第2話

「立つ鳥跡を濁さず」という心境で副会長の元を立ち去った俺だが、出口が分からなくなったため、恥を忍んで副会長に道を教えてもらった。濁してる、跡めっちゃ濁してる。


 本校舎から15分ほど歩いた所に寮はあった。隣にそびえたつ特別生徒専用の寮ほどではないが、一般生徒用の寮も十分すぎるほど立派だ。


 感嘆の声を上げながら、大きな門をくぐって玄関ホールに入る。シックで落ち着いた雰囲気のフロントで、天井にはシャンデリアがある。本当にここ寮? ホテルの間違いじゃないのか? という様々なツッコミを心の中で呟きながら、右手の方に受付らしきところがあったので、そちらに向かった。


「今日から入寮される学生さんですね。これが学生カードです。このカードにはその生徒の個人情報が含まれているので、くれぐれも無くさないようにしてくださいね。寮の部屋の鍵としての使用の他、食堂やコンビニのお金の精算もこれを使います。部屋に行くのには、つきあたりのエレベーターを使ってください。」


 そう言いながら寮の説明をしてくれるのは、20代後半から30代前半に見える、寮監の春宮さんだ。学生からは「ハルさん」と呼ばれているので、気軽に呼んでくださいね、と言いながら微笑まれると、一気に幼く見えるため彼の実年齢は謎だ。ただ、彼はこの学園の卒業生でもあるらしいため、ますます彼が何歳なのか分からなくなる。


「注意事項としては、夜間のむやみな外出は控えてください。襲われても、こちらとしては責任が取れませんから。」

「…………………ははっ、俺を襲うような物好きはいませんよ~。」

「油断していると、あっという間にパクッとやられちゃいますよ?」

「…………。」


 ヤバいって!! この学園の倫理観、その他もろもろが!! 前世知識でこの学園で同性愛が横行しているのは分かっていたが、直にそれを他の人から聞くのとでは与えられる衝撃が違う。この学園に来てから、色んな意味でカルチャーショックを受け続けている。


 そのまま何とも言えない気分でエレベーターに乗って、部屋へと向かう。俺の部屋はどうやら5階にあるとのことだ。そのままエレベーターを降り、目的の部屋へと向かった。


 そして俺は、部屋の前ではたと気付いた。そういえば寮は基本2人部屋だ。どうする、もし同室者がかなりヤバい変質者だったらどうする? この際相手がゲイやバイでも、俺は大丈夫だ。オール、オッケー、ばっちこいだ。たとえカミングアウトされたとしても、全てを菩薩のごとく受け入れて、山のごとく動じない自信がある。そんなことを一々気にしていたら、この学園では生き抜けない。


 だが、ちょっと頭のネジが外れた人はパスだ。逃げ足と握力にだけは自信があるが、話が通じない人は、どう接すればいいのか困る。友達作りの経験値が低い俺に、最初からハードルが高すぎのは無理だ。うん、ぶっちゃけて言うと、今凄く緊張している。さっきから手汗が止まらない。だんだん過呼吸になっている気がしないでもない。


 そうしてしばらくグルグル悩み続け、人の字を100回手のひらに書いて飲み込んでから、俺はようやくインターホンを鳴らすことに決めた。手元に学生カードはあるが、一応初対面なので、インターホンを鳴らしたほうが良いだろう。


――――ピンポーン


 待つこと数分。あれほど身構えた割に、何も起きない。もしかして誰もいないのかな? と思い、ドアに近づいた瞬間、中からバタバタという音が聞こえ、内側から勢いよくドアが開いた。そして案の定ドアに顔をぶつける俺。イタイ。


「すみませーん!! ちょっと片付けに手間取っちゃって、玄関にたどり着くまで時間が……って、うわっ!ごめんなさい!! 大丈夫ですかっ?」


 何だよ、今時ドジっ子属性か……! と内心思いつつも、手で顔をさすりながら、ドアを開けた相手を見る。


「あの、大丈夫ですか……?」

「…………え、女の子?」


 俺よりも低い身長に、ふわふわの茶髪、くりくりとしたつぶらな薄茶色の瞳。抜けるような白い肌をもち、薄く開いたピンク色の唇が愛らしい。………女の子だ! 男子校なのに女の子がいる!!! 


