第3話

 和の心を重んじる、なんて言った奴は誰だ? 俺だよ、バカヤロー。


 誰とも会わずに寮の部屋まで戻ってきたが、今の泣きそうな顔で誰かと会いたくなくなかった。共同スペースを挟んで右と左にそれぞれ個室がある。確か先ほど西野の部屋は右だと言っていたから、俺の部屋は左だ。

 左の部屋を開けると、そこにはベッド、机、いすなどの必要最低限のものしか置いてなく、床にはいくつか段ボールの箱があるだけだった。

 俺はまっすぐベッドまで歩いていき、その上でうずくまる。一人になったことに安心すると、途端に俺の目から涙がこぼれ出てきた。


 自分の先ほどの行いを振り返ると、どうしようもなく憂鬱な気持ちになった。大勢の生徒の前で、生徒会長を膝蹴りしたんだ。俺の前世知識では、うまくいけば会長に気に入られるらしいが、あの会長の睨んだ顔を見る限りそれだけはないと確実に言い切れる。むしろ徹底的に嫌われたのではないかと思う。そして人気者である生徒会長に手(正確には足)を出したということは、親衛隊に喧嘩を売ったのと同じことだ。せっかく忠告してもらったのに、西野、ごめん。


 明日からきっと「制裁」という名のいじめが始まるんだ。俺の机に落書きされたり、教科書が水浸しにされたり、持ち物が捨てられたり、不幸の手紙が下駄箱に入れられるはずだ。そして最終的には退学処分になるに違いない……!


 そう考えていると、ますます落ち込んでくる。明日から始まる学園生活で、うまくやっていける気がしない。ただでさえ見た目マリモで浮いているのに、会長膝蹴りとかマイナス要素にしかならない。この学園で『友達』をつくりに来たのに、スタート地点から思いっきり逆走してるじゃん、俺。せっかく西野とも仲良くなれた気がしたのに、さっきの件で距離を置かれるに違いない。……学園生活、ボッチ確定だわ。詰んだ。


 378回目のため息をついて、床の上の段ボールをぼんやり眺めていると、ドアがノックされた。とうとう親衛隊の制裁か……! と腹をくくると、俺の予想に反して西野の声が聞こえた。


「あの、マリモ君、大丈夫? 今、平気? さっきマリモ君、漬物1枚しか食べてなかったよね。僕お昼ごはん持ってきたんだ。良かったら一緒に食べない?」


 その言葉で、今更ながら自分のお腹が減っていることに気付く。俺を気遣う西野の優しさに、涙が出そうになった。


「……西野、ありがとな。今そっち行くから。」

「うん! お茶、淹れるね。ほうじ茶でいい?」

「ああ、大丈夫だ。」


 俺は涙で濡れた顔を腕で拭って、赤く腫れた目を瓶底眼鏡で隠した。こんな時に変装が役立つなんてな。少し自嘲気味に笑いながら、鏡で変なところがないかチェックして、部屋から出る。

 ドアを開けて真っ先に目に入ったのは、ちゃぶ台の上に置かれた茶色い包みだった。


「あ、良かったー! これお茶だよ。」


 西野はそう言ってほうじ茶の入った湯呑みを置いた。


「ありがとう、西野。それで、この包みは……?」


 俺はてっきり購買のパンか何かを買ってきたのだと思っていた。だが、これは見るからにパンではなさそうだ。


「ふっふっふ、聞いて驚けだよ、マリモ君! あのね、食堂のおばちゃんたちがね、僕らがあまり食べれなかっただろうからって言って、おにぎりを急遽握ってくれたんだー! それにサービスとしてマリモ君が頼んだ定食の漬物のうち数種類を付け合わせとしてくれんだよ!」


