自由な選択肢


 物心ついた頃から目白の家族が揃うことが殆どない。

 入学や卒業で親が来たのは小学生が最後で、授業参観に来たのは片手で数えられるくらいだった。しかし樋野の家で過ごすことが多く、第二の家族みたいなものだったので寂しいと思うことは少なかった。


「あんたたち、卒業旅行とか行かないの?」


 樋野の大学生の姉、美秦に言われる男二人。


「どっちも免許取ったんでしょ?」


 三月頭に一緒に合宿へ行き、普通車免許を取ることができた。樋野はリビングのソファーでだらりとしながらテレビのチャンネルを回す。


「免許で金全部飛んだ」

「バイトしな」

「特に行きたいとこもない」

「麟太郎は兎も角、豊は誘われてないの?」

「断った、面倒くさくて」

「枯れてるねえ……女子とかと卒業最後の思い出作らないわけ?」

「あ、でも豊はほら、ユッキーがいる」


 興味なさげに麟太郎、こと樋野は目白を指差す。

 その名前に、男二人と共に暇な美秦が食いつかないわけがなく。


「え、新しい彼女!?」

「なんでテンション上がるんだよ」

「だって麟太郎はそういう浮いた話無いし」

「言われてんぞ」


 リモコンを奪い、ニュースをつけた。明日は全国的に曇りで、すっきりとしない天気だと言われている。

 スマホを見るが真新しい連絡はきていない。ソファーの横を樋野家の飼い猫、モクが通り樋野の腹の上に乗った。


「俺はモクがいればそれで良い」


 顎の下と背中を撫でればぐるぐると喉を鳴らす。樋野家の中でも一番に気に入っている。

 目白は静かにモクの写真を撮った。海から帰った時、野良猫を目で追いかけていたのを思い出した。それを雪柳へと送る。


「つか、面接行かんで良いの?」

「あ、もうこんな時間。行ってきまーす」

「行ってらっしゃい」


 就活中の美秦はスーツ姿で家をバタバタと出ていく。

 目白のスマホは返信を受信した。視線をそれに向ける。ふ、と笑いを零したのを見逃さず、樋野はにやりと笑った。


「あー噂をすれば」

「なんだよ」

「恋しちゃったんだ、たぶん気付いてなーいでしょー、だ」

「あ?」


 無駄な樋野の美声が響く。しかもまあまあ懐かしい選曲。目白は凄んだが、照れが入っているのに気付いていた。


「雪柳の顔、タイプじゃないっつってたのになあ、モク」


 腹の上に寝そべるモクに問いかけると、にゃ、と小さく返事をする。


「……なにも言ってねえだろ」

「ちゃんと付き合ったら大変そう」

「どんなイメージなんだよ」

「雪柳がってよりは、あの人彼氏いようといまいと男寄ってくるでしょ。高校の内はさ、豊が元副会長で生徒に慕われてるって殆どが知ってる状態だったから雪柳に声かける奴が少なくなったわけだけど。これから大学とか社会とか出て、豊のこと全く知らない奴が雪柳に声かけるのは普通のことになってくる」


