第36話 光の翼を解き放て! ルミエール・オリフラム誕生! 

その1

 アラートが鳴ったのは丑三つ時のことだった。かねてよりモニターしていた異世界への扉が開いたのだ。

 既に床についてから数時間。目覚めはあまり良くなかった。数時間後には起床して、学校に向かわなければならない。全身が睡眠の継続を要求している。


 しかし、それでも晴一は体を起こした。寝巻きを脱いで、手早くジャージに着替える。本棚から辞書のケースを抜いて、中に隠した拳銃をベルトに押し込んだ。カーテンの隙間から隣家を見ると、そろりそろりと出てくるノボルの姿が見えた。

 幸いなことに、今回開いたゲートはここからそう遠くない。晴一は玄関先でノボルと合流すると、徒歩で現場に向かった。


 真夜中の公園には、変身したユウコと、ランチャーを担いだショウジの姿が既にあった。ユウコがびしりと晴一を指差した。


「遅いぞ、少年! 明星のおっさんも、折角車を持ってるんだからさあ……」

「ユウコさん、静かに。この時間ですよ」

「仕方ないだろう、家族にバレれば面倒だ」

 晴一とノボルは口々に答える。ノボルは低い声で続けた。

「それに、まだガイスルーは出ていないんだろう?」


 ユウコがショウジと顔を見合わせる。晴一は尋ねた。

「また、空振りですか」

「そうなるな。これで三日連続か」


 晴一たちがガイスルー探知に利用しているのは、国立空間物理学研究所……要は公的機関の運営している次元震の速報だ。

ルミエールが敵対する異世界:カガイヘイムとこちらの世界を繋げるために必要なゲートは、設置から利用可能になるまで、大体一週間程度の時間がかかるらしい。自然発生するものとほとんど変わらない微弱な次元震を基に成長途中のゲートを補足し、ゲートが開いた瞬間の次元震を基に集結する。

 そうした涙ぐましい努力によって、彼らはどうにか、ルミエールを先回りしている。


 しかしここのところは、そのメソッドが通用していなかった。目星をつけていたゲートが開いたにも関わらず、ガイスルーはいない。それも決まって真夜中のことだ。

 晴一はあくびを噛み殺した。


「アラートが壊れたんですかね」

「いや」

 ショウジがかぶりを振った。

「俺にはそうは思えン。恐らくこれは前触れだ」

「アタシもそう思う。嵐の前の静けさってヤツ。しばらくしてから、デカいのがあるぜ」


「じゃ、今開いたり閉じたりしてるゲートは、何かの準備ですか」

「それは知らン」

 ランチャーをジープに戻して、ショウジは短く答えた。

「だが、この状態に慣れるなよ。油断したトコにガツンと喰らうのが一番効くンだ。向こうもそれを狙ってるに決まってら」


    ◆


 同時刻。座標的には晴一たちとそう離れていない街角で、囁き声を交わす二つの人影があった。一方は夜だというのにサングラスをかけた、偉丈夫の男。もう一人は、線の細い色白の少女。クロオとノワールである。


「ダメよ。お話にならないわ」

「何度も言わすな」

 クロオが低い声を出した。

「大王様が目覚めつつある。既に大規模侵攻計画の承認もいただいている。残っていればお前も危険だ。擬態を解いて帰ってこい」


 ノワールはふるふると首を振る。

「まだルミエール攻略の目処は立っていないわ。もう少し時間を頂戴」

「申し訳ないが、それはできない。……はっきり言えば、大王様はお前の持ち帰る成果に期待されていない。スーパーガイスルーを複数繰り出し、ルミエールをすり潰せと仰せだ」

「だめよ。危険過ぎる」


 ノワールは高くなりかけた声を抑えた。彼女に言わせれば、クロオがやろうとしているのは自殺行為だ。彼は恐らく、未だまどろむカガイ大王に都合のいいことだけを吹き込んだのだ。失敗続きで成果を上げられていない、彼自身のために。

