4.別れの覚悟
***
「ああ、エイデン。どうも困ったことになりそうだ」
伯爵は執務室に呼び出したエイデンの顔を見るなり、そんな風に切り出した。エイデンは目を細める。
「……困ったこと、とは」
「ユリアももう、十八歳だ。じき、社交界に出て、淑女となる。それは知っているな」
「はい」
エイデンは行儀良く立ったまま、ついに身の振り方を決める時が来たのだろうかと、ぼんやり考えていた。同時にユリアが伯爵夫人に呼び出されたのもこの件だな、とピンと来る。
この八年間、エイデンは伯爵家に従者として仕えてきた。
皆彼の並々ならぬ努力を知っているし、成果を出していることも理解している。
平民出身でも、もうそろそろ騎士となってもおかしくはない。
だがそれは、普通の平民であれば、の話だ。
エイデンは赤髪だ。貴族は赤い髪の騎士を連れ歩くような令嬢を、ひいては伯爵家を、けして快くは思わないだろう。
伯爵家の領地経営は安定しており、困窮している名ばかり貴族ではない。
けれど、華やかな実績や莫大な財産がある、大貴族とも言えない。
周囲の目を気にせずエイデンを騎士として連れ歩けるほど、強い家ではないのだ。
そしてユリアは伯爵家の一人娘である。別の家に嫁ぐことになるのか、それとも家に婿を迎えるのか。彼女の結婚相手によって、伯爵家の今後の方針も大きく異なってくることだろう。
(……覚悟はしていた。もともと、いつ見放されてもおかしくはない身だ)
八年間もらい続けた給金は、特に使う当てがなく、貯め込まれている。急に放り出されても、次の職を探す余裕ぐらいは充分あるだろう。
とは言え、赤毛の人間の再就職に、伯爵家の従者をしていた経歴が吉と出るか凶と出るかは未知数だが……。
問題は、自分はずっと前からいずれはどこかに追い出される身として納得しているとして、ユリアがどう考えるか、だろうか。
エイデンのことでは無理でも通そうとしがちな所があるが、さすがに嫁ぎ先まで彼を連れて行くとは言わないだろう。……だろうと思うが、断言できないのが怖い。ああもしかして、既にご縁の相手が見つかったから、ユリアを円満に嫁いでくれるよう宥めろという話なのだろうか。
エイデンはつらつら予測しながら、伯爵の言葉の続きを待つ。
「王宮から、催促が来ているんだ。ユリアを早く出仕させろと」
「……? はい」
「縁談の申し込みも、既に結構な数来ている」
「…………。それは、まあ」
ユリアの美少女っぷりは、昔から有名だった。
それこそエイデンが伯爵家にやってきたばかりの頃から、王宮仕えをしないかという話は度々持ち込まれていたようだ。
けれど伯爵夫妻は、娘が成人するまではと粘った。ユリア自身も、伯爵領で気ままに過ごす方が性に合っているらしく、無理に王宮に行きたいと言ったことはなかった。
成人の年になったのにまだ顔を見せないのかと、せっつく手紙が連日送られてくる様子は、想像に難くない。
どれほど王宮での出世に無関心だろうが、貴族であるなら最低限、成人の挨拶には行かねばならない。
だが気になるのは、伯爵がずっと浮かない顔をしていることだ。
「それがな……どうも、王太子殿下がユリアを望んでいらっしゃるらしい」
エイデンははっとハシバミ色の目を見開いたが、すぐに平静を装う。
「とても光栄なことです。お嬢様であれば、王太子妃も立派に務められることでしょう」
「実に模範的な回答だな」
伯爵は皮肉交じりの笑みを浮かべてから、疲れたように息を吐き出した。
「そう、とても光栄なことだ。可もなく不可もなく、凡庸な貴族である我が家には、これ以上ない栄誉といえる。断るなどもってのほかだし、ユリアであれば、王太子妃としての公務もきっとこなせると信じている。ただ……」
「ただ?」
「……王太子殿下はとても、遊び慣れたお方と聞いていてな」
エイデンは何とも言えず、無言になった。
なるほど、玉の輿話に微妙に乗り気でなさそうだった原因はこれか。伯爵は結構わかりやすく、愛娘を溺愛している父親である。
しかしなぜ、わざわざ自分を呼び出して、この話をしているのだろう?
いまいち相手の意図が読めないエイデンは、静かに伯爵の次の言葉を待つことにする。
「お前はかつて、自分とユリアを守るためにここに来たと言ったな。そしてその通り、この八年間、誰よりも研鑽を積んできた。……エイデン。今改めて、お前に問おう」
伯爵は、初めて会った日のような鋭いまなざしでエイデンを射貫いた。
「お前はこれからもユリアの隣で、ユリアを守りたいと思うか」
赤い髪の青年はそっと目を伏せた。少しの間沈黙を保っていたが、やがてぽつぽつと小さく語り出す。
「……おれの両親は、赤い髪の子を産んだからと、死んだ後に糾弾されました。いい子だとおれを可愛がって撫でてくれた大人達が、その手で墓をめちゃくちゃにしました。一緒に手を取って遊んでいた子ども達が、その手で家の窓を割りました。家族がおれに遺してくれたものは、全部誰かが持っていきました。おれはあまりに世界が変わってしまったから、夢でも見てるのかと思った。……そして、気がついたら孤児院にいました」
孤児院に来る前のことを話すのは、おそらくこれが初めてだった。伯爵は言葉を失い、呆然とエイデンを見つめる。
「何もかも失ったと思っていた。だけどユリアお嬢様が、おれの名前の意味を教えてくれた。おれが殴られていると知ると、
エイデンはハシバミ色の目を窓に向け、眩しそうに目を細めた。
「もし、たとえユリアお嬢様がいいと言ってくれても。おれ自身がユリアお嬢様から何かを失わせる原因になるのなら……その時はここを去ります。大切な人をあんな目に遭わせたくないですから」
伯爵はため息を吐く。
「そうか……なら、もう私から言うことはない」
徒労感に満ちた父親とは反対に、エイデンはすがすがしい表情で頭を下げた。
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