 ニコニコ笑いながら、西野はそう言った。あやうくまた涙が出そうになる。


「………そっか。ありがとな。」


 その言葉を紡ぐだけで精一杯だった。そうしなければ、また泣いてしまうから。


「さっ、早く食べよ! 僕は、おにぎりは出来立てが一番美味しいと思っているんだ!」


 そう言って包みを開けて、おにぎりを頬張る西野。それがまた何とも美味しそうに見えたので、俺も包みを開けておにぎりを食べることにした。

 しばらく、部屋の中で茶をすする音、漬物を齧る音、おにぎりを咀嚼する音が響く。

 だが、俺の内心では先ほどのことで西野がどう思っているのかが気になって仕方なかった。そのため、おにぎりが食べ終わった頃を見計らって、西野に尋ねることにした。


「………なぁ、西野。さっきの事なんだけどさ……」


 西野が距離を置いてしまうのではないかと思うと、思わず手を握りしめてしまう。


「ああっ! そう言えば、さっきマリモ君大丈夫だった? 会長から変なことされてない?」


 その言葉に面食らう。もっと糾弾されるのではないかと思っていた。


「でも、俺、会長の事膝蹴りしたんだぜ。全校生徒を敵に回したのと同じだろ。」

「あれは会長の自業自得だよー! むしろ僕はスカッとしたね! 少なからず僕みたいな人いるんじゃないかな?」


 そう言って西野はコロコロ笑った。どうやら西野には嫌われていないらしい。良かった。


「でも、親衛隊の人たちには反感買っちゃったかも。それに会長は、医療関係に幅広く携わっている一条財閥の御曹司だからね……。そういう親が権力者の人にあんまり楯突くと、自分の親の会社が倒産なんてよくある話だから。」


 Oh……。なんてこった。さっきから冷や汗が止まらない。しちゃいましたよ、会長に、膝蹴りをっ!! まずいでしょ、確実に!! 父さん、母さん、親不孝な俺でごめんなさい。


「でも、あれは会長の自業自得だし。膝蹴りぐらいで、そんなことになるとは思えないよ。それに会長みたいな性格の人は、親の力に頼るよりも自分で決着をつけたがるんじゃないかな?」


 そ、そんな……。どっちにしろ、俺への制裁は免れないらしい。サヨナラ、俺の平和な学園生活。これからの俺の未来を想像し、打ちひしがれる。

 西野はいったん一息入れて、お茶をすする。そして俺に視線を向け、表情を和らげた。


「でもね、さっきマリモ君は『自分はノンケだ!』って言って会長に反撃したよね。僕、それを見てすごくびっくりしたけど、それと同時に、すごいなぁ、って尊敬したんだ。」


 会長への膝蹴りが、それほど尊敬される行為だと俺は思わなかったよ。


「マリモ君は今日来たばかりだから、この学園の風習はまだなじみがないと思うんだけど、ここでは同性愛が普通のことなんだ。むしろ推奨されていると言ってもいい。今だから言っちゃうけど、僕は実はノンケなんだ。でも僕みたいな人はこの学園では肩身が狭いんだよ。何しろノンケの人があまりいないからね。」


 ノンケがマイノリティ……。なんて恐ろしい魔窟に来てしまったんだ。


「ここはゲイやバイの人が多いから、ノンケの人がないがしろにされることもままあることなんだ。だからマリモ君がノンケであることを宣言して会長に反撃したとき、僕はとても勇気をもらったんだよ。いつも流されてばかりだった自分に嫌気がさしていた僕にとって、マリモ君は輝いて見えたんだ。」

「…………あー、ずいぶん評価してもらって悪いんだけど、俺がやったことは会長に膝蹴りだからな。きっとこれから親衛隊の制裁とかあるだろうしさ、西野も俺と距離をおいた方がいいんじゃないか……?」