「えっと、僕は「キミ、どうしてこんな年がら年中発情期の猿がいるような場所にいるんだ!! ここは危ない! 一刻も早く逃げるべきだ! そうだ、ハルさんの所に行って、親御さんに連絡を……!!」


 そう言いながら、俺が彼女の腕を取ってエレベーターまで行こうとすると、思いの外強い力で引っ張られた。あれ、意外と力が強いんだね、キミ、と思って振り返ったら、


「大丈夫ですっ!! ボクッ、男ですからっ!!!」


 ………………………ノオォォオオ!!!








 場所は変わって部屋の中。玄関から入って、まっすぐ廊下を進んだところに共用スペースがあり、右側と左側にそれぞれ個室があるようだ。2人部屋という割にかなり広いスペースで、なかなか住みやすそうだ。床にもカーペットが敷かれている。何より部屋の真ん中にちゃぶ台が置かれているのが、俺的にポイントが高い。いいよな、和風な感じで。片付けの最中だったのか、少し物が散らかっているが、気になるほどでもない。


「ごめんね、物が散らかってて。キミが来るのを知ったのは今日の朝だったから、そこから頑張って片付けたんだけど、間に合わなくて……。」


 しょんぼりとしながらも、ちゃぶ台にお茶を出してくれる彼女、もとい彼。


「いや、別にそれは気にならないから大丈夫だ。というか、それよりもさっきはすみませんでした!! 初対面の相手に、いきなり性別を間違えるなんて失礼だったよな……。本当にごめん……。」


 俺が謝ると、彼は手を振って笑いながら答えた。


「僕、性別間違われることなんてザラだから、そんなの全然いいよ!」


 これが初めてじゃないのか……。ある意味凄いな。

 だが俺はそんな心境は顔に出さず、ニッコリと笑うだけにとどめておいた。空気を読む、コレ大事。


「……そっか、悪いな。これからよろしく頼む。」


 そう言って笑いあう俺たち。ほんわかした彼の笑顔に癒される。

 一段落したところで、彼の視線が俺の髪型へと移る。ずっと気になっていたのだろう。だって出会ってからずっとチラチラ見られていたし。


「そういえばえっと、キミの髪型ってその……、ユニークだよね。」


 あえて変だと指摘せずに、ユニークだとぼかす。やるな、お主。

 俺から見ても、このマリモ、変だと思うよ。だが副会長の冷たい視線と理事長の蔑むような視線(決して俺がドMな訳ではない)によって経験値を得た俺は、「開き直る」というスキルを獲得した! もうここまで来たら、これが俺のキャラだと主張した方が皆から受け入れてもらえるかなぁという算段だ。


「おう! 俺の髪型ってマリモみたいに見えるよな! だからさ、俺の事『マリモ』って呼んでくれよ!」


 そう俺が答えると、彼は一瞬驚いたような顔をしてから、笑いながら頷いた。


「うん、分かった。僕は西野 悠。中等部からこの学園にいるから、何かわからないことがあったら聞いてね。これからよろしく、マリモ君!」


 どうやら西野とは仲良くなれそうだ。聞くところによると彼も俺と同じSクラスらしい。同じクラスの人と知り合えて、少し安心する。その後お互いの連絡先を交換してから、西野と雑談をしていると、だんだんお腹が減ってきた。


「あー、西野。あのさ、俺けっこうお腹減ってきちゃった。あの、悪いんだけど、食堂まで案内してもらってもいいか……?」


「あ、そう言えばもうお昼の時間だね! マリモ君とおしゃべりするのが楽しくて気付かなかった。喜んで案内するよ!」


「ああ、ありがとな。」


 そうして俺たちは学食に向かった。


「うわぁ……。すごっ! ここ本当に学食?」

「あはは、初めてだと驚くかもね。」


 たどり着いた場所は、お洒落なカフェテリアみたいなところだった。ちり一つ見当たらない。人がまばらに座っており、席の余裕はまだありそうだ。一階席と二階席に分かれている。そして俺の前世知識によると、あそこの二階席はやはり………。


