その2

 灰色に濁った空の下、街のあちこちで恐怖の声が上がった。ガイスルーの雄叫びが、四方八方でこだまする。

 ショウジがジープの運転席で、嬉しそうに周囲を見回した。


「始まったか。もちろんそうこなくちゃあな」

「より取り見取りですね」


 晴一は車の後ろに飛び乗って、黄色いヘルメットを被った。それを確認するなり、ショウジはアクセルを踏む。見通しの悪い路地裏から、ジープはのそりと這い出した。


「どうします? ノボルさんを拾いますか」

「余裕があればな」

 助手席でユウコが拳を掌に打ち付けた。

「おっさんのことだ、状況を知ればこっちに向かってくるだろう。駅まで行ければ、合流の目はある」


「行ければ、ですね」

 晴一は陰鬱に周囲を見回した。

 少し走っただけでも、あちこちに立ち上がるガイスルーの姿が確認できた。ディスプレイを象ったガイスルーや工事現場で使われるような黄色いヘルメットのガイスルーに、巨大などんぶりに盛り付けられたナシゴレンガイスルーもいる!

 そして恐らく、その全てがスーパーガイスルーなのだ。


「ま、やってみようぜ。あいつらも頑張ってる」

 ユウコが顎をしゃくった。遠くの空で、十文字の爆発が上がっている。サザンクロス・エリミネイション。南十字星の名を冠する技が光を放つ時、ルミエールはそこにいるのだ。


「……じゃあ、しょうがないですね」

 晴一はショルダーランチャーを担いだ。ロケット弾を装填しかけたところでふと思い至り、運転席に声をかける。

「そういやショウジさん、腰は大丈夫なんですか」


「コルセットを巻いてきた。問題はねェよ」

「なるほど。なら、すぐにでも始められるわけですね」

 レーザー照準器を覗き込む。ガイスルーは射程内にいるものだけでも三体以上。

「どこから手をつけますか?」


「愚問だな、少年」

 ユウコがシートベルトを外した。ロールバーを掴むと、逆上がりの要領で車の上に上がる。女子大生は変身するなり、跳躍する。

「手当たり次第だ!」


 信号機を踏み台に、ユウコは更に跳んだ。ビルの間に現れたディスプレイガイスルーに、最初の一撃を叩き込む。遥かに離れた空で、再び十文字の光が爆発した。


「ったく。カッコいいなあ、本物は!」

 半ばヤケクソで叫ぶなり、晴一は引き金を引いた。見かけよりも遥かに軽い手応えと、シュッという推進音。バックファイヤがランチャーの背後に吐き出されて、空気が焼ける。一条の白煙が、ディスプレイガイスルーに突き刺さった。

 よろめいた巨大な画面に追い討ちをかけるように、ユウコの拳が光った。フォルスクロス・スクリュー!


<ガイッ……>


 ディスプレイガイスルーがアスファルトに叩きつけられた。ユウコが舌打ちする。


「やっぱりこいつも、スーパーガイスルーか。キリないぜ、おい!」

「落ち着け!」

 よく通る男の声が、歩道からユウコに叫ぶ。

「止めているだけでも意味はある。さくらたちの負担を減らすんだ」

「ノボルさん。来てたんですか」


「外回りの足を、できるだけこっちに向けるようにしてたんだ。いざって時に、仕事なんかしてられないからね」

 ノボルは晴一の手を借りて、ジープの後部によじ登った。灰色のジャケットを脱いで、その代わりとばかりに装備ベルトをはめる。ヘルメットを目深にかぶってマスクをつけると、傍目からはちょっと顔がわからなくなった。


「晴一君も顔を隠したまえ。今回は“ゆらぎ”の内側だけで戦えるとは限らない」

 ノボルはマスクを差し出して、口元をもごもご動かした。

「ここまで来るまで、少し敵を見てきた。今回、ガイスルーの側にカガイヘイムの人間はいないようだ。物量でルミエールをすり潰すつもりだろう。事実、ガイスルーたちは街を破壊しながら、ルミエールの方へ進んでいる」

