第9話 覚醒の黒き仮面
……それからいったい、どれだけ流されただろう。
川下へと流された僕らは、いつの間にか故郷の近くの山間へとたどり着いたようだった。
あの激流の中で溺れ死ななかったのは、日ごろの訓練のたまものなのか。
そう考えるとこの生還は実に皮肉なものに感じられる。
川から這い上がって濡れた服を絞る中、沈痛な面持ちで滴る水を見つめる。
あの最後の状況を振り返るに、父の安否を気遣うために再び施設へ舞い戻ろうという考えは、残念ながら抱けなかった。
父の姿に涙をこぼしたが、やはり自分の心はすっかり乾いてしまっているのではないか。
恐ろしい獣性を秘めた自分の内面に関して、自己嫌悪に陥る。
陰鬱な気持ちで見上げた空は晴天で、日の光がさんさんと降り注いでいる。
晴れて自由の身。しかし当然のことながら、開放感は全くなかった。
「ふう~。なんとかなったな。うっし、このままとんずらといくか?」
「勝手にすればいい。僕は先に行くところがある」
「マジ? どこだよそこ」
僕は父が残した最後の言葉を噛み締めていた。
「父さんが言ってたことが気になるんだ。昔の別荘に行かなくちゃならない」
「別荘~? あー、でもそこなら服や食い物もありそうだな。っしゃ! なら、俺も付いていくぜ」
僕とキースは、かつて家族で遊びに行った思い出の場所へと向かうことにした。
いずれにしろ人里を目指すなら方向は一緒だし、何よりもこの近辺には見覚えがあったからだ。
別荘は渓流の近くにあり、二十キロほど南下すればすぐに辿り着いた。
そこは、かつて父とよく遊びに来た
大きな湖の脇に真っ白い別荘が立ち、その前には大きめの池がある。
父が言う思い出の場所とは、おそらくここのことだろう。
だが、こんなところにいったい何があるというのか?
五年も経った今も、手つかずでなにかの痕跡が残っているのだろうか?
遠目にはわからなかったが、近づいてみると別荘の惨状にうなだれる。
残念ながら、あるいは当然というべきか、美しかったはずの白い屋敷は廃墟と化していた。
おそらくはMASKの連中によって家捜しでもされたのだろう。
奴らはいったい何を探していたのか?
……昔、父はこの釣り堀には「
湖の主かと尋ねた際に、父は首を振り、この世を制する王としての主が隠してあると言っていた気がする。
当時はまったく意味が分からなかったが、それがなにか関係でもしているのだろうか。
ここの池には、栓が存在していた。
なぜこんなものがあるのだろうと、当時から疑問には思っていた。
水を干上がらせて魚を殺してしまうだけではないかと。
しかし今は管理もされておらず、魚も既にいないだろう。
僕とキースは廃墟になった別荘から道具を回収し、どうにかてこの原理を使って栓を解放した。
池の真っ黒い水が
やがて干上がった水底を注視してみると、中央に奇妙な物体を発見した。
無数の鎖で固定され、決して浮かぶことを許されなかった水底の存在。
それは、得体の知れない金属の箱だった。
「なんだこれ……。これが、父さんの言っていたアレってやつか……?」
からまっていた鎖をほどき、箱を開けてみると、中には一枚の〈仮面〉が入っている。
――〈
そう箱に書かれたお面は、まるで仮面舞踏会で貴族が装着する
陶器に似た材質で出来ており、漆黒に染まったドミノマスクにも見える。
奇妙なのはまるで機械のように、仮面の表面に時折光の線が走っていることだ。
それを原理不明のハイテク技術と思うより早く、僕はなぜか仮面が生きているように感じてしまう。
一方、再び
まさかこんなけったいな仮面のために、父さんは会社を告発しようとし、母さんを見殺しにしたというのか?
そしてコレのせいで、僕はあんな地獄の日々を送らされたと?
(ふざけるな……ふざけるなよちくしょう! 僕は、僕たちはッ、こんなモノのために!)
