その2

「それにしても、全員集合か。私の襲撃を事前に掴んでいたのかな」

 誰にともなく放たれた問い。ショウジが口を開いた。

「いや。俺らが来たのは小僧の回収が目的だ」

「ああ、なるほど。君は“星の会”に捕縛されたのか。ひどいことはされなかったかい?」


「……リッツ並みでした」

 晴一は低い声で繰り返した。

「なるほど。私も逃げる必要はなかったかな。ところで、一つ聞きたいんだがね」


 ノボルが周囲を見回す。

「さくらがどこにいるのか、わかるかい? ここに来ていると聞いたんだが、一向に姿を見せてくれないんだ」

「いえ。おれは、ずっと閉じ込められてたんで」

「そうか。ちょうど、入れ違ってしまったのかな」


 ノボルは口元に手を当てた。敵意は感じられない。

 だが、この施設を襲撃したのは恐らく彼なのだ。少なくとも、襲撃者の側に加担しているのは間違いない。

 ユウコとショウジは、既に身構えている。二人に目配せしてから、晴一は鉄棒を置いた。


「聞きたいことがあるんですが。あの後、何があったんですか」

「ああ、この姿のことかな」

「そうです。主に」


 晴一はノボルの“影”に視線を落とした。それが本当に影かと問われれば、あまり自信はない。少なくとも、物理的に男を支える巨大な脚は、コールタールめいて粘度を持った液体によって構成されているように見えた。

 明らかに異質なものだ。しかし、ノボルはなんでもないことのように手を振った。


「あまり気にしないでいい。危険なものじゃない」

「……説明しろ」

 ユウコが低い声を出した。

「きちんと、納得のいくように。今のアンタからは、ガイスルーと同じ気配がする。おっさんは、私たちの敵になったのか?」


「そのつもりはない」

 ノボルは即答した。

「確かに、これはガイスルーと性質を同じくするものだ。だが、これは飽くまで私が制御する体の一部として存在している。手足と同じだよ。誰かの首を締めようと思えば締められるが、私はそうするつもりはない。そういうことだ」


「寝返りか」

 ショウジが吐き捨てた。

「珍しくもねェな」

「考え抜いた上での選択ですよ」

 ノボルがかぶりを振る。

「私はさくらに戦いをやめさせたい。ルミエールがいなくなれば、この戦はカガイヘイムが勝つ。利害が一致している方が、容易にことを進められます。この世界に属するよりも、ずっとね」


