その2

 運転席のショウジが顔をしかめる。

「なンだ、ありゃア。まるで“変身”じゃねェか」

「一緒にするな」

 ユウコがぴしゃりと言った。

「あれはアタシらの何倍もやばい。少年、撃てるか?」


「もちろんです」

 もうずっと、ミニガンの照準はノボルに合わせてある。もしこれで、ノボルが傷つくことがあっても、もうためらいはなかった。晴一はトリガースイッチを押した。

 ヴー……。数発の弾丸が発射され、鎧武者の体に火花が跳ねる。スイッチを押してから1秒後、射撃は止まった。


「あれ?」

「どうした少年。もっと撃ってくれ」

「いや、その」


 晴一はもう一度、トリガースイッチを押した。やはり弾丸は出ない。束ねられた重心だけが虚しく回転して、グルグル唸りを上げている。

 弾丸がどこかに詰まったのか? いや――!


 晴一は座席の下を覗いた。出てきた時にはとぐろを巻いていた弾帯が、影も形もない。代わりに薬莢がいくつか転がっている。

 顔から血の毛が引く。見上げたユウコの表情が、微かに歪んだ。


「すいません。弾が切れました」

「なっ¬――あんなに持ってきたのに!?」

「こいつ、めちゃくちゃ燃費が悪いみたいですね。弾をバカ喰いしやがる」


 実際こうなってみると、思い当たる節は確かにある。あれだけ撃ちまくっていれば、弾切れになるのも道理だと思えた。

 晴一は座席の下に手を伸ばした。ミニガンの時間は終わってしまったが、ショウジは他にも、いくらかの火器を積み込んでいたはずだ。確か、対戦車ミサイルがどうとか。


冷たい円筒が指先に触れる。その時、ジープが大きく揺れた。筒が転げて、荷台の奥へ遠ざかる。晴一は舌打ちして、さらに手を伸ばした。


「爺さん!」

 突然、ユウコの叫びがすぐそばで爆発した。反射的に顔を上げると、ジープに取り付いた鎧武者が、運転席のショウジを殴りつけるのが見えた。

 ――マジかよ。


 晴一がノボルから目を離していた時間は、どれだけ多く見積もっても2秒に満たない。 彼我の距離は200メートル以上あった。ほんの2秒足らずで、それだけの距離を詰めてきたというのか。


 運転手を失くしたジープが平衡を失う。晴一は拳銃を抜こうとした。ユウコが手を伸ばしてくるのがわかる。襟首が締まって、喉からギュエッという息が漏れた。

 世界が回った。足が宙に浮いて、内臓が重力から解き放たれる。ユウコに抱えられて、晴一は空を舞っていた。


 はるか眼下で、ジープが大岩に激突する。ユウコが抱えているのは、晴一だけだった。

「ショウジさんが!」

 晴一は上ずった声を上げたが、ユウコは壊れたジープを一瞥しただけだった。

「今は、自分の心配だけ――っと、まずいな!」


 ユウコが虚空を踏みつけて再跳躍する。晴一は再び、Gに耐えた。一瞬遅れて放たれた熱波が、彼らの背後を焼く。

「!」

それはもちろん、眼下のノボルによるものだった。ジープを蹴り飛ばした位置に佇む鎧武者が、こちらに向けて手のひらを突き出している。


 武者の手のひらが黒く光った。ユウコの眉間に深い皺が寄る。

「連射が効くのか」


 それがわかったはずなのに、ユウコが再跳躍する気配はない。晴一はユウコと共に自由落下しながら、ノボルの手のひらを凝視した。

 ――あいつと違って、ユウコの再跳躍は連発できないのだ。

 朧に、そのようなことを理解する。


「少年」

 晴一は顔を上げた。泣き笑いのようなユウコの表情が、彼を見下ろしている。

「受け身、教えたのを覚えてるな? うまくやれよ」

「? 何の――」


 疑問が言葉になる前に、ユウコは晴一を投げ飛ばしていた。世界が猛烈な勢いで回転する。鎧武者が再び、怪熱波を放ったのがわかった。

 銀鼠色の衣装が、熱波の中に溶ける。

「ユ」


 声を上げかけた晴一の後頭部に硬い感触。ゴン、と思考が揺れた。

晴一の視界は暗転した。


    ◆


 最初に教わった受け身のことは、ちゃんと覚えていた。毎朝、散々通った自然公園の空手教室……それはスタート地点から、いわゆる空手道とユウコが構築した我流の体術が混ざった雑種犬だった。

 ユウコは教え子の状態を考慮して、我流の空手をさらに歪めた。晴一が叩き込まれたのは、右肘が伸びきらない人間にチューニングされたユウコの体術で、本式の空手とはかけ離れている。


 だが、それは十分役に立った。

 あれだけの勢いで投げ飛ばされたにも関わらず、晴一は背中を打撲しただけですんでいた。とても完璧とは言えないが、散々練習させられた受け身の祖型は、確かに晴一の中に残っていたのだ。


 洞穴にうつ伏せたまま、晴一は目を開いた。横倒しのすり鉢みたいにえぐれた岩盤が目に入った。その中心で、黒っぽい塊がみじろぎしている。

 気絶はほんの数秒だったらしい。すり鉢に手を翳していた鎧武者が、構えを解く。

(――!)

