第15話 知性爆発! ななみと家族とお弁当!
その1
机の上に、モデルガンが置いてあるのを見つけた。父が帰ってこなくなった次の日から、見かけなくなった玩具のピストル。引き金を引くと、シリンダーが回って録音の銃声が鳴るだけの、ちゃちな代物だ。
母はそれを、「他の子にあげてしまった」と言った。どうして母がそんなことをするのかは理解できなかったが、晴一はそれを信じた。
今になって思えば、それは単純に捨てられたのだとわかる。母は我慢ならなかったのだろう。自分を捨てた夫が、ひょっとするとそれ以上に、そんな男の買い与えた玩具を気に入っている息子のことが。
晴一はモデルガンを払い落とした。床に転がった拳銃は、存外に大きな音を立てた。
◆
カーテンの隙間から日差しが差し込む。顔に光を浴びて、晴一は目を覚ました。何か嫌な夢を見た気がする割に、寝覚は悪くない。思考がすっきりと冴えている。
晴一は伸びをした。ガイスルー相手に走り回ったせいで筋肉痛がして、ショウジに殴られた顔がまだ痛むが、全身に気力が充実している。……充実しすぎている。
背筋を冷たいものが走った。サイドテーブルの定位置に目覚まし時計がない。日差しもなんだか、いつもより明るい気がする。
時計はすぐに見つかった。サイドテーブルのすぐ下にひっくり返っている。針は、11時ちょっと過ぎを差していた。疑いの余地はない。……完全に遅刻だ!
◆
開き直って朝食を余計に食べ、顔の絆創膏を変えて登校すると、学校に着いたのは四限目の途中になった。教室には数学教師が立って、一次関数のグラフになにやら説明を加えているところだった。
ぐずぐずしていても仕方がない。晴一は堂々と引き戸を開けた。がらり、と扉が音を立てて、教室中の注目がこちらに集まる。
「で、あるからして――」
数学教師が言葉を切った。
「大空。来たのか」
「どうも、おはようございます」
晴一は教室を横切って、自席に腰を下ろす。教壇からは、とんでもない異物をみるような視線が注がれてきていた。
「どうした、その顔は」
「……お構いなく。授業を続けてください。転んだんです」
「お前な」
数学教師は一瞬、答えを求めるように視線をさまよわせた。しかし、結局は事を荒立てないことに決めたらしい。咳払いをひとつして、授業が再開した。五分もたたないうちに、昼休みのチャイムが鳴った。
教師が帰って昼休みが始まる。前の席のさくらが振り向いた。表情が険しい。
「晴一くん、何があったの?」
「階段から落ちた」
「うそ。けんかしたんでしょ」
さくらが手を伸ばした。
「誰にやられたの? 私がとっちめてきてあげる」
「それはマジでやめろ」
晴一は鼻栓を取った。出がけに出てきた鼻血は、もう完全に止まっていた。
「本当に転んだんだ。だいたい、僕が誰にやられるって言うんだよ」
そう言うと、さくらは少し首を傾げて、考え込むような素振りを見せた。
「……新谷くん?」
「口喧嘩もしたことねえよ」
晴一は教室をざっと見回した。話題の礼二の姿はない。鞄は置いてあるから、先に購買に行ったのだろうか。怪我をアピールしたいわけではないが、いささか薄情な気もする……。
そう思った矢先、頬にちくりと痛みが跳ねた。見ると、さくらの手が絆創膏に触れている。
「いたそう」
「痛いんだよ」
さくらの指が遠慮がちに動いて、青痣に触れるのがわかった。
「いたい?」
「痛いよ」
だから触るな、という晴一の意図は伝わらなかったらしい。さくらは黙ったまま、晴一の傷口を検分するのをやめなかった。
こうなるとさくらは長い。晴一は半ば諦めの境地で、昼食のことを考え始めた。
朝食を二人前平らげてきて、そこそこ腹は満ちている。しかし、これから午後の授業があることを考えると、決して十分とは言えない。少しでも何か口にしておきたいところだったが――。
「えー、おほん」
わざとらしい咳払いが思考に割り込んでくる。顔を上げると、海野ななみが真面目を煮詰めたような表情で立っていた。
さくらの指が、ようやく傷を離れる。晴一は痛みから解放された。
「あ、ななみちゃん」
「こんにちは、さくら。良ければ、お昼を一緒にどうかしら。私もお弁当、作ってきたの」
