第一章

異貌の仮面

第4話 続・思い出の日々

 ◇◇◇


 つかの間の夢を見る。


 それは四年前、彼女と一番最初に出会った頃の夢だった。


『あ、天使……』


 その時、飛び降り自殺を図った少女を見た瞬間、僕がいだいた感想はそんなものだった。

 大空を、たとえ一瞬でも飛ぶその姿を僕は心から美しいと思った。


 この町では自殺が多いと聞く。

 よく分からないが、きっと彼らには彼らなりの深い事情があったのだろう。

 じゃあ、自分と同じ小学生の女の子が自殺する理由って何だろう?


 そんなことをのん気に考えながら、気が付けば僕は真上から降ってくる女の子を必死に抱き留めようとしていた。


 ……うん、普通は逃げるだろう。

 逃げるよね?

 だって下手したら自分が死ぬ。

 トランポリンじゃあるまいし、子供の僕が女の子を支えるなんて無理無理無理ッ!


 なのに彼女が墜ちる姿がはかなくて、その消えゆく姿が我慢ならなくて、夢中で手を伸ばす。


 次の瞬間、グシャリと腕がへし折れる衝撃と共に強烈な痛みが叩き込まれ……

 骨が砕けて肋骨がひび割れる感覚に、僕は断末魔だんまつまの叫びをあげていた。


『ウっ……ぎゃあああぁぁあアアアアーーッ』


 自分の声とは思えない絶叫を上げ、唇を振るわせる。

 身体が粉砕されたような痛みに、とめどなく涙があふれ出てくる。

 痛い! 死にそうなくらいメチャクチャ痛い!!


『あ、あれ……?』


 三階から飛び降りた女の子は、どうして死にぞこねたのかと、僕の上でポカンとしている。


『ここ……天国?』


『そんなわけないだろ! むしろ君が死神だよっ! いいから早くどいてくれッ』


『きゃっ』


 女の子はあわてて飛びおきると、スカートについた土を払い落とす。

 せっかく綺麗に土をならして肥料もいたのに、花までメチャクチャだ。僕はこんな日のために園芸係になったんじゃないのに……。


『あ……お、お花……潰れちゃった。どうしよう……』


『君のせいで潰れたんだよっ! このアホっ! う、うぅ~、ちくしょおッ 痛えぇ!』


『ご、ごめんなさい。わたしのせいで大事な花壇がひどいことに……かわいそう』


『僕のことも心配をしてよ!?』


 周りから騒ぎ声が聞こえ、学校の先生達があわてて走ってくるのが見える。


 うぅ、こんなヤツを相手にするのはもういやだ!

 死ぬほど痛くて涙が止まらない。


『痛ぇ。っくう、僕まで死ぬところだった。最悪だよ、何で飛び降りてんだ君は!』


『だ、だって……。……パパとママが……死んじゃったから……』


『はあ?』


『だからね、天国にいけばお空の二人に会えるかなって……』


『……あのさぁッ、君、僕より年上? なのにバカじゃないの? っていうかバカじゃないの!? 死んでも会えるわけないだろッ!』


『え……っ えええ!? そ、そうなの……?』


『そーだよ! ンなことより、僕の腕どーしてくれんだよ!? これじゃドッヂボールもできないし、スプーンも握れない! 明日からどうやって給食食べろっていうんだよ』


『あ、あのっ それは……そのっ ごめんなさい……』


『ぜったいに許さない! 弁償して! 腕が治るまで君が僕の代わりなるんだッ! いいね!? その間、自殺するとか許さない。もし自殺したらブッ殺してやる!』


『こ、怖いよぉキミ。でも……うんっ、わかった……。わたし、キミの手になる……』


 ――自殺の防止。

 それがこの僕、空木夏也うつろぎなつやと……彼女、月影静流つきかげしずるの出会いだった。


 月影静流。

 彼女の正体は、日本有数の大企業・月影グループの社長令嬢だった。


 様々な日用品を扱う月影グループ。

 〈月影〉はそれ単体でも大きな会社だったが、その真のすごさは日本を牛耳ぎゅうじる〈白面財閥〉の分家筋という血統にある。


 世界を股に掛けるコングロマリット〈MASKインダストリー〉の中でも、月影グループはMASKにとって無くてはならない企業だったのだ。


 そして静流は、白面財閥の会長・白面巌しづらいわおの孫娘にあたり、その身分はお姫様のそれだった。

 ドがつくほどの世間知らずに育ったのは、ある意味当然だったのかも知れない。


 そんな彼女の両親だった月影夫妻は、ある日飛行機事故に巻き込まれ亡くなった。


 生存状況は絶望的で、遺体を見ることすら叶わず、「これがあなたのご両親です」と小さな位牌のみを渡された静流の胸中は、いかほどのものだったろうか……。


 静流の家の事情を聞いた僕は、そんな彼女を元気にしてあげたいと思った。

 いくらなんでも、大切な人に会いたいからといって死んでしまうのは本末転倒だと思ったからである。


 それ以来、僕と静流は長い時間を共に過ごすことになった。


 しだいに彼女にも笑顔が戻り、元気になった反動かどんどん勝ち気な性格の姉御肌になっていく。

 小学生の頃は、年上の彼女の方が背も高かったのも相まって、いつの間にか二人の立場は逆転。僕はすっかり彼女の尻に敷かれるようになっていた。


『ねぇ~っ! シズ姉ぇ待ってよ~、待ってってば! 置いていかないでよー!』


『フフン~♪ 早くしなさい夏也っ そんなんじゃ日が暮れちゃうわよっ!』


 ――シズ姉ぇ、と。

 親しみを込めたあだ名で僕は彼女をそう呼ぶ。


 また、シズ姉ぇを元気づけてくれたのは、同い年の友人……小学校のクラスメイトである白面孝太郎しづらこうたろうの影響も大きかった。


 孝太郎もまた、その名の通り〈MASK〉に連なる少年で、白面財閥の本家御曹司というすごい身分にある男の子だった。


 シズ姉ぇと従姉弟の関係にあたる彼は人当たりも良く、僕たち三人はまるで姉弟のように仲良く育った。


 僕の父が、MASKにおける重臣だったのも要因だろう。僕とシズ姉ぇの仲は白面会長にも公認され、いつしか僕たちは“許嫁”の関係へと発展していたのだ。


『えへへ……やったね夏也っ 将来わたし達、絶対に結婚しようね!』


 将来のことを白面会長に言い渡されたシズ姉ぇは、満面の笑顔で喜んでいたのを覚えている。

 正直言えば、僕も幼いながらに幸せを感じていたかも知れない。

 幸い、ウチの家庭はかなりの富裕層だったし、貧困とは無縁の世界にいた。

 だからこそ、これからも楽しくて明るい毎日が続くのだと……そう信じて疑わなかったのである。


 ……あの日、破局が訪れるまでは。

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