第23話 ライバル登場!? 転校生がやってきた!

その1

 晴一が教室に滑り込んだのと、予鈴が鳴るのが同時だった。教師の姿はまだない。一安心して席にカバンを下ろすと、一つ前の席からさくらが晴一を見上げた。


「ちこく〜……」

「じゃねえよ」


 教師に見つからなければ、遅刻の点数はつかない。晴一はカバンを枕がわりにして机に突っ伏した。

 ユウコとの稽古は続いている。早起きした分の睡眠時間を、できれば日中に補完しておきたかった。


「晴一くん、なんか変わった?」


 晴一は突っ伏したまま答えた。

「……なんかってなんだよ」

「わかんないけど。シュッとした気がする」

「なんだよそれ」


 軽く笑って誤魔化しながら、晴一は内心冷や汗をかいた。稽古のことは、さくらには知られたくなかった。絶対に首を突っ込んでくるはずだったからだ。


「むむ。晴一くんさー……」


 さくらが更に追求しかけた時、教室の扉が開いた。ベタベタした足音は、生徒の上履きではなく担任の履いたスリッパのそれだ。


「ほら、もう予鈴鳴ってますからね。着席しなさーい」


 結局、睡眠らしい睡眠は取れなかった。晴一は顔を上げる。

 担任が教卓に手をついた。


「えーっ、おはようございます。突然になりますが、今日は最初に転校生を紹介します」


 本当に突然の話だった。抑えられないお喋りの花があちこちで咲き乱れて、まどろむようだった朝の教室がざわめき始める。

 礼二が嬉しそうに晴一を振り向いた。晴一は虫を追い払うように手を振る。


 転校生が美男美女というのは、フィクションの育んだイメージに過ぎない。入ってくるのは所詮、自分たちと同じ中学生だ。勝手に期待されて落胆されるのでは、本人も――。


「入ってきなさい」


 ざわめいていた教室が、水を打ったように静まりかえった。30人からの生徒が、一度に息を呑む。

晴一の転校生論は、全くの取り越し苦労に終わった。


「野和るり子です。よろしく」


教壇に上がった少女は、眩いほどの美人だった。混じり気なしの真っ黒な髪と透き通るような白い肌のコントラストが眼球を焼く。

 本物の美人転校生だ。……実在していたのか!


「野和さんは、そこ。ひとまず、一番後ろの席に座ってください」


 担任の示した席に注目が集まる。もともとこのクラスには、学年全体の人数の関係で奇数人しかいない。窓際列の一番後ろに座る生徒――晴一の隣は、ずっと空いたままになっていた。

 晴一は居心地悪くそっぽを向いた。「あの野郎、うまくやりやがって」の視線が、早くも教室中から集まってきている。


 転校生は背筋をしゃんと伸ばして、堂々と教室を横切った。一瞬立ち止まって、晴一を見下ろす。


「よろしく」

「ああ、どうも……」

 晴一は小さく会釈した。

 彼女が席についたタイミングで、さくらが振り向く。

「同じ班だね。よろしくね!」

「こちらこそ。話は聞いてるわ、明星さくらさん」


 そこで初めて、転校生は笑顔を見せた。それは魅力的なものだったが、晴一にはどこか、できすぎた作り物のようにも見えた。


    ◆


 1時間目が終わり、2時間目が半ばまで進んでも、野和るり子の凛とした雰囲気が乱れることはなかった。作り物かどうかはともかく、彼女がそのようにあるため、強く自分を律しているのは間違いないように思われた。


