライもトワも二の句が継げなくなる。
「坊」
「お……おお」
色の抜けた白髪を後ろに流し髭を結っている老人に話しかけられ、アスライは正気に返る。
メンタークの後を、ミアたち三人が付いてくる。
「成人おめでとうございます、坊。一八になるというのに女っ気がまるでないのを心配しておりましたが……なるほど、あのような華奢な女子がお好みでしたか。たしかに勇ましき我が一族にはおりませぬタイプですな」
メンタークは、女達に囲まれ質問攻めにあっているトワを、目を細めて眺めている。
「違う……違うんだ…………」
噂を鵜呑みにしているメンタークに、事の真相を告げる。衰えを知らぬ聡明な老人は、事の次第をすぐに理解してくれた。
「そういうことですか……まあ、坊ですからな。そんなことだろうとは思っておりました」
そう言いつつ、メンタークは明白にガックリと肩を落としている。
「坊はやめろ。もう成人したんだ」
「ほほっ。洟垂れ小僧の頃からの付き合いです。こればかりはいかんとも。族長にでもなれば話は違ってくるのですが」
「無茶を言うな。オレは父上のようにはなれん」
「そうですかな?」
メンタークが意味ありげに含み笑いをする。
「ア、アスライ兄様っ!」
「「「あすらいにいさまぁ?」」」
女達から逃げてきたトワの言葉に、ミア、シウ、リフが同時に怪訝な声を上げる。アスライは視線を三人に向けた。
「今度からコイツは、お前達の義妹になる。メンターク、トワの師父になってくれ」
「ええーっ!」
大きな声を出すミアに構わず、メンタークに頼む。
「これは唐突ですな。ライデン殿の許可はとっておるのですか?」
「姉上と兄上の協力は取り付けた。あとは父上次第だ」
「ふむ……そうですか」
メンタークは髭を扱いて思案する。
「しばしお時間を。何分、急なお話ですので」
「もちろんだ。だがオレは、頼むならお前しかいないと思っている」
「おやおや。口説くならこんなジジイではなく、若い女子にしてくだされ」
言葉とは裏腹に、メンタークは満更でもなさそうだ。
「まって! ミアをムシしないでっ! いもうとになるってナニ? このヒト、おねえちゃんなのに!」
ミアがメンタークとの会話に口を挟んでくる。
「のんびりしていては日が暮れてしまう。後でだ」
「ま、まってよ~!」
仕事を始められないので、ミアの疑問を後回しにする。
アスライは指を咥え、村の外に広がるストロキシュ大樹海へ、フィーッと指笛を響かせる。続いてメンターク、シウ、リフが指笛を吹き、遅れてミアが同じようにする。
音も無く木々が揺れ、その間から飛び出し地に降り立ったのは、人の倍はある体躯の真っ黒な狼。魔獣・『
「え……えっと……?」
魔獣が現れたというのに動じる気配が無いアスライ達に、トワが戸惑う。アスライは闇狼に歩み寄り、鼻先をくすぐる。
「久しぶりだな、ウルク。元気だったか?」
闇狼のウルクは、クルルッと上機嫌で喉を鳴らした。
「こいつはウルク。闇狼のウルクだ。オレたちリルヴ族と共に生きる、親友だ」
トワにウルクを紹介する。
闇狼は魔獣だが、人と意思疎通をできる知性を持ち、リルヴ族と共生している。ウルクはアスライにとって、種の垣根を越えた兄弟のようなものであった。
「ウルク、こいつはトワ。新しくオレの義妹になる。挨拶を」
ウルクがカチコチになっているトワに鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。次いでベロンッと舐め上げた。
「わっぷ……ト、トワです。よろしくお願いします」
体を摺り寄せ匂い付けをするウルクに、警戒心を解いたトワが笑みを見せる。
「では先行する。トワ、手を」
「は、はい」
ウルクに跨り、アスライはトワに手を差し伸べる。トワの手を掴み、自分の前に引き上げる。
「ふひゃっ! あ、足に……くすぐったい……」
ウルクの被毛が腰と両足に絡みつき、トワはむず痒そうにしている。闇狼の毛は鉄分を豊富に含有しているため、【雷】の神授によって自在に操作でき、騎乗者の体を固定することができる。アスライは、トワと自分がウルクと繋がったことを視認し、その首筋を撫でる。
「ウルク、頼む」
ウルクは地を蹴るや否や、風のように加速する。
「わあっ! は、速い!」
驚き仰け反ったトワを受け止め、後ろから支える。体が緊張のせいで硬くなっていたが、身を預けたことで安心したのか、解れてくる。
「大丈夫だから、しっかり掴まっていろ」
