その2

 晴一の射撃訓練とほぼ同時刻! 日の落ちた住宅街の片隅で、ぼそぼそと話す何者かの声が聞こえていた。

 街灯の光を避け、廃墟同然の公営住宅に寄りかかるようにして立っているのは、本日まんなか中学校に転校してきた少女、野和るり子である。


その隣には、真っ黒な服に黒いサングラスをかけた男が、同じようにして立っていた。カガイ大王親衛隊の一人¬¬――クロオだった。


「それで、首尾はどうだ」

 クロオは低い声で尋ねる。


「せっかちね。まだ初日よ?」

 この世界の敵と話しているにもかかわらず、るり子は平然としている。クロオが彼女に危害を加える気配も、全くなかった。


「先ほど、大王様からのお言葉があった」

「なんと?」

「私の報告に苛立っておいでだった。とうに戦いは終わったものと考えていらしたのだろう。お前については報告したが、信仰の手は緩めるなとの仰せだ」

「ふーん。大王様にも困ったものね」


 一介の中学生であるるり子が、何故クロオと対等に口を利き、カガイヘイムの内部情報を交換しているのか? 

 その答えはクロオが握っている。男は低い声で呼びかけた。


「ノワール……」

「なに?」


 呼びかけに応じたのは、外でもない野和るり子だった。これが何を意味しているのか、もはや疑いようはない。転校生:野和るり子は、カガイ大王親衛隊:ノワールが変装した姿だったのである!


 クロオがノワールに語りかける。

「やはり危険だ。次に目覚めた時、お前が残っていれば、大王様はお前もろともの殲滅をお命じになるやも知れぬ」

「あら、心配してくれるのね。お優しいこと」


 るり子、いやノワールは全く心を動かした様子もなく、薄っぺらな微笑みを浮かべた。


「でも、攻撃の手は緩めないでくれると助かるわ。今後はルミエールと、更に接触を進めることになる。万に一つも、野和るり子とカガイヘイムを結び付けさせたくないの。むしろ、私のいる場所でガイスルーを呼ぶくらいの積極性が欲しいわね」

「アリバイづくりというわけか。だが、危険だぞ。ただでさえ位相差なしでこの世界に来ているのだ、万が一があれば――」


 ノワールは人差し指を立てて、クロオを黙らせた。


「私はもう子供じゃない。貴方と同じ、カガイ大王親衛隊なのよ。多少の危険は承知のこと。ルミエールの調査を第一に考えて。リスクを冒す価値は十分にあるわ」

「む、う……」


 クロオが唸り声を打ち切った。人気の絶えた夜の道に、歩行者の気配が近づいてきている。

 ノワールは声をさらに潜めた。

「例えば、今」


ゲートを開く関係で、あまり場所は選べなかった。いつから近づいてきていたのか。ひょっとすると、密談を聞かれたかもしれない。口封じをする必要がある。

 それはクロオも、すぐに飲み込めたらしい。男は懐から夕陽色の鍵を引き抜くと、備蓄の闇エネルギーを注ぎ込んだ。手近な電柱に鍵を挿し込み、クロオは超自然の怪物を召喚する!


「来い、スーパーガイスルー!」


 この世界の人間から抽出した感情のエネルギーが、“鍵”に込められた異世界のエネルギーと混じり合い、電柱に流れ込む。この世界のものでもカガイヘイムのものでもない超自然の力が世界の理を限定的に書き換え、コンクリートの柱が怪物に変わった!


<スーパー……ガイスルー!>


 電柱ガイスルーが雷じみた放電を行う! 電力を奪われ、周囲一帯は停電した!

 二つのエネルギーをブレンドし、この世界の物体を素材とすることで、ガイスルーは理外の無敵性と物理干渉能力を両立する。クロオがスーパーガイスルーに命令を下した!


「始末しろ!」

<ガイスルー!>


「きゃー!」と叫んで見せたのは、目撃者が始末できなかったときの保険だ。

 ガイスルーが拳を振り下ろし、放電の火花が眩しく周囲を照らす! 狙うは目撃者が隠れたと思しき道の角、放棄された公営住宅の陰だ!


