第1話

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、………」


 暑い、視界が汗でにじむ。体から汗が吹き出して止まらない。


「……この階段は、ハァッ、……一体どこまで続くんだぁぁぁあ!!!!」


 俺の叫び声が、森に響き渡った。






―遡ること数時間前―


「テルちゃん! ハンカチとティッシュは持った? お財布とケータイも忘れないでね。」

「うん、変装もばっちりだな。準備はいいか、テル。緊張したら、ヒッヒッ、フーだぞ。」


 遠足に行く前の小学生の気分だ……。そして父よ、それはちょっと違うんじゃないか?


「それにしてもテルちゃん、大丈夫? 一人でバスなんて……。」


 そう、俺はこれからバスに乗る。鷺宮学園行きのバスがあるということが分かったので、それを使うことにしたのだ。なぜなら、あまり親の力を頼らずに頑張ろうと思ったからである。これからの学園生活に、いちいち親の権力を振りかざすようようでは以前の俺と変わらない。ビバ、一般人。目指すは、地味にそこに存在し、地味に友達の数を増やし、地味に学校生活を謳歌する、「真面目な眼鏡男子」だ。


「大丈夫! だって俺もう高校生だよ? 一人でバスくらい乗れるよ!」

「そう……? でも困ったらすぐにうちから車を手配するから、無理しなくていいのよ。」

「ああ、何かあったらすぐに連絡をくれ。テル。」

「ありがとう。父さん、母さん!」


 そう言いながら、運転手に開けてもらった車から降りる。そして駅まで車で送ってくれた二人に手を振って、目的のバス停まで歩いていく。荷物のほとんどは寮の方に送ってあるので、俺の鞄には財布やケータイなど細々としたものしか入っていない。おかげで移動が楽だ。

 気のせいか周りの人たちの視線が痛いが、気にしたら負けだ、負け。もはや羞恥心などとうに捨て去ったさ。ハハッ。


 十分ほど歩いた所に、目的のバス停を見つけた。当然のごとく、待っている人はいない。まぁ、今の時期にバスを使う学生なんて俺ぐらいだろうなぁとぼんやり考えながら、備え付けのベンチに座った。しばらくぼーっとしていると、バスが来たのでそれに乗る。良かった、時間を合わせて。このバスは、使う人が少ないため5、6時間に一本しかこない。昨晩慌ててバス時間を調べて、本当に良かった。

 俺しか乗っている人はいないため、後部座席の窓際の席に座った。ぼんやりと流れる景色を見ていると、バスの適度な揺れと相まって、まぶたがだんだん重くなってくる……。


 実をいうと、昨日は部屋の後片付けに4時間費やしたのち、心の準備やら、不安で興奮しすぎて座禅を実行したりやらで、ろくに眠れなかったのだ。寝たのが深夜の4時ごろだったはずだったから、3時間半しか寝ていない。成長期にこれはキツイぜ、まったく。俺の理想とする身長は180cm越えだ。目標まであと15cmほど足りないのである……。毎日牛乳飲もう。うん、そうしよう。


 そのままうつらうつらと船を漕いでいると、がたんっと体が揺れたので、驚いて目を開けた。


「鷺宮学園正門前に到着しました。お降りのお客様は後ろのドアからお願いします。」


 なにっ、もう着いたのか! バスのアナウンスの声で、寝ぼけていた頭が急激に覚醒する。慌てて膝に置いていた鞄をつかんで、今にも閉まりそうなドアから降りた。


「うわぁ、すご……。」


 バスから降りると目の前には、神聖な雰囲気さえも感じる、溢れるばかりの木々とその中央に存在する何十、何百と続く階段。まるで修験者がいる寺のようだ。いや、あるのは高校だけれども、先が見えない。


 ……………えっ、俺、今からこれ昇るんですか?


 そして冒頭に戻る。




「うぅ、足がつりそうだ……」


 がくがくと足を震わせながら、また一段階段を昇る。先ほどまで特に重さを感じていなかった鞄は、今では鉛のように重い。着ていた服も汗でびしょびしょだし、何よりマリモヘアが蒸れて気持ち悪い。汗でずり下がってくる眼鏡を押し上げながら、上を見上げる。さっきまでは見えなかった門らしきものが見える(気がする)! がんばれ、俺。階段ごときに負けるんじゃない。学園生活が始まる前に、諦めるな、俺。


 結局何度か休憩をはさみつつ、階段を昇り切ったのはそれから1時間後だった。つらい、マジで死ぬかと思った。どうして学校が山の上にあるのか、1日かけてこんこんと誰かに問いたい。ほんと、俺すごく頑張ったと思う。もう表彰されてもおかしくないレベルじゃないかな。

 そう思いながら、改めて前を見ると、そこには大きな門があった。おぉー、すごい。軽く3mはあるんじゃないか? よく見てみると、細かい意匠が凝らされており、荘厳な門だった。押しても引いてもびくともしない。……そして周りには誰もいない。なんでだよっ!? この疲れ切った体を鞭打って、この門を乗り越えろと言うんですか! おお、神よ!