「言いたいことはそれだけか?」

 ユウコが叫ぶのと、銀色の閃光が通路を照らすのが同時だった。輝く拳が晴一の脇をすり抜け、ノボルに吸い込まれる。


「……理解してもらえないことを、残念に思うよ」

 ノボルが悲しげに言った。

 ユウコの攻撃は、成功しなかった。ノボルの足元から間欠泉めいて吹き出した影が、壁となって彼女の拳を阻んでいた。


「きれば、君たちには何もしないで欲しい。私の手が届く範囲にいてくれれば、全て終わった後も、これまで通りの生活を保証できる。……私は、さくらを救いにいかなくては」

 ノボルはゆっくりと降下した。そのまま沈み込むようにして、影の中に消える。

 最後に、男は苦笑した。

「と、言っても無意味かも知れないな。誰に何と言われても、君たちはやりたいようにやるだろうからね。その時は、私も容赦しないことだけ、覚えておいてくれればいい」


 とぷん、と微かな音を立て、ノボルは完全に姿を消した。水が引くように影が遠ざかり、圧迫感が急速に薄れていく。


「あの馬鹿野郎……!」

 ユウコが壁を殴りつける。

わずかな沈黙が、通路に降りた。

「どうする」と尋ねたのは、ショウジだった。


「追いましょう」

 晴一は即答する。ショウジは顔をしかめた。

「問題はその後だ。奴を殺すか? 話して聞くようには、見えなかったけどよ」


「……かなり難しいぞ」

 ユウコが苦々しく口を開いた。

「殴りつけた時、ヤバいと思った。アタシの力じゃ勝てる気がしない」

 銀鼠色の戦装束が消える。女子大生は唇を噛んだ。


 再び、気づまりな沈黙。施設のどこからも、何も聞こえてこない。抵抗していた職員たちは、ノボルに全滅させられてしまったのだろうか。

彼が『容赦しない』と言ったのは、嘘ではあるまい。本格的に止めようとすれば、ノボルは晴一たちの命に気を遣うことはないだろう。


「……それでも、行かないと」

 晴一は口を開いた。

「さくらがノボルさんの提案を受け容れることはないとでしょう。このままだと、さくらはノボルさんと戦うことになる。それだけは、絶対に防がなくては」

 ユウコとショウジが、彼をじっと見ているのがわかる。

「僕たちが引き受けるべきです。少なくとも、あの人はユウコさんの拳を防御しました。ガイスルーと同じなら銃弾も当たるはずです。本当の幹部を相手にするより、やりようはある」

 晴一は二人を見渡した。

「……と、思うんですが」


 三度の沈黙。しかしそれは、前の二回ほど長くは続かなかった。


「そうだな」

 ユウコが微かに笑う。

「後輩にそんな思いをさせるわけにはいかない。アタシもやれるだけやるさ。そうだろ、爺さん?」

「うーん、うむ」

 対照的に、ショウジの歯切れは悪い。だが、男は確かにうなずいた。

「止めておくことに意味はある。……異常事態だがな」


 ひとまず、腹は括ってもらえたらしい。晴一は胸を撫で下ろした。

 とはいえ――。


「問題は、どうやって追いかけるかですが。ノボルさんが戻ったのはカガイヘイムでしょう。僕らには、向こうに行く術がない」

 ショウジが鼻の下を擦って、答えた。

「そいつには、心当たりがある」


    ◆


 ショウジが案内したのは、朽ち果てたクリーンルームだった。複数のコンソールが並び、何らかの実験が行われていたらしい。室内は破壊し尽くされ、具体的に何が行われていたのかはよくわからない。壁には大穴がいくつも開いて、外の景色が見えていた。

 目を引くのは、部屋の中央に設置された装置だ。おそらく直径3メートルほどの、巨大なガラス球。上半分を粉々に砕かれた球体の中には、青い光に縁取られたワームホールが口を開けている。


 晴一はワームホールを覗き込んだ。洞穴じみた穴の奥には、巨大で豪奢な建築構造が広がっている。

 ……城だ。


「心当たりってのは、これのことですか」

「おお。侵入したときに見たンだ。カガイヘイムに繋がってンだろうな」


 ユウコが鼻を鳴らした。

「無用心なこと。『ここから連中に攻め込まれるかも』と思うヤツは、一人もいなかったのかな」

「防衛隊はいたみたいですが」

 晴一は先ほどの銃声を思い出す。あれだけ派手に抵抗していた割に、怪我人も死人も見ていない。

 代わりにサングラスが一つ、床に落ちていた。黒服たちが着用していたものだ。

「全滅したっぽいですね」


「お陰でこっちは大充実だ」

 クリーンルームにはおよそ似つかわしくないエンジン音を立てて、ジープが部屋の中に入ってきた。ショウジが運転席で笑っている。

「なんですか?」

「後ろを見てみろ。たまげるぞ」


 ショウジは車の後部を示した。荷台の部分に、三つ目の座席と、回転式の機関砲が据え付けられている。座席の下には行き場のない弾帯が、細長い箱に挟まれるようにしてとぐろを巻いていた。


