第6話  弄ばれし者達03

『トワ』。少女の名はトワ。


セイリーン山脈を下山し、ストロキシュ大樹海に入る。リルヴ族の村への道すがら、アスライはトワと話をした。


トワの年は一五。背が低いのでとてもそんな年齢には見えなかった。


トワはディグナ帝国で、自らの【不死】を他人に移植する実験をされていた。しかしそのほとんどが失敗し死亡する。それに心を痛めたトワは、監禁されていた場所での騒動を切っ掛けに逃亡した。


セイリーン山脈にいたのは、帝国内で隠れるより発見される可能性が低いと思ったかららしい。魔獣と遭遇しても不死だから平気だと、ポソポソ言う。実際、何度も殺されているはずだ。幼い見た目に反し、壮絶な精神を有しているようだ。アスライが半分呆れ、半分尊敬の眼差しを送ると、トワはきょとんとしていた。


「あれがリルヴ族の村だ」


 アスライが指差す。闇の中に、いくつもの篝火の光が灯っていた。


 セイリーン山脈の裾野に広がるストロキシュ大樹海は、鬱蒼と茂った木々が月明かりさえ遮り暗黒そのものだったが、この森で生まれ育ったアスライにとっては己の庭同然。木の根に躓くトワの手を引っ張りながら、迷い無く進んだ。


 魔獣との戦闘を避ける為、迂回し、岩場を登り、川を渡っても、トワは愚痴一つ漏らさなかった。人に従うことに微塵の疑問を抱いていない様子は、彼女がどのような境遇にあったかを思わせ、もやもやした気持ちにさせた。


 ともあれ、一ヵ月ぶりの故郷だ。懐かしさと安堵が込み上げ、足取りを軽やかにする。


 篝火の光が、沢山の人々を浮かび上がらせていた。光量が弱くとも、リルヴ族特有の金色の髪は目立つ。


「あ、来た来た! 遅いぞコラーッ!」


 光の中でピョンピョン飛び跳ね、金色の髪を躍らせているのは、姉のライラだろう。アスライが村の入り口に達すると人垣から一目散に掛けてきて、力強く抱き締めてくれた。金色の瞳が嬉しそうに細められる。


「お帰りアスライ! あんまり遅いからお姉ちゃん心配して……ええ――――っ!」


 耳元で大声を出され、アスライは顔を顰める。


「よく戻った、アスライよ」


「ただいま帰りました、姉上、兄上」


 屈強な身体つきの兄・ボルドラに挨拶を返す。ボルドラもアスライと同じ金髪金瞳だが、剃髪しているので頭部はツルンとしてる。


 三人は母の異なる異母兄弟だが、アスライは二人のことを敬愛していた。


「ああうん、お帰り……じゃなくてっ!」


 ウチの姉は相変わらずうるさいと苦笑する。でも一ヵ月ぶりの再会は、素直に嬉しかった。


「何で?」ズビシッとライラがトワを指差す。「何で女の子を連れているの? 何で何で何で?」


「痛い、痛いです姉上」


 背中をバンバン叩いてくるライラ。騒々しさに腰が引けていたトワを、二人の前に押し出す。


「こいつはトワ。山で魔獣に襲われていたところを助けました。帝国から逃げてきたそうです」


 トワの不死性については伏せておくことにする。


「ふーん、帝国からねえ…………ふ、うぅ~んっ!」


 不信感を隠しもしないライラは、トワをジロジロと見つめる。トワはアスライの背に隠れ視線を避けるが、そんなことで遠慮しないライラはトワに詰め寄る。


 トワが逃げ、ライラが追う。アスライを中心にして二人はグルグルと回りだす。


「なんで逃げるのよー?」


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」


 トワは謝るが、逃げるのを止めない。


「姉上、そのくらいに」


「なんでよー」


 ボルドラに肩を捕まれ、ライラはブウブウと口を尖らす。集っていたリルヴ族の同胞が、ライラ達のやり取りに苦笑いを零していた。


 と、ライラが不満顔を引き締める。そしてボルドラと共に左右に分かれると、他の者達も同様にし跪く。アスライの前に、人で作られた一本の道ができあがる。


 道を、壮年の男が歩いてくる。アスライもまた、男の前に跪いた。後ろで、トワが慌てて同じようにするのを感じた。


 凶悪な魔獣の希少部位を用いた礼服に身を包んだ従者を従える男は、リルヴ族族長・ライデン。傷跡が縦横に走る面と、五〇を超えてもなお衰えを知らぬ肉体。獅子の鬣のようにうねる金の剛毛と美髯は、威厳に満ち満ちている。その威圧感で、重力が倍になったかのようだ。