「わ、ほんと? ちょっと待ってね、すぐ片付けちゃうから……」
机に散乱した教材をばたばたと整理するさくらを尻目に、晴一は立ち上がった。
海野ななみは、自分から立候補して委員長になったような少女だ。大遅刻してヘラヘラしている晴一とは、タイプが違う。
それに、晴一は彼女がルミエールの一人であることを知っていた。
「あれ、晴一くんどこ行くの?」
「購買。飯食うなら、席使え」
後半は、ななみ に向けてそう言った。
「あら、ありがとう」
メガネのクラスメイトが笑顔を見せる。その眉間に小さな皺が寄っているのを、晴一は見逃さなかった。
(よくよく嫌われたな、こりゃ)
晴一の方から、ななみに何かしたつもりはない。ただ、彼女も晴一と同じように、晴一を違うタイプの人間だと感じているのだろう。
教室の扉を開けて、購買に向かいかける。晴一はそこで足を止めて、さくら達を振り向いた。ななみが張り詰めた声で「さくら」と呼びかけたところだった。
「うん。行こう!」
そう答えたさくらの表情は、晴一が持つ彼女のイメージから遠くかけ離れた、油断のないものだった。
ガイスルーが出たらしい。
広げかけた弁当を手早く片付けて、二人は立ち上がった。晴一は走ってくる戦士のために、道を開ける。
「晴一くん、ありがと!」
「ごめんなさい!」
風のように駆け抜けた二人の背中を見送って、晴一はスマホを取り出した。ホーム画面からブックマークをタップして、昨日ユウコに教わったページを開く。
すぐにブラウザが起動して、画面にはこの辺り一体の地図が表示された。学校から少し離れた位置を中心に、赤色の波紋が広がっている。
晴一がユウコから聞いたところによれば、この世界では日常的に、空間の小さなねじれやゆがみが生じているのだという。国立空間物理学研究所の、次元物理学研究室では、それらを次元震と呼んで、もうずっと前から観測を続けていたらしい。
このサイトでは、その観測結果がリアルタイムで更新、公開されている。ユウコはその意義や意味について、そこそこ丁寧に教えてくれた。
しかし、晴一にとって重要なのは、それがガイスルー出現のサインとして利用できるという一点だ。
やはり、さくら達はガイスルーを退治しに行ったらしい。
こんなことで――。
晴一が顔をしかめた時、誰かが彼の肩を掴んだ。
「大空ァ……校内でのスマホ仕様は厳禁だぞ、大空ァ……」
礼二だった。下手くそな物真似に、晴一は苦笑する。
「それ、生活指導の真似? 似てないからやめたほうがいいぜ」
「うるせえな、いいからスマホはしまっとけ。説教食らうぜ、俺みたいにな」
「なんだよ、また呼び出されてたのか」
「まあな。校長のクソ野郎……」
「お前、結局署名しなかったのかよ」
晴一は呆れた。礼二がいきり立つ。
「当たり前だろ! 署名する奴の気が知れねえよ。さくらちゃんだぞ?」
「さくらちゃん言うな」
「俺は断固として拒否さ。ファンだもの! こうなりゃ意地でも書かねえかんな」
「聞いちゃいねえ」
こうなってしまえば、礼二はテコでも動かない。晴一は無駄だと知りながら、それでも忠告を口にした。
「まあ、ほどほどにしとけよな。内申に響くぞ」
「関係ねえよ。テストで点取りゃ同じだろ」
「お前な……」
実際、礼二にはそう言えるだけの頭がある。晴一は言い淀んだ。その肩に寄りかかるようにして、礼二が声を潜める。
「俺のつまんない話はもういいだろ。それより晴一、飯にしようぜ。ちょうど始まったばっかしなんだ、屋上で観戦しようや」
そう言って礼二が示した窓の外で、パステルカラーの爆発が上がった。
ルミエールが戦っている。
◆
放課後になった。
結局、ガイスルーは昼休みのうちに退治されて、さくらとななみは午後の授業の直前に帰ってきた(さくらは午後イチ、教科書で作ったついたてに隠れるようにして弁当を食べていた)。
晴一はその間ずっと学校にいて、昨日と同じに観戦を続けていた。
こんなことでいいのだろうか。晴一はスマホを眺めた。画面には、次元物理学研究室のサイトが表示されている。学校を出てから数分、彼はずっとそうしながら歩いていた。