「なあ、西野。あの二階席って……。」

「ああ、あそこは生徒会や風紀の役員の人たちみたいな、親衛隊持ちの人が使うところなんだ。親衛隊っていうのは、容姿・家柄・学力のトップクラスの人たちの為の有志の集まりなんだけど、過激な人も多いからあまり刺激しない方がいいよ。まぁ、親衛隊持ちの人に近づかないのが一番だけどね。」


 なるほど。以前の俺なら、「そんなのは差別だ! 学園のヒエラルキーなんてぶっ壊してやる!」と突っ走るところだが、そんなことをしても反感を買うだけだな。「郷に入っては、郷に従え」だ。うん、なんて素晴らしい言葉なんだろう。今の俺は、和の心を重んじる日本人の鑑のような男だ。平和、大事。


「わかった。生徒会や風紀の人には近づかないようにする。忠告ありがとな、西野。それとお前には親衛隊とかないのか?」


 西野は俺から見ても可愛らしい容姿をしている。Sクラスだし、学力は問題ないだろう。家柄までは分からないが、この学園に入学している時点で良いのは間違いない。


「あー、親衛隊ね。僕、そういうのはちょっとめんどくさいから……。」


 そう言って渋い顔をする西野。何かあったのだろうか?


「そんなことよりさ、二階席の人たちはタッチパネル形式で注文できるけど、一階席の俺たち一般生徒は食券を買って並ばなきゃいけないんだ。というわけで、行こう!」


 無理やり話題転換された感が否めなくはないが、空気を読んで触れないことにした。KY空気読めないの代名詞だった俺が空気を読めるようになるなんて、成長したな、俺。






「うーん、僕は鶏の唐揚げ定食にしようと思うんだけど……。マリモ君は決まった?」

「ああ……。俺は今、激辛アーモンドミルク塩バターラーメンと全国津々浦々漬物定食のどちらにするべきか、真剣に悩んでいる。」

「かなり究極の二択に絞ったね……。」


 微妙な表情で西野は俺を見ていたが、俺は結局、漬物定食にすることに決めた。これはご飯、味噌汁もついてくるが、それらはあくまで付け合わせであり、メインは漬物という斬新な定食だ。しかも3食限定だ、3食。全国津々浦々と言っているから、かなり豪華に違いない。様々な味が楽しめるはずだ。そう西野に力説したら、マリモ君が幸せなら僕は何も言わないよ、と言って微笑まれた。なぜだ。


 そのまま食券を食堂のおばちゃんに見せると、驚いた顔を見せた。だから、なぜだ。


「あらまぁ、こんなマニアックな定食を頼む子がいたのねぇ。」


 食堂のおばちゃんが、顔に手を当ててそう答える。マニアックなのか、これ。軽くショックを受けた。


「でも嬉しいわ。この漬物ね、取り寄せたものが大半だけど、私たちが漬けた物もあるのよ。良ければ後で感想ちょうだいね。」


 そう言っておばちゃんは、ニコニコ笑いながら漬物が載ったお盆を手渡してくれた。その笑顔に心が温まる。


「はい。後で絶対に感想、言いに来ます!」


 会計を済ませた後、西野と合流して席を探す。


「うーん、どこがいいかな……。あっ、あそこの窓際の席なんかどう?」

「お、いいな。あそこらへん、けっこう人少ないし。んじゃ、行こうぜ。」


 席に座って一息つくと、何やら周りがざわついている気がした。遠くから、男子校なのに「キャー!!」とか「抱いてー!!」とかいう幻聴が聞こえる。

 黄色い声が聞こえる方を見ると、そこには真っ黒い人の波があった。え、こわ。


「なぁ、西野。男子校ではあり得ない高い歓声が聞こえるんだけど、あれ何?」


 俺が尋ねると、西野はちらりと人の波を見てから、何でもない風にお盆に目を戻した。


「あれは生徒会御一行様だよ。別にいつものことだから、慣れたら案外気にならないよ。そんなことよりも僕らにとって今重要なのは、お昼を食べることだ。」


 あくまで自分のペースを崩さない西野。すごい、俺は西野を見習うべきなんだ。たとえ歓声がだんだんこっちに近づいてきている気がしても、オール・スルーで行くべきなんだ。


「へぇ、マリモ君が頼んだ漬物定食ってこんな感じなんだ。これは定番のたくあんだよね。これはきゅうりのぬかみそ漬け、こっちはナスのからし漬けだよね。……あれ、これは何だろう? ねえマリモ君、これ一口もらってもいい?」

