Episode02 僕は『ノイズ』になった。
相変わらず太陽は、ギラギラとまぶしい。
『風音の不眠症を治すとっておきの秘策。』
——ピンポーン
風音はチャイムを鳴らす。
「はーい。」
家から日向の声が聞こえ、さらにバタバタと音がした後、ガチャリとドアが開いた。白いTシャツと、水色の半ズボンの日向。
「あ、いらっしゃい。」
「どうも。三時間ぶりだね。はい、例の
風音はいつものように白い紙袋を手渡した。風音はポロシャツと家着の半ズボンという、比較的涼しめの服だったが、汗は止まらない。黒い髪が陽の光を集めているせいか、目玉焼きが焼けそうなぐらい後頭部が熱い。
「やったー!おばさんのクッキー、おいしいんだよね。ほら、入って。」
中身は野イチゴジャムクッキー。風音の母の十八番料理だ。彼女は、野イチゴを植木鉢で育てている。なのでジャムは自家製で、クッキーの生地も彼女が打っていた。焼き方はオーブンではなく、小さな窯。風音の家には暖炉があるのだ。冬はいいが、夏は要らない。
「ふぅ、暑い。失礼します。」
ムワッとした空気から逃げるように二人は中に入った。
エアコンの風が、汗で肌に張り付いたシャツをひんやりとさせる。だが外では、ブンブンうなりながら、室外機が滝のような汗を流していた。
「すずし~。エアコン最高~。」
風音は日向の家のリビングに転がる。汗が首を伝う。床のフローリングまでもひんやりとしていて気持ちいい。
「エアコンを発明した人って神だよね。」
「わかる。」
裸足でペタペタと歩きながら、日向が冷えたオレンジジュースをコップに入れた。机の上に運ばれた時には、もうコップはどっと汗をかいていた。
「あっついな~アイスある?」
「あるけど。チョコでいい?」
「うん。本当はバニラがいいんだけど、無いんでしょ?」
「……」
風音は小さいころから日向の家に遊びに来ているので、お互い、アイスの好みぐらいは知っていた。
風音が白い靴下を脱いで、ソファーの隣に放り投げる。日向がアイスバーを持ってきた。風音は起き上がった。彼は思わずあくびが出そうになったが、何とかこらえた。日向の持ってきたアイスは、白色と茶色だった。
「え、バニラあるじゃん。」
「これ私の。」
当たり前のようにバニラアイスの袋を開けて、そのまま口に入れる日向。
「え~、日向さんそれはないですよ。」
「好物が同じ風音が悪い。」
風音が非難する声を軽く流して、日向はバニラアイスを口に咥えたまま、チョコアイスの袋を開けた。
「そうかい。それは日向様、すみませんねぇ。」
風音が口をとがらせて日向を見る。日向は、アイスの袋をゴミ箱に捨てた。
「え、何?いらないの?」
チョコアイスも口の中に入れようとする日向。
「申し訳ございません要ります。」
風音は慌てて、日向の手からチョコアイスを奪おうと立った。だが、日向は奪われる前に風音の口に突っ込んだ。
「ほら。」
「ふが、あ、サンキュ。」
風音の舌にチョコの甘みと苦みが広がる。
しばらく二人は、言い合いながらアイスを食べていた。
「さて、アイスも食べたことだし、風音の不眠症を治そう。」
「あ。そういえばそのためにここに来たんだった。」
よいしょ、と言って日向が立ち上がる。彼女の口にはアイスの代わりにキャンディーが既に咥えられていた。風音もよろよろと立ち上がる。もうムワッとした夏特有の空気の気配は消え、裸足に触れるフローリングとエアコンのが、風音を気持ちよくさせた。風音があくびをする。
「はぁ…本当に治るのかなぁ。」
「大丈夫だよ。私は毎日ぐっすりだもん。」
確かに、風音はくまがどんどんひどくなっているのに対し、日向の肌の艶はいい。風音は、日向に彼氏とかできたのかなぁ、と思っていた。しかし、風音は今、日向の肌は何かの美容法のおかげなのかもしれない、と思い始めていた。もしも日向に彼氏がいたら、まず風音に紹介するはずだからである。二人は何でも言い合える親友で、絆は固い。
風音と日向は、階段を上がり、二階にある日向の部屋へ行った。この部屋にもあいかわらずエアコンが効いている。
「ちょっと待ってね、確かあれがここに……」
ガサゴソと棚を漁り始める日向。それを見ながら風音は水色のカーペットに腰を下ろした。出そうになるあくびを嚙み殺す。
「あ、あった。」
日向が何かを持って風音の前に座る。彼女の片手に乗せられて運ばれたものは、黒い無線イヤホンだった。風音は日向からそれを手渡される。
「え、無線イヤホン?」
「そんなもん。」
風音は少しがっかりする。音楽を聴いて心を癒せということかもしれない、と風音は考えた。その考えを肯定するかのように、日向が自分の耳に、白地に赤いラインが入った無線イヤホンをはめた。
「ほら、風音もつけなよ。不眠症治したいんでしょ?」
「え?う、うん。」
言われたとおりにイヤホンを耳にはめる風音。ふつうのイヤホンだ。特に目立った特徴はない。黒字に青いラインというデザインは綺麗だと思うが。
「つけたけど…」
「今から寝れる?」
「え?音楽は?」
話が全くつかめず、困惑する風音。
「音楽って何よ?風音、あくびしてたし、寝れるよね?」
「あ、はい。」
謎の日向の圧力に負け、反射的に風音は返事をしてしまった。言うが早いが、日向は自分のベッドの上に大の字になっている。彼は仕方なく、ごろりとカーペットに転がった。
「寝てみてよ。それでわかる。」
「ええ?どういうこと。」