 自分で言っておきながらへこむ。もう俺に友達とか無理かもしれない。

 だが、西野は俺の暗い気分を吹き飛ばすかのように笑みを浮かべた。


「大丈夫だよ、マリモ君!! 親衛隊の人たちは僕には手を出せないから、学校ではなるべく一緒にいよう!」

「手が出せない? あ、そういえばさっき会長が『風紀のお気に入り』って……。」

「あぁー、うん、まぁそれは追々話すよ。それよりもマリモ君! さっきのことは会長が悪いんだから、いい加減に元気出して!」

「……そうだよな、うん、ありがと西野! そうだよな、よくよく考えたら会長っていっても、初対面の野郎にキスを仕掛けるような変態だもんな! 顔は良くても、性格に難ありだし、自分に様付けとか、マジでイタイ奴だよな! ああいう俺様で自信過剰なタイプって、絶対本命の子には奥手すぎて、本音言えなくて逃げられるパターンだよな。ハッ、ザマぁ!」

「………あの、マリモ君、僕も会長に対して色々思うことがあるけど、やっぱり皆から慕われているだけあって、意外と良い所もあると思うんだ。だから流石にそこまで言っちゃうと、ちょっと会長が可哀そうというか……。」

「西野はいいやつだなー! 俺、ホント西野と知り合えて良かった!」

「…………ああ、うん、ありがと。会長に関してはスルーなんだね。」


 いやぁ、西野が励ましてくれたおかげで元気が出てきた。まぁ、これからなるようになるさ。


「それに西野がノンケだって分かって嬉しい。そうだ、今度一緒に合コンとかしようぜ! 西野と一緒なら、どんな女の子でも絶対一発で落とせる! 俺、悲しいことにモテないからさ……。俺一人じゃ無理なんだよ。だから頼む! 西野!」

「合コン? ええっと、僕そういうのやったことないからよく分かんないけど……。うん、でもマリモ君の頼みだしね。いいよ、今度一緒に行こう!」

「やった! ありがとー! 西野の隣にいれば、俺もちょっとはイケメンに見えるかな……。なんか一緒にいれば、雰囲気でちょっとカッコよく見える感じを狙ってくぜ!」

「ふふっ、マリモ君が楽しそうで良かった。」

「ああ、これも西野のおかげだよ。だからさ、これからよろしくな!」

「……! うん、よろしくね。マリモ君!」


 それから俺たちは、張り詰めた空気が緩んだようにお互い笑いあった。


「あ、そうだ。西野は晩御飯どうする? さっきのことがあるから、俺は部屋で食べようと思うんだけど……。」

「うーん、僕もできれば部屋で食べたいなぁ。でも僕、自炊とか出来ないんだよね……。何か買ってこようか?」

「いや、それなら俺が作るから大丈夫だ! さっきのお礼として、西野が食いたいもんあったらそれ作るけど。あ、でも流石にフランス料理のフルコースとか、懐石料理とかはちょっと無理。」


 フフッ、なぜ包丁を生まれてから一度も持ったことがない俺が料理をできるかって? そんなの前世知識のおかげに決まっているだろ! これは決してズルではない。万歳、前世知識。


