第45話 キミの未来に光あれ! ルミエール最後の戦い

その1

 先に動いたのはノボルだった。影の翼を動かし、晴一たちに背を向ける。ルミエールを追おうとしているのだとわかった。

「少年!」「小僧!」

 ショウジとユウコが口々に叫ぶ。「わかってますよ!」と応じるなり、晴一はミニガンのトリガースイッチを押した。

 ヴーッ! 機械的な唸りを上げて、無数の銃弾がノボルに向かった。黒い翼の一枚が弾け飛び、空中のノボルが体勢を崩す。

 晴一は射撃を取りやめた。


「やっぱり効いてるな」

「ええ」

 ユウコの低い声に、晴一はうなずく。このまま射撃を続ければ、いずれはノボルを撃ち落とすことも可能だろう。

 ……それは彼らの本意ではなかった。


 影の翼が一対の巨大な腕に変じた。黒い手のひらが洞穴の壁を掴んで、ノボルの体を支える。男は忌々しげに、かつての仲間を見下ろす。

 その口元が動くのが、ギリギリ晴一にも判別できた。


 ユウコが耳元に手を当てる。

「なんだって!? 聞こえねーよ!」


 また、ノボルの口元が動く。今度はほんの微か、晴一の耳にも声が聞こえた。

 ショウジが双眼鏡を覗き込んだ。唇を読んでいるらしい。

「『邪魔をするのか』、と聞いている」


 ユウコがうなずいた。

「そうだ! 今すぐこっち側に戻ってこい! さもなきゃ力づくになるぞ!」


 ノボルが怪訝な表情になったのが、晴一にもわかった。

「聞こえてないですよ、多分」

「ユウコ、これ使え」

 ショウジがダッシュボードから、小型のメガホンを放った。受け取ったユウコの手元で、小さなノイズが起こる。


「……あーあーあー、明星ノボル! 聞こえてるか?」

 ユウコの声が、とうとう洞穴に響いた。

「馬鹿みたいな真似はよして、今すぐ降りてこい。今ならアタシたちしか見てないぞ。お前がそんな格好してたのは、みんなには内緒にしてやるよ。娘さんたちには、アタシが責任を持って話を通してやる。さもないと」

 女子大生の声が、微かに沈んだ。

「アタシたちの全火力を以て、お前を仕置きしなきゃならなくなる。いいか? アタシらの位相は完全に一致している。ここじゃあガイスルーは、そんなに無敵じゃない。銃弾も爆弾も、まともに効くんだぞ!」


 ユウコはメガホンを捨てた。ショウジがジープ のギアを1速に入れる。

「ありゃキレてる時の顔だ。くるぞ」


 巨大な影腕が拳を固める。ジープの発進とユウコの跳躍、拳の着弾が、ほとんど同時に起こった。一瞬前まで晴一たちがいた部屋の残骸が粉々になって消える。

 洞穴をぐるりと囲んだ廊下の名残。できるだけ平坦な場所を選ぶように、ショウジが車を走らせる。影の沼が真下に見えた。


「少年、適当に撃て! おっさんを釘付けにするんだ!」

 ユウコの指示が飛んでくる。晴一はトリガースイッチを押した。

 ヴーッ! 機械的な唸りを上げて、無数の銃弾がノボルに向かった。影の拳を引き戻して、ノボルが防御を固める。


 洞穴の反対側から、再びユウコが跳んだ。その拳が朧な輝きを纏う。フォルスクロス・スクリュー。彼女の放てる最強の一撃。


 ノボルの反応は早かった。洞穴の壁を手放して、空中へ身を踊らせる。自由になった影腕の拳を固め、ユウコの拳を迎え撃つ――。

 次の瞬間、ノボルの拳が爆発した。


「よおし!」


 運転席のショウジが拳を突き上げる。肩には、ショウジ自身が手作りしたショルダーランチャー。束の間運転を休んだ彼が、影腕の拳を狙い撃ったのだ。

振り向いたノボルが、鬼めいた表情になるのが見えた。その頬にユウコの拳が突き刺さる。男の体が回転した。


 明星ノボルは完全に体のコントロールを失い、きりもみ状態で岩盤に叩きつけられた。影の腕がかろうじて受け身を取り、その体重を支える。

 ユウコがジープ のロールバーに着地した。


「これでおっさんも、目が覚めたかな」


    ◆


「まだだ」

 カガイパレス上層。モニタールームのクロオは、ディスプレイの前で拳を握った。

 岩盤に叩きつけられたなんとかいう男は、うつろな視線を空中にさまよわせている。


「お前の力はそんなもんじゃないはずだ。……そうだ! 立ち上がれ! 立ち上がれる!」

 ディスプレイの向こうで、影の腕がゆっくりと動いた。肩で息をしながら、男が再び立ち上がる。

 クロオは両手を突き上げた。

「よおし! そうだ。まだやれる。ルミエールもどきなんぞにやられるお前じゃない。ガッツを見せろ!」


 彼の最高傑作は完全に立ち上がった。当然だ。男に搭載したのは最新型のガイスルーコアだ。スーパーガイスルーのデータを基に、耐久力の更なる向上に成功している。

 これに加えて、生きた人間をコアとして加えた。素材となった人間の意識が途切れぬ限り、ガイスルーコアには感情のエネルギーが供給され続ける。そして何より、これまでのガイスルーには欠けていた知性が備わった。


 クロオはほくそ笑んだ。スーパーガイスルーを超えたガイスルー。差し詰め、ハイパーガイスルーといったところか。その可能性は、彼自身にも想像し尽くすことができない。

 ビーッ。かぶりつきでハイパーガイスルーを観察するクロオの思考に、無粋な警告音が割り込んできた。ディスプレイの画面が、パレス内部の様子に切り替わる。


「む……もう上がってきたのか」


 映し出されていたのは、パレス内の通路を飛行するルミエールたちの姿だった。クロオが配置したはずのガイスルーが、炎の剣に焼かれて次々に消滅させられている。


「はは。大したものだ。最早普通のガイスルーでは時間稼ぎにもならんらしい。早くもお前の出番だな」

「……そう」


 モニタールームの影の中で、うっそりと立ち上がった何者かの姿があった。黒いフリルのゴシックドレス。同じ意匠をあしらった黒いボンネット。病的な程に白い肌。

 ノワールだった。見かけだけは以前と同じその少女は、しかし、かつてと比べ物にならないほどの圧力を纏っている。


「来たのね。ここへ」

「ああ。行くか?」

「ええ。私のお客様だわ。お出迎えをしてあげないといけないもの」

「そうか」


 ノワールの姿が闇の中に消える。クロオの背筋を、冷たい汗が流れ落ちた。

 ほんの数日前、ノワールは虫の息でD-15世界から戻ってきた。銃弾に撃たれ、ひどい傷を負っていた。

 クロオは彼女の命を救うためにベストを尽くし……結果として、ノワールはハイパーガイスルーと同様の状態になった。ある意味では、彼女がハイパーガイスルーのプロトタイプと言っても良かった。


 だが、それが成功と言えるかどうか。ノワールの人格は、施術の前後で少なからず変質してしまったように思える。

知性と戦闘力の両立。字面だけを追えば、それは確かに実現したのかも知れないが――。


「俺には使えんな、これは」


 クロオは銀色の鍵……ガイスルーキーを摘んで、懐に入れた。それから、それを誰に使うのが最も効果的か、考え始めた。


    ◆


 ショウジはジープを洞穴の底に回した。辺り一面を覆っていた影の沼は、吸い込まれるようにしてノボルの周りに集まっている。

 ユウコに殴りつけられた男は、瓦礫の中で立ち上がったところだった。


「ノボルさん……」

 車とノボルには、まだかなりの距離がある。それでも、ノボルには晴一の声が聞こえたらしい。ぐるり、と首を巡らせた男は、眼球を飛び出させんばかりに目を見開いていた。

 返事の言葉はなかった。引き結ばれた男の唇、その端では黒い体液が泡立っている。


「大した化け物になったな、あんたも」

 壁面に残った廊下の残骸を進みながら、ユウコもノボルに声をかける。

「……当然だ」

 ノボルは言葉を忘れたわけではなかった。ヘドロめいて粘つく体液が、スーツに零れる。

「カガイヘイムの技術の粋がこの体に集められている。今の私は、この世界の誰よりも強い。……君たちの位相がどうあれ、私を負かすことは不可能だ」


「は」

 ユウコが鼻で笑う。

「な〜にを自慢してるんだよ。連中の身内にやりたがるヤツがいなかったんだろ。あんたは小学生でもわかるような甘言に引っかかって、量産品の怪物に成り下がったんだ」

「そう捉えてもらっても構わないよ。あの子を戦いから降ろせれば、私はそれでいい」

「間違ってるよ、おっさんのやり方」

「それは見解の相違だな。……退却する気はないのかね。さくらの後を追いたいんだが」


 ユウコが肩を竦める。ノボルは深い息を吐いた。

「晴一くん」

 そう言った男の目は、もう、それほど飛び出してはいなかった。

「君だけでも逃げてくれないか? できれば、さくらの友達を殺したくはない」

「それはできません」


 グリップが汗で滑る。散々バットに吹き付けた、あの滑り止めスプレー……それを、無闇に恋しく思った。

 晴一は息を吸う。

「ノボルさんがそうしている限り、さくらは戦いをやめないと思います。後を追わせるわけには、いかない」


「そうか」

 ノボルが目を細める。その足元で、極限圧縮された影の沼が泡立った。ユウコが地面を蹴った。ショウジが耳元で「撃て!」とがなる。

 それより先に、晴一はトリガースイッチを押していた。モーターが唸る。ユウコの拳が光ったのが見えた。


 ドン。乾いた爆発が起こり、土煙が巻き上がる。晴一は射撃を停止して、目を凝らした。灰色のほこりの中から近づいてくる、素早い影がある――。


「爺さん、車出せ!」

 影が鋭く叫ぶ。ユウコは連続バク転でジープのロールバーに着地すると、遠ざかる土煙を睨みつけた。

「やばいな、あれは」

「そんなに――」


 晴一はユウコに確かめかけて、言葉を切った。すぐに彼にもわかった。土煙の中から、すぐにもそれとわかる気配が放たれている。あるいはこれが、殺気というやつか。

 ノボルは先ほどのやり取りを最後通牒としたらしい。晴一は黙って、ユウコの視線の先へ照準を向けた。


 それは、すぐに姿を現した。

 鉤爪めいた甲懸が地面を踏みしめ、膝甲が微かに揺らめく。滑らかな仏胴が煙を押し除け、面頬の奥で瞳が暗く沈む。最後に鍬形が天を突いた。その全てが、光を吸収する超自然の鋼で作られている。

 全長2メートル、影の鎧武者。それが明星ノボルの戦う姿で、つまりは晴一たちの敵だった。

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