第3話 放り込まれた場所

 ……それからいったい、どれくらい眠っていただろう?

 気が付くと僕を乗せた車は、薄暗い山の中で停車しているようだった。


 街灯は見えず、人の気配など微塵みじんも感じられない。

 窓から見える暗然たる景色に怯えながら、僕はおずおずと運転席にいる送迎係に声を掛けてみる。


「あ、あの。すいません、ここどこです? 僕の引っ越し先は、海沿うみぞいの街じゃ?」


 小窓越しに、ゆっくりとこちらを振り返る運転手。

 その眼に宿る残忍な光と、あからさまにつり上がった口角に、思わず怖気おぞけが走る。


 不意にロックが解除され、リムジンの後部ドアが自動で開かれた。

 降りろ、ということらしい。


 しかし車外に広がる風景は、間違っても人気ひとけのある都心などではなく、荒涼こうりょうとした空気の漂う深い森だった。


「な、何だよここ。山? どうしてこんなところに!?」


 混乱する僕に、運転手は口の端をつり上げて語り始める。


「ここはMASKのようする用兵施設〈特殊機関ペルソナ〉だ。きょうからお前はここの訓練兵……えある戦闘員になれるんだ。喜べ、ヒトを超える存在〈超我兵〉になれるぞ」


「じょ、冗談でしょ? イヤだ。街に帰してよッ! こんなところは絶対にイ……」


 次の瞬間、運転手が座席に回ってきたかと思うと顔全体に鈍痛どんつうが走った。

 眼球の奥で火花が舞い、ぐるんと視界が反転しそのままブラックアウト。


 次いで、ズサッと地面に叩きつけられる衝撃によって意識が回復し、無理矢理に車外へと引きずり出されたことを感覚的に理解させられる。


 朦朧もうろうとしながら感じたのは、鼻からどろりとしたたれ落ちる血の感触だ。


「あ、え……? な、殴? ……ッ、ひぃっ、血ッ! 血がぁ……! うわああッ」


「ボケが……。いつまで寝ぼけてやがる。お前の親父がしでかした叛逆はんぎゃく罪はなぁ、街から追放されたくらいで収まるようなモンじゃねえんだよ」


「ひ、ひぃっ! い、イヤだ。助けてッ! だ、だれか……父さんっ、母さんーーッ」


 悲鳴を上げて逃げようとした瞬間、足払いをかけられ再び勢いよく転倒する。


「ぁぐッ……っ」


 運転手は僕の髪の毛をそのまま乱暴に掴むと、底冷そこびえする声で詰問きつもんしてきた。


「いいかクソガキ。お前が今までのうのうと暮らしてこられたのは、いったいだれのおかげだ? だれのおかげで、お前はお坊ちゃんとして何不自由なく暮らしてきた? あァ? 言ってみろや」


「そ、それは。ぼ、僕のお父さんとお母さんが、一生懸命働いてくれたから……」


「違ぇよ。お前の幸せはなァ、たくさんの死人でまかなわれてんだよ。知ってんだろう? MASKは戦争を食い物にする軍需企業ぐじゅきぎょうだ。空木博士はその開発主任。つまり! ミサイルに戦車、地雷に毒ガス! ……お前ぇの親父が開発した武器で人間をブッ殺して、ブッ殺してっ、ブッ殺しまくった末にッ! お坊ちゃまの優雅ゆうがな生活はこれまで成り立ってたんだよォ」


「……ッ!」


「その兵器開発への多大な貢献こうけんを認められてたくせに。お前の親父はあろうことか、会社の計画を見過ごせねーとか言い出し、MASKを裏切りやがった! わかるか? オイ。大量殺戮兵器を作ってきたくせに、正義感面した偽善野郎のことが」


 僕の父さんはすごく真面目な人だった。

 正義面? あの父さんが軽率な考えで動くはずがない。


 なのにその偉大な父を小馬鹿にしながら、目の前の男はせせら笑った。


「ま、結局はこのザマよ。裁判じゃあっさりと敗北し、御家おいえ取り潰しってわけだ。そしてその結末の一つが……まさにここよ」


 男は握り拳に親指を立て、それを地面に向けながら僕を睨み付ける。


「MASKが扱うのは兵器だけじゃねぇ。PMC……傭兵もまた、大事な商品ってわけだ。ここは親に捨てられた身寄りのないガキを強化人間〈超我兵〉に育て上げる養成所っつーワケよ」


