その1
「ルミエール・サザンクロス・エリミネイション!」
さくらたちが声を合わせる。巨大な十字架が夜空を覆うのを、晴一は物陰から見上げた。絶望的な気分だった。
ほんのついさっきまで、ルミエールたちは彼らと同じだった。ブラックが鯛焼き機を素材にして生み出したスーパーガイスルーに歯が立たず、巨大な鯛焼きをぶつけられたり鉄板に挟み込まれたりして、傷つき疲れ果てていたはずだ。
三人全員が地に倒れ、もはやこれまでかと思ったその時、ルミエールたちが腰につけたコンパクトが強い光を放った。光に眩んだ晴一の視界が戻ってきた時、彼女たちは既に、輝く超自然の宝石箱を開け放っていた。
そこに何が入っていたのかはわからない。だが、柔らかな光の奔流はルミエールたちを新たな姿に変身させ、ブラックとスーパーガイスルーを巨大な光の十字架の中に閉じ込めた。
「エル・ルミエール!」
きらりとした爆発の中心で、鯛焼き機とブラックが安らぐような笑顔を浮かべた。きらめく粒子が、すり鉢状にえぐれた街に降り注ぐ。
晴一は誰とも口を聞かなかった。だが、ノボルやユウコ、ショウジも同じことを考えていると確信していた。
ああ。かなわねえ。
◆
ルミエールのいる世界とは異なる世界、カガイヘイム。いまだ眠りから覚めぬカガイ大王の居城、ガイパレスは切り立った崖の上に鎮座している。パレスが望む空には暗い紫色の雲が立ち込め、決して太陽が姿を見せることはない。
主の眠りを妨げぬため、パレスの中は常に薄暗く保たれている。カガイ大王の目に触れることのない廊下とて例外ではない。万が一にも、大王を煩わせることがあってはならないからだ。
今、その廊下をいく一人の影があった。
黒い服に黒メガネをかけた、筋肉質の男だった。顔中に髭を生やして、片手には何やら大きな荷物を抱えている。男の名はクロオ。カガイ大王に仕える親衛隊の一人だった。
「戻ったぞ」
突き当たりの巨大な扉を開く。荒れ野めいて広がる巨大空間は、カガイ大王の眠る大広間である。
クロオはその中心にある円卓に、片手の荷物を投げ出した。荷物――フードを被った少年は、背中から円卓に叩きつけられて「うっ」とうめいた。
「持って帰ってきたの。それ」
冷たい声が言い放つ。円卓に備え付けられた席の一つに、人形のような少女が腰かけていた。片手には分厚い皮張りの書籍。真っ黒なゴシックドレスに身を包み、肌は陶器じみて白い。
クロオと同じ、カガイ大王親衛隊の一人だった。名をノワールという。
「知っていれば捨て置いていたさ」
クロオは吐き捨てた。
「闇のエネルギーだけで動いている人間が、闇を失えばどうなる。何も残らないさ。ブラックはとっくに抜け殻だ。再び立ち上がる日が来たとて、我らと並び立つ日はくるまい。……全く情けない。小娘三人倒せぬとはな」
「ふふ、小娘三人ね」
ノワールが微笑する。少女の声には、明らかにクロオを軽んずる響きがあった。
「そんなことじゃ、先が思いやられるわ」
「何が言いたい。私が負けるとでも言いたいのか?」
「ええ」
片手の書籍を閉じて、ノワールはクロオを見上げた。
「自信過剰が貴方の悪いところね。ルミエールはブラックを何度も撃退している。それがただの小娘三人組なわけがないでしょう? これまで通りの力押しでは、彼の轍を踏むだけよ。ご自慢の新型も、たった今撃退されてきたわけだしね」
「……スーパーガイスルーはまだ本領を発揮していない」
「実戦で発揮できない本領なんて、何の意味があるのかしら」
苦し紛れの言い訳を切り捨てて、ノワールは目を細める。クロオは観念した。
「……では、お前ならどうするというのだ」
少女は満足げに、つんと澄まして見せた。もとより彼女は、クロオにそう言わせたかったに違いない。
「一つ、考えがあるわ」
◆
スーパーガイスルーの鯛焼き攻撃によってすり鉢状に抉り取られていた街並みは、あっという間に元の姿に修復された。休日の市街に、何事もなかったかのような人の気配が戻ってくる。
見上げる空にルミエールの姿は既にない。晴一は頭を強く振った。思い切り殴られたみたいに思考が痺れて、硬直してしまっている。
「じゃあ、なンだ」
ショウジが誰にともなく言った。
「帰るか」
「……そうですね」
「おう」
ノボルとユウコが素直な返事を返した。すっかりやられてしまっているのは二人も同じようだった。
ゲリラは解散し、三々五々帰路に着く。
「――小僧!」
駅に向かいかけた晴一を、不意に呼び止める声があった。振り向くと、ショウジが車を回してきていた。廃ビルから武器を満載してきた幌なしのジープだ。
「近くだろう。乗せてってやろうか」
「いや――」
反射的に断りかけて、晴一は言葉を飲み込んだ。母には黙って家を出てきている。無断の外出がバレると、小言がうるさい。