「ガトリングですか」

「おう、ミニガンだ。バルカン砲だ。それだけじゃあねえぞ、こっちも見てみろ」

 ショウジがほくほく顔で箱を蹴った。

「M 72だ! 本物の対戦車ミサイルだぜ。“会”の連中、人畜無害みたいなツラでしこたま重火器を溜め込んでやがったンだ」


 晴一はユウコと目を見合わせた。彼女も晴一と同じ顔をしていた。

「……大丈夫なんですか。勝手に使って」

「構わねェだろ。今日みたいな日に備えてたンだろうが、結局このザマだ。せいぜい、俺らで有効活用してやろうぜ」

 ショウジは銃座を示した。

「それよりお前ら、さっさと座れ。小僧は後ろだ」

「俺が撃つんですか?」

「お前、運転できねェだろ? ユウコが変身しちまって俺がソコに座ったら、ジープが動かせなくなっちまう。……残念だけどよ、一番楽しいトコはお前に譲ってやらァ」


 ショウジは口惜しそうに、晴一を見下ろした。

「それによ、俺が撃つよりお前が撃った方が当たるだろ」

「それは、試してみないとですが」

 晴一は銃座によじ登った。

「やるだけは、やってみます」


    ◆


 数分後。深緑色のジープが、ワームホールをくぐった。

 ハンドルを握るのは全共闘の亡霊。助手席で手袋の具合を確かめているのは、元ルミエールの女子大生。銃座で城を見回したのは、肘を壊した中学生である。


 彼らは満載した火器と共に、とうとうカガイヘイムへと足を踏み入れた。戦いの終わりは近い。どのような形であれ――。誰も口にして確かめようとはしなかったが、三人は皆、そう感じている。

 少なくとも晴一には、そのように思われた。


第十六話


 カガイ大王の居城、カガイパレス。天然のアダマス鋼からなる巨山をくり抜いて作られた、冷たい石の城。“輝く星の会”が開いたゲートはその地階、長大な通路の一角に接続していた。

 完璧に磨き上げられた鋼の建築。それは足を踏み入れるものの少ない地下においても徹底されている。一点の曇りもないアダマス鋼の普請がD-15世界からの侵入者を出迎えた。

 ほんの数分前のことだ。


 そして、今。


 桃色の戦装束を纏った少女が、アダマス鋼の壁に叩きつけられる。カガイヘイムに突入したルミエールの一人――ルミステレに他ならない。


「くっ……」


 カガイヘイムが誇る鋼の大廊下は、既に見る影もなかった。天井、壁、床の全てが大きく抉り取られ、他の部屋や廊下と接続し、小さな講堂ほどの空間が生まれてしまっている。粗雑に削り取られた鉱物の断面が剥き出しになり、地階は洞穴同然の姿を晒していた。


「はぁーっ……」


 壁からずり落ちる前に、ステレは両足を踏ん張って体を支えた。彼女が投げ込まれたのは、まだ原型を止めている部屋の一つ。豪奢な食器が納められていた倉庫の名残だった。

 ステレが叩きつけられた衝撃で食器棚は破壊され、埃をかぶっていた皿やカップは粉々になっている。

 床に散らばった破片を、彼女は悼ましく思った。


 だが、ここで立ち止まっている時間はない。ステレには戦わなければならない相手がいる。パレスを破壊し、この洞穴を作った男。影の翼で宙を舞い、彼女を見下ろすスーツの男。立ち上がった彼女を認め、顔をくしゃくしゃに歪めた男だ。

 男は彼女の父親だった。男は、明星ノボルという。


「もうやめてくれ。お父さん、お前が危なっかしくて仕方がなかったんだ」

 父が懇願する。

「お前がルミエールだと知ってから、ずっと思っていた。お前がこんな……こんな目に合う必要は、ないはずだってな。ガイスルーが現れれば、昼も夜もなく西から東。あまりに過酷すぎる」


