5.不穏な求婚者
***
王都での社交界デビューには、エイデンもお供の一人としてついていく。
ただ、さすがに赤い髪のままでは出歩けない。
幼い頃のように、髪を黒く染めることになった。
元の彼を知っている伯爵家の人間は、エイデンの髪が鮮やかな赤でなくなると、一瞬誰かわからなくなるようだった。
二度見三度見し、「慣れないなあ……」などと皆がぼやいて苦笑している。
不思議と「赤髪でなくなってよくなったな」などと言う者はいない。
エイデンは赤い髪の色まで含めてエイデンなのだ。
そんな風に、伯爵家の人間達は自然と思っているところがあるようだった。
もちろん、このイメージチェンジに一番ご不満なのはお嬢様だ。
「変な頭……」
「王都にいる間だけですから」
頬を膨らませたユリアの手すさびのために、エイデンはわざわざかがんでいる。ユリアはエイデンの無難になった頭に渾身の八つ当たりを込めて、ぐしゃぐしゃとわしゃつかせている。
「お嬢様とおそろいの黒ですよ」
そう言ってご機嫌を取れば、彼女ははっと青い目を見開き、それからほんのり頬を染める。現金なもので、今度はせっせと髪を綺麗に撫でつけ始めた。
「そうね。おそろいだから、許してあげる」
エイデンはされるがまま、目尻に皺を作って表情を緩ませている。
(あと何度、こうしていられるだろう)
ふとそんな考えが胸をよぎった。
伯爵領では随分見られ方が変わったようだが、それでも自分がユリアの隣に立つことはありえない。
もし出世してユリアに求婚できたとて、貴族社会は絶対に赤毛の元平民の貴族入りを嫌がる。ユリアも伯爵家も、自分と一緒に排斥されるだろう。
駆け落ちはもっとあり得ない。これまで親切にしてくれた伯爵家の人間に対する裏切り行為だし、エイデンは努力してあらゆることができるようになった今だからこそ、人間一人の限界と無力さを知っていた。
ユリアは伯爵家の一人娘だ。きっと誰か、王宮でいい人を見つける。その時が、自分がユリアに仕えてきた半生を終わらせる時だ。
だけどもし、ユリアが誰も選ばなかったら……?
(やめよう、そんなことを考えるのは。伯爵家の一人娘なんだから、誰も選ばないなんてことはないはずだ)
所詮、かなわぬ思いだ。最初から終わりがわかっていたはずだった。
なのにいまいち、ユリアの前に現れる誰かの姿も、ユリアのいない世界で生きていく自分の姿も浮かばない。
エイデンの複雑な胸中をよそに、ユリアの準備は進められていく。
「変じゃない? 本当に大丈夫?」
「よく似合っていますよ」
デビュタント用の淡い色のドレスを着飾った令嬢は、さすがに不安だったのか、何度も何度もエイデンに確認した。
髪を結い上げると、愛らしい彼女がぐっと大人っぽく見える。うなじの線なんか、思わず目で追わずにはいられない。
「お嬢様は誰より綺麗だから大丈夫ですよ」
エイデンがついうっかりそんな言葉を漏らせば、ユリアは赤面して黙り込んでしまう。周囲がえへんおほんとわざとらしく咳払いしたが、皆口元を緩めていた。
いよいよ王宮に上がる日がやってくる。
国王夫妻への挨拶が済み、正式に淑女の一員として認められると、彼女のことを待ちかねていた王宮の人間が、次から次へと挨拶にやってくる。
エイデンは少し離れた場所から、伯爵一家を見守っていた。
ユリアの近くには、伯爵夫妻がついている。
正式な騎士であればもっとユリアの近くで彼女を守れたのだろうが、これはこれで俯瞰できる距離なので、悪くはない。
時折周囲にも目を向け、不審な人間がいないかの確認も続けている。
ユリアは王宮でも、相変わらずの人気者っぷりである。彼女の笑顔には、人を幸せにする不思議な力がある。
若い男が何人も、気を惹こうとしている場面を見た。しかしいまいち誰も印象に残らない。
ユリア自身もそう感じているのだろうか、ダンスに誘われれば応じるが、どの男とも一曲ずつしか踊っていなかった。
(こんな、誰が誰ともわからないような中で、ユリアは未来の相手を決めるのか……?)
そんなことを考えていた頃合い、不意に人の群れが割れる。
「ああ、僕の真実の愛。ようやく王宮に来てくれたんだね」
この色とりどり華やかな会場の中、一際目立つ金髪の男が、恭しく伯爵令嬢の手を取る。
ユリアが緊張で身体をこわばらせたのが、遠目からでもわかった。
「……お初にお目にかかります、殿下」
(なるほど、あれが王太子)
きらきらしい上に、周りの人間が皆して目を向けているものだから、一目ですぐにただものでないとわかる。確か二十代前半で、ユリアよりもう少し年上ぐらいだ。明るい金髪に、鮮やかなエメラルドグリーンの目が印象的だった。
(顔立ちは整っている。服装は派手好きらしいな。ただ、少し態度が軽薄過ぎないか? あれは気さくというより、なれなれしいだ。初対面の挨拶にしては、距離が近い。台詞も役者じみてきざったらしい。まったく、出会ったばかりで何が真実の愛、だ――)
エイデンはそこではっと、にわかに不平不満を並べだした自分に気がつく。
なぜだろう、今までは冷静、というか、誰がやってきてもそんなに気にしなかったのに。伯爵から事前に話を聞いていたせいだろうか? 胸が奇妙にざわつく。
……違和感の理由がわかったかもしれない。
たぶん、ユリアが固くなっているから、相手のことも好印象を抱けなかったのだ。
格上の相手で緊張しているのだろうか? なんだかいつも以上に聞き役に回っていて、相づちばかり打っているように見えた。話している方は楽しいかもしれないが、ユリアは興が乗っている状態であれば、頷いているばかりではなくその旺盛な好奇心のままにあれこれ聞いているはずなのだ。
見守っているうち、二人のダンスを始まった。王太子がフロアに出ると、他の人間が遠慮してしまって、貸し切り状態になっている。羨望と嫉妬のまなざしを集めるユリアは、更に小さくなってしまったように思えた。
「……ねえ。あなた。そこの方!」
ハラハラとお嬢様の一挙一動に注目していたエイデンは、自分が話しかけられていることにようやく気がつき、意識を目の前に移す。
会場の邪魔にならない端の方に立っていたはずだが、いつの間にか着飾ったご婦人が隣に来ていた。流し目を送られ、エイデンは思わず眉間に皺を寄せる。
(どう見ても貴族だ。どうしてわざわざおれに声を……?)