「じゃ、これな。わかるやついるか〜?」


 数学教師が教室を見渡す。こういう時に手を挙げるのは大抵、海野ななみ一人だけだ。

 だが、今日は違っていた。


「はい」

「……はい」


 ななみと同時にるり子が手を挙げる。数学教師が微かに目を丸くした。


「珍しいな、今日は二人か。……折角だから、二人とも前に出てもらおうかな」


 二人の少女が教壇に上がって、黒板に問題を解き始める。しばらく、教室にはチョークの音だけが響いた。

 数分後、ななみとるり子が同時にチョークを置く。黒板には異なる証明が二つ。教師がざっと内容を確認して、るり子を見た。


「この解放は、自分で考えたのか?」

「そうです。問題なく証明できていると思いますが」

「ほお、なかなかやるな。ま、教科書通りにやるなら海野のだが……」


 教師は二人の内容を比較しながら、証明の解説を始めた。るり子がななみを一瞥する。ななみがぐっ、と表情を詰まらせた。

 さくらはその間中、うとうとと船を漕いでいた。晴一はノートを取る手を休めて、さくらの背中をシャーペンでつつく。


「うえっ!?」

「……明星、寝るなよ」

「あ、すいません……へへ」


 数学教師の低い声が飛んで、さくらは居心地悪そうに頭をかいた。




 その日の3時間目と4時間目は、ぶっ通しで家庭科の授業になっていた。隣のクラスと合同で、イカを使った調理実習をすることになっている。


「よーし! 張り切っちゃうよ〜!」


 腕をまくったのは、隣のクラスの望月みちるだった。彼女がルミエールだということは、当事者を除けば晴一と礼二しか知らない。

 みちるは手早くたまねぎを刻んだ。その隣で、るり子も手早くたまねぎを刻む。また宅間に必要なだけのたまねぎが刻まれた。


「おっ、やるねるりちゃん。何かやってた?」

「るりちゃん……いいえ。これが初めてよ」

「え〜っ、すごいね!」

「大したことじゃないわ」


 るり子は淡々と手を動かして、イカを捌き始めた。


「やるな、あの転校生」

 礼二が寄ってきて、晴一に耳打ちする。晴一は呆れて礼二を振り向いた。

「お前は誰でもいいのかよ」

「だってよ、みちるちゃんは定食屋の娘なんだぜ。まかないはあの子が作ることもしょっちゅうなんだ。それに迫る包丁捌き‥…本人はああ言ってるけど、大したことないわけがあるか?」

「まあ……」


 晴一はるり子を見た。

「イカの内臓にためらわないのは、偉いよな」


 それから、隣の班を盗み見る。さくらが目に涙を浮かべながら、ようやく切り終えたたまねぎを広げたところだった。たまねぎは繊細に作られた切り絵のように、ギリギリのところで全てがつながっている。

 さくらがまた、あのバツの悪そうな笑顔を浮かべた。




 昼休みが終わった5時間目。体育の授業が終わったグラウンドから帰る途中で、晴一は足を止めた。

 女子の使っていたテニスコートの周りに、人だかりができている。ネットに囲まれたコートからは、激しく打ち合うボールの音が聞こえてきていた。


「なんだ?」

 観戦組の中に礼二を見つけて、声をかける。礼二は振り向きもせずに答えた。

「さくらちゃんと転校生がやりあってるんだ。すごいぜ」


 晴一はコートを覗き込んだ。確かにさくらとるり子がテニスに興じている。互いに前後左右に走らせ合う、激烈なラリーだ。ネットの手前に陣取ったるり子が、凄まじいボレーを放った。


「どっちが勝ってる?」

「野和さん」

「マジかよ」


 晴一は驚きと共にるり子の背中を見つめた。

 中学生になって男女の体育が分かれるようになってから、さくらがスポーツで遅れをとったところを見たことはなかった。体力と運動センスだけはずば抜けている。テニスで言えば、大会経験者の先輩にすら勝ちを拾っていたのに……。


ネットの向こうで、さくらが犬歯を見せた。彼女がスライス気味に打ち返したテニスボールが、ネットに弾かれて真上に上がる。

 一瞬空中に止まったボールは、さくらのコートに落ちた。


 ゲームセット。張り詰めた表情をふわっと崩して、さくらは微笑んだ。ネット際に歩み寄って、右手を差し出す。


「あー、負けちゃった! るり子ちゃん、すっごく強いね!」

「ええ。さくらさんも」


 るり子が微笑む。それから、転校生はさくらの右手を見下ろした。


「これは?」

「握手よ」

 審判席でスコアをつけていたななみが降りてきていた。

「互いの健闘を称え合うの」

「敗者と馴れ合うの。奇妙な習慣ね」


 さくらの手を握るるり子の手付きは、やはりどこかぎこちなかった。


「すごかったな!」

 礼二が目をキラキラさせる。

「ああ」


 晴一は短く答えた。賢くて運動もできて見かけもいい人間が、世の中にはいるのだ。


    ◆


「それで、羨ましくなっちまったのか! かわいい奴だな」

「そんなんじゃないですよ」

 ショウジにからかわれて、晴一はふくれた。

「ただ、ちょっと……」

「なンだ」

「いや、やっぱり羨ましかったのかも知れません」


 何が面白かったのか、ショウジは喉をクッ、と鳴らした。

「ま、そう気にすンな。考えたところで、顔が良くなるわけでもねェ。それに何ができる奴だろうが……」


 ショウジが拳銃のスライドを引いて、薬室を確認した。がちり。金属の擦れる音が広い室内に響いた。

 彼らが根城にしている廃ビルの地下。晴一が案内されたのは、その地下を利用して作られた射撃室だった。コンクリート打ちっぱなしの部屋には、鰻の寝床じみて縦長に仕切られた射撃ブースが四つ。その奥には、穴だらけになった人型の標的が並べられている。

