6.婚約と牽制

 ***


 ユリアは予想通りの引っ張りだこになった。


 特に王太子殿下は、デビューの日に出会って以来、猛アピールを欠かさなかった。

 彼は招待状も送ってきたし、贈り物も既に山となるほどだ。あまりに高価な物はと断っても、やめることはない。相手と物が大物なだけに、捨てることもはばかられて、とりあえず預かるという形で保管している。


 ユリアはあちらが自分に接触してくれば返事はしたが、彼女自身から彼に迫ったことはない。それがどうも、遊び相手に困らない殿方の狩猟心に火をつけたらしい。

 実際、「真実の愛。ここまで僕を悩ませるのは、あなたぐらいですよ」なんて書いてきたこともあった。相手が引くほど追いかけたくなるのが男心というものだ。


 伯爵家は貴族の一員ではあるが、家格はけして王家と釣り合えると言えない。

 しかしユリアの人徳ゆえか、他の貴族からの反感はさほど強くないようだった。

 何より国王夫妻は、愛らしく謙虚な花嫁候補のことをいたく気に入ったらしい。伯爵夫妻もユリア自身も固辞しているのだが、社交シーズンが終わっても領地に戻らず、このまま王宮に滞在しろと熱心に薦めてくる。


 だから、王太子殿下の元に伯爵令嬢が嫁ぐことは決定しており、あとはいつ頷くか次第――本人の気持ちを余所に、そんな噂話が聞こえてくるようになっていた。


「正直に言っていいのよ、ユリア。王太子殿下のこと、どう思っているの?」


 家族の団らん中、伯爵夫人が切り出した。ユリアはうーんと唸る。


「自信のある人。才能に溢れているし、人気者なのもわかるわ。ただ、ちょっと強引な時があるから……そうなると、驚いてしまうの。それに、たくさん贈り物をくださるけれど、今は珍しいから、気になったように感じているだけではないのかしら?」


 彼の華やかな経歴はユリアも知っており、そのせいもあってか冷静に受け止めているらしい。とは言え、絶対に嫌、とまでは口にしない。

 夫人は重ねて尋ねた。


「ユリアは王太子妃になりたいの?」

「どうかしら。わたくしよりふさわしい方が他にいると思うけれど……」


 彼女は言葉を切り、それから静かに続けた。


「……でももし、王太子妃になれと命じられたら。その時は、覚悟を決めて精一杯務めるわ」


 夫人は口を開こうとしたが、娘の表情を見てやめた。


 ――だって一番を望む人とは、かなわないのでしょう?