「やり遂げたか」


 ライデンが、厳かに言う。族長の一挙手一投足を見逃さまいと、この場の全ての者が彼を注視していた。


「はい、父――ライデン族長。アスライ、ただ今『聖山行』を終え、帰還しました」


 緊張のせいか、ついライデンを「父上」と呼ぼうとしてしまった。ここは公式の場。礼節をもって振舞わなければならない。


 セイリーン山脈での一ヵ月の山篭もり――『聖山行』は、リルヴ族の神聖な成人の通過儀礼。これをやり遂げねば男としても人間としても半人前とされ、様々な権利を制限される。


 リルヴ族の族長であり、アスライの父親でもあるライデンは、我が子を暫らくの間見下ろすと、ゆったりと腰の剣を抜いた。


 『雷喰力換ラグリカン』。リルヴ族の始祖・リルヴの愛剣であり、雷を喰らい無限の力を発揮すると言われる、創造神・フォルスが創り出した黄金の神剣である。


 その神剣を掲げ、ライデンは凄まじい殺気を放つ。


(ぐ……っ)


 恐怖で肌が粟立つ。汗が噴き出し、本能的に逃げ出しそうになる足を、必死で押さえ込まなければならなかった。


 恐怖心を捨てるため目を閉じる。この父に命を断たれるならば、後悔は無い。アスライは己の生死をライデンに託す。


「――――フンッ!」


 振り下ろされた神剣が烈風を生み、風圧に人々が仰け反る。


 一陣の風が止むと、髪の毛一本分のところでライデンが刃を寸止めしていた。


「今この時より幼き貴様は死んだ。これよりは一人前の男として……」


 自らの命があり、族長からの言祝ぎが始まったことに安堵していたアスライだったが、言葉が止まり、周りがザワザワしだしたことを訝しみ顔を上げると、ライデンが苦虫を噛み潰したかのような表情をしていた。


「アスライ……その娘は何だ?」


「…………は?」


 問われている意味が分からず、アスライはポカンとする。しかし背中に違和感を感じ、目をやった。そしてアスライは、理解できないことを理解する。


「何を……している……?」


 いつの間にかトワが、背に覆い被さっていた。こいつは一体何をしているのかと、唖然となる。


「……アスライさんが……殺されてしまうかと思って……ごめんなさい…………」


 仕出かしてしまったことを悟ったトワが、顔色を真っ青にして謝罪する。


「すっげーっ! 成人の儀で女に庇われるなんて、前代未聞だわ! さっすがアスライ!」


「姉上! シーッ!」


「なによぉ、褒めてるのよ? 女が男を命懸けで助け、もがーっ!」


 ライラがボルドラに口を塞がれる。二人のやり取りを含めた今の状況に、辺りから失笑が漏れ聞こえ、アスライは穴があったら頭から入りたくなる。


「アスライ」


「はい……」


 ライデンは抜き身の剣を掲げ、跪いているアスライの頭へゆっくりと触れさせる。


「リルヴ族族長・ライデンの名において、貴様を一人前の男として認める。これより我らが一族の繁栄のために励むがいい」


「我が血と肉と骨を、一族に捧げます」


 族長の証たる黄金の剣・『雷喰力換』が光り、アスライを祝福するようにその身を包んだ。


 成人の儀を完遂した若者に万雷の喝采が上がる――ことは無く、パラパラとお情けのような拍手が起こっただけであった。アスライが羞恥で体を震わすと、「ごめんなさい……」と申し訳なさそうにトワが謝ってくる。


「してアスライ」ライデンが咳払いをし、父の顔になる。「その娘は? 知らぬ顔だが……」


 しょぼくれていたアスライは、ハッと跪いたまま居住まいを正し、ライデンに向き直る。


「族長に、請願がございます」


「……聞こう」


 ライデンが険しく眉根を寄せる。緊張で乾いた唇を、アスライは湿らす。


「本日、私は成人いたしました。ですので、成人した者の権利を使わせて欲しいのです」


 ザワッと同胞達がどよめく。当然だ。成人したその日に権利を行使しようなどということが、厚顔無恥も甚だしいなんてことは、アスライも重々承知していた。だがこのタイミングでなければならないと、内なる何かが告げていた。