「は、はい……ごめんなさい」
ウルクは木と木の間を、ジグザグに駆ける。障害物だらけの森では、馬よりも狼の方が遙に優れている。それが魔獣なら尚更だった。
「トワ。先ほど話していた老人は、メンタークという。奴にお前の師父を任せるつもりだ」
「しふ……ですか?」
「そう、師父だ。オレ達は五才くらいになると、親元から別の人間の元へ預けられる。その子の能力を最大限に引き出す指導をするために。その指導を担う者のことを、師父という」
親だとどうしても甘くなるか厳し過ぎるかに偏ってしまう。
「両親を第一の家族とするならば、師父とその弟子は第二の家族になる。オレにとってメンタークは第二の父であり、弟弟子のミアたちは義理の妹と弟ということになる」
異母兄弟のライラとボルドラよりも、メンタークやミアたちと過ごした時間の方が長い。だから血の繋がりがある兄弟よりも、苦楽を共にしたメンタークたちの方が気安く会話できる。
「オレ達は自分が成長するのと同じくらい、人を育てることを大切にする。そうしなければ、ここでは生きていけなかったからだ」
ストロキシュ大樹海は、魔獣の跋扈する魔境だ。弱肉強食の暴力的な法則に支配さているここでは、どれほどの強者でもあっさりと死んでしまう。しかし真の強者は、死んでもなお『教え』を残す。高みに到達した者のみが悟れる真理と力を次代に継承することで、その中から新たな偉人が生まれる。先人の教えの上に、次に連なる者が新たなものを積み上げれば、やがてそれは山を超え、天にも届く。それこそが人の力だ。リルヴ族はそうやって、自らよりも凶悪な魔獣どもから、家族と同胞を守ってきた。
「『人を生かす』。始祖・リルヴのこの言葉を、リルヴ族は自らの信念としている。それはオレも同じだ。メンタークは師父としてとても優秀だ。お前に何ができて何ができないか。何か得意で何が不得意か。経験豊かなアイツがお前の活かし方を見極めてくれるだろう」
「でも私に……い、痛、いたいでふ」
トワの頬をアスライが引っ張る。
「何も出来ない人間はいない。何もしようとしない人間はいるがな。もし出来なくても出来るようになればいい。出来るようになるまで、オレが手伝うから」
「…………」
抓っている手を、トワがキュッと握ってくる。
「む。ウルク、止まれ。索敵する」
話に熱中しすぎた。目的地の前で停止し、魔獣の有無を探る。【雷】の神授を持つ者は、生物の発する電気を敏感に察知する。
「……よし、問題ない。進もう」
ウルクを進ませ、果樹の群生地に入る。房の先に三センチほどの青い実を沢山つけた『グプレ葡萄』という果実だ。
ウルクから降り、トワも降ろす。果樹に近づき、グプレを根元からもぎ取る。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
グプレを一つ口に放り込むと、トワもそれに倣う。表情がパッと明るくなった。美味かったらしい。
トワと一緒に、群生地を見渡せる岩場に腰掛ける。朝食代わりにグプレを食べていると、後続のメンターク達が、フィオンナッシュら採取組を先導してくる。
「あ~、ズルイ! ふたりでたべてる!」
闇狼から飛び降りたミアが、両手を振り回し不満を露にする。
「分かった分かった。ほら」
実をもいで渡してやると、ブチブチ文句を言いながらもミアは受け取り、アスライを挟んでトワとは反対に座る。
「さあさあ、手早く片付けるよ! ちゃっちゃっと働きなお前達!」
「「「はぁ~い」」」
ハキハキしたフィオンナッシュとは真逆の緊張感の無い声が重なり、女たちが籠の中にグプレを摘み取り始めた。
アスライは実の無くなった房を捨て、口内に残った種を吐き出すと、岩場に横になる。アスライのみならず、メンタークやミア達三人も忙しなく働く女達を尻目に、談笑したり闇狼の毛繕いなどをしていた。
「あの……手伝わなくても……?」
トワが聞くので、アスライは閉じていた瞼を片目だけ開き、問い返す。「手伝いたいのか?」
「いえ……何もしなくてもいいのかな、と……」
寝ているくらいなら働けと言いたいらしい。
「オレたちの仕事は護衛。女たちの仕事は採取。互いの領分を邪魔するものではない」
「でも……」
納得しかねるようだ。
「オレ達は遊んでいるわけではない。これでも、」
「アス兄!」
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