 それでようやく、黒い塊の正体がユウコだと気づけた。墨になったのか、煤にまみれているのかは判然としない。晴一は後者であることを、切に願った。


 がしゃり。鎧武者が首を回す。面頬の隙間から、赤熱した両眼が覗いている。変わり果てたノボルは、確かに目覚めた晴一の姿を捉えていた。

 晴一は石化したように身を固めた。ベルトに差した拳銃に手を伸ばす。ノボルはそれよりずっと速く、彼にトドメを差しにくるはずだとわかっていた。


「……」


 その瞬間が訪れることはなかった。鎧武者はくるりと背を向け、遠ざかり始める。

 見逃された、と思った。ベルトの銃把を握り締めたまま、晴一はノボルの背中を見つめ続けた。


    ◆


 洞穴を踏み締める鎧武者の足音を、ショウジはジープの下で聞いた。着用を欠かさなかったシートベルトが、彼の命を救っていた。

 ひっくり返ったジープの後部。ロールバーと地面が作った空間に潜り込み、ショウジはまだ、火器の回収を試みていた。


 手製のロケットランチャーは、ロールバーに踏み潰されてひしゃげていた。弾切れのミニガンは、車がひっくり返った拍子にもげてしまって、見当たらない。


 諦めて引き上げかけた彼の手に、冷たい円筒が触れた。晴一が座席の下から取り出せなかったM 72。メシエ天体と同じ名を持つ対戦車ミサイルである。ジープがひっくり返った時に投げ出されていたらしい。

 ――ああ、これだ。


 ショウジは安全ピンを抜いて、円筒の後部を引き出した。ものの数秒で、使い捨てのロケットランチャーが完成する。

 ジープの下で体を動かし、ショウジは鎧武者に照準を合わせた。彼が車もろとも投げ込まれたのは、カガイパレスの倉庫と思しき、四角い空間である。ここからなら、眼下のノボルを十分に狙撃することができた。


(悪ィな、ノボル)


 照準に収めた鎧武者を見ながら、ショウジは独りごちた。だが、本当の意味でノボルに『悪い』と思ったわけではなかった。

 ショウジは体中のあちこちに、微かな違和感を覚えている。あれだけ派手に投げ飛ばされれば、当然無傷とはいかない。時間が経って落ち着いてくれば、それらの違和感は痛みとなって、ショウジに異常を訴え始めるのだろう。


 だが、今。高揚感の鎧は依然として、彼を包み込んでいる。それはあの日の安田講堂で感じたものと、全く変わっていなかった。


    ◆


 横倒しのすり鉢の中で、ユウコも目を覚ましていた。戦装束は消滅し、私服のシャツは煤に塗れている。

 ギリギリまで維持した変身が、彼女の命を救っていた。全身に軽い火傷を負っただけで、彼女はほとんど無傷だと言ってよかった。


ユウコは浅い呼吸を繰り返した。最後の一滴までエネルギーを絞り出した体はずしりと重く、微かな熱を持っている。

無傷であることは、必ずしも無事であることを意味しない。たちの悪い風邪にかかった時のように、ユウコの体は活動を拒んでいた。


「ハァーッ……」


 ユウコはゆっくりと息を吐いて、寝返りを打った。地面に手をついて、体を起こす。少なくとも、起こそうとする。

 カガイパレスでは、今も彼女の後輩たちが戦っている。あれだけ大口を叩いておいて、ノボルを上に行かせるわけにはいかない。

 それに――ユウコはこの世でたった一人、ルミエールのベテランなのだ!


「おい」

 ユウコは膝を掴んで、立ち上がった。彼女が聖霊を喪った後も追い続けていた“戦い”の背中が、すぐそこに見えていた。

「アタシはまだ、死んでないぞ……!」


    ◆


 ユウコの声は、うつ伏せのまま固まっていた晴一の耳にも届いた。彼もまた、死んではいなかった。

 そうだ。ノボルをさくらのところにやるわけにはいかない。


 指をかけただけになっていたベルトの銃把を強く握る。晴一は拳銃を抜いた。

 ショウジに見立ててもらったシグ・ザウエル。彼の腰にも晴一と同じように、晴一と同じ銃が差してある。

 晴一が握るのは、初日にブラックを狙撃したのと同じ銃だった。


 拳銃を構えて、照星を覗く。ブラックを撃った時は、位相ズレのことを知らなかった。ノボルと晴一の間に位相のズレはないが、ミニガンを正面から受け止めた甲冑に32口径はどれほど効果があるだろうか。