 電撃を纏った拳が公営住宅を吹き飛ばすその瞬間。目撃者が飛び出してきた。切羽詰まった顔で、何か叫んでいる……。


「危ない!」


 電柱ガイスルーのスパークが視界を真っ白に染めた。公営住宅が木っ端微塵に爆発する。瓦礫のシャワーを浴びる直前、ノワールは突き飛ばされるようにして道路に伏せさせられていた。

 一瞬、クロオが手を貸してくれたのかと思う。だが彼女の同僚は、既に重力から解き放たれて空にいる。


「クソ……」

 代わりに埃まみれで悪態を吐いたのは、学生服の少年だった。黒い詰襟に、二重丸の校章。ノワールの潜入している中学校のものだ。

 こいつに見られたのか。一体どこから――。


「怪我は?」

 ノワールは首を振った。

「じゃあ、自分で逃げろ。急げ!」

少年の声は切羽詰まっていた。彼女がカガイヘイムの人間であることは、どうやら気づかれていない。

 ノワールは野和るり子に戻って、尋ねた。


「貴方は!?」

「いいから走れ!」

 少年が立ち上がる。砂利めいて細かい瓦礫が、そこら中にこぼれ落ちた。るり子は呼び止めかけて――その時にはもう、少年は彼女の声が届く距離にいなかった。

 走りながら、少年が学生鞄を探る。取り出した何かを、ガイスルーに向けて構えるのが見えた。

 ノワールは目を凝らす。あれは――なんだ?


 バン、と乾いた爆発が弾けた。少年の手元で小さな炎が閃き、“何か”が素早く動いた。銃だとわかった。火薬で銃弾を飛ばすタイプの、原始的な武器。

「こっちだ!」

 少年が声を上げる。電柱ガイスルーがゆっくりと振り向いた。

<ガァイ……>


 また銃声が響いて、ガイスルーの表面に銃弾が弾けた。

<ガァイスルー!>

 電柱ガイスルーが拳を振りかぶる。電力を吸い上げて強化された拳を、少年は余裕を持って回避した。……かなり動ける。


 空中のクロオが『理解できない』と言いたげに表情を歪める。

 ノワールも同じだった。あの少年は一体何をしているのか? 


 ガイスルーによる世界への干渉は、24時間以上経過しなければ確定しない。それより先にガイスルーが排除された場合、ガイスルーの行ったあらゆる破壊はなかったことになってしまう。カガイヘイムの怪物は存在を継続できない限り、常に世界からの対抗力にさらされるのだ。


 一方、この世界の人間にはそうした対抗力は働かない。彼らがガイスルーと戦闘して、結果的に街を破壊すれば、それはそのまま確定する。ガイスルーを倒したところで、街が元通りに戻ることはない。


 ルミエールはガイスルーと同じ位相に存在をズラして戦っている。彼女たちがガイスルーと戦い、街を破壊し尽くしたとしても、それが確定することはない。

 この世界の人間がガイスルーとの戦いをルミエールに任せるのは、当然の帰結と言えた。最初の数日を除き、ノワールたちがこの世界の軍隊と矛を交えたことはほとんどない。

 もちろん、少年が軍人であるわけもなかったが――。


 バン! 少年の銃が再び火を吹いた。空中に小さな火花が走る。突如、ガイスルーが纏っていた電撃の鎧が消滅した。

<ガイ……!?>

「なんだ!?」


 クロオが空中で泡を食う。

ノワールは空を見上げた。電柱ガイスルーから十数メートル離れたところで、切れた電線がぶらぶら揺れている。この街全ての電線をガイスルー化することなど、もとよりできるはずもない。ガイスルーに繋がった普通の電線を、少年の放った銃弾が切断したのだ。


「探せ、ガイスルー!」

<ガァイスルー!>


 電柱ガイスルーが拳を振るう。闇の中で何かが壊れて、「ぎゅっ」という少年の声が聞こえた。


「やったか?」

<ガァイ……>


 今のはまぐれ当たりだったらしい。闇の中で巨大な怪物が身じろぎした。少年を探しているのだ。

 野和るり子は道路に身を伏せたまま、周囲を伺う。今のところ、ガイスルーは順調に破壊を進めている。問題は、ルミエールが来た時にどうするかだったが――。


 ばらばらっ。スニーカーの足音が集まってきた。寝巻き姿の少女たち。明星さくら、海野ななみ、望月みちるの三人だ。


「出たわね、ガイスルー!」

「ルミエール……!」


 クロオが黒メガネを外す。電撃の光になれた目を潰されたのだろう。

そのクロオに向けて、明星さくらが白金色に輝くスマホを掲げる。ルミエール フォン!