 ノボルが指差した方で、また十文字の爆発が閃いた。

 積み込まれた頭陀袋を開け、ノボルは中身の発煙筒を取り出した。ショウジと晴一がそれぞれに作って持ち寄ったものだ。


「一体でも二体でも、私たちが引きつけるんだ。その分、娘たちは楽になる! たとえ倒せなくとも……」

「あら、手はあるわよ」


 鈴のなるような少女の声が、ノボルの声に割り込んだ。

晴一は周囲を見回す。それはかなり近いところから聞こえてきたはずだったが、声の主らしい人間の姿は見当たらなかった。

 ショウジが天を振り仰ぐ。

「上だ」


 晴一はとっさに空を見上げた。見えない椅子に腰掛けるようにして、少女が中空に浮かんでいる。真っ黒なゴシック風のドレスに身を包んで、顔はベールで覆っている。ドレスの袖から覗く指先と長い髪の毛だけが、雪めいて白かった。


「何者だ、お前」

 ユウコが鋭い声を発する。少女は黒い扇子で口元を覆った。

「ノーコメント」

「カガイヘイムの手先か?」

「それも、ノーコメント」


 ベールに隠れて、その表情は窺い知れない。その上扇子をかざしていれば、尚更顔がわかるはずもなかった。


「強化型の倒し方を教えてくれ」

 ディスプレイガイスルーが起き上がりつつある。晴一はユウコの代わりに声を張った。


「コアを破壊するのよ」

 少女のくぐもった声が返答した。

「人間の感情を注入したガイスルーコア。スーパーガイスルーには、新型のコアが二つ搭載されているわ。従来型のコアはルミエールの扱う光の力には一たまりも無かったけれど、新型は耐久性が改善されて、ある程度までは耐えられるようになっている。……それが、彼女の技がスーパーガイスルーに効かない理由よ」

 晴一はユウコを一瞥した。ユウコは拳を握り締めたまま、黙って話を聞いている。


「じゃあ、どうすればいい」

「脳天と左胸。ピンポイントで光の力を注ぎなさい。的確に攻撃すれば、今の彼女でも十分にコアを破壊できるはずよ」

「それを教えて、君に何の利益がある?」

「……別に。ただ気に入らないだけよ。精々頑張って、ガイスルーを減らしなさい」

 パチンと扇子を閉じて、少女は消えた。


 晴一は振り向く。ユウコがうなずいた。

「脳天と左胸だな」

 低い声で復唱して、ユウコは跳躍する。ノボルが晴一の肩を掴んだ。

「信じるのか? 彼女は敵だぞ!」

「今は違うかもしれません」


 少女が晴一たちを害するつもりなら、わざわざ声をかける意味はないはずだった。放っておけば、彼らはスーパーガイスルーを倒せないまま、力と弾薬を消耗して、どこかのタイミングで撤退していたはずである。

 晴一はなんとなくそう考えていたが、完璧に言語化できているわけではなかった。


 ぼんやりとした晴一の考えは、上手く伝わらなかったらしい。それどころか、てんで的外れなことを口にしていると思われたようだ。ノボルの表情がぎゅっと強張った。激昂しけているのがわかった。

「何を――」


「よせ」

 ショウジがノボルを諫める。おかげで、晴一は首根っこを掴まれただけで済んだ。

「それより、見ろ」


 ショウジの指差した先で、ディスプレイガイスルーが倒れ伏す。面を叩きつけられたアスファルトが震え、土埃が巻き上がった。


<ガッ……ヤッ……>

 ディスプレイガイスルーは全身のあちこちから黒い煙を吹き出し、やがて爆発四散した。

<ヤスラーグ……>

 爆発の中身でディスプレイが微笑む。


「小僧が正解だったようだな」

「……そのようですね。晴一くん、申し訳ない」

「いえ。気にしてませんから」

 晴一は首元をさする。


「何ぼんやりしてんだ、野郎ども!」

 輝く爆風の中で、ユウコが何かを投げ捨てた。ガイスルーから引きちぎられた、何らかの器官。ガイスルーコアに違いなかった。

「アタシだけにやらせるつもりなのか?」

「勝手に独り占めしたのはお前の方だろが。あれじゃあ俺らは間に合わねえよ」


 ショウジが口を尖らせた。飛び乗ってきたユウコが、彼らを見回す。

「次は頼むぜ」

「もちろんです」

 晴一は真っ先に頷く。ショウジは車をスタートさせた。ガイスルーたちは依然、ルミエールのいる主戦場を目指して進み続けている。ヘルメットガイスルーの姿が、すぐ近くに見えた。