 ――今度こそ死ぬかも知れない。

 だが、それは今更、立ち止まる理由にはならなかった。


 ノボルがガイスルーだとすれば、それがどんなに高度なものでも、どこかにガイスルーコアを抱えているはずなのだ。甲冑で守らなければならない人間の体のどこかに……。あるいは鎧そのものがガイスルーコアなのかも知れない。

 どうあれ甲冑を破壊する術が必要だ。しかる後、生身の体に銃弾を撃ち込む。


 これからしようとしていることは、ただの無謀じゃない。晴一は自分に言い聞かせた。

 浅い息を繰り返しながら、晴一は機会を伺う。照星の向こうで、ノボルがゆっくりと振り向くのが見えた。


「不撓不屈のオマージュか。ルミエールに戻ったつもりかね?」

 赤熱した瞳が、面頬の奥で細まる。

「だが、自分のやっていることをよく省みたほうがいい。君は既に、少女の不気味なパロディに過ぎない」


 武者が消える。瞬間移動に近い高速移動だった。晴一が捕捉し直した時、鎧武者は既にユウコの首を掴んで、持ち上げていた。

「諦めろ、ユウコくん」

「アタシ、は――」

 ユウコの輪郭がぼやけた。銀鼠色の手袋が、鎧武者の腕を掴んでいた。

「ルミエクレル、だ!」


 バヂッ! 白い火花が散り、電撃が白い大蛇めいてノボルの甲冑を走り抜ける。

 ルミエクレルの蹴りが武者の胴に吸い込まれた。首の皮を引きちぎるようにして、銀色のルミエールが脱出する。


「まだこんな力を……!」

 鎧武者がたたらを踏む。その脇腹に、一筋の煙が吸い込まれた。ロケット弾だとわかる。ジープの方からだ。ショウジも無事だったのか――いや、今は。

 甲冑の胴体が吹き飛んだ。つるりとした作りの仏胴。その下に守られていた明星ノボルの腹が、晴一の視界にありありと映った。


 どこを撃てばいいのか、晴一にはもうわかっていた。マウンドに立ってバッターと向き合えば、どこに投げるべきかがわかる。それと同じだった。

晴一は引き金を引いた。全てが奇妙にゆっくりとして見えた。


 バン! スライドがブローバックして、薬莢が飛ぶ。ノボルのネクタイがちぎれて飛んだ。晴一は再び引き金を引く。

 バン! スライドがブローバックして、薬莢が飛ぶ。ノボルの襟元が爆発し、社章のピンバッヂがちぎれて飛んだ。晴一は再び引き金を引く。

 バン! スライドがブローバックして、薬莢が飛ぶ。ノボルのベルトがちぎれて飛んだ。


 晴一は銃を下ろした。ノボルの体を覆っていた甲冑が霧散する。エクレルの電撃がまだ残って、男を苛んでいた。

 ノボルがどっ、と膝を突く。晴一は弾かれたように立ち上がった。


「ノボルさん!」

 つんのめったノボルの体を受け止めるのが、ぎりぎり間に合った。諸共に倒れ伏すようにして、晴一はノボルを抱き起こす。むっとするようなタバコの残り香が臭った。

 男のワイシャツには血の花が咲いている。ガイスルーコアは破壊できたようだが¬¬――。

 晴一はノボルの肩を叩いた。意識がない。


「大丈夫だ」

 ユウコの手のひらが、晴一の肩に触れた。

「弾は急所を外れてるし、体の中にも残ってない。傷口はアタシの雷が焼いて、塞いどいでくれた。今すぐ死んだりってことは、ないはずだ」


 振り向いて見えた女子大生の顔は真っ黒に汚れていて、表情はよくわからない。晴一はそっとノボルを横たえた。

 確かに息はしている。出血も止まっているようだった。


「アタシは車を見てくる。救急セットが積んであったはずだし、爺さんも気になるしな。少年はおっさんを見といてくれ」

「ノボルさんがヤバそうな時は、どうすれば」

「一声叫べ。ダッシュで戻ってきてやるから」

 ユウコが微かに笑った。


    ◆


 晴一は仰向けのノボルと二人きりになった。

 男の呼吸は規則正しい。スーツが雑巾同然に成り果てていなければ、そしてここがカガイパレスの地下でさえなければ、ノボルはただ眠っているだけのようにも見えた。

 晴一が、半ば殺す気で撃った男だった。


「……」

 奇妙な充実感があった。瑕疵のない投球ができた時、あるいは試合に勝った時に感じるそれに近いような気も、そうでないような気もする。

 いずれにせよ、晴一はノボルに対して何を思えばいいのか、まだわかりかねている。

 その時――。


 ズドン。ミシミシミシッ!

