第二章
女の恋は上書き保存
第10話 潜入ミッション開始
◆◆◆
――二年後。
装甲車に揺られながら、小窓に映り込む大都市の風景を眺める。
天高くそびえる高層ビルが巨大な壁のように立ち並び、ビル自体が横長くカーブを描いて建設されたモダンな造り。
上から見たら蜘蛛の巣のように、何層にも連なって構造を成した円網状の街並みは、いくつもの摩天楼とその間を走る幹線道路によって形成されており、その景観は一様に縦長く、窓も少なめにデザインされていた。
日本を牛耳る大企業〈MASK〉が支配し管理する、経済特区〈
今や世界の中心たる政令指定都市。巨大な企業城下町たる、かつての故郷に俺は戻ってきていた。
「懐かしいか?」
車内に同乗する軍服の男性……カール・ユング大佐が声を掛けてくる。
短く刈り込んだ髪の毛に、口元には豊かな顎髭。年齢にして五十歳過ぎの目つきはサーベルのように鋭い。
ドイツからやってきたと言うこの壮年の男は、共にMASKに反旗を
俺にとっては、今や行動を共にする特殊部隊の上司である。
「そんな感慨はありませんよ、ただ……胸くそ悪い。それだけの街です。ここは」
兜都は白面財閥が作り上げたMASKの、MASKによる、MASKのための街だった。
住民の九割がMASKに関連する子会社の社員であり、町の子供が通う私立学園は、MASKへの安定した就職に繋がるエスカーレーター構造となっている。
しかしそれは、学校内における交友や力関係が、社会人になっても延々と存続されるという、この街特有の狭く歪んだ社会構造を生み出していた。
……今思い返せば、幼少の頃に周りが妙にチヤホヤしてくれたのも、MASKの重臣であった空木博士の息子というレッテルがあればこそだったのかも知れない。
大都市であるがゆえの、
たくさんの人と密接に関係しながら、それでも互いの心の距離は浅く遠い……ここはそんな現代人を象徴するような街でもある。
知人にしか心を開かぬ閉鎖的な人々。
内部でのみ完成された王国に暮らすここの住人たちは、外からの干渉や新しい風をよしとしない生粋の
(懐かしい、か)
置き去りにしたはずの思い出が、不意に切ない感情と共に呼び覚まされる。
『――これ、本当にわたしにくれるの……?』
かつてオモチャの指輪をプレゼントした際、彼女は何度も聞き返しながら、それでも満面の笑みを浮かべて喜んでくれたのを覚えている。
『――ありがとうっ! 夏也っこれ、わたし一生の宝物にするねっ!』
幼年期……まだ自分が平和な世界にいた頃は、シズ姉ぇと俺は一心同体だった。
だからこそ二人が引き裂かれた時は身を切るような悲しみを味わったし、彼女にまた会える日を願って、ただそれだけを希望にし……自分はあの地獄を生きながらえて来たはず。
(シズ姉ぇは、俺との約束を覚えてくれているだろうか……?)
――俺の胸元には、首に吊されペンダント状になったオモチャの指輪が今も揺れていた。
「……では、改めてお前の任務を説明するぞ。〈アニムス〉」
ユング大佐の声にハッと我に返り、俺は改めて自分のミッションを確認する。
本作戦中における俺のコードネームは、〈アニムス〉。
今回俺は〈セルフ〉の特殊工作員としてMASKが支配する街・兜都へと舞い戻る。
主な目的は二つ。一つめは両親の仇を見つけ出し、抹殺すること。
そのためにはありとあらゆる情報を収集する必要がある。
俺の変身能力〈ゼノフェイス〉の力を利用すれば、大勢の人間を騙すことが可能だ。
XENOはラテン語で、異種・外国・外側という意味がある。
俺は通常とは異なる貌。別人へと変装し、外部から内部コミュニティへと侵入。
そしてMASKのすべてを殲滅してやる。
そのためには様々な人間とコミュニティを作ることが必要不可欠だ。
故郷への帰還は、MASKの秘密を暴き、そして両親の仇を討つための
――そしてもう一つ、俺に与えられたミッションは〈悪魔〉と呼ばれるものの調査だった。
(悪魔とはまた、前時代的な単語だな)
……なんでも、MASKは軍需産業の新たな開拓として〈悪魔〉なるものを呼び出し、それを兵器として使役する計画を企てているらしい。
この近代合理主義の時代に、あまりにもオカルト過ぎて
しかし
「お前は〈悪魔〉召喚の真偽を確認し、事実ならば計画を実行している連中を抹殺しろ」
諜報部からの情報によれば、〈悪魔〉の召喚が行われている場所こそが、MASKの管理下にある私立兜都学園だという。