「権利……か。それはその娘に関係していることだな?」


「はい……トワ」


 名を呼ばれ、すぐにトワが近くに来る。先ほどのことを気に病んでいるようで、暗い表情をしていた。アスライはトワを隣に、はっきりと宣言する。


「この者はトワ。私はトワを、家族に迎え入れようと思います」


 リルヴ族は成人すると、家族を作る権利を獲得し、それを族長が認めることで正式なものとなる。アスライはその権利を使うつもりだった。


「…………え?」


「ええ――――っっっ!」


 二つの異なる声が、夜の森に木霊する。一つは呆然としたトワのもので、もう一つは喉が破れんばかりに絶叫した、ライラのものであった。


「ダ、ダメダメダメ――ッ! 絶対にダメ! 弟に先に結婚されたら、アタシが恥ずかしいじゃない!」


「姉上……その発言が、すでに恥ずかしいです……」


「うるさぁーい――っ!」


 地団太を踏むライラを、ボルドラが羽交い絞めにする。しかし笑いは起こらず、戸惑いと非難めいた声がそこかしこから上がる。


「……結婚?」


 アスライが、ついっと向くと、首まで真っ赤にしたトワが小さくなった。


(……結婚。なるほど。この状況でなら、そう受け取られてしまうのか)


 アスライは自分が招いたというのに、この状況に驚いていた。アスライはトワを村で受け入れてもらうために自分の家族に――保護者や兄弟のようなものにするつもりだったのに、若い男女が「家族になる」と言えば、妻にすると想像されてしまうのも道理だった。自分の浅慮に、ダラダラと汗が滝のように流れ止まらなくなる。


「静まれ」


 ライデンの一声で、皆がピタッと口を噤む。


「この件は己が預かる」視線で反対意見を述べようとした者を黙らせ、ライデンはニヤリと片笑む。「ところで忘れてはいまいな? 今宵は我が一族に新たな後継が加わった目出度き日。祝宴の準備は整っておるぞ?」


「「「おおっ!」」」途端に同胞達が目の色を変える。「酒だ酒だ!」「それより肉だ! 腹が減ってかなわん!」「うむうむ! 今宵は呑み明かそうぞ!」


 酒と飯に釣られた飲兵衛と食いしん坊どもが、宴の会場となる大天幕へ連なっていく。


「アスライ」


「……はい」


 声が、ひどく低かった。怒るときの声だ。大目玉を覚悟し、アスライはライデンの前に項垂れた。


「こんなはずでは、という顔をしておるな。大方、結婚など考えておらなかったのだろう?」


「はい……仰るとおりです」


 一八年間、アスライの父をしていたライデンは、息子のことを熟知していた。


「どうしたかったのだ、貴様は?」


「私は、トワをリルヴ族の一員として受け入れて貰いたかったのです」


 ライデンは溜息をつきながら、大きく頭を振る。


「良いかアスライ。人に何かを受け入れて貰うには、事前の準備や根回しが必須だ。ましてその娘は村の外の人間であろう? 家族になるとしても、同胞とは訳が違うのだぞ」


「…………はい」


 懇々と説教され、アスライはぐうの音もでない。成人したというのに、未だに無知な子供のままだ。


「その娘とは長いのか?」


 この問いに答えたら絶対に怒られる。だが嘘をつくわけにはいかなかった。


「いえ……つい半日ほど前に……出会いました……」


 あんぐりと、口を全開にしそうになるところをライデンが堪えたのを察した。怒られるより呆れられる方が辛かった。アスライはどこかに穴はないかと探すが、どこにも適当な穴は空いていなかった。


「貴様という奴は、昔から重要なことを――」ライデンは頭痛を抑えるように眉間を揉む。「いや、これ以上はよそう。今日は、貴様の祝いの日なのだから」


「申し訳……ありません……」


 アスライは不死身の牙虎と決闘するよりも叩きのめされ、ただただ低頭した。


 生涯にたった一度きりの成人の日に大失態をやらかし、情けないやら恥ずかしいやらで、鼻の奥がツーンとする。


「アスライ」


「……はい」


 まだ怒られるのかとライデンを見ると、「んんっ」と咳払いをし、険しさの抜けた眼差しを送ってくる。


「成人、おめでとうアスライ。これは族長ではなく、父としてだ」


 ライデンが、照れたように微笑む。


「あ……ありがとうございます、父上!」


 喜びのまま返したアスライの笑顔は、ライデンのものとそっくりだった。


「父上~、アスライ~。早く来なさいよ~。今日の主役なんだからね~?」


 ライラがブンブンと手を振り呼んでいた。アスライとライデンが、また同じような苦笑を浮かべる。


「娘……トワと申したか」


「は、はい!」


 黙って事の成り行きを見守っていたトワが、ビクリと返事をする。


「お主を、とりあえずは客人として迎え入れよう。どうするかはコレと話し合い、己を納得させるがいい」


 トワが窺ってきたので頷く。トワは恐る恐るライデンを見ながら、「は、はい。分かりました……」と答える。


「ぬ……いかん。バカ娘がお冠だ」


「そうですね、早く行きましょう」


 待たされて怒気を発し始めたライラの元へ、三人で向かう。

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