「えっと、じゃあカレーライスでお願いします。」

「オッケー。西野はカレーが好きなのか?」

「うん、けっこう好きなんだ。」

「そっか。そういえば材料とかはあるか?」

「僕はろくに自炊しないから、冷蔵庫は空っぽだよ。マリモ君に作ってもらうし、僕が買ってこようか?」

「いや、お礼として俺が作るから、材料費も俺持ちで。ここってスーパーとかある?」

「この学園では自炊する人は少ないから、スーパーはないなぁ。代わりにコンビニで野菜とか売ってるよ。まぁ売ってる量は少ないんだけどね。」

「わかった。じゃ、ちょっと行ってくる。」


 そのまま学生カードを持って出かけようとすると、西野が少し慌てたように引き留めた。


「あ、マリモ君、待って! 親衛隊の人がすぐに動くとは思えないけど、何があるかわからないし、やっぱり僕も行くよ。」

「だいじょーぶだって! 俺みたいな平凡を襲おうとする奴はなかなかいないだろ。逆に西野の方が狙われるんじゃないか? というわけで、西野は部屋で待っててくれ。」

「でも………。」

「そんな心配するなよ。さっきの俺の膝蹴り見ただろ。それに俺、逃げ足と握力だけは誰にも負けない自信があるんだ。すぐ帰ってくるからさ、留守番は頼んだぜ。」

「……うん、わかったよ。でも、何かあったらすぐに連絡してね!」

「りょーかい! いってきまーす!」


 西野に見送ってもらいながら、そのまま部屋を出た。寮の近くにあるコンビニの場所が教えてもらったから迷わない、はず……? だがその前に、俺には行きたいところがあった。







「前方、後方、共に人の気配なし。中、生徒の影は確認できず。これより『感謝の気持ちを述べよう作戦』を決行する。」


 そう、食堂である。おにぎりを作ってもらったので、そのお礼をしようと思ったのだ。今はお昼時を過ぎているため生徒はいないようだが、つい先ほどのことなので生徒に会うとかなり気まずい。というわけで、何回も周囲を確認しながら、テーブルや椅子に隠れつつ移動している。………これ絶対に傍から見たら、悪いことをしに来た人みたいだ。いや、深く考えるな、俺。


 何度か椅子の足に引っかかりながらも移動を繰り返し、ようやくカウンターまでたどり着いた。うーん、奥にいる(と思われる)おばちゃんたちを召喚するには、何て声をかけるべきか。「サモン!」とか言えばいいのか? いやこれではまるで俺が悪魔召喚をしているようじゃないか。親切にしてもらったおばちゃんたちに失礼だ。ここはやっぱり男らしく、


「たのもーう!!!」


 あれ、果し合いみたいになっている気がする。


「はーい!ってあらあら。あなたはさっき漬物定食を頼んでくれた子よね。」


 後から冷静に考えると恥ずかしくなった俺の掛け声に、中からおばちゃんたちがわらわら出てきた。


「えっと、おにぎりと漬物ありがとうございました。すごく美味しかったです。」

「まぁ、ありがとう。あげた漬物ね、私達が漬けたものだったんだけど、どうだったかしら?」


 俺から見て右側にいたふっくらとしたおばちゃんが答える。笑うとえくぼができて、柔らかい印象を受ける。


「とても美味しかったです! 出来ればまた食べたいくらいです。おかげさまで元気づけられました。本当にありがとうございました。」

「そんなこといいのよー。大したことをしたわけでもないしね。わざわざお礼を言いに来てくれるなんて、すごく礼儀正しいのね。」

「ええ、今時こんな子なかなかいないわー。」

「うちの子に爪の垢を煎じて飲ませたいくらい。」

「ほんと、ほんと。見習ってほしいわ。」


 そう言いながら、おばちゃんたちはコロコロと笑った。つられて俺も笑ってしまう。


「そうだわ、あの漬物が気に入ったなら、今度漬け方を教えてあげましょうか?」


 先ほど俺に話しかけてくれたふっくらしたおばちゃんが、俺にそんな提案をしてくれた。


「あ、でもやっぱり漬物なんて作らないかしら。ごめんなさいね、私達って庶民だから……。」

「いえ! その、誘っていただいてすごく嬉しいです。良ければ俺に教えてもらってもいいですか? あと、俺も庶民なんで、全然気にかけることはないです。」


 どうしよう、すごく嬉しすぎる。漬物から始まる交流の輪。人生、何が起きるかわからない。


「改めて、俺はマリモと呼んでください。よろしくお願いします、師匠!」

「あらやだ、師匠だなんて。私達のことはおばちゃんでいいのよ。よろしくね、マリモちゃん。」


 その後おばちゃんたちと少し雑談を交わし、次の土曜日に会う約束をして別れた。誰かと会う約束なんていつぶりかな。久しぶりのことで、心が弾んだ。

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