「……ああ、うん、いいよ。」


 俺はひたすら漬物を凝視し、西野との会話に集中しようと試みる。横目で人の波がモーゼの海の如く二つに割れた先がこちらであるように見えても、それはきっと気のせいなんだ。俺が自意識過剰なだけなんだ。


「わぁ! これ美味しいね。けっこう漬物も奥深いなぁ。ねぇマリモ君、僕の唐揚げあげるから、もう少しだけ味見してもいい?」

「………ああ、構わない。」

「ありがとー! あ、この漬物、けっこう美味しかったから、マリモ君も見てないで食べてみなよ!」


 そう言って差し出される謎の漬け物の皿。たくあんと似ているが、色がくすんだ茶色である。俺は気を紛らわすために、それを食べることにした。途端に口に広がる独特な味。噛みしめるほど、燻製の香りが鼻を通り抜ける。うん、けっこう美味しいな。

 という感じで現実逃避を試みたけど、なんか色々視線が突き刺さっている気がするよ!? 西野、西野は何か感じないのか?? あ、そうか、俺らのテーブルの近くにいる人に用があるんだな! ……西野と俺以外誰もいねぇわ。

 チラッと人混みの方を向くと、黒髪の、背が高い人がこっちに大勢の人を率いて向かっている気がする。


 そこで俺がピーンと来た。そうだ、俺には前世知識あったじゃないか! 王道学園において、今こそ活用するべき時だろ! さて前世知識によると、ここで俺は、……………会長とキスゥ!? いやいやいやいや、無理無理無理。のー、サンキューです。転校初日にそれはハードル高すぎるって。

 何でだよ、気付くの遅すぎだよ、俺!! しかも誰かこっちに近づいてきて来ている気配があるし!! 「触らぬ神に祟りなし」っていうけど、祟りの元凶がこっちに近づいてくる場合はどうしたいいんだッ!?(パニック)


「………マリモ君、大丈夫? さっきからその漬物凝視して百面相しているけど、口に合わなかった?」


 西野はさっきからざわついた周りの様子が気にならないの!? マイペースが成せる技なの!? そうなの!?

 そう西野に問おうとしたら、俺たちのテーブルの前に誰かが立つ気配がした。


「お前が貴嗣の言っていた転入生か。」


 キターー!! 祟りの元凶キターー!!! 


 頭の中でパニックを起こしながらも、恐る恐る顔をあげる。そこで俺の目に映った人物に思わず息を止めた。黒髪黒目で、180cmはあろうかという高身長。すらりとのびる手足に、整った顔の形。切れ長の瞳に、すっと通った鼻梁。面白そうに歪められた唇が、壮絶な色気を漂わせている。………理想形だ! 俺が理想とする男がここにいる!!


「……会長じゃないですか。僕たちに何か用ですか?」


 西野が警戒するように目を細める。


「新しく来た転入生の顔を見に来たんだ。」


 そう言って、その人はこちらに視線を寄越した。


「俺は、一条 玲央だ。この学園で、生徒会長を務めている。」


 なるほど、生徒会長。凡人の俺には、もう二度と縁のなさそうな人ですね。


「じゃあ、もう用は済みましたよね。二階席の方に行ったらどうですか?」

「まぁ、つれないこと言うなよ、西野。そんなことを言っても可愛いだけだ。」

「なにを言って……!」


 会長を睨む西野と、それを見てますます笑みを深める会長。そして完全に空気になった俺。え、俺どうすればいいの? あと、西野。お前が上目遣いで睨んだとしても、まったくの逆効果だ。その点に関して、俺は会長に激しく同意したい。


「……何でもあなたの思い通りになると思わない方がいいですよ。」

「ハッ、いいか、西野。たとえお前が“風紀のお気に入り”だとしても、俺様に楯突いたらただじゃ済まないぜ。」

「マリモ君の顔を見に来たんでしょう。さっさと見て、あっちに行ってください。」


 西野、どうしてボールをこっちに投げるんだ。今まで俺、空気だったじゃん。もしかしてさっきの俺の心の声が届いたのか? 全力で謝るから、こっちに話題を振らないでくれ……!