 ユリアの寂しげな笑みは、そんな風に言っているようだった。


 ***


 一方、エイデンはユリアの社交界デビュー以来、あまり面白くない日々を送っていた。


 王太子とユリアのあれこれが面白くない、それもある。

 だがもう一つ大いなる誤算があって、そのせいで彼は思いもよらない目に遭っているのだ。



「エイデン、またか?」


 うんざりしたような顔で手紙を破り捨てていると、使用人仲間が声をかけてくる。


「だから、お前結構モテるんだってば。全然信じねーんだもん。どうだ、これで思い知ったか!」


 そう――なぜかエイデンは、連日同じ使用人階級から貴婦人まで、あらゆる女性から手紙を送られるようになっていた。


 確かに社交界デビューの日、気乗りしなさそうなユリアのために、ちょっと目立つことをやらかした自覚はある。その前には、ご婦人に絡まれたのを完全に無視していた。


 だがそれで、「伯爵家に一風変わった従者がいる」と評判になり、見ず知らずの相手から好意を向けられるなんて……。


 しかも解せないと言っているのはエイデン本人のみ、伯爵家一同は「まあ奴が出るとこに出ればこうなるよな」という反応なのである。


「おれはそんなに変な奴なのか?」

「変っていうか……お前、超絶イケメンってのとは違うけど、雰囲気あるんだもん。それより、まだお嬢様には許してもらってないわけ?」


 エイデンはますます眉間の皺を増やす。



 ユリアはエイデンが自分以外の女性から好意を向けられたことについて、最初は「ようやくエイデンのよさがわかる人ができたのね」なんて胸を張っていた。


 が、数が増えてくると、お気に入りの従者に勝手に手を出そうとする女性達について、やっぱり嫌な気持ちの方が勝るようになったらしい。


「エイデンは色っぽくて大人な女性がいいの? わたくしは子どもみたいだものね」

「別におれが受け取りたくて受け取っているわけじゃないですよ。殿下の贈り物をいただいているお嬢様と一緒では?」


 ――売り言葉に買い言葉、である。お互いピリピリしている所に、更に亀裂が入った。


 一応、一晩の後、すぐに頭を冷やしたエイデンは自分の非礼を謝罪した。ユリアも疲れて言いすぎたと返して、それで喧嘩自体は収まったはずだった。


 だがそれ以来、ユリアはもう、以前のように気軽にエイデンに話すことがなくなってしまったのだ。

 エイデンを見ると何か言いたそうに口を開こうとするのだが、結局言葉にできないようで、逃げるように走って行ってしまう。


 エイデンも何かユリアに言うことがあるはずなのだが、話そうとすればまたうっかり変なことを口走りそうで躊躇する。

 情けないことだが、堂々とユリアを口説ける男に嫉妬している――その自覚はあった。だがそれをユリアに告げて、どうなるというのか? どうにもならないではないか。


(王太子本人だけでなく、国王夫妻まで乗り気で、大きく反対している有力貴族もいないなら……きっとユリアが王太子妃になる)


 離れていく距離を感じる。けれどエイデンにできることと言えば、せいぜいその時まで、従者を勤め上げることではないか。


 ***


 まもなく、王太子殿下は衆人の前でユリアにプロポーズした。国王夫妻も参加している舞踏会の場で、だ。


 彼女が答える前に、国王夫妻が無邪気に喜びの声を上げ、周りの人間が祝福の拍手を送る。

 それは見方によっては、見えない檻の扉が閉じられたようでもあった。


 ユリアは一瞬、誰かを探すように目をさまよわせたが、すぐにやめた。そしていつもと同じ、けれどどこか寂しさのある笑みを浮かべ、優雅にお辞儀をして――了承した。



 ――そしてその華やかな茶番の少し後、いつも通りに陰から伯爵家を見守っていたエイデンに、見知らぬ騎士が近づいてくる。


「お前がエイデンか」


 相手の身につけている一角獣の紋章――王太子の証を見て、エイデンの身体は凍り付く。


「殿下が個人的に話をしたいそうだ。来い」


 無言で付き従うと、すっかり薄暗い庭園に、夜目にも目立つ金髪の男が立っている。

 少し前までは室内の一番光の当たる場所にいたはずだが、器用に抜け出てきたものだ。


 使いに出した騎士を手の動きで追い払い、王太子殿下はエイデンをにらみつけた。

 エイデンは無言のまま、礼だけ取る。


「こうして話すのは初めてだな」


 誰にでも親切、人気者と評判のはずの彼は、普段からは想像もできない冷たい声をエイデンにかける。エイデンは笑ってしまいそうになったが、年季の入った鉄面皮はうまく感情を隠した。


(いっそわかりやすくて逆にいい。親しげな態度で懐柔に来られた方がやりにくくて、もっと嫌な気持ちになっただろうな)


「僕が何を言いたいか、わかるな?」


 いかにも上流階級の傲慢さが滲む顔だった。


 自分が嫌われているからこうなのか、それとも普段の甘い顔は建前、こちらが彼の本性なのか。


 できれば前者であってほしい、とエイデンは思う。もう婚約が決まった後だから、特に。


「心当たりはありますが、生憎他人の考えていることを読み取るような能力はございませんので」


 エイデンはやや挑戦的に言葉を返す。


 王太子は不愉快そうに顔をしかめてから、なんとも嫌な笑みを浮かべた。


「……伯爵領にはの従者がいるらしいな? ご令嬢のお気に入りなんだとか」


 なるほどよく調べたようだ、とエイデンは思った。この言い方は、染めた髪の真の色を理解してのことだろう。

 相手は未来の国王と言われる男なのだし、さほど驚きはない。むしろエイデンの正体を知らず、ただ前回のいざこざだけで呼ばれたのならそちらの方がよほど不安になるだろう。


 見慣れた侮蔑の目を、エイデンはただ静かに見つめ返した。


「僕の花嫁に汚れた染みはいらない。もし彼女に王家にふさわしくない所があるのだとしたら、僕はそれを摘む義務がある」

「……ここで斬り殺しますか」

「まさか。僕がそんな野蛮な人間だとでも? 言ったはずだ。傷はいらない」

「では、見逃してやるうちに去れ、と」


 そこで王太子は静かに笑った。

 先ほどの敵意と侮りをむき出すような醜悪なものではなく、いつもの通りの美しく社交的な笑み。


 エイデンは悟った。今日が夢の終わりの日だと。


「……いつまででしょうか」

「そうだな、早い方がいいが――幼なじみ殿に敬意を払おう。正式な婚約披露宴の日までは、僕の忍耐も続くだろうさ」


 エイデンは瞼を閉じ、ぐっと拳を握りしめた。


「寛大な配慮を賜り、感謝申し上げます」


 頭を下げる刹那、相手が勝ち誇った顔をしたのが見えた。


「ご主人様に恥をかかせるなよ、赤狗」


 高貴なる方はそう言い捨てて、優雅にきらびやかな世界に戻って行く。

 暗い庭にはただ、何も持たざる孤児だけが残された。

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