第5話 弄ばれし者達02

「…………うう」


「お前……」


「あう……血……触る……ダメ……」


 傷に触れようとするのに、少女は頑なに抵抗した。


 少女を襲ったのは、『貧り鼠ムサボリネズミ』だった。成人女性ほどある鼠のような魔獣で、弱った者を標的にする。少女の衣服についた血の匂いに招きよせられたのだろう。


 彼女の喉の傷は、致命傷だった。だが既に治癒している。やはりこの少女は死なないのだ。


「お前と、あの牙虎は、同じように見える。なぜだ?」


「……………………」


 少女は唇を噛み、長い沈黙を保った。


 一人で震えるこの小柄な少女を見ていると、アスライは胸の内に言いようのない感情が溢れ出してるのを感じ、大いに戸惑った。


「私は、」


 少女の発した声で、アスライは感情の出所を内省するのを止める。


「私は……死にません。私は神様から、創造神・フォルスから、【不死】の神授を授けられたからです」


「……【不死】」


 神授は、全ての人間に与えられる神の力の一端だ。その大半は、火、水、風、土などの自然の力を使うものだが、ごく稀にとんでもない力を与えられる者がいる。【不死】は神の永遠性、不滅を証明するもの故、人に発現することは無いとされていた。事実、人類の歴史上、【不死】を獲得した者は存在しなかった。だが現実に今、ここにいる。死んだのに生き返ったところを見せられては、信じざる得なかった。


「……うん? お前は神授のお陰で死なないとしても、何で牙虎まで死なないんだ?」


 魔獣は肉体そのものが規格外なだけで、神授が扱えることは無い。


「私の体を食べると……不死になることがある……みたいなの……です」


「ほう……」


 アスライは足元の貧り鼠の死骸に目を向ける。コイツも牙虎みたいになるのか、と恐怖を覚える。


「とても低い確率なので……多分、大丈夫……かと」


「本当だろうな?」


 少女が曖昧な表情をしたので、アスライは確固たる決意を持って埋めることにする。


「では、行こう」


 貧り鼠を穴に封じ、少女を促す。


「…………え?」少女はきょとんとする。「私も……ですか?」


「ああ」


 当然のように頷くと、少女は前髪から覗く目を丸くする。


「あの……私、死なないん、です」


「聞いたし、見たが?」


 この少女が不死であることはもう疑っていないので、何を気にしているのか不思議に思う。


「だから、迷惑になります……絶対に」


 絶対に、の部分に、少女の強い感情が込められていた。


「お前を放っておいて、山中をあんな化物だらけにされる方が大迷惑だ」


「そ、それは……ごめん、なさい……」


「謝らなくていい」


 アスライは、そっと溜息をついた。この少女は会話している間ずっと、オドオドしていた。アスライの機嫌を伺うような卑屈な視線、態度。どういう風に育てば、どんな目に遭えばこんな風になってしまうのか、全く想像ができない。コイツの周囲の大人達は、一体どんな――


「ご、ごめんなさい……」


 少女が、身を守るようにして小さくなっている。怒りや不快な感情が顔に出ていたらしい。アスライは眉間に寄った皴を伸ばし、「すまん」と詫びる。


「オレについて来い。いいな?」


「……………………はい」


 少女は長考して、コクンと頷いた。


 とりあえず山を下りよう。そもそもなぜこのセイリーン山脈に居たかといえば、アスライはリルヴ族の成人の儀式たる山篭もりを行っていたからだった。今日は最終日。辺りは闇に包まれている。さっさと村へ戻らねば。


「そうだ、これを着ろ」


 牙虎との戦闘で放置していた背嚢から服を取り出し、少女に渡す。村につれて帰るのに、ボロボロで血塗れの姿なのはとてもマズイ。


「あ……ありがとう……ございます」


 服を受け取ったが着替えず、少女はチラチラと視線をアスライと服とに行ったり来たりさせている。


「どうした? ……ああ、匂うか? 我慢してくれ。それでもマシな奴なんだ」


 一ヵ月、男が一人で山に篭っていたのだ。洗濯など行き届いていないことは多い。


「だ、大丈夫。良い……匂いです」


 いや臭いだろう、と思ったが、少女がモジモジと何か言いたそうな雰囲気だったので、沈黙を守った。


「あ、あの……一つお伺いしたいのですが……」少女が意を決し、口を開く。「あなたは……女の人……ですか?」


「ッ! ――ッッッ!」


「ひっ! ご、ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」


 顔を真っ赤にし、怒髪天突くほどの激情を放出したアスライに、少女は子鼠のように縮こまった。


 アスライは、『リルヴの天女』と謳われた母の美貌を余すことなく受け継いでいた。


長い金色の髪は陽の光のように柔らかで、琥珀色の瞳は豊かな睫毛で縁取られている。小さな顔と華奢な身体つきは一八〇センチを超えてもなお、この少年を女性と間違わせることが少なくなかった。強者を尊ぶリルヴ族にあって美女に見紛うほどの容姿は、アスライ最大のコンプレックスであった。


 とはいえこんな少女を怯えさせるのは、みっともないことこの上ないことだ。オレも今日で一八。立派な大人の男なのだ。アスライは自らに言い聞かせ、怒りを鎮火させる。


「すまん、取り乱した。オレは男だ。見ての通りのな」


「は、はい。私の方こそごめんなさい……。すごく綺麗だったから……あ、ご、ごめんなさい……」


「…………」


 頬を引き攣らせながら耐える。大人の男は、こんな些末なことで一々腹を立てないのだ。


「で、でしたらあの……」


 少女はまたモジモジする。まだ何かあるのか。


「う、後ろを向いてくれれば……嬉しい、です」


「ああ……」


 性別を聞かれた理由を察し、アスライは後ろを向いて距離を取った。

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