 父が、本気で言っていることがわかる。耳を塞いでその場から逃げ出したい。さくらはそのように思った。

 だが、ルミステレは足を踏ん張ったまま、まっすぐ父を見返した。その表情が、ほとんど泣きそうな程に歪む。


「世界の命運なんて、年頃の女の子が背負っていいものじゃない。そんなにボロボロになってまで」

 ステレの口はカラカラに乾いている。何か――何か、言わなくては。父が対話を試みているうちに、何かを。

 だが、何を言えばいいのか。ステレには思いつかなかった。


「そう、思うなら」

 代わりに声を上げたのは、ルミイリゼだった。青のポニーテールが、視界の端で揺れる。

「明星さん。そこをどいてください。今からでも遅くはありません」

「それはできない」

父の返答は、ステレの予想通りだった。

「君たちが立ち向かってくる限りはね。子供が間違った道を歩んでいるなら、それを正すのが大人の役割だと、私は思う。……時に、互いが涙することになってもね」


「カガイヘイムと戦うことが、間違っていると?」

「そうだ」

 毅然として問うたイリゼを、父の瞳が見下ろす。爬虫類のような瞳だった。

「少なくとも君たちについては。戦うべきだったのは、力ある大人だ。正しい判断を下せる、責任ある人間だ」


 イリゼが歯を食いしばるのがわかる。ななみが本当に怒った時のサインだった。

「私たちはみんな、自分の意思でルミエールになりました。あの時感じた、誰かを守りたいという気持ち。それに応えてくれた聖霊の光」

「だめ、イリゼ」

 ステレの声は小さすぎた。青い光は既に、洞穴の壁を蹴っている。

「それを間違いだとは――」


 イリゼのルミエールフォンが強く輝く。彼女の意志の力のみによってアプリが起動し、スマートフォン型変身アイテムから光の戦輪が召喚された!

 イリゼが一人で放てる最高の一撃。ルナチャクラム!


「言わせない!」


 輝く円形の刃が投擲される。ステレは瞬間、真っ二つになった父の姿を幻視した。


 だが、そうはならなかった。影の翼が曲がり、ルナチャクラムを受け止める。これまで幾多のガイスルーに致命打を与えてきたルミイリゼの一撃は、あっさりと無効化されてしまった。


「何度でも言おう」

 翼の向こうで父が口を開く。

「君たちの選択は誤っている。だが、それを気に病む必要はない。君たちの責任じゃあないんだ。世界を人質に取られて、誰が正常な判断を下せる? 誰にも無理さ。問題はその後なんだ」


 父の背後で翼がより集まり、影の拳を形作った。小さな家ほどもある拳が、空中のイリゼに向かって振り下ろされる。

 青いルミエールは、真正面から拳を受けた。一直線に風を切って、少女は岩盤に叩きつけられる。

「イリゼ!」

 ルミナチュレが悲鳴に近い声を上げる。


「『もう十分だ』。誰も君たちにそう言わなかった。『後は私たちに任せて、君たちは休みなさい』と、そう言う大人は誰もいなかった。……彼らに代わって、私がそれを口にしてあげよう。『君たちの戦いは終わりだ』と」

 ノボルの瞳がさくらを捉えた。

「カガイ大王には、お父さんから話をつけた。カガイヘイムは、私たちの生活には手を出さない。君たちが諦めても、諦めなくても……世界は何も変わらない。責任は、君たちの知らない大人が取るんだ」


「……それ、本気で言ってるの」

 倒れたイリゼを抱き起こし、ナチュレが鋭い視線を上げた。

「あなたはそれでいいの? カガイ大王に魂を売って、人の形を捨てて、さくらちゃんにも手を上げて! それがあなたの正義なの!?」


「若いな、まだ」

 ノボルは煩わしげにナチュレを見下ろす。

「無論、私とて思うところがないわけじゃない。つらいよ。君のいう通り、これが正義たとは、到底言えないだろう。だが、私が君たちを守るために取り得る選択肢の中から、最善のものを選んだつもりだ」