「へぇ……。お前、マリモっていうのか。確かに妙な格好しているな。」


 ええ、ええ、分かっていますとも。だがな、俺は副会長の冷たい視線と理事(以下略)そんな開き直った今だからこそ、このマリモは俺にとってのアイデンティティなんだ!!

 そんな思いを込め、会長を見る。すると、俺を観察していた会長は、何か思いついたかのように目を細め、口の端を吊り上げてこちらに手をのばしてきた。


 ………………えっ!!! やっぱりこの流れなの!? キスしちゃう感じなの!?


 俺と会長の様子を見た西野が焦ったように、マリモ君、逃げて!!と言っているが、ショックのあまり体が固まって上手く動けず、それが余計に焦りとなる。

 

 このままだと俺のファーストキスがこいつに奪われてしまう!! しかも相手はいくら俺の理想の男といっても野郎だ! 無理だ! そして「ファーストキスはいちご味❤」などというファンシーな謳い文句があるが、俺の場合は最後に食べた漬物の味だ!! そんなの許せるか? 否だ!!!(錯乱)


 パニックを起こした俺は、その時なぜか『おともだちの作り方―サルでも出来る実践法 応用編―』の「極意その18 思い切って、ありのままの自分をさらけ出しちゃおう♪ きっと理解してくれる人がいるはずだよ! 勇気を出して一歩踏み出そう❤」を思い出していた。なんだ、ありのままの自分って。変装している時点で、すでに自分を偽っているのだが。

 と思っていたら、いつの間にか左手首をつかまれて会長の方に引き寄せられていた。ファーストキスの味とよく分からない極意で頭がショートした俺は、思考が一切働かなかった。そのため、気付けば本能の赴くままに行動していた。


「俺は……!」


 左手を内側からひねることで、相手の右手首を逆に掴み返す。そのまま俺の方に向かって手を引っ張れば、会長は咄嗟のことでバランスを崩した。ゆっくりと会長の体がこちらに向かって倒れてくる。その時、会長の驚きで見開かれた目と俺の目が交錯した。そして会長がよろけた隙をついて、俺は右足を折り曲げて渾身の膝蹴りを会長の腹に叩き込む――!


「………ノンケだっ!!!!!」


 ありのままの自分=ノンケな俺、という謎の方程式が頭の中で組み立てられた俺は、気付けばそんな言葉を口に出していた。だって俺、男とキスとか無理だし。


 俺の目の前に腹をおさえてうずくまる会長と、それを見下ろす俺。


「マリモ君……」


 西野の声で、はっと今の自分が置かれている状況に気付く。セクハラされかけ、それを撃退しただけとはいえ、相手はこの学園で最も人気のある生徒会長だ。かたや今日来たばかりの見るからに怪しいマリモな転校生。こちらが悪くないと言っても、そんな主張は当然の如く無視されることは目に見える。

 先ほどまで悲鳴などでざわついていた周囲は、いつの間にか水を打ったかのように静まり返っていた。


「てめぇ、よくも俺様に……!」


 会長が顔を顰めて、俺を睨みつける。それを見るのが耐えられなくなり、思わず目をそらすと、多くの視線が俺に集まっていた。嫌悪、嫉妬、怒りなど様々な表情がそれぞれの顔に浮かべられており、俺は顔を伏せることでそれらを見ないようにした。冷や水をかぶせられたかのように体が冷たくなり、足がすくむ。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう……! 


 頭がパニックを通り越して、真っ白になる。


「マリモ君、だいじょ「すいませんでしたぁぁああ!!!!」

「あ、おい!!」


 西野が声をかけたことがきっかけとなり、この状況に耐えられなくなった俺は、謝りながらこの場から走り去るという選択をした。まともに西野の顔さえも見れない。誰かが引き留める声が聞こえたが、聞こえなかったふりをして逃げる。これは敵前逃亡ではなく戦略的撤退なんだ!!


 目にじんわりと涙が浮かびそうになる。俺は唇を引き結んで、寮までの道を必死に走り続けた。

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