 樋野の言葉に、耳が痛くなる。

 実際、目白は海へ行った時それを犇々と感じた。

 電車に乗った時、道を歩く時、足を洗っている時でさえ、雪柳への視線は止まない。それはもう、嫉妬などから尊敬や感心に代わるほどの。


「そういう心配は後で考える」

「あっそう」

「……反対なのか?」

「寧ろ、応援してる。頑張れにゃん」


 モクを抱き上げ、樋野はその前脚をぷらぷらと動かした。きょとんとした顔でモクはされるかままだ。目白は笑った。






 雪柳は目白から届いた写真にくすりと笑った。なあに、と前に座っていたパートの池田が首を傾げる。


「送られてきた猫が可愛くて」


 その写真を見せる。樋野の腹に乗ったサバトラの猫。


「この男の子、彼氏?」


 樋野を示され、笑って首を振った。


「クラスメートです」

「え、じゃあこの写真撮ってるの誰?」

「クラスメ……友達?」


 彼氏です、とは言えなかった。どうせ三月末には終わる関係だ。

 その噂が回ったらしく、学校が同じ生徒から声をかけられることは無かった。目白というのは素晴らしい人選だったらしい。

 目白に返信して休憩を終える。

 雪柳のバイト先は中華料理屋の厨房だ。接客も不得意ではないが、声をかけられることが多く、レジ前で屯された経験があり、店長の計らいで厨房へ回して貰った。

 上がりの時間も池田さんと被り、一緒に裏口から出た。

 駐輪場から自転車を出し、別れる道まで押して行く。


「そういえば、ユキちゃんが行く大学遠いの?」

「家からは……今の高校までの二倍の距離ですね」

「え、そんなに近くなかったよね?」

「はい、大学まで電車が二時間かかるので、家を出る予定です。定期代が馬鹿にならなくて」


 幸い、大学の周りは学生街で家賃の相場はそれ程高くない。親からの仕送りの金額とバイト代でなんとかやっていける、はず。


「一人暮らし、楽しいと思うけど気をつけてね」

「はい、ありがとうございます」


 じゃーねー! と言いながら自転車に乗っていく池田と別れた。雪柳はスマホを出す、のと同時に着信があった。


「はい、もしもし」

『雪柳、明日暇か?』

「明日はねー内見行かなきゃなんだよね」


 ちょうど話していた部屋決めをしなくてはいけない。遅いくらいだ、と江長には言われている。

 電話の向こうの目白が『内見?』と復唱した。


『引っ越すのか? どこに』

「勿論大学の近くに」

『どこの大学?』

「波都大」

『……は?』

「とだい」


 は、に続けたが、目白はそれを気にする余裕もない。


『同じだ』

「何が?」

『進学先、俺と』

「あ、そうなの? 江長ちゃんも一緒」

『……樋野も一緒だ』

「……江長ちゃん……」


 それを本人たちが知っているかどうかは分からないが、雪柳は江長のことを思った。少しテキトウで少し抜けているところがある親友のことを。

 同じく、目白も樋野のことを考えていた。江長のことは何となく聞いていた。


「明日何かある?」

『ラーメン食いに行こうって誘おうかと』

「目白も内見一緒に来る?」

『行くわ』

「来ても楽しくは……え?」

『何時?』

「14時だけど、本当に来るの?」

『楽しそう』


 まあそれは良いのだけれど、と雪柳は了承した。

 大学の周りに何があるのかも気になっていたので、散策しようと思っていた。それに目白がいたら楽しいだろう、きっと。

 そういう軽い気持ちでいたのだ、この時は。






「……日当たりとは」


 ベランダを見た目白が感想を漏らす。同じことを雪柳も考えた。

 隣のマンションが数センチ先にあり、ベランダと部屋に光は勿論差さない。仲介人の女性が後ろで苦笑している。


「浴室乾燥機もありますし、冬など乾燥した日には洗濯物も乾きますよ」

「ああ、冬」

「これで最後ですっけ」

「はい、とりあえず話していた物件は全て見ましたね」


 本日回る予定の物件は回り終えた。目白と雪柳は部屋を出る。

 不動産会社に帰ってきて、最初に座っていた椅子に戻った。


「何か気になる物件はありました?」

「んー、今のところは」


 家賃が安くなれば、セキュリティ面や日当たり、水周りに影響が出てくる。それらがまあ良いのでは、という場所になると家賃は高くなる。どこかで妥協点を見つけなければならないのだが、雪柳は面倒くさくなってきていた。


「今の家賃の1.5か2倍で、2DKとか2つ部屋ある物件ってすぐ出ます?」

「はい、お調べしますね」


 目白の申し出に、仲介人はパソコンへ向き直る。雪柳は隣を見た。


「誰が住むの?」

「俺がもう半分出せば選択肢が広がるかも」

「半分? どうして」

「一緒に住めば」


 人差し指が雪柳と目白を行き来した。

 一緒に、とその言葉に目をパチクリさせる。


「こちらなんて如何ですか。新しくて結構綺麗です」

「お、バストイレ別。ベランダついてるぞ」

「本当だ」

「行ってみます?」

「行きましょう」


 あれよあれよと話は進み、先程まで見ていたのとは違い、壁も白く綺麗でオートロック付き、日当たり良好な部屋に辿り着いた。

 ベランダに、今育てている植物を置きたい雪柳にとっては申し分ない物件だ。


「どうされますか?」

「ちょっと、一回、持ち帰ります」


 帰りに雪柳と目白は近くのラーメン屋へと入った。

 楽しそう、でついてきた目白はけろりとした顔で箸を取る。


「なんで一緒に?」

「ルームシェアてきな」

「るーむしぇあ」

「あんなヤバそうな物件の中から選ぶよりはマシかと」

「でも目白の家、そんなに遠くないよね?」

「一時間はかかる」

「お母さん泣かない?」

「うちの家族、仕事人間ばっかで殆ど家居ねえんだよ」


 パキン、と箸を割る良い音。

 雪柳は黙ってしまい、目白はそれをちらと見る。


「強制はしてない、選択肢に入れとけよ」



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