「う、ウソだ……。ウソだウソだぁっ!」


「嘘なもんかよ。そんできょうからお前は、ここで会社のために一生懸命働くんだ。ククッ、そうさ文字通り死ぬような思いをして、な」


「イヤだ……イヤだよッ! 帰してっ、街に帰してくれよ……どうしてそんなひどいことしなきゃいけないんだよぉ! 父さんと母さんはどこ!? 二人に会わせてよぉッ!」


「――……脳ッ天気なガキだなぁオイ。組織を裏切った両親が、今も元気に生きてるって、そんな気楽に考えてんのか?」


「なっ……う、ウソだ。嘘だあぁぁあっ!! そんなの僕は絶対に信じな……グふッ」


 再び頬に衝撃が走り、地面にいつくばる。


 砂利じゃりが口の中に入りこみ、不快な気持ちで唾を吐き出そうとする。

 だが、こぼれたのは血塗れになった自分の前歯だった。


「っつーわけだ。殺されねーだけでもありがたく思うんだな。……あァ、そうそう。この秘密基地はなぁ、元はお前の親父が所長も兼ねてたんだよ。正常な人間を壊すカリキュラム作った奴だからなぁ、相当恨まれてんだろうぜぇ? ここでしごかれてるガキ共にはな……」


「……っ、……!」


「その憎い憎~い所長の息子が新しく入ってきたんだ。ハハッ、すっげー歓迎されるかもなぁ? おぉっと、逃げだそうなんて思うなよ? ここは深い森に囲まれた山中だ。土地勘が無きゃ、迷ったあげく崖から落ちて転落死だからよ……。ま、元気でやれや?」


 運転手は心底いやらしい笑みを浮かべると、車を発進させていってしまった。


「……………こ、こんなの……嘘だ……」


 一人とり残された僕は、ただ途方に暮れるしかない。


 切り立った崖に囲まれた深い森。

 鬱蒼うっそうと茂りざわざわと風に揺れる木々が、まるでなにかをはやし立てるかのように僕を日常世界から隔絶かくぜつする。


 街の明かりなど、どこにも見あたりはしなかった。

 辺りに見えるのは、まるで山小屋のように古ぼけた寄宿舎きしゅくしゃ

 有刺鉄線ゆうしてっせんで囲まれた演習場や高い堀は、まるで刑務所のような印象すらある。

 ふらつく足で周囲を散策さんさくするも、明らかになった事実は僕を更に絶望におとしいれるものだった。


 ここは天然の要塞ようさいだ。

 立地は非常に入り組んでおり、運転手の言ったとおり、とんでもなく急な渓谷けいこくに囲まれている。

 逃げだそうとすれば、間違いなく迷うことになるだろう。

 そして……簡単に足を踏み外し、転落してしまうかも知れない。

 天然の迷路といえるそこは、脱出したいという願望を秒単位の勢いでけずりりとっていく。


(嘘だろ? ここに……入れって? この施設へ向かうしか、僕に道はないのか……?)


 否定を求めて自問する。

 だが、心では拒絶したいと思っているにも関わらず――

 肌で触れる逃げ場のない環境が、両親が既に殺されていると聞かされた情報が、そして目の前に広がる圧倒的な現実が、それ以外の選択を許さなかった。


「ひどいよ、どうして……こんな……っ」


 つい先日まで、あんなににぎやかに暮らしていたのに。

 学校にゲームセンター、コンビニやファミレス。周りにたくさんありふれていたものが、ここには何もない。

 聞こえてくるのは野犬の遠吠えと、かすかな硝煙しょうえんの臭いだけだった。


「……っ」


 仕方なしに、目の前の施設へ足を運ぶ。

 もしかしたら、事情を話せばすぐに街へ返してくれるかも知れない。

 僕はそんな淡い期待を抱きながら、目の前の施設へ一歩踏み出す。


 ――そうしてその日、僕の平穏は……静かに終局を迎えた。

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