「次にいきましょう」


    ◆


 数十分後。


<ヤッ……ヤスラーグ……>

 電源タップガイスルーが穏やかな断末魔を上げる。電撃を纏ったタコ足配線による全方位への攻撃を用いる難敵であった。

くすんだ光の中心で、電源タップが微笑みを浮かべる。


「次だな」

 やや疲労した様子のノボルが、ランチャーを担ぎ上げた。


    ◆


 更に数十分後。


<ヤス……ラーグ……>

 回転遊具ガイスルーが穏やかな断末魔を上げる。既に廃棄されて久しい、公園の遊具を素材にしたと思しきガイスルーだ。晴一たちはジープごとガイスルーの体内に取り込まれ、強烈な回転の中で戦うことを余儀なくされた。


「次だ」

 運転席のショウジが、ハンドルを握ったまま俯いた。三半規管がまだ狂っているのだろう。


    ◆


 更に数十分後!


<ヤ……ラーグ……>

 T字剃刀ガイスルーが穏やかな断末魔を上げる。精密な7枚刃による圧倒的な切れ味。人体工学に則って設計されたハンドルは緩やかなカーブを描く。両手足と頭に全く同じ性能の剃刀を持つ、油断ならないガイスルーだった。


「……次、か」

 ユウコが膝をつく。彼女は危うく、ポニーテールを剃り落とされるところだった。

疲労が蓄積してきている。束の間呼吸を整え、ユウコは顔を上げた。

「どのくらいやったんだ。アタシたち」


「さあな。十より先は数えてねェから」

 疲れた声で返事をしながら、ショウジはプロパンガスのボンベを転がした。


「それより、ユウコくんはもう少し休んでいたまえ。どうしても、トドメは君にお願いせざるを得ない。体力を温存するんだ」

「……その暇はちょっとなさそうですね」

 晴一は口を挟んだ。

「ガイスルーが来ます」

見張っていた道路の先から、敵が近づいてきている。T字剃刀ガイスルーから遅れて、ゆっくりと進んでいた、ボウリングボールのガイスルーだった。


「もう配置につかないと。ユウコさん、行けますか?」

「行かなきゃ仕方ないだろ。トドメはアタシに任せとけ」

 のそりと立ち上がったユウコが消える。手近なビルの屋上へ跳躍したのだ。

 ユウコも限界が近い。ここからガイスルーの体勢を崩すところまでは、生身の人間だけでやらなければならなかった。


「さて」

 晴一は拳銃を抜いた。

「上手くいくといいんですが」

「いくさ。上手くいくまでやるんだ」

 ノボルが手の甲で汗を拭った。いつだか晴一に貸してくれた自動拳銃の安全装置を外して、薬室を確認する。

「そういう理解でいいですかね、ショウジさん」

「死ななきゃな」

 水を向けられたショウジは短く答える。男は壁に寄りかかって、荒い息を整えようと試みていた。


 彼だけではない。先に配置についたユウコを含め、晴一たちは全員が疲れ果てていた。元ルミエールとアマチュア・ゲリラだけでガイスルーを倒すためには、相応の無理が必要になる。連戦を続ける中で、そのツケが回ってきていた。

 ロケット弾が尽きて久しい。発煙筒も早々に使い切ってしまった。残されたのは賑やかしにしかならない重火器と、それぞれが携行していた拳銃だけだ。


 にも関わらず、彼らの士気は高かった。諦めることを忘れたように、彼らは戦いを続けていた。敵はまだそこにいる。戦いはまだそこにある。

 それに――。


「来たぞ。構えろ」

 ショウジが囁いた。ボウリングボールガイスルーが近づいてきている。

「小僧、先走るなよ。最後まで引きつけるンだ」

「わかってますよ」


 低い地響きが腹の奥まで響いてくる。ガイスルーはもうすぐそこだ。

晴一は唾を飲み込んだ。予定の位置まで、あと五十メートル。二十メートル。十メートル……。


「よおし、撃て!」


 ショウジの声に合わせて、晴一は引き金を引いた。同時に三つの銃声が弾けて、ショウジとノボルもそれぞれに発砲したのがわかる。地上に寝かされたガスボンベの一つが撃ち抜かれ、火柱を上げた!


<ガイッ!?>


 ガイスルーが驚きの声を上げ、回転をやめた。格納した手足を伸ばして立ち上がり、周囲を見回す。

 次の瞬間、銀鼠色の閃光が落ちてきて、その脳天に突き刺さった。


<ガッ……!>


 ガイスルーが苦悶の声を上げる。

 晴一は更に引き金を引いた。ショウジとノボルもそれに続く。プロパンガスのボンベの中に、まだ火のついていないものがあるのだ。


「ユウコさん!」

 最後のボンベを撃ち抜くと同時に、晴一は叫んだ。銀鼠色の影が跳躍する。

 大爆発が起こった。


<ガッ、ガイ! ガイスルー!>


 巨大な球体が炎に照らし出され、黒く浮かび上がった。煤に塗れたユウコの影が、再びボウリングボールガイスルーに突き刺さる。

ガス爆発の熱と光を凌駕する星めいたきらめきが数回瞬いた。


<ヤッ……>

 ガイスルーが崩れ落ちる。

<ヤス……ラーグ……>

 荒れ果てた路上に、搾りカスのような鈍い光の奔流が吹き出した。一瞬遅れて、ユウコが着地する。その手には、引きちぎったばかりのガイスルーコアが握られていた。


「ハァッ、ハァッ……」

 ユウコは再び膝をついて、耐えようとした。だが、最早変身を維持できぬ。

 彼女の意思に逆らって、銀鼠色の戦装束が霧散する。後に残されたのは、疲れた女子大生が一人。ユウコは前にのめるようにして、倒れた。


「ユウコ!」「ユウコさん!」

 真っ先に飛び出したノボルに続いて、晴一も彼女に駆け寄る。ユウコは地面に手をついて、立ち上がろうともがいていた。


「大丈夫か!?」

 ノボルがユウコを助け起こす。か細い声が「大丈夫だ」と答えるのが聞こえた。

 どう考えても大丈夫ではない。


 晴一は辺りを見回して、瓦礫の中から木製の一枚板を引っ張り出した。壊れたビルのパーテーションか何かだろう。担架を探すよりも、こっちの方が早い。


「ノボルさん」

 晴一はノボルの背中に声をかけた。

 返事はない。

「ノボルさんってば!」


 パーテーションを置いて、男の肩に手をかける。ようやく振り向いたノボルの表情には、ひどい憔悴が現れていた。

「ノボルさん。大丈夫ですか」

「ああ……」

 ノボルが視線を泳がせる。こちらも、大丈夫には見えなかった。だが、彼の面倒まで見る余裕はない。少なくともノボルは、五体満足なのだ。


「いいですか」

 晴一は酔っ払って帰ってきた母に言い聞かせる時と同じように、ゆっくりと言った。

「担架の代わりを持ってきました。ユウコさんを運びます。わかりますか?」

「ああ」

「手伝ってください。ここに、ユウコさんを――」


 ユウコがかぶりを振った。

「必要ない。平気だ」

「鏡を見てから言ってください。ひどい顔色ですよ」

 晴一はすげなく断って、パーテーションの上にユウコを寝かせた。

「ノボルさん、足の側を持ってください」

「わかった。ここに留まるのは、上手くないものな」


 ノボルの声は、幾分しっかりしてきていた。ありがたい。晴一も、彼のそうした姿はあまり見たくなかった。

「彼女を運ぼう。ひとまず、車まででいいかな?」

「そうですね」


 晴一は周囲を見回して、顔をしかめた。何の拍子に崩れたのか、ジープを停めてあった路地が瓦礫に塞がれている。


「いや……ちょっと待ってください」

 パーテーションに手をかけたノボルを静止して、晴一は耳をすませた。ビルの向こうに、聞き覚えのあるエンジンの音が響いている。一旦大きく離れたディーゼルエンジンの轟音は、どこかを迂回して、今度はこちらへ近づいてきていた。

 ショウジが車を回してきてくれたのだ。


「どうしたね」

 ノボルがぼんやりと首を傾げる。

「車が来ます。ここで待ちましょう」

「そうか。わかった」

 先ほどより多少マシになったとはいえ、ノボルはまだ夢の中にいるようだった。この状態が続くようなら、戦闘の継続は難しいだろう。


(ここまでか)


 晴一はユウコを見下ろした。一度は抵抗する素振りを見せた彼女も、今はぐったりと目を閉じて、静かな呼吸を繰り返している。空手の稽古をつけてもらっている時や、変身している時とはまるで別人だった。