 半ば錯乱状態に陥ってから、約5分後に俺は復活した。人の気配はなさそうであり、ずっとここに待ちぼうけというのも辛い。なら門を乗り越えちゃおうぜ!というノリだ。3m? ははっ、軽い軽い!

 というわけで、門を乗り越えることにした。深呼吸してから、持っていた鞄を口にくわえて門の柵に足をかける。そのままひょいひょいと登り、あっという間に上までたどり着いた。制服が破けないように、気をつけながら柵を跨ぐ。後は降りればいいだけだ。うん、思った通り簡単だったなっ!

 無事に地面にたどり着く。良かった、人がいなくて。仕方なかったとはいえ、傍から見たら不法侵入だからなぁ……。


「貴方……、猿ですか?」


 と思っていたら、人がいました。はい、アウトー。

 ……俺の馬鹿! どうしてあと5分待てなかったんだ! 


 見つめあうことしばし。先にこの沈黙に耐えられなかったのは、俺の方だった。


「えっと、コンニチワ?」

「…………。」


 無言はやめてほしい。切実に! 赤色まで削られたHPゲージがさらにごりごり削られていくのが分かる。しばらくすると、その人は無理やり顔を笑顔にして、口を開いた。


「……貴方が転入生の桜井君ですか?」

「あ、はい! 俺が桜井です!」

「なるほど。君は先ほど見た通り、この門を乗り越えたみたいですが、ここは普段は使用されていません。通用門は西門の方です。」

「え、でもバス停が……。」

「ああ、たまに撮影のためにそちらのバス停が使われるんです。ですから、バスを使用する際は『鷺宮学園西門前』で降りるのが正解です。」

「そうだったんですか……。」


 なんてことだ……。うすうす降りる停留所間違っていたんじゃないかと思い、必死にその事実から目を背けていたが、どうやら俺は間違えたらしい。ママン、俺は満足にバスを乗ることもできなかったよ……。


「ちなみにですが、貴方はここまでこの階段を昇ってきたんですか?」

「あ、はい。そうです。」

「貴方……、化け物ですか?」


 さっきからこの人の中の俺の評価、酷くないか?

 そう思いながら、改めて目の前にいる人を観察してみる。黒髪黒目で眼鏡をかけている。背はけっこう高い。すっと通った鼻梁に形の良い唇、顔は美人系だ。うーん、俺の前世知識はこの人が生徒会副会長だと告げている。ちなみに現在、無理やりつくった笑顔が引き攣って面白いことになっています。


「………失礼しました。私は生徒会副会長の柳瀬貴嗣と申します。これから学校の方を案内しますが、よろしいですか?」

「あ、はい。お願いします。」


 あ、やっぱり副会長だった。案内してくれるらしく、校舎に向かってスタスタと歩いていくので、彼の後を追うことにした。どうやら前世知識によると、『その笑顔、気持ち悪いな!』と言ったら簡単に落とせるらしい。ちょっとチョロ過ぎやしないかと思う。だが実際にその言葉で落ちるとは限らないし、俺はこの学園に恋愛をしに来たわけではないから、特に指摘しようとは思わない。きっと彼の運命の相手が指摘してくれるはずだ。たぶん。

 だが、友達にはなりたいので、別の話の振り方を試みようと思う。決して副会長の権力にすがりたいとか思っていない。長い物には巻かれておきたいという魂胆を持っているわけではない。


 さて、肝心の話題だが、今こそ昨日の夜に慌てて読んだ本『おともだちの作り方―サルでも出来る実践法 応用編―』という「人を馬鹿にしているのか」というタイトルと「え、応用編ってことは基礎編あるの!? 友達つくるのに基礎とかあるの!? いや、むしろ基礎をすっ飛ばして応用から始めて大丈夫なの!?」という様々なツッコミが湧き出てくるこの本に書かれた極意を実践する時だと思う。だって仕方がない、家中探したが基礎編なるものは出てこなかったのだ…… だが、俺は諦めなかった。幼稚園、小学校、中学校を通して出来なかった『友達』なるものをつくるために、俺は貴重な睡眠時間を削ってこの本を熟読した。肝心な基礎をすっ飛ばして応用から始める不安はあるが、きっと大丈夫……だと信じている。


 というわけで「極意その36 相手を褒めてみよう♪ 共感できるところを探して好感度をグイグイ上げちゃおう! ただし突飛な話題はNGだよ❤」を実践する時がきた!! 副会長を称賛の眼差しで見つめ、おだてて、ナチュラルに褒めて見せるぜ。……あれ、これ完全に三下の小物の行動だよね? まぁ、細けぇことは気にすんな!