「……お願いします」
「おう、乗れ乗れ。ゴミは適当にどけろ」
助手席に晴一が収まると同時に、ショウジは車を出した。ジープが低い唸り声を上げて走り始める。フロントガラスが風を巻き込んで、晴一の耳元でバタバタと鳴った。
不意に腰のあたりに違和感を覚えて、晴一は背後を探った。体とシートの間に、何かごつごつしたものが挟まっている。
「あ」
違和感の正体はすぐにわかった。ズボンのベルトに、今日もノボルから借りた自動拳銃が挟んだままになっている。
晴一は拳銃を引っこ抜いた。運転席のショウジが一瞥して、顔をしかめる。
「バカヤロ、ちゃんとしまっとけ」
「あ、すいません」
グローブボックスの中に武器を隠して、晴一は周囲を見回す。歩道の通行人や隣を走る車の運転手が、拳銃に気づいた様子はない。あるいは単純に、子供が玩具を持っていると思われただけなのかも知れなかった。
晴一はグローブボックスの蓋を半開きにして、中の拳銃を見つめた。あの時は現状打破の急先鋒のように見えた拳銃が、今はひどく頼りないものに感じられた。
ショウジが再び、彼を一瞥する。
「どうした、小僧。威勢がねェな」
「そりゃそうでしょう。あんなもんを見せられて」
自分でも驚くほど、ふてくされた声が出た。まるで拗ねた子供だ。
「……意味あるんスか。おれらのやってること」
「ねェだろ」
ショウジの答えは素っ気なかった。
赤信号で車が停まる。男はタバコに火をつけた。
「ルミエールの嬢ちゃんたちは、俺らの助けなンざハナから必要としてねェよ。あいつらァ自分で自分の面倒を見られる。俺らが化物退治すりゃあ、その分暇にはなるだろうがな。それがなくても、適当になンとかするだろうぜ」
ショウジは美味そうに一服して、晴一を見下ろした。
「お前も先刻承知と思ってたがよ。……小僧だな、やっぱり」
「じゃ、ショウジさんはなんでやってられるんですか」
晴一はさらにふてくされて、低い声で尋ねた。
「俺ァなんでもいいンだよ。暴れられりゃな」
晴一はショウジを見た。戦国武将のような台詞を吐いたのは、運転席に座る浮浪者じみた老人に違いなかった。
「なんだ、そのツラは」
「いや。いきなり戦闘狂みたいなこと言い出したもんで」
「……まあ、なんだ。俺にもヤンチャしてた時期があってな」
「ヤンチャですか」
それは全く、反省していない人間の言い回しだった。晴一は少し笑ってしまってから、慌てて口を塞ぐ。
追及されるより先に、晴一は次の質問を投げた。
「不良かなんかですか」
「そんな生優しいもンじゃない。全共闘さ。わかるか?」
「まあ、なんとなく」
「そうか。教科書載ってンのか? ……まあ、どっちでもいいけどよ」
信号は青に変わったが、車列が動き出す気配はない。ショウジはいささかバツが悪そうにタバコをもみ消して、「進まねェな」と呟いた。
ハンドルを指で叩いて、男は息を吸う。勢いで話を始めてしまったことを、後悔しているようにも見えた。ひょっとすると彼は自分の“ヤンチャ”を、きちんとした黒歴史として捉えているのかも知れない。
晴一は助け舟を出すことにした。
「言いたくないなら、別に。無理に聞きたいわけでもないですし」
「いや、言う」
ショウジは重い口を開いた。
「今日日、俺らのやったことを褒めるような奴らはほとんどいねェ。若い奴らは特にな。面と向かえば忖度するかも知れねえが‥…ユウコみてェな類は、直接バカ呼ばわりしてきやがる。お前もそうだろ?」
「いや――あ。どうでしょう」
「気を使わなくていい」
晴一は頭をかいた。
「そういうわけじゃなくて。詳しくないんですよ。東大にこもった人たちがいるのは知ってますけど……何十年も前の話だし。教科書にも載ってないんで」
「あー……まあ、そうか。そうだろうな」
中学生の素直な感想は、ショウジの気勢を少なからず削いでしまったらしい。次の言葉からは、いささか熱が失われていた。
「その、なんだ。俺ァ、ユウコみてェな奴らが間違ってるとは思わン。バリケードの中に閉じこもることが、機動隊と戦うことが、本当に世の中を変える役に立つなンて頭ッから信じてた奴ァ、実際ほとんどいなかったしな」
「そんなことしてたんですか?」
ショウジはますます老け込んだように見えた。
「……若気の至りだ。それはすぐにわかった。後悔したぜ。俺たちはただ熱に浮かされて、引っ込みがつかなくなってただけだ。なんてバカな真似をしちまったンだ、ってな」
車列が動き出す。ショウジはギアを一速に入れた。
「だがな、そこから更に時間が経つと、あの時のことを思い出すようになった。忘れられねェんだ、俺は。バリケードの内側が……あの日の安田講堂がな」
晴一は席の後ろを一瞥した。カーキ色の防水シートの下には、工具やロープに混じってロケット弾とショルダーランチャーが積み込まれている。