 目を閉じた彼女の横顔には、まだあどけなさが残っている。“五つも年上の大人”とばかり思っていたが――晴一が考えるより、子供でいなければならない期間はずっと長いのかも知れなかった。


「ノボル! 小僧!」

 ジープを停めて、ショウジが飛び降りてきた。

「悪ィな、遅くなって。ユウコの様子はどうだ」

「眠っています」

「そォか。まァ、今日はちょいとばかし無理をしたからな。……それで?」

 ショウジは晴一の耳元に口を寄せた。

「ノボルは? 何があった」


「わかりません。何か、すごいショックを受けたみたいですが」

「そォか。まァ、意外なコトでもねェな」


 晴一はショウジと協力して、ユウコをジープの後部に乗せた。それからノボルの肩を担いで、ジープの助手席に押し込む。


「ダメだな、ノボルは。戦力外だ。こっからァ、俺たちだけだな」

「本気ですか? 僕はもう弾丸切れですよ。ガイスルー相手に空手しますか」

「冗談だと思ってンのか? ……しばらく前から、光が途切れてる。いよいよ上ちゃんたちが落ちたかもわからンぞ」


 晴一は眉根を寄せて、空を見上げた。確かに、ショウジのいう通りだった。サザンクロス・エリミネイションが放つ十字の輝きは、どこにも見当たらない。

 ジープの助手席で呆けるノボルが、ゆっくりと顔を上げた。


「さくら……」


    ◆


「想定以上にてこずらされたが……」

 クロオは空中に浮かび、すり鉢状に破壊された街の一角を見下ろした。

彼の送り込んだスーパーガイスルーは、見事にルミエールを追い詰めた。クレーターの中心には、ステレ、イリゼ、ナチュレの三人が傷つき、倒れ伏している。


 晴一たちが危惧した通りだった。ルミエールたちは押し寄せるスーパーガイスルー相手に力を使い果たし、絶体絶命の危機に陥っていたのである!


「ルミエールもこれで最期だ。声が聞こえるか? お前たちに死をもたらす者の声が……」


 クロオが送り込んだガイスルーは、まだ十分すぎるほどの数が残っている。彼らは街中をゆっくり蹂躙しながら、今もここへ向かってきていた。


<ガァイスルー……><スルー……><ガーイ……>


 のしりのしりとした確かな足音。なんと頼もしいことだろう。頼る者なき異界の地にあって、彼らはクロオが与えたカガイヘイムの魂をまさしく体現する。スーパーガイスルーはカガイヘイムの存在としての無敵性を誇りながら確かにこの世界の存在として破壊の限りを尽くすことができるのだ。


 クロオは両手を大きく広げた。ガイスルーの足音に混じり、彼の耳には街中に溢れる怨嗟の声が、心地よく響いてきている。


「既にこの世界は十分、カガイヘイムに近づいている。カガイ大王様の降臨は近い……そうなれば、この世界も大王様の天下だ! 大王様! D-15世界をカガイヘイムとするのは、このクロオにございます! フフ……ハハハハハハ!」

 クロオは低い笑いを爆発させる。


「そんなこと……」

彼のはるか足元、クレーターの真ん中で、ルミステレは土を掴んだ。

「させない」


 クロオはピタリと笑いやめた。ごまめの歯軋りを踏みにじり、新たな笑いの種とするためだ。少女が何を言わんとしているのか、彼にはもうわかっている。

「何か言ったか?」


 ステレは顔を上げた。

「あなたたちの好きになんか、させない……!」

「……そうね」

 イリゼが体を起こした。水色の髪から、細かい塵がこぼれ落ちる。

「私たちはまだ負けてない。もうひと頑張り、でしょう?」

「……しょーがないなあ」

 泣き笑いのような表情で、ナチュレがイリゼの手を取った。陰っていた瞳の中には、黄金色の輝きが戻ってきている。


「ほざけ」

 彼女たちはまだ、希望のようなものを捨ててはいないらしい。それが、クロオを酷く苛立たせた。スーパーガイスルーは現時点での最高傑作。それをこれだけ投入し、倒せない相手がいるはずがない。


「ガイスルーども! 限定解除だ! 生き残りを叩き潰せ!」

 半ば衝動的に、クロオは命令を下した。スーパーガイスルーのリミッター解除。それを躊躇させていたノワールの忠告は、苛立ちに押し流されていた。

 そしてそれは、やはり敗着となったのである。


<ガァイ、ガァイ……ガイスルー!>


 街中のガイスルーに向け、黒い稲妻が落ちた。全てのスーパーガイスルーが強烈にパンプアップし、ルミエールに向かって突き進む!

