その2

 明星ノボルには最初から、娘に賛同する気持ちは一切なかった。さくらがどれほど気高い意思のもと戦っているのかを理解し、カガイヘイムがどれほど邪悪な意図を以てこの世界にやって来ていることを理解して尚――娘が世界の命運を背負うことがあってはならない。そう考えてきた。


 ルミエールとして戦うことは、人々を救い、希望の光となる。ただそのことだけを意味するものではない。彼女たちは内外のあらゆる悪意にさらされながら、戦い続けることになる。それに果たして終わりがあるのか? 答えられるものはこの世界にはいない。

 そうした戦いを生き延び、世間の風聞に耐えること。それは大の大人ですら難しい。況して、年端もいかぬ子供たちが! そんなことは不可能だ。


 誰もそれを理解しない。できないことを理由に、多くの大人たちは諦めてしまった。彼らは後方支援という形でルミエールの戦いをサポートしているのだという。

 そんな生温いことが許されるのだろうか? 少なくともノボルには、そんなことは許されないはずだ。彼は明星さくらの父親なのだから。


「ノボルさん……!」


 今また、ノボルが大人の責任を果たすことを阻止せんとする者がいる。彼自身が仲間に引き入れた少年だ。

 少年は「ギリギリまで様子を見ろ」と言う。ノボルにはそれが、ひどく悠長で、愚かなサボタージュのように思えた。

 お前こそ状況を見るがいい。娘の敵、カガイヘイムの尖兵はナイフを手にしているではないか。最早様子見が許される状況ではない。


 ノボルは晴一を殴り倒して拳銃を抜いた。安全装置を外し、植え込みを踏み抜ける。絶対に外さないと思える距離。彼我の距離は5メートルを切っている。

 引き金を引いた。遊底が後退して薬莢が飛ぶ。弾丸はベンチの背もたれを割り、カガイヘイムの少女を撃ち抜いた。白いブラウスに血の花が咲く。振り向いた少女が、目を見開いた。

 引き金を引く。遊底が後退して薬莢が飛んだ。カガイヘイムの少女が再び変身を解く。弾丸は当たらなかった。

 引き金を引く。遊底が後退して薬莢が飛んだ。黒衣の少女の口から、血が一筋、流れ落ちる。やはり弾丸は当たらない。卑劣な奴らだ。許せない奴らだ。


 ノボルは引き金を引き続けた。弾丸が切れ、少女がテレポートして消えた後も、彼はしばらくそうしていた。


「お父、さん」

 娘の声が、彼を現実に呼び戻した。ノボルは間違いなく銃口を地面に向けてから、家族を振り返った。

「大丈夫か、さくら」

「ど」

 さくらが身を固くして、後ろに下がった。奇妙だ、と思う。

「どうして」

「どうしてって。わかるだろう、あの子は駄目だ。カガイヘイムの敵じゃないか」

 ノボルは周囲を見回す。「なあ?」と尋ねたが、誰からも同意は得られなかった。


「ち――」

 海野ななみが口を開く。

「近づかないでください。鉄砲を置いて……落ち着いてください」


 ななみの声は震えていた。望月みちるは、さくらを庇うように身を乗り出している。少女たちは、ひどく怯えているように見えた。

 これはおかしい。何か……何か、大きな誤解があるに違いなかった。

 ノボルは助けを求めて植え込みを振り向く。そこにいるのはノボルの仲間だ。彼はノボルを理解している。娘たちとも仲が良い。まだ状況を把握できていない少女たちに、上手く説明してくれるはずだ。


「せ、晴一くん。君からもなんとか言ってくれ。私は――」

 植え込みの中で尻餅をついた晴一は、愕然とした表情でノボルを見つめていた。

「あ……な、なんだ。その目は」

 初めて、ノボルの中に狼狽の感情が生まれた。少年の瞳には、ガイスルーに向けるのと同じ、怒りと恐怖の入り混じった光が宿っていた。


「ノボルさん。銃を置いた方が」

「君までそんなことを言うのか!? あの子はカガイヘイムの手先だったんだぞ!」

「それはそうですが……とにかく、落ち着いてください」

「私は冷静だ。冷静に判断して、あの子を撃ったんだッ!」


 晴一は冷や汗を流しながら、地団駄を踏むノボルを見つめた。言葉とは裏腹に、男は明らかに平静を欠いている。ノボルの銃は既に弾切れのはずだが、晴一に素手で制圧できるだろうか。たった今も、殴り飛ばされたばかりだ。

 ――さくらの前で、父親を撃つのか?