「いくよ、みんな!」

「ええ!」「うん!」


 ななみとみちるが口々に答える。少女たちは画面からアプリを起動した。

 るり子は目を細める。カガイ大王親衛隊の瞳が時間と空間の歪みをキャッチした。壊れかけた街を照らす一瞬のきらめき。その中で、超自然の変身シークエンスが行なわれている!


 閃光の中から少女たちが姿を現す。それぞれ桃色、青色、黄色を基調とした、攻撃的なドレス風コスチューム。これが彼女たちの戦う姿なのだ!


「はぁーっ!」

<ガァイ!?>


 息の合った3人のコンビネーションから、鋭い飛び蹴りが電柱ガイスルーに炸裂する。エネルギー源を絶たれたガイスルーは踏ん張り損ね、無様にたたらを踏んだ。


<今や、ルミステレ!>

「うん!」


 少女たちが腰のホルスターに収めたルミエール フォンから、超然とした関西弁が指示を飛ばした! ルミエールに手を貸しているという精霊……実在していたのか!


 ルミエールたちが手をかざす。その中心に輝く球体が生じて、弾けた! フリル状の装飾にデコレーションされた小さな鏡台型アイテムが姿を現す。ルミエールドレッサーだ!


「くっ……」


 空中のクロオが消える。いち早く撤退を選択したのだ。直撃を受ければ、彼もブラックと同じく、廃人化は免れない。

 ドレッサーがビームを放ち、ガイスルーをロックオンする。少女たちがその手を空にかざした!


「ルミエール・サザンクロス・エリミネイション!」


 十字形のエネルギーが迸り、スーパーガイスルーに叩きつけられる。電柱ガイスルーは尚ももがき、脱出を試みたようだったが、やがて穏やかな声と共に爆発四散した。


<ヤスラーグ……>


 爆発の中心で電柱が笑顔を浮かべる。黄色いルミエール:ルミナチュレが額の汗を拭った。

「ふーっ! びっくりしたねえ」

「ええ。こんな時間にガイスルーなんてね」


 青いルミエール:ルミイリゼが答える。停電はまだ戻ってきていない。瓦礫の影に隠れたノワールには、まだ誰も気づいていなかった。

 ノワールは細かい瓦礫のかけらを掴んだ。額から胸にかけて瓦礫を擦り付け、ヨゴシを入れる。それから、体をひきずるようにして歩き出した。


「あの……」

「あっ!」

 瓦礫が足元で音を立てる。ルミイリゼが振り向いた。


「あなた……! 怪我をしてるの?」

「いえ、私は。それより、あっちに、もう一人……」

「わかったわ。大丈夫。私たちに任せて」


 イリゼが他の二人にうなずきかける。桃色と黄色の少女は、すぐに走り出した。

 瓦礫の中で、少年が呻き声を上げる。


「晴一くん……!」


 明星さくらの押し殺した声が聞こえてきた。るり子にも聞き覚えのある名前だ。確か、彼女の隣に座っていた、目つきの悪い少年。

 アスファルトに横たえられたるり子は、うっすらと目を開いた。


「襲われた私を助けてくれたんです。彼は……」

「大丈夫、無事よ。あなたも少し休んで」


 再び目を閉じたるり子を、すぐに眩しい光が照らした。街灯の蛍光灯だ。停電が解消されている。世界からの対抗力が働いたらしい。体を起こすと、壊れた街はすでに修復され、周囲には明かりが戻ってきていた。

 きょとんとして見せたるり子に、イリゼが微笑む。


「ね? もう大丈夫でしょう?」

「ええ……」


 るり子は顔についた煤を拭った。イリゼが立ち上がる。


「また助けられちまった」

 少年がバツ悪そうに言ったのが聞こえる。

「いいよ。無事なら」


 桃色の少女が、ぽろぽろ涙を流した。

「ふーん……」


 誰にも見えない野和るり子の殻の中で、ノワールはほくそ笑む。ルミエールの弱点を、早速一つ見つけたのだ。


「仲良しなのね」

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