「……zzz……」
「はぁ……」
混乱したままの風音の耳に、ものすごく寝つきがいい日向の小さないびきが聞こえてきた。
「僕も寝るか……本当にこれでいいのかな。」
目を閉じた風音を撫でるように、エアコンの風が柔らかく当たる。だんだん意識が薄れていく。もともとものすごく眠かったのだ。
「……zzz」
イヤホンをさした風音と日向は、静かに夢の世界へ————
「かざね~」
僕を呼ぶ声が聞こえる。
誰だろう。
「風音、起きなさい!」
キンキンとした高い声。この声は…
「叩かれたいの?」
「はいすみません日向様。」
反射的に僕は飛びだす。
って、え?飛びだすって…
「遅いわよ、風音。」
僕は目を丸くした。どこだよ、ここ。
僕が飛び出したのは白い雲の中から。そして、僕と日向が立っているのは土みたいな触感を持つ、真っ白な地面。
「ほら、行くわよ。」
「え、待ってよ。」
日向はくるりと背を向けて歩き出す。とりあえず僕はその背を追いかけた。
あ~今日は宿題を終わらせる予定だったのに。なんか、それどころじゃない。
「ねぇ、ここ、どこなの?僕たち、日向の部屋で寝てたじゃん。」
日向の耳をちらりと見て、自分の耳にも手を当てた。手に触れるイヤホンの硬い感触はやっぱり消えていない。
「一言で言うならば、ここは
「めいせきむ?それって、はっきりとした夢のこと?」
「そう。」
冗談かと思ったが、日向は真面目な顔だ。
「じゃあ、ここは、僕の夢?」
「う~ん。風音だけじゃなくて、私の夢でもあるかなぁ。」
日向がいきなり立ち止まって顔を上げた。なんだろう、僕も上を見上げる。
「え。」
『Another』
白い文字が、カラフルな壁にふよふよと浮かんでいた。
「アナ、ザー……?」
「風音も名前ぐらいは聞いたことあるんじゃない?」
「もしかして、一年前に生まれた、妄想世界Anotherっていうゲーム?」
時事問題のために、軽く覚えたような気がする。
「ゲームじゃなくて、『妄想世界Another』は十分な睡眠をとるために開発されたプログラムのこと。風音みたいな不眠症の人にも、私たちみたいな一般人にも使えるの。」
流暢に話す日向に少し驚く。
「へぇ。それで、僕はこのプログラムを使えば、十分に睡眠がとれるってこと?」
つまり、プログラム療法か。それって効くのかな?でも、日向に効果が出てるし。う~ん、どうしよう。
「そう。やってみた方が早いから、行くよ。」
「え。」
日向が僕の手を取った。
僕は問答無用で日向に引きずられる。
その瞬間、僕の体が浮いた。
「舌嚙まないようにねっ。よっ、と。」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁっ。」
急降下。僕は思わず絶叫してしまう。夢だからか、不思議と眠気はないし、頭も冴えているようだ、と頭の片隅で考えた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ。しぬぅぅぅぅ。」
「死なないし、絶叫しすぎ。」
僕は何でこんな目に合っているんだろう。僕は日常に戻りたかっただけなのに。
これはきっと悪夢だ。そう、怖い夢なんだ。
そう思おうとしているのに、僕のイヤホンはそうさせてくれなかった。
『高町風音様、認証しました。』
「なんか喋ってるぅぅぅぅ。」
「うるさい。」
いつにも増して日向が冷たい。泣けてくる。
「じゃ、がんばれ。私は風音を待っているよ。」
「えぇぇぇぇぇ、ひなた⁉」
「See You♪」
「ちょっ」
日向は透けて消えた。僕はまだ落ちているのに。というか、どこまで落ちるの⁉
僕、本当に死ぬのでは。
『構成中。しばしお待ちください。』
ピリッと電光が頭に走り、イヤホンの振動が伝わった。体が暖かい何かに包まれる感覚。
『ようこそ。』
ああ、宿題、今日中に終わるかな……
いきなり落下が止まり、ふわりと雲のようなものの上に着地した。
『
いきなり目の前に浮かぶ文字。何でもありだな。
う~ん。そうだな、名前か…。どうしようかな。
ふと、日向とやったゲームを思い出す。あれで僕は確か……
『「ノイズ」、読み込み中。』
あ、そうだ、「ノイズ」だ。あ、問答無用で決まりなんだね。任意じゃないんだね。「ノイズ」という名前は僕の妄想っていうことか?不思議だ。
『構成完了。アバターはこちらです。』
そこに現れた僕のアバターの画像は、普通に僕とそっくりだった。驚いた。
アバターって、もう少し中二病感があるものじゃないのだろうか?それとも、僕の妄想がこれっていう事?
よく見ると、僕の目の下のくまは消え、健康そうな肌色だ。目もガッツが溢れてそう。あと、二重になっている。あと、今よりも男っぽい体格になっている。大人の僕?
これが、僕の
「え?これも、変更ボタンないんだ?」
思わずつぶやいてしまう。結構プログラムはマイペースだった。
『ノイズ様、妄想世界Anotherへようこそ。』
「え?もう始まるの?」
『では、お楽しみください。』
「え?え?」
ああ、僕の日常はいつやってくるんだろう。
白い光が視界を埋めていく。
これが、僕の非日常の始まりの合図。
まさか、この後何度もこの光を見ることになるなんて、この時の僕は思いもしなかった。
『君は、何を
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