 その時、公園の入り口に、黒い車が止まった。同じ色のスーツに身を包んだ男たちが降りてくる。男たちは明らかに、こちらをロックオンしていた。


「私……私は……!」

 ノボルは走り出した。黒服たちはたちどころの反応を見せる。

「逃げたぞ!」「追え!」

 捕物が始まる。怒声が遠ざかった。さくらが耳を塞いで、うずくまる。ななみとみちるが、その肩を抱いた。


「大空晴一くんだね」

 駆け寄りかけた晴一の前に、黒服が立ちはだかった。

「ええ」

「私たちは“輝く星の会”。彼女たちのサポートチームだ。それで、言いたいことはわかってもらえると思う。一緒についてきてくれるかな」


 黒服の背後には、もう一人黒服が残って、拳銃を抜いていた。銃口はぴったり晴一にポイントされている。

 晴一は素直に両手を上げた。


「ベルトに、道具が入ってます」

「素直で助かるよ。彼女たちの前で騒ぎを起こすのは、我々も本意ではない」

 三人目の黒服が、晴一の背中から拳銃を抜き取った。

「では、行こうか。君には聞きたい話がたくさんあるんだ」


 黒服が晴一を追い立てた。うずくまったさくらが、震えているのがわかった。


    ◆


 なぜ――こんなことになったのか?

 明星ノボルは逃げ疲れて、人気のない路地にしゃがみ込んだ。緊急車両のサイレンが、町のどこか、かなり近いところから聞こえてきていた。彼を探しているものだとは、確信できなかったが――。


 ノボルは片手の拳銃を見る。撃つ相手を間違えたとは思えなかった。だが、そもそも銃を持ち歩くべきでないと言われれば、ノボルには返す言葉もない。

 すぐに警察が彼を見つける。終わりが近い。


 不意に、通りから差し込む光が遮られた。何者かがすぐそこに立って、座ったノボルを見下ろしている。

 ノボルは観念して、拘束されるのを待った。自分から捕まってやるつもりはない。“敵”が少しでも余計に手を焼けば、それで良かった。

 だが、彼が拘束されることはなかった。


「見た顔だな」

 低い声がそう言った。顔を上げると、真っ黒な詰襟に身を包んだ、黒メガネの男。

 クロオがそこに立っていた。

「ここで何をしている?」


「何でもいいだろう。殺せ」

 ノボルは捨て鉢に言った。

「殺してやっても構わんが」

 クロオはいささか怪訝な様子で、顎に手を当てる。

「良いエネルギーを持っているな。私と一緒に来るか? ちょうど、一人幹部が減ったところだ。この際、お前を推薦してやってもいい」


「何を馬鹿な」

 ノボルは笑い飛ばそうとした。

「私はお前たちの敵だぞ。これまでも散々、ガイスルーの邪魔をしてきてやった」

「カガイヘイムはお前たちを脅威として認識したことはない。我々の敵は、この世界にはルミエール以外にはない。よしんば、お前が私の敵だとして――」

 クロオは低い含み笑いを漏らした。

「転びそうだという目算がついたから誘っているのだ。一緒に来るか?」


 クロオが手をかざすと、ビルの壁面に巨大な穴が口を開けた。巨大な輪の中には、黒々とした闇が渦巻いている。これが、カガイヘイムへのゲートなのだろう。


 微かに喉を鳴らして、唾を飲み込む。敵の目算は、おおかた誤ってはいない。

 明星ノボルは腹を括った。

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