つまり、俺の任務は学生を装って転入し、そこで召喚の現場を取り押さえることだった。
無論、MASKの幹部役員を親に持つ生徒は学校内に多いはず……。
ならばそれは、両親の仇を捜す情報の道しるべともなるはずだ。
俺は利害の一致があればこそ、〈セルフ〉の仲間になっていた。
「フン、それにしても〈悪魔〉とはチープな呼称だ。他に名はなかったのですか?」
「究極に到れば到るほど、それを表現する言葉は陳腐になるものだ。それに、所詮は便宜上の呼び名だよ。だがヤツらの性質は、伝承に
――誓約。
〈悪魔〉は召喚に応じる際、人間にある約束を求めてくるらしい。
契約者は己の目的達成を約束し、〈悪魔〉はその野望成就のために力を貸し与える……。
しかしそれが叶わなかった場合にのみ、〈悪魔〉は利息として魂を請求するらしい。
(約束をちゃんと守ればペナルティがないのなら、いくらか良心的ではあるが、な)
とはいえ、設定そのものは実にありきたりなオカルト展開である。
なるほど、テンプレートじみた契約関係だが、確かにその一点において異界からの客人は〈悪魔〉と呼ぶに相応しいだろう。
「……それにしても、学生としての偽名は本当にそれで良いのか?」
大佐は俺の学生手帳を覗き込みながら呟いた。
――
これが俺の新しい偽名だ。名字だけ少し変えてある。
「ええ。なかなか風情があっていいでしょ?」
「水面に映った月、か。だが下の名前がそのままでは厄介ではないか?」
「問題ありません。この名は良い釣り餌になる……俺の正体を知りながら近づいて来る者がいたなら、そいつは両親の仇だ。ひねり潰してやりますよ。それに……」
「それに?」
――シズ姉ぇに、ちゃんと自分が帰ってきたことを伝えたい。
そして迎え入れて欲しい。
俺が心から願うのは、ただその一点だった。
「……いえ、何でもありません」
「そうか。では、出発の前に……この少年の記憶を奪っていくといい」
大佐はそう言って不敵に笑うと、隣に拘束していた眼鏡をかけた少年を差し出す。
「この学生は? 兜都学園の生徒ではないようですが」
「名前などどうでもいい。全国模試で一位を取る将来有望な少年、とだけ言っておこう」
……なるほど。それだけで俺は大佐の言わんとすることを察する。
兜都学園の授業はかなりハイレベルらしい。
今まで殺人術しか学んでこなかった自分が、数学や世界史、古文などの授業にちゃんと付いていけるはずがないのだ。
「この街は能力主義の塊だからな。お前が良い成績を収めておくに越したことはない」
「だとしても、何と言って連れ出したんです? 可哀想に……怯えているじゃないですか」
全国模試一位だという少年は猿ぐつわをされ、その手足をきつく拘束されていた。
「大丈夫かい? 安心して。別に取って食いやしない。ただ、写させてもらうだけさ……」
怯えた少年にニコリと優しく囁きかけると、彼は「何を?」と目だけで訴えてくる。
瞬間、俺はニタリと笑うと、彼の顔を手のひらでゆっくりと覆いグッと掌握した。
「――よこせ。お前の〈
ビクンッ、と。少年が痙攣した。
しかしそれも一瞬で、彼は惚けたように首を傾げる。
「ほらね、何ともなかっただろう? …………ベロベロ――」
意地悪そうに微笑みながら、反対の手を自分の顔に押し当て、さっと撫で上げる。
「ばあ!」
「……ッッッ」
少年はカッと目を見開き、ぶくぶくと泡を吹いて失神してしまった。
「ハハッ。ひどいな。人の顔を……いや、自分の顔を見て気絶してしまうなんて」
「おい! 遊んでいる場合か!」
「これは失礼。ふむ、なるほどなるほど。コレが今の学校の授業というわけですか」
複写した〈
「勉強付けの毎日だったようですね。いや、彼の生活はなかなか面白い。家庭教師の女子大生に、成績を伸ばせばご褒美がもらえると言われてたようですよ。ククッ、欲望に忠実なことだ」
「……人の記憶を覗くな、悪趣味だぞ。それに、お前の頭こそ大丈夫なのか?」
「問題ありません。パソコンのハードディスクを、パーテーションでドライブ分けしていると言えば伝わりますか? 自我なんて、肉体におけるアプリの一つに過ぎないんですよ」
「…………」
大佐は苦笑いをしてみせる。
何にしても、これで学生用の頭脳は整った。
「――水月夏也、これより潜入ミッションを開始します」
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