 それは勝手にすればいい。だが、彼女の計画がぶち壊されることだけは我慢ならなかった。


「これまでもそうだったでしょう? 過剰な負荷は、かえってルミエールの覚醒を招く可能性がある。ルミエールはそうして増えてきた。彼女たちはそうして勝ってきたのよ」

「だが、本格的な物量作戦に晒された経験はない。試してみる価値はあるはずだ」


 わからず屋め。ノワールは辛抱強く続けた。

「本当にルミエールに勝ちたいなら、内部から突き崩す必要がある。そのためには、もう少しだけ時間が要るわ。ねえ、わかるでしょう……」

「ああ、わかる」

 クロオはうなずいた。ノワールは光明が差したように思う。

 それはすぐに、失望と落胆に変わった。


「だが、言った通りだ。カガイ大王様が仰せなのだ。決定は覆らない。私のスーパーガイスルーで、ルミエールを終わらせる」

 噛んで含めるように、クロオは続けた。

「これは決定事項だ。残っていれば、お前も巻き込まれる。撤退しろ。いいな!」


 ノワールはありったけの精神力で怒りを抑えて、更に反駁しようと試みた。だがその時には、クロオは既に消えていた。カガイヘイムに帰るのは、こちらの世界に来るよりずっと簡単だ。


「……あンの、技術バカ!」


 ノワールは小石を蹴っ飛ばした。あれこれ言ってはいたが、クロオの本音は最後の一言だけだろう。『スーパーガイスルーで、ルミエールを終わらせる』。単純な力押しよりも、余程たちが悪い。

 確かにクロオの作ったガイスルーは、聖霊の国では負けなしだった。だが、既に状況は変わったのだ。


 この世界の人間と、聖霊の国の住民たち。弱い者同士が手を結ぶことで、あれだけの力を生み出すことがあるとは、カガイヘイムの誰にも予想できなかった。

 クロオはひょっとすると、まだ信じられていないのかも知れない。ルミエールを支える、ある種の力。個人同士の紐帯に基づいた、カガイヘイムの技術では数値化できない、なんらかの力の存在を……。


「あれ? 野和じゃん」

 夜の闇の中から、何者かの声が彼女を呼び止めた。ノワールは咄嗟に“野和るり子”を引っ張り出して、表情筋を強張らせる。


「誰……?」

「ああ、悪ィ。びっくりするよな」


 暗闇の中から街頭の明かりの下へ、少年が顔を出した。大空晴一。


「こんな時間に散歩かよ。補導されるぜ」

「そちらこそ。こんな時間までパトロール?」

 晴一は目元を歪める。

「正解かしら。貴方もよくやるわね。生身の人間がガイスルーと戦うなんて、正気じゃないと思うけれど」


「……やりようはあるさ」

「あんな小さな鉄砲一つで? 貴方が五体満足なのが信じられないわね。どこからそんなやる気が出るのかしら。やっぱり明星さんのためだからなの?」

「ああ、それ」

 晴一がるり子を指さした。

「ずっと聞きたかったんだ。さくらがルミエールだって、どこで知った? 転校してきた日の晩か?」


「あら、やっぱりそうだったの」

 るり子はたった今確信を得たかのように答えた。

「半分くらいは、推測だったのだけれど。彼女たちがルミエールなのね」


 もちろん、彼女はカガイヘイムにいた頃から、ブラックの報告でそれを知っていた。晴一を撹乱するためのハッタリだ。

 だが、効果は十分にあった。ありもしない失策に気づいた晴一が、表情を歪める。


「……推測だって?」

「ええ。彼女たち、“ゆらぎ”を纏ってるじゃない。そうじゃないかな、と思い始めたのは貴方の言った通り、転校してきたその日のことよ。でも、顔は記憶できなかったから……はっきりそうだと知ったのは、たった今」