沸々とした怒りを感じ、それを力一杯に岩へ叩きつけようと試みる。
だが次の瞬間、僕の手に握られていた仮面はキースによっていきなり奪い取られていた。
「おーっと待ったァ。こいつを壊されちゃあ困るんだよねェ」
「何……? おいキース、どういう意味だ」
「おおーい! もう出てきてもいいぞ! ほら! これがアンタらの探してたモンだろ?」
質問を無視したキースは、背後に向かって声を掛ける。
すると辺りの茂みからは、重火器で武装した〈超我兵〉がわらわらと現れた。
逃げる暇もなく、僕らはあっという間に包囲されてしまう。
「な……! つ、尾けられていたのか!?」
「いやまァ、最初からこういう話だよ。悪ぃな空木夏也。施設から脱退させて欲しけりゃ、お前を親父のところに連れていって、ブツのありかを吐かせろって言われたんでね。……おっと、怒るなよ? ヘヘッ、騙された方が悪いンだからなぁ」
「き、キース……貴っ様ぁ……」
「ははッ。いい教訓になったろ? 世の中は嘘だらけだ。ご都合主義なんてありゃしないんだっつーの。っと、ほら。あんたらもさ、俺はもうこれで晴れて自由の身だよな? な?」
キースは軽薄そうな笑みを浮かべ〈超我兵〉達に声を掛ける。
しかし彼らは、構えた銃口を決して下ろそうとはしなかった。
「そうだな。騙される方が悪い」
「へ……?」
次の瞬間、視界一杯にマズルフラッシュの火が輝き、
キースは血煙を上げ、断末魔の悲鳴をあげる間もなく地面に転がった。
「……さて。次は貴様の番だ。安心しろ、すぐに父親のあとを追わせてやる」
再び銃口がこちらを向き、避けようもない死の予感に全身が凍り付く。
もう、ダメなのか……?
僕はここで無惨に殺され、みじめに一生を終えるのか?
信じていた人に見捨てられ、裏切られ、今までの人生はいったい何だったんだ?
(いやだ……)
こんなところで死ぬのは、いやだ。
終われない。断じてこんな場所で、終わるわけにはいかない!
そうだ……こんなの嘘だ。これは僕の人生じゃない。僕ではないのなら――
これは、俺の運命じゃない。ならば俺は……俺は……ッ
自らに迫る過酷な運命。
ありとあらゆる現実を拒む魂の叫びが、今うなりを上げる。
俺は、無意識のうちに拾い上げた仮面を、自らの顔に押し当てていた。
「ま……まずいッ! 仮面を付けたぞ! 構うなっ! 撃てッ、撃て撃てぇーーーッ!」
「――〈マ、ス、カ、レ、イ、ド〉……ッ!!」
仮面に触れた途端、脳裏によぎった呪文。
力ある言葉を唱えると全身が光に包まれる。
否、自分自身が閃光そのものと化し、俺は殺意の
耳をつんざく雷鳴と共に稲光をまき散らし、弾丸をくぐり抜けるただ一筋の迅雷となって周囲を駆け巡る。
「ッッッ、……ッ!」
踊り狂う雷光の衣装。
それは舞踏会さながらに、
電撃の束そのものと化した俺は、バチバチと放電しながら再び人間の身体へと舞い戻ると、焼け焦げた死臭が漂う中でただ呆然と立ちつくしていた。
(い、今のは……何だ?)
状況は完全に一変している。
周囲に転がるのは、一瞬で感電死した超我兵の骸のみ。
――
肉の身体が光の粒子となり、稲妻という事象へと一瞬にして変換された。
生身の人間が高電圧の光……エネルギー体へと成り代わるなどあり得ない。
ましてやそれが元通り、生身の身体へと戻るなんてことは……。
(こんな、まやかしが……)
自分の運命を拒絶したが故に、その現実を覆う、虚構の力。
世界の法則を無視し、騙し、上書きすらしてしまうインチキの魔法。
即座に理解する力の本質。
俺は……俺ではない、ありとあらゆる事象に変身することができる。
今の自分は、雷そのものだった。
もはやヒトの姿ですらない。ただ破壊のイメージそのものへの具現。
そして今、改めてその力の恐怖と悪徳を実感する。
コレは……“成り代わり”だ。
物体や事象。この世のありとあらゆるモノに成り済ます、悪魔の化粧。
この変身能力により、悪意を以てだれかに成り代わったのなら、友情や信頼などというものは、たやすく崩れるに違いない。
ただ騙し、裏切り、
仮に……自分が一国の王にすり替わったのなら、それはその国を……いや、世界をも
(そうか。これが父さんの作った……世界から『信頼』を失わせる兵器だったのか)
おそらく父がMASKを訴えたのは、この仮面が原因だ。MASKの連中は、きっと今もこの力を血眼になって探し求めているに違いない。
だが既にその仮面は、完璧に消失していた。
依り代はなくなり、霊的に顔に張り付いているのが感覚的に分かってしまう。
もはや奪われることはない。
俺は今後、奪うだけの存在……王の力を確かに手に入れていた。
しかし俺は、世界の支配や操作などに興味はなかった。
胸の奥に燃えるのは、暗い復讐の炎。
父と母を苦しめたMASKの連中を見つけ出し、根絶やしにするための裁きの意志。
人を
両親の仇を取るためならば、俺は……神や悪魔にでも成り代わってやる……!
「クク……はは、フハハハハハハッ! ……あァ、やってやる……やってやるぞ。見ててくれ、父さん、母さん。俺は……MASKの連中を、ブッ潰す……ッ!!」
――天高く
今この地、この時、悪魔の仮面は解き放たれた。
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