 副会長の褒めるべきポイントは、あそこだっ!


「副会長の今日の眼鏡、冴えてますね! 俺も眼鏡かけているんで、おそろいです!」


 つぶらな瞳(当社比)で副会長を見つめ、相手の反応を待つ。


「………あなたのような野蛮人と一緒にされたくはありません。」


 フッ、友達作りってハードル高いなぁ……。

 思わず、遠い目で青い空を見上げた。


 その後、副会長にこの学園を案内してもらった。小・中・高・大までエスカレーター式の学園だが、初等部、中等部の校舎と大学は、高等部の校舎とは離れた所にあるため、あまり小・中学生や大学生と接触する機会はないらしい。西門の近くに一般生徒のための寮があり、少し離れたところにホテルと見間違うほど立派な建物がある。そこは生徒会や風紀委員など特別な生徒が使用する寮で、学校で終わらせられなかった資料制作などをするための部屋などが完備されているとのことだ。


 この学園は山奥に隔離されているため、何もないと思っていたが、かなりの娯楽施設が完備されていることが分かった。コンビニが至る所にあり、温室プールは言わずもがな、最新機器が設置されたトレーニングルームや野球場、四季折々の花々やたくさんの植物が植えられた温室や本格的な劇場、人数はそれほど入らないとは思うがちょっとした映画館などもあった。うん、俺完全に普通の男子校だと思ってなめてたわ。ちょっと規模が凄すぎる。副会長がこのだだっ広い学園を案内している間、俺はずっとあいた口がふさがらなかったよ。何でも、たくさんの寄付金が親御さんの方から集まるため、希望があれば大抵の施設はつくることができるらしい。恐ろしいところだ、まったく。


 また、そんな娯楽施設の中心部には校舎がある。本校舎、西校舎、東校舎に分かれ、本校舎には教室が、西校舎には体育館や美術室などの特別教室が、そして東校舎には職員室や生徒会室、風紀室などがあるそうだ。

 綺麗に整備された道の先には、思わず感嘆の声を上げてしまうほど大きな本校舎があった。一見すると歴史を感じさせる荘厳な建物だが、中に入ると最新テクノロジーが隅々まで搭載されていた。玄関ホールの床は大理石、校舎の壁も白くてしみ一つ見当たらない。今日は日曜日であるためどこも授業をしていなかったが、ちらりと教室を覗いた感じでは、普通の学校にあるような金属製の机やいすではなく、座り心地の良いふかふかの椅子と真っ白い机が置かれていた。木製の物など無きに等しい。俺が驚きの声を上げていると、隣にいた副会長が説明してくれた。


 何でも俺が今見たSクラスの教室らしい。この学園はその生徒の能力順にS、A、B、C、D、Fクラスに分かれ、設備もそれぞれグレードが変わるとのことだ。ちなみに昔はあったそうだが、人数の関係上Eクラスはない。俺はコネ入学なので、もちろんSクラス。1年の終わりの学期末試験を実施し、その結果で次の年のクラスが決まるそうだ。この学園は能力が高い者が集まっているため、油断しているとあっという間に下のクラスに落ちてしまうらしい。だからあなたも油断していると落ちますよ、と小馬鹿にしたように副会長が言ってきたので、俺も愛想笑いを返しておいた。思いっきり学園生活を楽しむつもりだが、せっかく父さんのおかげでこの学園に入学できたのだ。その機会を棒に振るつもりはない。これでも前世の記憶を取り戻してから、遅まきながらでも親孝行したいと思っている。

 その後、無駄に広い職員室やら科学室やら調理室などを案内してもらった。うーん、校舎が広すぎて迷子になりそうだ。しばらく学園の地図が載った生徒手帳が手放せそうにない。


