3.忠義の証明

 ***


 エイデンはユリア以外の人間からは人扱いされないことを覚悟したが、伯爵夫人は足を引きずって現れたエイデンを目にした途端、優しく抱きしめてくれた。それどころか、自分が至らないがゆえにエイデンのような子がまだ残ってしまっていると、謝罪すらされた。


 今まで何もかも自分のせいにされることが当たり前だったエイデンは驚き、同時にユリアの優しさについて納得した。


 エイデンはその日のうちに伯爵家の馬車に乗せられ、孤児院を後にした。

 ユリアはエイデンにぴったり寄り添って楽しげに話をしていたが、そのうちうとうとして、ついにはエイデンにもたれかかって寝始めた。


「この子がこんなにおしゃべりになるなんて、はじめてよ」


 伯爵夫人はそんな風に言って、優しく子ども達を見つめていた。



 伯爵家の当主もまた、エイデンを拒まなかった。

 ただ、男同士の話があるからと言って、エイデンと二人きりになる。


「さて、エイデン。お前は自分のかわいそうな境遇を利用し、うちの娘をたぶらかして、取り入ったわけではないのだな?」


 夫人とユリアが下がった途端に射貫くような鋭い目を向けられて、エイデンはむしろほっとした。彼女達は優しすぎて、冷遇が当たり前の彼にはいささか居心地が悪い所もあったのだ。


「自分と彼女を守るためにここに来ました。気持ちは行動で示します」


 まっすぐ見返して答えると、伯爵はふっとどこか安堵したように息を零した。


「ではそれを、見せてもらうことにしよう。……励みなさい、誰よりも。お前のなすことが、お前の語る言葉となり、人の信頼を勝ち取るだろう。――ただしまずは、怪我を治すことからだな」



 そして、従者としての生活が始まった。


 すべての人間がエイデンに対して好意的だったわけではない。

 むしろ、エイデンがお嬢様の気を惹いてずるをしたのだと思う人間は、けして少なくはなかった。

 赤い髪の人間はそういうものだと、人の心に自然と刻み込まれていたのだ。


 だがエイデンは苦とは思わなかった。人間扱いされてこなかった今までに比べれば、マイナススタートなんて思わない。

 ユリアを守る。ユリアを守る自分を守る。

 エイデンの目標はシンプルで、そのために彼は迷わず、一つ一つの課題をこなしていった。


 まず、エイデンは他の使用人と同じように、家事や水作業を任された。

 エイデンは誰よりも積極的に雑用をこなした。最初は先輩の言うことをよく聞き、何か教えてもらったら必ず礼を言った。叱られれば反省し、時に理不尽なぐらいの叱責を受けても、けして言い訳をしなかった。


 しかし、ただ黙って耐えていたわけでもない。エイデンは慣れてくると、言われるままに従うのではなく、自分の考えを提案するようになった。自分のせいにされるとへそを曲げる人間も多い中、何が問題の原因だったか分析し、改善方法を模索した。自分だけでなく周りの負担も減らそうと考え続ける彼の姿勢に、次第に使用人達は先入観を改めていった。


 使用人の仕事に慣れてきた頃を見計らって、エイデンには騎士の師が与えられた。伯爵家に古くから仕える老騎士の付き人となり、騎士の振る舞いを叩き込まれたのだ。

 ユリアを守るために来たと言ったな、ではお手並み拝見と行こう――伯爵からそんな風に言われているような気がした。


 老騎士は厳しかった。鍛錬中に何度も腕が痺れて練習用の剣を落とし、「もうやめるか?」と聞かれた。けれど、何度打ちのめされようと、エイデンは絶対に屈しなかった。もしここで諦めたら、将来ユリアを守りたい時に手が届かないかもしれない――そう思うと、どれほど身体が疲れようと、彼は立ち上がる気力を振り絞ることができた。


 鍛錬で毎日ボロボロになるエイデンの姿に、ますます周りの態度は軟化した。エイデンが前に庇ってくれた分だと、雑用を引き受けて、休む時間をくれる人が現れるようになったほどだ。