「違うよ」

 小さく息を吸った。父の視線が彼女を見下ろしている。

 ありったけの勇気を振り絞って、さくらは言った。

「お父さんは間違ってる」


「……そうか」

 明星ノボルはそれ以上の議論を諦めたらしかった。自分の娘であれば、力づくで従わせても構わないと考えているのかも知れなかった。

「どうしても私の言うことが聞けないというのなら――」

 父の背後で影が泡立つ。

「聞かざるを得なくするしかないな」


 影の奔流が父の背中から流れ落ちた。コールタールめいた黒い液体が洞穴の底を覆う。

 ステレは飛んだ。ルミエールの中では、彼女が最も負傷が軽い。倒れたイリゼを抱え上げ、ナチュレと共に高台へ上がる。


<ステレ>

 ルミエールフォンの中で、聖霊のエルモが彼女を案じた。

「大丈夫」

「さくら。無理しないで」

「ありがと、ななみちゃん。でも、本当に大丈夫だから。私はもう、あの人が思ってるほど子供じゃないよ」


 ルミエールフォンには、赤いアイコンの通信アプリが表示されている。ルミエール・オリフラムへの再変身。ノボルは、必ず倒すことができるだろう。

「けど……!」

 泣きそうなみちるに、さくらはかぶりを振って見せた。

「いいんだ。自分で出した答えを曲げる人じゃないから。――行こう。これ以上、お父さんのあんな姿は見たくない」

「――ッ、りょーかい!」


 三人は、同時に通信アプリを起動した。ルミエールフォンから白い光が放たれ、彼女たちの住むD−15世界から火を吹く剣が召喚される。

 光の中で変身シークエンスが行われて、彼女たちの戦装束が改まる。白を基調に、桃を黄色。背中のリボンは、光の翼に接続されている。ルミエール・オリフラム!


「そうか」

 ノボルは哀れっぽく呟いた。

「お父さんよりも、世界を選ぶのか」


 少女たちが空を舞う。炎の剣が影を払いのけた。白い軌跡と赤い炎が洞穴を照らし出す。

「輪を描く炎よ、全てを――!」


 攻撃体勢に入っていたルミエールたちは、パッと陣形を崩した。彼女たちはそうせざるを得なかった。

 ギリギリのタイミングで、ノボルの影から射出された弾丸。それを受け止めなければならなかったためである。


 ステレは愕然として、自分の受け止めた“弾丸”を見おろした。

「う、ぐ……」

 呻いたのは、黒いスーツに身を包んだ男だった。“輝く星の会”の職員。彼女は知る由もないことだが、晴一の捕縛を担当したのもこの男だ。


 無数に枝分かれした影の腕が、これ見よがしに“弾丸”を掲げて見せた。たった今、ステレが受け止めたのと同じ、黒スーツのエージェント。ワイシャツ一枚の研究者。白衣を纏った医師。

 直接言葉を交わした者は数えるほどしかいない。だが、その全てが“輝く星の会”の施設にいた大人たちだった。


「できれば、この手は使いたくなかった」

 ノボルがしゃあしゃあと言った。

「だが私には、躊躇うことは何もない。その歪さに気づきながら、君たちだけを戦わせることを由としていた無責任な大人たち。だが、君たちにとってはどうかな。罪のない、無力な人々に見えるんじゃないか?」

 父は、小馬鹿にしたように笑う。

「ルミエールはまさか、彼らを見捨てたりはしないだろう?」


「どこまで……!」

 イリゼが急ブレーキをかける。ナチュレもそうだ。

 だが、ステレは速度を落とさなかった。

「さくら、あなた!」


 ななみの声を振り切り、ステレは虚空に手をかざした。彼女たちを守るように宙を舞っていた炎の剣が、だまって彼女に寄り添う。

 ルミエールが敗れれば、父は独善を完遂するだろう。ここで取り逃しても、彼は再び同じことを試みるに違いない。いずれにせよ――。


 さくらは柄を握る。輪を描く炎の剣。聖霊の国を守るために作られた武器だ。徒らに誰かを傷つける者に、剣は決して応えない。そうした輩を打ち倒し、無辜の人々を守るためにこそ、聖なる炎は一際輝くという。

 両手で剣を構え、父に向かって一直線に飛ぶ。剣は何も言わなかった。

 ――いずれにせよ、明星ノボルは一線を超えた。


 ステレは飛ぶ。ノボルの伸ばした無数の影腕を切り払い、人質には目もくれず、一直線に父のところへ。


「さくらちゃん、だめ!」

 みちるの声が聞こえた。そんなことはわかっていた。

 彼我の距離は数十メートル。父の命まで、もう1秒もかからない。

ステレは剣を振り上げた。


 その時である!