 るり子はほんの微か、挑発的に笑った。

「これでいいかしら」


「その推測、他の誰かに伝えたか?」

「いいえ? これが初めてよ。言いふらすつもりもないから、安心して」


 晴一の目は据わっていた。本当にガイスルーと戦うつもりで来ているなら、彼は今も拳銃を携帯しているはずだ。ひょっとすると、彼はるり子を消すつもりでいるのだろうか。

 ノワールに戻れば、銃弾の無効化などは容易い。しかし、彼女には野和るり子として潜伏を続ける必要がある。


 できるだけ何気ない調子で、るり子は続けた。

「さあ、次は貴方が質問に答えてくれる? さっき尋ねたでしょう。ガイスルーに立ち向かえる理由……」

 晴一は不快そうに目を逸らした。

「聞いてどうする」


「どうもしないわ。ただ、興味があるの。今ではもう誰も、ガイスルーと戦おうとはしないでしょう? 当然だわ、危険なだけだもの。ガイスルーに普通の攻撃は効かないし、流れ弾があれば取り返しがつかない……」

 るり子は晴一を見た。少年は黙って、彼女の話を聞いている。

「その点、ルミエールなら間違いないわ。ガイスルーは短時間で倒されて、街が壊れる心配もない。被害にあった人は、被害にあったことさえ忘れてしまう。どちらが優れているかは明白でしょう?」


 晴一が銃を持ち出す気配はない。るり子は続けた。

「貴方にそれがわからないとは思えない。不思議に思うのも当然じゃない?」

「かもな」

「明星さんのこと、好きなの?」

「そういうんじゃねえよ」

 晴一はスニーカーの爪先でアスファルトを蹴った。


「『ルミエールに任せとけばいい』ってのが、気に食わないだけだ。ボケーッとそこに乗っかってたら、おれは……あいつに顔向けできない気がする」

「ふうん……貴方にはそんな力も責任も、ないと思うけど?」


 るり子には半分も理解できなかった。彼が冒しているのは無用のリスクだ。その上、何の見返りが得られるとも思えない。


「意外とキツイな」

 晴一は苦笑した。

「けど、それは理由にならないよ。少なくともさくらなら、そうしないと思う。……だから、聖霊にも選ばれたのかもな」


 半ば自嘲気味にそう言って、晴一は頭をかいた。

「あーあ、余計なことまで喋っちまった。誰にも言わないでくれよな」

「約束するわ」

「ガイスルーより人間の方がよっぽど脆いってこと、忘れんなよ」

「貴方こそ、肝に銘じておくことね。私の密告よりも、ガイスルーの拳の方がよっぽど危ないんだから。お友達がミンチになったら、明星さんも悲しむわよ」


    ◆


 晴一と別れてから十数分。ノワールは自室に戻ってきた。野和るり子の名義で借りた新築の小さなアパートには、簡素なベッドと机以外には何もない。ほんのわずかな期間学生に偽装する彼女が寝起きのためだけに借りた部屋である。

 ノワールはベッドに腰かけて、晴一の言葉を反芻した。


 己も周囲も顧みない、向こう見ずな愚行。彼の行動は、ノワールにはそのようにしか拘れなかった。大空晴一にこの先待つのは事故死だろう。ガイスルーの行動に働くこの世界の対抗力は、死までは打ち消してくれない。

 それは好ましいことだと言えた。晴一がガイスルーと戦い、傷つくことがあれば、明星さくらの精神は大きく乱れるはずだ。


「……」


 だが、ノワールは同時に空恐ろしいものを感じてもいた。晴一の言葉が正しければ、ルミエールたちも彼と同じ、ある種の無軌道さを備えていることになる。力でも理屈でもねじ伏せることのできない、強靭な何か……どうすればそれを手折ることができるのか。


 それがわからなければ、カガイヘイムは負ける。


 ノワールは学生鞄に手を伸ばした。二重底を開いて、小さな道具を取り出す。

蝶と逆十字を象った、小さなゴシックナイフ。10センチほどの小さな、しかし鋭利な刃の下に、真っ直ぐな柄が伸びている。カガイヘイムから持参したものだった。


 ルミエールを正面から倒す術は、おそらくない。ガイスルーをいくら強化しても、彼女たちには敵わないだろう。

 だが――。


 ノワールはナイフの刃先を見つめた。ある意味では、最初からわかり切っていたことだった。ルミエールに変身する前――明星さくらは、海野ななみは、望月みちるは、ただの人間と何も変わらない。生身の彼女たちには、覚醒の可能性はないだろう。