「これで一通りの施設の説明は終わりました。何か質問がなければ私はこれで失礼します。」

「あ、はい。ありがと……あ、ちょっと待ってください!」


 そう言えば今まで忘れていたけれど、この学園に来たのだから、あの人に一言挨拶ぐらいした方がいいだろう。まぁ、これからよろしくお願いしますってことで。


「すみません、理事長室まで案内してもらえませんか?」


 副会長は訝しげに眉をひそめながらも、一つ頷いた。





 さあ、さあ、やってまいりました! 俺の前にそびえたつのは、禍々しい雰囲気を漂わせた(緊張でそう見える)重厚な造りの扉だ。

 学園のボス、裏社会の権力者、この学園を私物化する人物(一部誇張あり)などなど、もはやラスボスと言っても過言でもない人がいる部屋の前まで参りました! 分かりやすくいうと、RPGでいうところの魔王城の決戦場みたいなところである! 深呼吸を数十回して、十字を切って、神に祈りを捧げてから、扉をノックする。

 どうやら前世知識によると理事長との恋に発展するルートがあるらしいが、俺の場合はそれはない。なぜなら、




「久しぶりだな、テル。その変装、傲慢なお前によく似合っている。」

「……お元気そうですね、叔父さん。」


 ――――俺は理事長に嫌われているからだ。


 副会長には部屋の外で待機してもらっている。だから理事長室には俺と理事長である叔父さんしかいない。


「お前がこの学園に入学できたのは、秘書が私に知らせずに勝手に手続きをしたからだ。そうでなければ、お前がここに来れるはずがない。」


 そう言いながら、椅子に座ってこちらに視線を向ける叔父さんは、名を四楓院理人といい、黒髪黒目で怜悧な顔立ちをした人だ。引き締まった体躯と切れ長の瞳、上品なしぐさの端々から大人の色気を漂わせている。だが、今は俺の急な訪問のせいか、眉は不機嫌そうに顰められていた。

 この人は父さんの弟だ。だが、昔から俺との仲はとことん悪い。毛嫌いされていると言っても過言ではない。


「そうなんですか。ちなみにその人は今?」


 その秘書という人は、昔から俺を可愛がってくれたあの人の良さそうな顔をした人だろう。会うたびにお菓子をくれたので、俺もよく懐いていた。


「当然クビにした。その後あいつはすぐに姿を消したから、俺のあずかり知らぬところだ。」


 叔父さんはそう言ってますます顔を顰める。

 ああ、どおりで叔父さんに嫌われているのにここに入学できたわけだ。あの人が手続きをしてくれたおかげで、俺は今高校に通えるのだ。


「すでに手続きは済んでしまった。だからお前がここに入学することは許そう。だが我儘で傲慢なお前のことだ。この学園でも長続きするとは思えない。お前の場合……」


 そこで一息つき、叔父さんは俺をまっすぐ見た。


「……問題を起こしたら、即退学だ。それだけは覚えていろ。」


 向けられる視線の厳しさに、思わず足が震えそうになる。だが、そんな自分を叱咤する。俺のここに来れたのは、色んな人の助力があったからだ。その人たちに、恩を仇で返すような真似はしたくない。


「―――望むところですよ、叔父さん。」


 そう言って俺は無理やり口角を上げ、笑って見せた。俺の様子を見た叔父さんは、驚いたように少し目を見張ったのを横目にドアへと向かい、一礼してから部屋を出た。

 外に出ると、扉の前には副会長が立っていた。扉は防音の為、中の会話は聞かれなかったと思うが、俺がわざわざ理事長に挨拶に行った時点で俺が理事長と関係があるのは丸わかりだろう。副会長が何か聞きたそうな様子なのは、その表情から見てとれる。


「今日は朝早くから学校を案内いただき、ありがとうございました。俺はこの後、寮の方に行こうと思います。それじゃあ、失礼します。」


 軽く頭を下げ、そのまま立ち去ろうとする。


「待って下さい。貴方は………」


 そう言って、咄嗟に副会長は俺を引き留めるが、肝心の言葉が続かない。だがその表情から察するに、俺と理事長の関係、ひいては俺が理事長の権限を学園生活で行使するのではないかと危惧しているのだろう。

 そんな副会長を安心させるように、俺は笑いかけた。


「俺と理事長は甥と叔父という関係です。ですが安心してください。俺は理事長から嫌われていますから、学園であの人の権力を笠に着るということはありません。出来れば俺と理事長の関係を、あまり言いふらさないでくださると助かります。それでは失礼します。」


 そのまま副会長の返事を聞かずに、今度こそ立ち去る。ちらりと見えた彼の表情は、困惑しているように見えた。俺の季節外れの転校から、理事長と仲が良いからだと推測したのだろう。残念ながら、それは外れだ。俺は自嘲するような笑みを一つ零し、その場を後にした。

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