 エイデンは休息も怠らなかったが、空き時間を無駄にもしたくなかった。余力があれば、身分を問わず自由解放されていた図書室に通った。

 選書を書庫番に相談しているうち、いつの間にか教師もついた。熱心に学ぼうとする彼の話を聞きつけて、ユリアの家庭教師が夜に時間を作ってくれるようになったのだ。

 仕事と鍛錬を終え、後片付けすべてを済ませてから、エイデンは勉強に没頭した。やることをやった上での勉強だったから、文句を言う人間はいなかった。


 忙殺される日々の合間、時折ユリアがエイデンの様子を見に来る。

 お嬢様はことあるごとに、お気に入りの従者にささやかなお祝いをした。


 誰もがエイデンの人一倍の努力を、それがお嬢様に対する想いから来るものだとわかっていた。

 エイデンがお嬢様に、けして自分を贔屓してくれなんて言わないことを、むしろ遠慮がちで時にはいさめることすらあることを、知っていた。


 伯爵領に来て八年目の春――もはや誰も、彼が赤毛だからどうとか、特別待遇でずるいだとか、そんなつまらないことを口にはしなくなっていた。



「エイデン!」


 鍛錬をしていたところに、声がかけられる。

 聞き慣れたお嬢様の呼びかけに、エイデンは手を止めて振り返った。


「――お嬢様」


 エイデンは存在感のある、精悍な若者に成長していた。

 少年時代は背も低く線も細く、儚げですらあった。しかし、成長期によく食べよく寝て働いていると、エイデンの身体もまた貪欲に栄養を吸収し、しっかりと育ったのだ。


 身体が大きくなっても、物静かな性格は変わらず、感情を押し殺す癖も継続中だった。黙って立っているだけで、妙なすごみがある。


 ユリアは彼の見た目が多少変わっても、相変わらずエイデンのことを好ましく想っているようだ。


 彼女はエイデンの努力の邪魔はしないように気をつけていたが、彼と遊べる隙を察知するとすぐに飛んできて、小さい頃と同じように楽しそうにおしゃべりをする。


 今もそうだ。エイデンが空き時間に自主鍛錬をしていると知って、話せるタイミングだと思ったのだろう。得意げな顔で、ぱっとハンカチを広げた。


「ねえ見て! 前と比べて、どう!?」


 ユリアはエイデンの所に、刺したばかりの刺繍の柄を見せに来たらしい。

 エイデンは汗を拭ってからのぞき込み、しばし硬直した。


「……ええと。これは、くま……?」

「猫よ! でも、今度はちゃんと動物だってわかったのね。わたくし、確実に上達しているのだわ」


 ユリアお嬢様は最近、熱心に裁縫を練習しているらしい。


 お手本通りに縫うことはできるようになっているのだが、どうもオリジナルの図柄を発明したがっているのだ。このところ、正体不明の何かを作り上げては、エイデンに答え合わせを求め、困惑させていた。


「見本通りに刺せばよろしいでしょうに……」

「だめだめ! 今度はね、服とは違うのよ。誰かの図案だと効果が薄れるの。エイデンにはもっとちゃんとした、御利益のあるものをあげるんだから」


 エイデンは既に何度も、お嬢様から身につける布製品あれこれを賜っている。従者にしてはちょっと贅沢に過ぎる晴れ着だって、ユリアが針を通したものだ。


 しかしこの頃には、エイデンが明らかに豪華な衣装を着させられている場面なんかに出くわせば、周囲の人間はニヤニヤと微笑ましく見守るのみだった。


「色々考えたけどね、獅子がいいと思うのよ。たてがみの赤い獅子にするの! かっこいいでしょう?」

「……そういう柄の、ハンカチをくださるのですか?」

「ただのハンカチじゃないわよ。でも、何ができあがるかはないしょ!」


 ユリアの淑女教育は、厳しい教育係を唸らせるほど完璧らしい。実際、ふとした瞬間に垣間見る彼女の仕草は、非常によく洗練されていた。エイデンが彼女の従者になる決意をさせた覇気も、貴人らしさの表れなのだろう。


 けれどエイデンの前では、ユリアはただの女の子に戻っていた。

 贈り物について、うきうきと野望を述べ立てている様子は実に愛らしい。


 エイデンは目尻にわずかに皺を寄せている。いつも気難しそうな顔ばかりの彼が、こんなに穏やかな表情になるのも、ユリアお嬢様の前だけだ。


 ふと、さらなる訪問者の気配に、彼は顔を上げた。


「エイデン! 伯爵様が、お話があるそうだ」


 使用人の一人が、何やら彼を呼びつけに来たらしい。

 おしゃべりの時間に水を差され、ユリアはむっとした顔になった。


「お父さま、どうしても今じゃないとだめって言ってるの? わたくしがエイデンと話しているのよ!」

「お嬢様、旦那様のご用事ですから」

「まあ、冷たい! エイデンはわたくしより、お父さまと一緒にいる方がいいって言うの?」

「いや別に、そういうわけでは……その、わかりました、終わったらすぐ、戻ってきますから……」


 使用人は二人のやりとりに微笑ましく表情を緩めるが、すぐにこほんと咳払いする。


「お嬢様にも、奥様からお話があるそうですよ」

「お母様が……?」


 そう言われてしまえば、ユリアも母のもとに向かうしかない。

 二人で顔を見合わせ、なんだろう? と首を傾げる。


 その時はまだ二人のどちらも、この先彼らの関係性を永遠に変える大事件が起こるだなんて思っていなかった。


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