【 #KAC20228】 だから私のモノにする

高宮零司

ヒーローは私だけのものでいい

 十歳にして、私は世界に飽きていた。

 私二ノ宮怜里は旧華族に連なる家系、二ノ宮家の次女として生まれた。

 二ノ宮家を知らぬ者は、少なくとも実業界にはいないだろう。

 世界に展開する商社や、自動車企業、携帯電話会社などを傘下に持つ企業複合体、二ノ宮ホールディングス・グループを支配する創業家一族。

 その恵まれた環境に生まれついた私はそれを思う存分活用し、世界のありとあらゆる事に対して旺盛な知的好奇心を満足させるべく動いた。

 決まり切った反応しか示さない退屈な大人や、感状のままに動く幼稚な同年代の子どもにはすぐに飽きてしまった。

 私の好奇心を満足させてくれたのは生きた人間より、書物の方だった。

 退屈な小学校の授業より、最新の科学論文のほうがよほど面白く思えた。

 そして、中学生になった日、私は叔父である紀一朗と出会った。


 私が覚えている範囲で、初めておじさまと出会ったのは私が十歳の誕生日を迎えた日、誕生日パーティーの席上だった。

 紀一朗は二ノ宮の一族としては異端だった。

 そもそも次男であるのに紀一朗という名前からしておかしい。

 あとで調べて分かったが、おじさまと私の父とでは母が違うらしく、おじさまは後妻の子ということらしい。それにしては兄弟仲は良好だったらしいが。

 おじさまは逢坂藝術大学卒業後、塾講師をしながら漫画家を目指していたが新人賞受賞には縁が無く、ついに漫画家になることを諦めたのだという。

 それと時を同じくして、勤めていた学習塾が倒産。

 失業者になった弟を心配した兄――つまり私の父――が、お情けで一族のグループ企業が経営する中高一貫校に非常勤の美術教師として採用したのである。

 

一度は飛び出した家に戻り、グループ総帥となった兄に就職を世話してもらう。

それがどれほど屈辱的な事であるかは、私には想像できない。

それでも、紀一朗は何事もなかったかのように笑っていた。

 親族の多くに陰口を叩かれていることくらい、彼も分かっているとは思うのだが。

「怜里ちゃん大きくなったね。お誕生日おめでとう」

小学生の女の子に対して、最新研究を反映したとかいうCGで描かれた恐竜の図鑑を渡すセンスだけはどうにも理解出来なかったが。

それでも、とにかく印象深い人物であったことは間違いない。


 私が中学校に上がった年、おじさまは私の入学祝いに一万円の図書カードを贈ってくれた。さほど、裕福とは言えない彼が奮発して贈ってくれたこの贈り物は、今でもなんとなく使えずに手元に残っている。


 そして私が中学二年生に進級した年、おじさまが私のクラスを担当することになった。そのうえ、兄――父の強いすすめもあって、安アパートを引き払って二ノ宮家の屋敷に居住するようになっていた。