「ずっと呼びかけていましたのに、よっぽどどなたかに夢中でしたの?」
「……仕事中ですので」
簡潔に答え、再びユリアに目を戻そうとしたエイデンだが、ご婦人は自分に注意を払わせるため、エイデンの顎に扇の先を当ててきた。
「まあ、冷たい人。でもそんな所も素敵……お名前は?」
どうやら変な興味を持たれてしまったらしい。今は赤髪でもないのになんでだ、とエイデンは空を仰ぎたくなる。
一応明らかに格上の相手なので、問われたからには答えなければならないのだろう。
けれどちらっと視線を流した先、またユリアの姿が目に入ってきてしまった。
王太子はユリアの大人しい態度に気を良くしたのか、それとも頷くばかりの彼女に物足りなさを覚えたのか、今まで以上に抱き寄せた。
ユリアが驚いて目を見開き――そこに怯えが混ざったのを、確かに見つけてしまった。
頭の中に浮かんでいた、うまいこと貴婦人をあしらう何通りかのプランがすべて白紙になる。
「あら……」
ちょうど曲の切れ間だ。さすがにまた踊り始めたらもう無茶な邪魔はできない。今しかない。
目の前の貴人を置き去りに人の間を縫い、彼はユリアの元に歩みを進めていく。
他の人間は王太子の邪魔をしないようにしているようだから、どうしてもエイデンの動きは目立った。
「あれは……?」
「招待客ではないな」
「使用人か? 一体……」
周囲の喧噪なんてどうでもいい。考え得る限りの最速でユリアの所にやってきたエイデンは、行儀良く頭を下げる。
「ご歓談中失礼します、お嬢様。替えの靴をお持ちしました」
「……なんだ、お前は」
王太子は突然の闖入者を歓迎しない様子だったが、ユリアはエイデンの顔を見るとほっとしていた。
腕が緩んだ隙にパッと身体を離し、貴婦人らしく頭を下げる。
「ご無礼をお許しくださいませ、殿下。その、わたくし……実は本日、張り切って新しい靴を下ろしてきましたの。身の丈に合わない、もっといつも履いているものにしなさいと、両親に注意されていたのですが……」
エイデンの作戦は無事に伝わり、採用されたようだ。
華やかな場に慣れない娘が、初めての舞台でつい楽しみすぎて足を痛めるなんて、珍しくもない話だ。ユリアが普段と違うデビュー用の靴を履いてきていることは事実。そして彼女は慣れない自分の失敗で足を痛めた、休ませてほしいとお願いしていることになる。
誰にも優しいと評判の王太子殿下ならば、これでダンスを続けさせるような無体は働くまい。
「ああ……そういうことか。こちらこそ、無理をさせていたことに気がつけなくて、申し訳なかったね。お詫びに休憩所まで送らせていただけないだろうか?」
半分は思惑通りだが、今度は付き添いを申し出てきた。これはどうなのだろう。この男さっきから、ユリアが大人しい娘だと思って強引なのかと、エイデンは少しむっとする。
だが、ユリアを見た目通りの人間だと思うのは、彼女を知らない人間の、勝手な先入観に過ぎない。
伯爵令嬢はじっと王太子を見つめてから、花がほころぶような笑みを浮かべた。
「ありがとう存じます、殿下。けれど恐れ多うございます。わたくしごときの新参者がこれ以上殿下を独り占めしたら、この先どなたも、わたくしと快くお話ししてくださらなくなるでしょう」
「……そう言われてしまうと、僕も自分の義務を果たした方が良さそうだ」
ユリアは角を立てぬよう、けれどきっぱりと、一人になりたい意思を示した。さすがに王太子も察したようで、さらなる深追いはしてこない。
ようやく話が収まりそうだと思った瞬間、エイデンは緑色の目が自分の方に飛んできたことに気がついた。
「…………」
「…………」
エイデンが従者として礼をする直前、ばちっ、と、火花が散らされる――そんな錯覚を覚えた気がした。
――お前、覚えていろよ。
言葉にならない呪詛が聞こえたように感じた。
「それではごきげんよう、レディ」
「ごきげんよう、殿下」
王太子はユリアに別れの挨拶をし、ようやく去って行く。
ほっと息を吐き出したのはユリアもエイデンも同時で、思わずくすりと笑い合ってしまった。
だからまさか、このことがきっかけでぎくしゃくするだなんて、思ってもみなかったのだ。
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