【KAC20228】 野田家の人々:私だけのヒーロー
江田 吏来
第8話 私だけのヒーロー
俺は
千紗姉ちゃんとは、俺より年上の
四月からオトンと同じ系列の会社で働くことになったから、叔母さんと挨拶に来た。
「あらー、久しぶりねー。千紗ちゃん、きれいになって」
オカンの弾む声を皮切りに、思い出話に花が咲く。
千紗姉ちゃんが釣りの話をはじめるから、うっすらと消えかかっていた記憶の糸がつながっていった。
千紗姉ちゃんと釣りをしたのは、小学生の夏休み。
中学生になるまで、夏休みになると必ず千紗姉ちゃんのいる叔母夫婦の家に泊まりにいっていた。
山にも海にも近い場所だから、虫取りをしたり、花火をしたり。夏祭りや釣りなど、毎日が遊び放題だった。
そしてあのときは、釣り好きの叔父さんから、はじめて朝釣りに誘われた。
昼間より朝のほうが大物が釣れるけど、出発が午前三時になる。そんな時間に起きられないと弟はぐずったが、大物を釣ってみたい。でも叔父さんとふたりっきりは嫌だったから、千紗姉ちゃんを誘ってみた。
当時、千紗姉ちゃんは中学生だった。引きこもりがちだったようで、外に出たくない。釣りなんてしたくないとハッキリ断られた。
それでも俺はあきらめなかった。
一緒にいこうと泣いて、暴れて、ようやくOKをもらう。
朝釣りの前夜は夕方に晩ご飯をすませて、早々に眠った。早起きはしたくないといっていた弟も、俺のマネをして眠る。
翌日は目覚ましをセットしていたのに、叔父さんに起こされて、眠い目をこすりながら朝食を食べた。
リュックにお弁当を詰めて出発したが、朝の三時。電車やバスも動いていない。目指す海まで約三十分、遠足気分で歩いた。
「誰もいない」
夜明け前の町は静かすぎるほど静かで、点滅している赤信号に意味もなくはしゃいでいた。
早朝すぎて車も走っていないから、道路の真ん中を歩いたり、大の字になってみたり、普段では絶対にできないことをして遊んだ。
はしゃぎまくる俺たち兄弟を、千紗姉ちゃんは眠そうな顔でじっと見つめていた。
海についても、まだ日が昇っていない。真っ暗な海に落ちないように注意しながら釣り糸を垂らした。
叔父さんは調子よく魚を釣りあげるが、こちらは一匹も釣れない。
弟はすぐに釣り竿を手放して、叔父さんが釣った魚で遊びはじめた。
「千紗姉ちゃん、釣り竿、持ってー」
「私、釣りなんてできないよ」
「弟の釣り竿、持っとくだけでいいからー」
餌をつけて、釣り糸を垂らす。
やっぱり魚はかからないけど、千紗姉ちゃんが「わっ!」と叫んだ。
釣り竿が大きくしなり、引っ張られている。
「千紗姉ちゃん、リール!」
「えっ、なに? わかんない。この釣り竿、あげる」
「あかんって、ちゃんと握って。千紗姉ちゃんならできるからッ」
俺は大物の魚を釣ったことがない。
叔父さんを呼ぼうとしたが、姿が見えなかった。弟もいないから、トイレにいったのだろう。
叔父さんが戻るまで、とにかく声をかけ続けた。
「ググッと引き込んだら、大きくあわせて。リールをまいて」
「これでいいの?」
「うん。千紗姉ちゃん、上手だよ。そのまま、がんばって!」
「本当?」
「大丈夫。落ち着けばできるから」
叔父さんがいつも口にしていたことを、ただ繰り返していた。
そして太陽が昇りはじめた頃、波間から銀色に輝いた魚が釣れた。
「おお、千紗が釣ったのか?」
叔父さんも驚くほど大きな魚だった。
それまで成功体験を積んでこなかったから、あの日の出来事が人生を大きく変えたと、千紗姉ちゃんは嬉しそうに話す。
「私が釣った魚、おいしかったでしょう?」
「そんな昔のこと、覚えてない」
俺はしっかり覚えているのにウソをついた。
あのあと、千紗姉ちゃんは大物を釣ったのに、お兄ちゃんは一匹も釣ってないと弟に笑われた。悔しさだけを思い出すから、釣りの話はしたくない。
でも――。
「そっか、覚えてないのか。こっちはパニックで泣きそうだったのに、しっかりサポートしてくれたでしょう。私だけのヒーローが現れたみたいで、かっこよかったよ」
千紗姉ちゃんがゆったりと優しい笑顔をむけるから、思わずドキッとしてしまう。
少し前に失恋したばかりだけど、姉さん女房も悪くない。
従姉と結婚はできるのか?
そんなことばかりを考えていた。
【KAC20228】 野田家の人々:私だけのヒーロー 江田 吏来 @dariku
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