 大規模侵攻に先んじて、ルミエールの変身者を直接殺害する。ノワールにはできなくとも、野和るり子にはそれができるはずだった。


    ◆


 るり子はまんじりともせず夜を明かした。カーテンの隙間から鈍い朝日が差し込む頃、彼女はようやくベッドから立ち上がって、窓の外を覗いた。

 Xデーの空は、どんよりと立ち込めた黒い雲に覆われていた。


 制服に着替えて、一つしかないスカートのポケットにゴシックナイフを納める。鏡の前でポケットの状態を確認して、るり子は普段よりずっと早い時間に出発した。

彼女が到着した時、教室にはまだ誰もいなかった。


「おはよう」

「おー」


 朝練の時間が終わり、少しずつ生徒が登校してくる。冷たく湿っていた教室に人の熱が集まり、ゆっくりと一日が始まっていく。

 明星さくらが登校してくるのは、いつも始業の15分ほど前。るり子は自席に座り、広げた文庫本に視線を落としたまま、時間が経つのを待った。


文章の中身は全く頭に入ってこない。無闇に口が乾いて、手足は冷え切っていた。時折スカートのポケットを確かめる際に伝わってくるゴシックナイフの手触りが、妙にはっきりと感じられた。

 永遠のようにも感じられた十数分後。不意に、その時はやってきた。


「おはよう、るり子ちゃん!」


 弾むようなさくらの声。るり子はできるだけ自然に、文庫本から視線を上げた。明星さくら。その隣には大空晴一。今日は一緒に登校してきたのか。


「ええ、おはよう」


 分厚く塗り固めたるり子の仮面が、ほとんど自動的に答えた。ノワール自身も驚いたことに、彼女の声は全く平常通り、高飛車な響きを伴っていた。

 るり子は立ち上がる。ポケットの中でナイフを握った。


「さくらさん。ちょっといいかしら」

 呼びかけられた少女は、学生鞄を机に下ろしたところだった。

「うん。どうしたの?」


 さくらが振り向く。大きな丸い目がるり子を捉えて、彼女は自分自身の姿をその瞳の中に見た。

 椅子を引いた晴一が、不審げな視線をるり子に向ける――。


「……いえ。なんでもないの」

 るり子はポケットから手を出した。雷の匂いがした。

「そのままの貴方でいてね」

「? それって、どうゆう……」


 さくらが首を傾げた。その時、窓から見える街並みのあちこちに、黒い稲妻が落ちた。ノワールにはすぐに、スーパーガイスルーが放たれたのだとわかった。クロオは彼女に伝えるよりもずっと前から、大規模侵攻の準備を始めていたらしい。


 それぞれに雑談していた生徒たちがぎょっとして、窓際に集まる。彼らの上にも、巨大な影が落ちた。


<スーパー……ガイスルー……!>


 ピッチングマシンを象ったガイスルーが、校庭に立ち上がったのだ。「おお」としたどよめきが上がる。

 さくらは目を見開いた。


「これって……! 皆、下がって! るり子ちゃんも……」

 さくらは言いながら振り向いた。しかし、先ほどまでそこにいた友達の姿は、もうどこにもなかった。

「あれ……?」


「さくら!」「さくらちゃん!」

 困惑する彼女のもとに、血相を変えたななみとみちるが集まってくる。るり子を探している時間はなかった。さくらの感覚は、そこら中にガイスルーの存在をキャッチしている。一体や二体ではない。相当数のガイスルーが、いちどきに召喚されたのだ!


「行きましょう」

「うん!」


 さくらたちは一直線に走り、屋上に上がった。今にも雨が降り出しそうな始業前のこと、生徒の姿はどこにもない。

 三人の少女はルミエールフォンを握った。曇天の空を照らす眩い閃光。目の覚めるような変身シーケンスを経てフリルの戦闘服を纏い、少女たちは屋上を飛び出した。桃青黄色! これが彼女たちの戦う姿なのだ!

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