一日に二度、ガイスルーが現れたことはないらしい。しかし、今日もそうとは限らなかった。この話自体、礼二との雑談で聞いたものでしかなかったが――。
どん、と誰かにぶつかる。歩きスマホが祟ったのだ。晴一は反射的に頭を下げる。
「あ、すいません」
「いや、構わないよ」
聞き覚えのある低い声に顔を上げる。背広を着込んだ背の高い男が微笑んでいた。
「奇遇だね、大空晴一くん」
明星ノボルだった。
「老婆心ながら言わせてもらうが、歩きスマホはやめたほうがいい。相手次第で思わぬトラブルに発展することがあるからね」
「……気をつけます」
「なに、そう畏まらなくてもいい。私はなんとも思っていない。……昨日は災難だったようだしね」
「災難?」
ノボルは黙って、自分の頬を示した。同じ場所に手を伸ばして、男が怪我のことを言っているのだと気づく。
「ああ。まあ、これは……無茶したのは、おれですから」
「しかし、そこまでやる程じゃない。ショウジさんは、君に銃を向けたんだろう?」
「いや、止められてましたが」
「試みただけで論外だ。フォローのしようがない」
ノボルはかぶりを振った。
「言っても仕方がないことだが、普段は彼もそこまでする人間じゃないんだ。後で君とはきっちり話をさせる。悪いが、少し待っていてくれ」
「おれは構いませんよ。怪我したわけじゃないし」
晴一はまた、スマホに視線を落とした。今の今まで何も起こっていなくとも、次の瞬間にガイスルーがやってきて、次元震が起こるかも知れないのだ。本来は、片時も目を離すべきではない。
ノボルが怪訝な表情で、手元を覗き込むのがわかった。いきなりスマホを弄り始めた若者に、気を悪くしたのかも知れない。
晴一はスマホを差し出した。
「やましいものじゃないですよ。ほら」
「……次元震か」
「ええ。今日もガイスルーが出たでしょう。ルミエールは、感覚でそれがわかるらしい。昼休みに、さくらさんが教室を飛び出して行くのを見ました」
「それは」
ノボルが言い淀む。晴一はうなずいた。
「そうです。仕方ない。おれらは四六時中スマホを見ているわけにはいきません。学校も仕事もある。仮に次元震をルミエールより先に捕らえられても、一旦集合して、道具を持って行かなきゃならない……」
晴一は息を吐いた。それはいささか、自嘲を含んだものになった。
「こんなことで、ルミエールを出し抜けるんでしょうか」
「そうだな」
ノボルが口の端を吊り上げて、自嘲を共有した。
「君の言うことは正しい。私も何度か、議論を試みたことがあるよ。あまり有意義な結果は得られなかったが……『それでもやる』というそれぞれの意志を確認できただけでね。それ以外の部分は、それぞれ考えが違う」
「違うというのは――いや、ちょっと待ってください」
晴一はスマホを見た。ほとんど同時に、ノボルも画面に視線を落とす。地図の上に、微かな波紋が走る。次元震の反応だ。
「かなり近いな。すぐそこだぞ」
「そうですね……」
二人が交わしたのは、ほんの一言二言だけだ。そのわずかな間に反応はみるみる小さくなって、消えてしまった。
晴一はノボルと顔を見合わせる。
「消えたな」
「消えましたね。ちょっと行ってみませんか」
「確かめておく価値はあるな」
ノボルと歩いて、わずかに数分。次元震の発生地点は、なんの変哲もない路地だった。ビルとビルに挟まれた細い道路が、別のビルの敷地を区切るフェンスで塞がれている。
「ふむ……」
ノボルが周囲を見回す。晴一もそれに倣った。
やはり、ガイスルーの気配はない。
「空振りでしょうか」
次元震はガイスルーが召喚される時以外にも、日常的に発生しているらしい。次元震の発生をいち早く捉えられたところで、ガイスルーの出現に立ち会えるとは限らないのだ。
「それならそれで、構わないがね。誰も戦わずに済む」
「それは、確かに。……引き上げますか?」
「いや」
ノボルはスマホを取り出した。
「折角次元震の源に来たんだ。もう少し詳しく調べておきたい」
「どうやるんですか?」
晴一はノボルのスマホを覗き込んだ。何か、特別のアプリを使うのだと思ったのだ。
だが、画面に表示されていたのはメッセージアプリの音声通話だった。
「ユウコを呼ぶ」
◆
「ふーん。それでアタシの出番ってわけか」