 ズドドドドドン! 雷鳴めいた銃声が、地下洞穴に響いた。突如飛来した無数の銃弾が通り過ぎていく。

 ステレは身を竦めた。そして見た、銃弾の群れが父の影腕を薙ぎ払うのを。落下する職員たちと、縦横に駆ける銀鼠色の閃光を。


「残り、頼む!」


 鋭い指示が飛ぶ。ステレを含めたルミエールたちは、鞭を打たれたように飛び回って、銀鼠色の女性が取りこぼした職員たちの尽くを救った。

 ノボルの追撃が彼女たちを捕らえることはなかった。解き放たれた炎の剣が回転し、伸びた影の腕を防いでいた。


「来たのか」


 強化された聴覚が、父の微かな呟きを捉えた。壊れた廊下の端に、深緑色のジープが停まっているのが見えた。


    ◆


「……間に合ったんでしょうか」

 晴一はミニガンを構えたまま目を細めた。数百メートル先で宙に浮かぶノボルの姿は、米粒ほどの大きさにしか見えない。

「多分な」

 運転席のショウジが、双眼鏡を覗き込んだ。

「少なくとも、死人は出てねェよ。嬢ちゃんたちも間抜けな“会”の連中も、ピンピンしてるぜ。俺ァてっきり、一人二人は死ぬと思ってたンだが……」


 分厚い老人の手が、晴一の膝を叩いた。

「やるじゃねェか、小僧」

「当たり前でしょ。さくらの前で死人を出すわけにはいきません」


 晴一はミニガンのグリップを強く握った。手のひらが汗ばんでいる。人間に向けて射撃するのは、初めてだった。

 先ほど行った、ほんの数秒間の射撃。それだけで、とんでもない武器を手にしてしまったとわかった。これまで扱ってきたショウジのロケットランチャーや、今もベルトに突っ込んである拳銃とは何もかもが違う。晴一が握っているのは、人間を殺すためだけに最適化された道具だ。


 ノボルを見上げる。影の翼で滞空する男は今のところ、攻撃の手を止めていた。あるいは、晴一たちに遠慮しているのか。彼らがノボルと戦えば、それはおそらく、どちらかの命が尽きるまで続くことになる。このまま、諦めてくれれば――。


「――よし。ここまででいい」

 ユウコが戻ってきていた。回収した職員を山盛りで抱えている。

「人質はアタシが引き受ける。さくらちゃんのお父さんもな」

 ルミエールたちから人質を受け取って、ユウコは更に職員の山を積み上げた。


 イリゼ――海野ななみが、躊躇いがちに口を開く。

「ユウコ先輩も、戦っていたんですか」

「ま、趣味が高じてってヤツだよ。とにかく、ここはアタシたちに任せてくれ。みんなはカガイパレスに上がるんだ」

「けど、それじゃあ」


「大丈夫! アタシは一人じゃない」

 ユウコが晴一たちを示した。

「ちゃんとバックアップがついてる。ノボルとも知った仲だ。無闇に傷つけたりしないさ。――だよな?」

「おう!」

 ショウジが歯抜けの口を開けて笑った。

「残念だけどよ、首魁は嬢ちゃんたちに譲ってやらァ。代わりにあのオヤジは、俺らが相手してやっからよ! なーんも気にせず、先に進めや」


 ルミエールたちが困惑の視線を交わした。リアルなジジイの姿は、彼女たちには刺激が強すぎたらしい。

三人の視線が、銃座の晴一に集まった。


 口がカラカラに乾いていて、気の利いたセリフは出てきそうになかった。晴一はどうにかグリップから手を離して、サムズアップしてみせる。

 心なしか、少女たちは更に困惑したように見えた。


「わかりました」

 だが、ステレはうなずいた。

「ユウコ先輩。父をお願いします」

「任せとけ。きっちり救ってやるから。――っと」

 ユウコが顔色を変える。洞穴の床に広がる影の沼が、再びボコボコと泡立ち始めていた。

「もう行ったほうがよさそうだ。やっこさんが再生するぞ。急げ!」


「はい!」

 三人が声を揃えて、飛び立った。少女たちを目掛けた影の腕たちが、炎の剣に切り払われる。ノボルの横をすり抜けて、ルミエールたちはあっという間に遠ざかった。


「あー、はは」

 ユウコがからりと笑う。無事な廊下に人質を下ろし、彼女は身軽さを取り戻していた。

「カッコいいなあ、本物は!」

「ユウコさんも十分、本物ですよ」

「そうかな? 今日の少年は、ずいぶん世辞がいいな」


 ユウコが指の骨を鳴らすのが聞こえた。晴一はグリップを握り直して、空中のノボルに照準した。

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