 真っ先に到着したのは、ボクシンググローブガイスルーであった。ビルを突き破って現れた巨大なボクシンググローブの怪物は、地面のルミエールに向かってコンビネーションパンチを繰り出す!


<ガガガガッ、ガイスルー!>


 残像すら生み出す巨大な拳の連打。パステルカラーの少女たちは、今度こそ粉々に吹き飛ぶかのように思われた。

 だが、クロオは見た、眩しくほとばしる輝きを。背筋をざわつかせるやわらかな光の奔流を。それは少女たちが腰に提げたホルスター、差し込まれたスマートフォン型変身アイテムから放たれていた。

 ガイスルーが押し流される。光に包まれた少女たちが浮き上がった。


「ルミエール・フォン!」


 アイテムの画面にはなんらかの通信アプリケーションが起動され、荘厳な呼び出し音を響かせていた。――何かが来る!

 強烈なプレッシャーに、クロオは空を見上げた。分厚い雲を突き破り、真っ赤な炎を纏った剣が落下してきた。剣は少女たちの前でピタリと止まり、ルミエールを炎で包む。


 何らかの変身シークエンスが行われた。ルミエールたちが炎を振り払った時、彼女たちの装束は大きなリボンと光の翼を備えたものに一新されており――クロオのガイスルーが与えたはずのダメージも無に帰していた。


「ルミエール・オリフラム!」

 熱のない炎が渦を巻いて周囲を焼き払う。街中のガイスルーが恐怖の悲鳴を上げた。

「輪を描く炎よ、全てを打ち消せ!」


 炎を吹き流しながら、剣が町中を飛び回った。ガイスルーたちが、次々光に包まれて消滅する!


<ヤスラーグ……><ヤスラーグ……><ヤスラーグ……>


「何ィーッ!?」

 驚愕するクロオに、強烈な蹴りが入った。聖なる炎が、一瞬前の座標を通過する!

「クロオ!」

 呼びかけたのは、彼と同じに宙に浮かんだ黒衣の少女だった。

「ノワール! 無事だったのか!」

「それは後。逃げるわよ!」


 カガイヘイムの尖兵に、再び炎が迫った。クロオとノワールは最早それ以上言葉を交わすこともなく、静かにこの世界から消えた。


    ◆


「よし、こっちだ……」

 ノボルは瓦礫の奥に手を伸ばした。小さな手が握り返す。ノボルはそっとその手を引いて、まだ小さな女の子を救い出した。

 ガイスルーによって破壊された街。おそらくは“ゆらぎ”と、“輝く星の会”による避難誘導のおかげで、民間人の被害は驚くほど少ない。

 しかし、全くのゼロというわけではなかった。


「ありがとうございます」

「いえ……」

 頭を下げる家族たちに少女を引き渡す。親に抱かれた少女が、たどたどしく礼を述べた。

「おじちゃん、ありがと」

「ああ。どういたしまして」


 少女の頭を少し撫でて、ノボルは周囲を見回す。ショウジの運転するジープが近づいてきて、彼のそばに停まった。

 助手席から大空晴一が飛び降りてくる。


「この辺りには、もう誰も残ってないみたいですね」

「そうか。私のほうも、これで最後だ」

「何よりです。……大丈夫ですか、ノボルさんの方は」

「ああ、心配いらない。仕事があるからね、それに集中している間は、大丈夫だ」


 ノボルはぎこちなく笑顔を浮かべる。よほど不自然に見えたのだろう、晴一が表情を強張らせた。

 それは、その時やってきた。


「あっ!」

 女の子が空を指差す。眩しい光が、暗く曇った街を明るく照らした。そして、町中を洗い流す炎と、穏やかなガイスルーの声。焦点がズレた時のように、世界が滲んだ。

 次に世界のピントが合った時、壊れた街の姿は、もうどこにもなかった。ノボルが助けた家族も、姿を消している。

 ガイスルーのもたらした破壊は、全くなかったことになっていた。


「やったのか。あいつら……」

 晴一が感服したように呟く。娘たちを称えるその声が、今は妙に不快だった。

 いや。ひょっとするとそれは、はじめから。

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