第10話 リルヴの教え02

「昨日、宴の前に剣を直しに出していてな。それを取りに行く」


 多くの大人が酒でダメになっているが、ブラッカスなら大丈夫だろう。


「は、はい……あ、あの、私は何をすれば……?」


 まだオドオドしているが、トワに積極性が出てきているように感じ、嬉しくなる。


「これから女達が果実の採集に出る。森には魔獣が出没するから、それから守るのがオレたちの役目だ。お前は今日のところは見学だな。採集は村で一番多い仕事の一つだから、任されることもあるだろう」


「……私、仕事をしたことがないんです……。私なんかに、できるでしょうか……?」


 トワが肩を落として言う。


「始祖曰く、『役に立たない人間はいない。しかし、人を役立てられない人間はいる』」


「え?」


 戸惑うトワに構うことなくアスライは続ける。


「オレたちの始祖・リルヴは、指導者として非常に優秀だった。リルヴ族は彼の死後も尚、その教えを人生の指針としている。『役に立たない人間はいない。しかし、人を役立てられない人間はいる』。これはどんな人間にも何らかの力があるから、それを見つけ生かしなさい。という意味だ」


 また、人を役立たずと罵る前に、その人を役立たせられない自らの不明を恥じよ。という戒めでもある。


「だからお前も、誰かの役に立つことができる。自分で見つけられないなら、オレが見つけてやる。必ず」


「……はい。わぷっ」


 涙ぐむトワの頭をグリグリと撫でる。子供のようなやわらかな髪だった。


 そうこうしているうちに鍛冶場に着く。煙突から煙が上がっているので、寝ているということはないだろう。


「ブラッカス、いるか?」


「あ? ……おう、坊か」


 中に入ると、筋骨隆々で短躯のブラッカスが鉄を打っていた。


「坊は辞めろ。もう成人したんだ」


「しゃーねーだろ。こちとらオメーが寝小便たれてた頃からの付き合いだ。今さら変えようなんざ、無理な注文ってもんよ」


 ブラッカスは熱せられた鉄を打っていた槌を置き、水中へ投じる。高温で水が沸騰し、むわっと蒸気が吹き上がる。


「出来上がってるぜ」


「あ…………」


 立ち上がったブラッカスに、トワが上げかけた声を手で塞ぐ。ブラッカスはチラッと目をやっただけで奥に入っていき、すぐに出てくる。


「オラよ。これを取りに来たんだろ? ったく。女としけ込んでたわりにゃあ、随分とボロにしてくれやがって」


 直すのに骨が折れたぜ。とブラッカスが愚痴る。


「助かる」


 渡された大剣を身に付ける。背中にズシリと圧し掛かる重みがしっくりくる。


「急ぎか?」


「ああ。これからフィオンナッシュのところだ」


「あー、じゃあ行け行け。待たせるとうるせーぞ、あのババアは」


 ブラッカスは椅子に腰を下ろし、新たな鉄を熱し始めた。アスライは礼を言い、鍛冶場を後にする。


「義足が珍しかったか?」


「あ、……はい」


「義足をジロジロ見られることを、ブラッカスは嫌がる」


「……ごめんなさい」


 謝ることはないと首を振る。


「ブラッカスは、もともと戦士でな…………」


 リルヴ族の男は、成人するとほとんどが魔獣から村を守る戦士となる。ブラッカスは優秀な戦士だったが両足を喰われ、引退した。それからは義足を付け、鍛冶を生業としている。義肢で生活している者は、この村に多い。


「オレも四肢を失い戦士を続けられなくなったら、ここで働くのもいいと思っている」


「あの……」


「うん?」


 トワが言い辛そうに口をモゴモゴさせている。


「その……他のところへ移る気は、ないのですか……?」


「他の……? ああ、帝国はともかく、共和国や神王国でなら、もっと安全な暮らしができるんじゃないか、ということか?」


 コクリ、とトワが頷く。


「ふむ…………」


 そんなこと考えたことも無かったと、腕を組む。


 アスライは、ディグナ帝国にもミロイズ共和国にもカド神王国にも行ったことがある。ストロキシュ大樹海で採れる薬草や花の蜜、魔獣の毛皮などを、酒や塩などと交換するのに付いていったのだ。


 それらの国々なら、魔獣に殺されることも大切な人を流行り病で失うことも無かったのかもしれない。しかしそうであっても、このリルヴ族の村を離れようとは微塵も思わなかった。


それはなぜか?


「人……だな」


「人?」


「そう。人だ」訪れた三つの国の記憶は、鮮明に覚えている。「帝国も、共和国も、神王国の人々も、形は異なれど同じように病んでいる」


「病んで……?」


 アスライは頷く。


「例えば、こんな話がある」


 あるリルヴ族の男が、毛皮を帝国へ売りに行った。一枚を平民に、一枚を貴族に売ったが、平民の毛皮の方が上質だったことを知った貴族は激怒し、平民を斬り殺した。リルヴ族の男も貴族を蔑ろに扱った罪で殺されそうになったため、逃亡した。


 帝国人と取引することに懲りた男は、次に神王国へ向かった。異教徒である男は、神王国で商売をするためのお布施を支払い、異教徒用の狭い宿とマズイ飯を食わされ、ことあるごとに聖職者から賄賂を要求された。男は憤慨し、神王国から去った。


 男が最後に向かったのは共和国だった。商人に持っていった毛皮が全て売れ、男は喜んだが、その売り方を見て愕然とした。毛皮を傷め出したのだ。そして傷めた毛皮を中級品。何もしていない毛皮を高級品と希少品に分けた。人々は中級品の三倍の値がついた高級品を求め、十倍の値がついている希少品さえ買う者がいた。そのどちらも同じ品質の物なのに。


 結果商人は、ただ売るより大きな利益を得たが、傷つけられた毛皮は捨てられた。獲物を取り毛皮をなめした労苦を侮辱された気になり、男は行商を止めた。


「帝国では身分で人の価値が決まり、神王国では異教徒は人ではなく、共和国では金銭が人よりも大事にされる。身分、宗教、金銭などで人を見下す人間の醜さはひどいものだ。そしてこの人を差別する病は、人から人へと容易に伝染する。それが精神的に未熟な子供なら尚更だ。オレは幼い兄弟や家族を、身分や宗教、金銭で差別する人間にしたくないし、なりたくも無い。だからこの地から他所へ移り住もうとは思わない、絶対に」


 トワは口を半開きにし、目をパチパチさせていた。よく分からなかっただろうか、とアスライは不安になる。


 トワが何かを言おうとする。が、なぜか恥ずかしそうに目を伏せた。モジモジする。


「アスライ……兄様は、何を大切になさっているのですか?」


「…………兄様?」


 予想外の呼び名にたじろぐ。囁くように『兄様』などと言われると、背中がムズムズした。


「あ、う……ダメ、でしたか……?」


「い、いや……。お前の呼びたいように呼べばいい」


「……はい、兄様」


 トワが小さく微笑む。


「それで――」


 アスライがトワの問いに答えようとしたとき、


「おっそ――――いっっっ!」


 内気な少女とは比較にならないような大声に、鼓膜がキーンとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る