「……それで、これですか」
「ああそうだ。俺にはもう、思想は必要ねェ。派手な道具がありゃ、それで十分だ。あとは敵。それから一緒に遊ンでくれる仲間」
晴一は運転席に座る不気味な生き物を見た。全共闘の亡霊は、ちょうど晴一を一瞥したところだった。空中で視線がかち合う。
「ま、お前がどう考えようが勝手だ。やめるってンなら、引き留めはしねえ。……けどな、俺は何度負けてもやめるつもりはない。今が一番楽しいからな」
「……なるほど」
晴一は曖昧に微笑む。ショウジは歯を見せて笑った。
「お前も楽しめ。続ける気があるならな」
◆
次の朝。晴一は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
武器を手にしてガイスルーと戦うことに意味があるのか? そう問われた時に「ある」と言い切るだけの自信はなくなっていた。しかし、それでやめられるほど諦めが良くもなれなかった。
母はまだ眠っている。晴一はジャージに着替えると、運動靴に足を押し込んで家を出た。玄関先でストレッチを済ませて、朝の住宅街を走り始める。
晴一にはショウジのように考えることはできない。楽しさだけでガイスルーと戦い続けるのは無理だ。勝たなければ意味がない。
そのためには現場で武器を取り、ショウジの開催するある種の“祭りに参加するだけではなく、何か……とにかく勝つための何かを始める必要があった。
まずは体力だ!
部活を辞めてから、運動は体育と通学くらいでしかしていない。案の定、走り始めて数分で息が上がってきた。一年ちょっと前まではこのくらいなんてことなかったはずなのだが――。
晴一はペースを緩めた。
「よお、少年」
いきなり背中を張られる。どこから走ってきたのか、ユウコが追いついてきていた。スポーツ用品店のマネキンが着ているような専用のウェアに身を包んで、スマホをアームバンドで留めている。
「背中が似てると思ったら、やっぱり少年だったな。この辺なんだ?」
「……」
晴一は答えようとして息を吸った。ユウコが苦笑する。
「あー、無理すんな。しばらく一緒に走ろうぜ」
嫌なことになった、と思った。並走するとなれば、ユウコが止まらない限り晴一も止まることができない。ランニング経験で言えば、ユウコの方が断然晴一よりも上だ。適当なところで切り上げなければ、無限に付き合わされる可能性がある。
予感は当たった。
晴一はユウコにほとんど先導される形で数キロ走り、到着した自然公園の中をグルグル回った。ようやく解放されてベンチに崩れ落ちた時、晴一の足は完全に棒になって、肺は破れる寸前まで追い込まれていた。
「少年、だいじょぶか? ちょっと無理させすぎたかもな」
「いえ……」
ユウコが差し出したスポーツドリンクをがぶ飲みして、晴一は息をついた。
「ついてったのは、おれですから」
「そうか? まあ、今日はこの辺にしときなよ。歩いて帰って、ちょうどいい頃だろ」
「ですね」
晴一は肩で息をしながら、袖で汗を拭った。9月も半ばに入ったというのに、まだまだ暑い。タオルの一つも持って来ればよかった、と思った。しかし元々、こんなに遠出をする予定はなかったのだ。
ユウコが晴一の隣に座った。
「いつも走ってるのか? あの辺はしょっちゅう行くけど、少年に会うのは初めてだな」
「今日から始めたんですよ」
「へえ! そうなんだ。感心じゃないか」
「別に……」
空になったペットボトルを弄びながら、晴一は地面を見つめた。砂利が敷かれた自然公園の遊歩道。勤勉な蟻たちが朝からいったりきたりしている。
「昨日のことがあって、いてもたってもいられなくて。こんなの、役に立つのかどうか、わからないんですが」
「そんなことないだろ。走れて損はしない」
「けど、走る速さや距離じゃ、ガイスルーは倒せないでしょう」
「別にいいだろ。ガイスルー退治だけが人生じゃない」
「それは、その通りなんですが……」
ユウコは苦笑した。
「そんなに戦う力が欲しいなら、アタシが稽古をつけてやろうか」
「稽古?」
晴一は顔を上げた。
「おれも変身できるようになるってことですか」
「いや」
ユウコはすげなく言った。
「あれは努力とか才能じゃないから。少年にはカラテを教えてやるよ」
「なんだ」
晴一は吐き捨てるように言った。
「おれがガイスルー殴ったってしょうがないじゃないですか」
「戦う体の動かし方を知っておけば、必ず役に立つ」
「……」
「その目はアタシを疑ってるな。やめとくかい?」
「いや」
晴一は口元を拭った。
「やります」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます