鈍感と同居


 貰った物件を机に並べて、雪柳は回転椅子に乗ってくるくると回っていた。回りすぎて気持ち悪くなり、止まる。

 スマホをだし、メッセージアプリで上の方にある名前をタップした。


『もしもし』

「寝てたの? 目白ママ」

『良い子は寝る時間だろ……』


 低い声。

 夜の0時過ぎ。四月に変わっていた。


『なんだよ子守唄なら樋野の方が上手いぞ』

「それは知ってる」


 ああ見えて合唱部だ。コンクールにだけ顔を出すという専ら幽霊部員だったが、成績はあるので誰も口を出せなかったらしい。

 雪柳はひとつの物件に視線を向ける。


『で、用件は』

「うちのママが盛り上がっちゃって」

『ママって、雪柳の?」


 目白の問いに肯定を示した。目白ママの方ではなく、雪柳の実の母、華名の方だ。


『盛り上がるって何だよ、祭りか』

「物件見て、友達と住むの? 信頼できる子? 二人なら安心! きっと楽しくなるねえって、電化製品まで調べはじめてる」

『すげえ……お前の母っぽいな』

「え、どこが?」

『なんとかなるだろってとこ?』


 自分にそんな箇所はあっただろうか、と思い返す。電話の向こうで目白が笑う気配がした。


『前に傘忘れた時、通りかかった奴の傘に入れてもらおうとしてたろ。そういうとこだよ』


 具体例を出され、口を噤む。確かになんとかはなると思っていた。あの時も、今も。


「目白が来たから、何とかなったもん」

『結果的にな』

「目白と一緒なら、何とかなるよ」


 ね、と雪柳は同意を求めるような言い方をした。それに軽く後悔していると、目白が返す。


『そうだな』


 今までにない優しい声色だったので、泣きそうになった。








「麟太郎と?」


 久方ぶりの休日に申し訳ないが、目白は一人暮らしを進言した。金や安全面の心配より先に、母である光里は尋ねる。


「違う」

「え、じゃあ誰よ」

「クラスメート」

「誰」


 光里は目白の卒業アルバムをペラペラと捲っているところだった。タイミングが悪すぎた、と目白は目を逸らす。


「そこ大事ですかね」

「だってあんたが麟太郎以外と暮らそうと思うなんて。頑なに言わないってことは、女子だな?」

「推理するの止めてもらって良いっすか」


 朝から晩まで仕事に明け暮れる、光里の職業は警察だ。因みに、父親も。


「彼女なの? どれ」

「……右端の、上から三番目」

「え、美人!! でもあんたって可愛い顔が好きよね?」


 何故息子の顔のタイプまで知っているのか。しかし、目白は光里に口でも態度でも勝つことは出来ない。


「ほら、前に振られた子とか」


 樋野……! と目白は額を抱えた。樋野家の誰か、主に樋野か美秦が告げたに違いない。しかも元彼女や前に付き合っていた子、ではなく、振られた子と表現するところに傷口を攻撃されている。


「顔で選んだわけじゃない」

「でもほら、好きな女優とか」

「あーもーそういう話は今してない。一人暮らしをしたいんですけど」

「はいはい。何か書くの?」

「え、いいの」

「家賃いくらで、月いくら自分で稼いで、いくら補填して欲しいのか纏めて出せたら良いよ」


 そう言われると思い、目白はテーブルの上のファイルからプリントを取り出した。エクセルで纏めた表だ。

 光里は特に驚きもせずそれを受け取り、ざっと目を通す。


「別れたらどうするの?」


 本当のことを言ったら光里は笑いながらプリントを丸めるだろう。ぐしゃぐしゃに。


「家具とか、家電とか、退去のとき揉めると思うけど」

「……そんな身も蓋もない」

「現実的な問題でしょ。学生の同棲を承認するんだから、優しい親よあたしは。そもそも挨拶行った? こっちには来なくても良いけど、あんたはちゃんと行かなきゃ」

「母さん」


 溢れそうだったのを堪えようとしたが、無理だった。このまま話が進めば、きっと拗れるだろう。

 雪柳と目白が一緒に住むことに、今は、恋愛は関係ない。二人はもう恋人ではなく、雪柳の言う友達なのだ。

 それを許容する自分は周りから見れば滑稽なのかもしれないが、そうしなければ雪柳が悲しむのだと考えれば、たったそれが何の事か、と思ってしまうのだ。

 ……重症だ。

 目白は二重に額を抱える。


「相手、女子だけど、彼女じゃない」

「……は?」


 その返答は自分に似ており、血縁を感じた。

 全てを説明すると、光里は複雑そうな顔をする。組んでいた脚を崩し、顎に手を当てた。


「つまり今は友達である女子とルームシェアしたいってこと?」

「意味合い的には」

「やめといた方が良いと思うけど」


 それは目白にも分かっている。


「まあでも、一回失敗して痛い目を見るのも経験かもね」


 そう言うのが光里だ。普通の親なら、子供が痛い目を見ないように防ぐだろう。この子育て方法で目白は何度か痛い目を見た為、保守的になったと言っても過言ではない。


「痛い目とは」

「ぐちゃぐちゃの修羅場とか、こてんぱんに振られたり」

「脅さんで」

「あんたが、その子を振ったり」


 その言葉に顔を上げた。光里の手元にあるプリントは無事だ。光里を見ると、まっすぐ目白へと視線を向けている。

 目白は雪柳を振る想像をした。反対に振られる想像も。


「それは多分、ない」

「母に惚気けないで」

「んなことしてねえよ」

「まあそれなら、あんたは幸せかもね。傷つける側に行くことはないんだから」


 雪柳の言っていた言葉を思い出す。

 痛いはずの傷をつけに行っている、そう言っていたか。

 傷つけるのと、傷つけられるのは、どちらが痛いのだろう。もし、そうせざるを得ない状況がきたら、きっと目白は痛い方を、辛い方を選ぶのだろう。

 そうやって、生きてきた。そして、生きていく。


「傷つけないよう、尽力する」

「母に言うな」

「確かに」


 こうして目白は雪柳との同居を許可された。後に樋野へそれを言えば、へーと興味なさげに返答された。


「雪柳ってちょっと境界線曖昧なとこある?」

「なんで」

「なんでって言いたいってことは、豊ちゃんも気付いてんじゃん」


 モクを膝に乗せて樋野は目白を見上げた。色白で綺麗な顔をしており、幼い頃は美秦のお下がりを着ていたこともあるからか、女子と間違えられることが多かった。

 江長に告白されたこともそうだが、樋野もまあモテる方だ。気怠げで女子と付き合ったりしないだけで。


「男友達と同居って、それ貞操観念低いか、豊が男として見られてないのどっちかじゃん」

「俺を好きな可能性は」

「五分だけど自覚無さそうだし、終わってから気づきそう」

「終わるとか……お前応援はどうした」

「そりゃしてるけどさ、事実を述べたまで」

「今はこれで良い」


 目白はモクの頭を撫でた。気持ち良さそうに目を細める姿を見て、樋野は少し笑う。


「あ、そういえば」

「ん?」

「……いや」


 言い淀んだ。というより、出そうになった言葉を止めた。

 江長も同じ大学だと、言わなくても良いよな、と思ったからだ。


「何でもない。気の所為だ」

「はあ?」

「引っ越し手伝ってくれって言おうとした」

「嫌だよ面倒くさい」


 そう言っていたが。


「樋野も一緒に住むの?」


 何の疑問点もなく、雪柳はそう問うた。

 引っ越しの荷解きに樋野がやって来てくれたからだ。しかし、雪柳の持ってきた少女漫画を見つけるなり、目白の買った目白も座っていない一人掛けソファーに座って読み始めた。


「モクがいる限り俺は家を出ない」

「お前は何をしに来たんだ」

「モクってなに? ペットの爬虫類?」

「可愛い樋野家の猫だよ、カエルじゃねーよ」

「カエルは両生類だぞ」

「あの猫! 仕方ない、樋野は考古学科だし」

「大量絶滅を生き延びた生き物ってことしか知らね」

「何それすごい」

「今のカエルを知ってやれ」


 けらけらと笑う雪柳はテレビ台を組み立て始める。下に古い毛布を敷いており、床を傷つけないようにしていた。目白はこちらに伸ばされた板を掴み、支える。

 最終巻まで読み終えた樋野は、出来上がったテレビ台に乗ったテレビを見て、樋野家へ帰って行った。


「寂しいんじゃない?」

「樋野にはモクが居んだろ」

「じゃなくて、目白が」


 近所のコンビニで買ったざる蕎麦を啜りながら話す。その言葉に、目白は目を瞬かせた。


「俺が」

「だって、今までずっと一緒だったんでしょ? 寂しくて泣くかもよ」

「……そうかもな」

「やっぱり樋野も一緒に住んでもらう? モクちゃんも連れて来て」

「ペット禁止だぞここ、普通に断る」


 目白は溜息を吐いた。微妙なタイミングに雪柳は首を傾げる。

 境界線が曖昧。樋野が言ったことが頭を過る。目白だけを男として意識していないわけでも無いらしい。しかし、告白を断る分別はあるのだ。それが分別かどうかは、目白には分からないが。


「もしかして……猫苦手?」

「……違う」


 いや、単に鈍感なだけなのかもしれない。


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