「ああ。どうだい、何かわかりそうかね?」
「うーん……」
ノボルが通話を終えてから、さらに数分。自分で運転するジープで路地裏に乗り付けてきたユウコは、靴底を慣らしながら歩き回った。
「ダメだ」
「駄目ですか」
「嫌な感じはするんだけどな。ガイスルーの気配かどうか、区別がつかない。低気圧が来てるせいかも知れないし、車酔いしたのかも知んねえ」
綺麗に整えた頭をバリバリかいて、ユウコはジープの荷台を漁った。
「ま、もともとアタシの感覚なんかアテにしちゃいない。少年、ちょっとこれ、持っといてくれ」
「あ、はい」
言われるがまま、ユウコが手渡してきた荷物を受け取る。それはラッパとライフルを組み合わせたような、奇妙な装置だった。チープな銀色に統一されて、ずしりと重い。ちょうど銃床にあたる部分から伸びたコードが、同じ色の巨大な箱に接続されている。
「充電は――よし。いけそうだな」
ユウコが箱を背負った。どうやらそれが、晴一の持つ装置の本体らしかった。
「少年、ノズルをくれ。で、メーターの読み上げを頼む」
「メーター?」
「背中についてる、一番デカいやつだ。今、どうなってる?」
確かに、本体にはいくつか、小さなメーターがついている。細い針が何かの数値を示して、小刻みに震えていた。
「30から35の間です」
「まあまあだな」
「……それはなんだね?」
見かねたノボルが、呆れたような調子で口を挟む。
「次元濃度測定器」
ユウコは真面目一辺倒の表情で、周囲にノズルを振り回した。
「研究室で使ってる次元震度計と同じもんだよ。こいつは測定できる範囲は狭いけど、その分小さい次元のゆがみもキャッチできる。ちょっと邪魔だけどな」
「ユウコさん」
メーターの針が大きく動いて、晴一は声を上げた。ラッパとライフルのあいのこ――ユウコの言うところのノズルが、壁のある一点を指したところだった。
「ここか?」
「はい。80から90の間です」
「こっちは?」
ユウコがすぐそばの壁を指した。
「35まで落ちました」
「ピンポイントか……ちょっとここ、押さえといてくれ」
ジープに戻って装置を下ろすと、ユウコは油性ペンを持って帰ってきた。晴一の手をどけて、ビルの壁に小さく印をつける。
それからようやく、ユウコはハテナマークを浮かべた晴一とノボルを振り返った。
「こいつはマーカーだ」
「マーカー?」
「ああ。カガイヘイムの連中は、異世界からこの世界に扉を開いて、いちいちやって来てるわけだが……その扉は、いつでもどこにでも開けるようなもんじゃない。どんなに連中が進歩してたって、事前の準備が必要になるはずなんだ。少なくとも研究者はずっと、そう考えてきた」
ノボルが眉をひそめた。
「その準備とやらが、ここで行われていると?」
「そうだ。アタシもお目にかかるのは初めてだけどな」
ユウコは壁の印に触れる。乾いた油性インクが落ちる気配はない。
「今ここにあるのは小さな次元のゆがみだ。けど、これを維持しとけば、そのうち人一人通れるくらいの大きさになる……」
晴一が跡を引き取った。
「そしたら次は、幹部のお出ましですか。今のうちにぶっ壊すわけには?」
「アタシならやれるけど……」
ユウコが言い淀む。
「いや」
ノボルがかぶりを振った。
「壊せば、私たちがマーカーに気づいたことを敵に知らせることになる。ここはモニタリングだけしておいて、敵が来るタイミングに急行するのがいいだろう」
「アタシも同意見だな。今回マーカーを見つけたのはたまたまだし……無闇に連中を警戒させない方が丸いと思うぜ?」
「……なるほど」
晴一は苦虫を噛み潰した。結局また、本質的な解決には至らないというわけか。
「ま、そうヘコむな少年!」
ユウコが晴一の背中をどやした。
「扉が完成するまで、まだ一週間はある。その間に、アタシらも準備を整えりゃいい。それだけあれば、ショウジも来られるようになるだろうしな」
「そういえば……」
ノボルが怪訝な様子でジープを見た。
「今日は、ショウジさんは?」
「ぎっくり腰らしいぜ」
ユウコが短く答えた。
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