 腹の底が冷える轟音を響かせて、洞穴の天井にヒビが入った。岩盤が崩れて、大穴が開く。カガイパレスの基礎が抜けたのか! 晴一はジープを振り返る。


「ユウコさん!」

「どうした少年!?」

 存外に近いところから声が帰ってきた。晴一のすぐそばに、深緑色のジープが寄ってきていた。運転席には、ショウジが座っている。

 ユウコが助手席から飛び降りてくる。


「何かあったか」

「あ、いや。ユウコさんが大丈夫なら、大丈夫です」

「なんだそれ。おっさんは平気なんだな?」

「平気というか……変わりないです」

「そうらしいな。――おっ」


 薄暗かった洞穴に、眩しい光が降り注ぐ。光に包まれたルミエールたちが、ゆっくりと降下してきていた。背中にはオリフラムがもたらす光の翼。

 極め付けは、その数だ。ルミエールは四人に増えていた。黒と灰色を基調にした戦装束を纏った、巻き毛の少女。その横顔には、晴一も見覚えがあった。


「野和……?」


 とすると――。


「無事だったのか、彼女は」

 背後から低い声が聞こえた。明星ノボルが、目を覚ましていた。

「おう、起きたかクソバカ」

 ジープに乗ったまま、ショウジが揶揄う。ノボルは腕で目元を覆った。

「私は負けたらしいですね」

「あァ。ボコボコにしてくれたわ。ちったあ頭が冷えたろうな? あれだけ手間をかけさせられたからにはなァ!」


「……さくらたちは」

 ノボルは寝転がったまま、降り注ぐ光を見上げた。天井からは、ルミエールを追うようにして、巨大な闇が這い出してきている。

「ああ」

 男は小さく息を吐いた。自分の試みたことが、全て無に帰したことを理解したらしい。

「ああ……」

 男はもう一度、息を吐いた。それから、立ち上がろうとして、べたりと地面に崩れた。


「すまない、晴一くん。肩を貸してくれないか? 娘の姿を、見たいんだ」

「あまり無理しないでください。銃弾が3発も貫通してるんですよ」

「だからだよ。頼む」

「……」

 助けを求めてユウコを見る。ユウコは黙って肩を竦めた。

 晴一は観念して、ノボルに肩を貸した。ほとんど抱え上げるようにして、男を立ち上がらせる。銃弾を3発も貫通させたのは他でもない晴一だったからだ。


 少女たちは光の翼を羽ばたかせて、闇に挑みかかっていく。何度も、何度も。

<グオオオオオン……!>

 闇が苦悶する。ユウコが拳を握りしめた。

「カガイ大王」

「あれが」

 晴一は闇を見上げた。昨年の四月、ユウコが手ひどい敗北を喫したという、カガイヘイムの帝王。ルミエールの戦いは、大詰めに差し掛かっている。


 晴一の隣で、ユウコは拳を解いた。パステルカラーの光に照らされる晴一とノボルの横顔を盗み見る。

 それから、ユウコはもう一度、さくらたちを見上げた。

「特等席だな、少年」

「ええ」

 晴一はルミエールを見上げたまま、夢見るように答える。やっぱり、礼二も誘ってやればよかった、と思った。


 彼らの背後で、ショウジがタバコに火を点けた。微かな擦過音に、ノボルが振り返る。

 咎めるような男の視線を嘲笑うように、ショウジは自分の紙巻きを掲げた。

「お前もやるか」

「いや。私は、禁煙――」

 そう言いかけたノボルが、喉を鳴らして笑う。

「やっぱり、お言葉に甘えさせてもらいます。晴一くん、すまないが」

「わかりました」


 晴一はノボルを下ろすと、ジープのへりに腰かけさせた。ノボルが紙巻きに火を点けて、パステルカラーの光を見上げる。焦げるような紫煙が、二本分に増えた。


 回転する炎の剣が、少女を取り巻く闇をなぎ払う。四人の少女が手を重ねると、それぞれの光が依り集まって、洞穴を真昼のように照らし出した。

「綺麗だな」

 そう言ったのはショウジだった。

「ええ」

 ノボルはうなずく。この一言のために、彼は――。


「おい、晴一。お前もどうだ」

 揶揄うような調子で、ショウジが言う。「やめろ、ジジイ」と咎めたのはユウコだ。

 晴一は束の間、老人を振り向いた。

「大丈夫です」

 柔らかな光が、眩しく彼らを包み込む。カガイ大王の断末魔が聞こえた。

晴一はもう一度、はっきりと言った。


「僕はもう、タバコはいりません」

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