 その射撃ブースの一つで、晴一は待ちぼうけをくっていた。ショウジが拳銃を選び始めて、既に十分近くが経っている。


「こいつで頭を吹っ飛ばせば同じだ。持ってみろ」


 晴一はショウジが差し出した銃把をようやく握った。皮膚に吸い付くような冷たい感触。聞き手で指差すようにして、20メートル先の標的を狙う。

 ショウジが持っているのと同じ、銀色の自動拳銃だった。


「シグ・ザウエルの32口径。威力は時代遅れだが、その分反動は軽めで、正確に当たる。装弾数は8発。今は空だけどな。撃ってみっか?」

「はい。お願いします」

「つっても、もう何度かやったことあるよな。弾はここ、こっちの棚だ。ほれ」


 ショウジが弾丸の小箱を置いた。中には金色の銃弾が、きれいに尻を並べている。

 晴一はショウジを見上げた。


「で?」

「装填すンだよ。弾倉を、こう……お前、もしかしてやったことねェのか?」

「実は」


 晴一は拳銃を下ろした。父に習ったのは引き金を引いて弾を当てる方法だけだ。

「だから、ユウコさんにコーチを頼んだんですよ。そしたら、ショウジさんに習えって言うから」

「信じられねェな。確かに妙だと思ったが。……じゃ、最初からやるか」


 ショウジはこめかみを叩きながら、シグ・ザウエルを手に取った。

「一番大事なのは、銃口の向きだ。撃ちたい相手以外には絶対に向けるな。安全装置がかかってても、弾が入ってなくてもだ」

「なんでですか?」

「そういうことをする奴は弾が入ってる時も同じことをする。持ってみろ。……必要がなければ、適当に地面を狙え。もしお前がうっかりしても地面なら誰も死なない。よし、構えてみろ」


 ショウジは少し離れて、晴一をじろじろ眺めた。

「こっちは文句ねえな。撃つ時以外は引き金に手をかけるなよ」

「かけてません」

「そうだな。じゃ、次は弾だ。そこ……そう、そこを押して、弾倉を引っ張り出せ。空だな?」

「空です」


 ショウジが手を伸ばして晴一の見せたマガジンを受け取る。その先に弾丸をあてがって、男は説明を開始した。

「弾丸はこう。横向きにして押し込む。な。結構力を入れていい。な? わかったらやってみろ」

「はい」

「できたら、弾倉を銃に戻す。で、遊底を引く」


 がちり。初弾が装填された。

「いいか、もう弾が出るからな。撃ってみろ」

「わかりました」


 晴一は素早く引き金を引いた。スライドが八回ブローバックして、同じ数の薬莢が飛ぶ。30メートル先の標的に、新たに八つの穴が空いた。


「……よし。撃つ分には、教えることはねェよ。引き続き、ちゃんと狙って撃て。銃身には触るなよ、火傷するからな」

「はい」

「ガイスルーにはともかく、カガイヘイムの連中には銃弾が効く。正確な射撃ができて損はしねえ。鍵は貸してやるから、暇なタイミングで練習しに来い」


 ショウジはポケットからキーリングを取り出して、一本の鍵を寄り分けた。晴一は眉根を寄せる。


「……どういうことです?」

「ここは好きに使っていいっつーことだ。わかンなかったか?」

「そこじゃなくて。カガイヘイムの人たちがどうとか……おれがブラックを撃った時は、効きませんでしたけど。何か方法があるんですか?」

「ああ、そっちか」


 ショウジは鼻で笑った。


「本気にすンな! 気休めの一種だよ。位相がどうとかで、連中は身を守ってンだろ? 守るってこた、平場で食らえば普通に死ぬっつーことだ。油断してりゃ、俺らでもやれるかも知れねェ」

「……本当に気休めですね」

「言ったろ」


 晴一は標的を見つめた。人型の鉄板には、他にもショウジやノボルが開けたと思しい、おびただしい弾痕が刻まれている。


「わかったら鉄砲を持ってこい。次は分解と掃除を教えてやる」


 ショウジに背中を叩かれて、晴一は踵を返した。銃口を地面に向けておくのは、忘れなかった。

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