 必然的に、おじさまと私は顔を合わせる頻度が高くなっていた。

 そんなある日、私は屋敷の図書室に向かっていた。

 二ノ宮家の屋敷は日野の郊外にある、広大な庭園を持つ洋館だった。

 ビリヤードに興じることの出来る遊戯室や、一族での宴会にも使う大広間など、およそ令和の世に私有物として存在することの難しい建築物だった。

 私から言わせれば、こんな広大な屋敷は維持管理コストばかりかかる浪費の象徴といったところだ。それでも、図書室だけは褒めるべきかもしれないと思っている。

 古今東西の希少な英文文献の原書から、明治大正期の大衆小説、様々な美術展覧会の図録まで、希少な本が雑多に収められている。

さすがに常駐の司書こそいないが、定期的に雇い人が蔵書整理や本の虫干しを行っていたはずだ。

 その図書室に入った私は、珍しく先客がいるのに気づいた。

 紀一朗叔父さまだった。

 彼は宴会でも出来そうな大きさの大机に何冊かの本を開いたまま、なにやら鉛筆で書き込んでいる。

 着衣は履き古したストーンウォッシュのジーンズに、白いスウェットシャツ、その上に青いセーターを羽織っている。

 あまりにも前傾した姿勢のために、額が頭につきそうに見える。

「手元が暗いんじゃないですか?」

 私は図書室の戸棚から持ってきたLEDデスクライトを差し出す。

 読書の時に使うために備えさせているものだ。

「ああ、ごめん。気を遣わせてしまったね。そろそろ終えるところだったから、それは君が使っていいよ」

「それはなんですか、マンガ?」

小首をかしげている私に、おじさまは困ったような顔を浮かべる。

「正確に言うと、ネームといって、マンガの設計図のようなものかな。コマの配置や、どういう絵を描くか決めておくんだ」

私はマンガというものにほとんど触れたことがなかった。

別に両親はマンガを読む事を禁じていた訳では無かったが、あまり良くは思っていないのだということは察していた。

この図書室にも一冊も存在していなかったし、私もこのときまで特段読みたいとは考えたことはなかった。

だからこそ、おじさまの描いているマンガの設計図、ネームに興味を引かれた。

「あの、差し支えなければなんですが。そのネーム、読ませてもらっていいですか?」

「え?……いや困ったな。ネームはいわば下書きだから、完成品じゃないんだ。それに……」

 そう言って、おじさまは言葉を濁す。

 両親がマンガの事をよく思っていないのを、意識しているのだろうか。

「未完成でもいいんです。おじさまの描いているものを、読んでみたい。ダメですか?」

 そう言われてさらに困った顔になったおじさまはしばらく迷っていたが、観念したように私にそのネームが描かれたコピー用紙を渡してくれた。

 鉛筆で描かれているそのネームは吹き出しやコマ割りが荒削りに描かれている。

 人物の顔は表情こそ描かれているものの、大胆に省略されており髪型や衣服も分からない丸い顔と四角い胴体で描かれている。

  それでも、動きのある絵を見ていると、なんとなくストーリーは飲み込めた。

 

 マンガの作中世界は、先天的に特殊能力を身に着けた「ヒーロー」が多数実在していて、自らの特殊能力を発揮して活躍する社会。

 警察ですら、ヒーローの手助けをするだけの存在となっている。

 主人公は若き天才科学者だが、特殊能力を持たずに生まれたことをコンプレックスに感じていた。

 そんな最中、特殊能力を悪用する犯罪者が逃走中、たまたま付近にいた市民数人が人質に取られてしまう。ヒーローの活躍により犯罪者は拘束されるが、戦闘に巻き込まれた人質の一人が死亡。その死亡した市民が、主人公の妹だった。

 主人公の必死の調査により、妹が死亡する事になったのはヒーローが自らの所属する動画配信サイトの配信スタッフが到着するまでの時間稼ぎをしていたせいだと

判明する。

 欺瞞に満ちたヒーローを断罪するため、そして能力を悪用する犯罪者を裁くため、主人公はヒーローと犯罪者双方を裁く「ダークヒーロー」となることを決意する。

 主人公の切り札は特殊能力を発現させる「能力遺伝子」を無効化させる「無能力薬」。しかし、主人公は特殊能力を持たないため、能力に対抗できる能力を発揮することのできる「パワードスーツ」を開発、身に着けて暗躍する。

 ヒーローと犯罪者双方を断罪していく中で、主人公はより大きな悪との戦いに巻き込まれていく……


 マンガのネームを読み終えた時、私は「世界に飽きた」という言葉が小娘の戯れ言に過ぎないことを理解していた。

 私は確かにこの世界には飽きたのかもしれない。

 だが、このマンガの世界には飽きるどころか、もっとこんな作品が読んでみたいという渇望に襲われていた。

 これまで何もかも恵まれてきた私にとって、執着の対象というのはほとんど無かった。手に入れたいものは一言言えばたいていは手に入った。

 モノに対してはいつも淡白に過ごしてきた。

 だからこそ、生まれてはじめて「これを自分のモノにしたい」という自らの欲望に戸惑った。

 

 あえて言えば、その後に触れた様々なマンガや小説の中に、おじさまよりも優れた娯楽作品は多くあった。

 だけれども、それは私の渇ききったような欲望を満足させてくれるものではなかった。

 世界のすべてを憎悪して燃やし尽くしたいというどす黒い欲望と、すべてを愛したいという清らかな聖性、その狭間で揺れる陽炎のような創作物。

 それは、一般的に言えば孤独で何ももっていない、兄のおこぼれで生きるような人生から生まれたような漆黒の炎。

 だからこそ強く思った。

 おじさまを私だけのモノにしたい、と。


「ど、どうだった?」

 そわそわして落ち着かずに視線をきょろきょろさせていたおじさまは、コピー用紙の束を机に置いた私に、おずおずと尋ねた。

「すごく面白かったです。特に主人公がヒーローに復讐を遂げる中で自分の暗い愉悦に気づくところとか…」

 私の褒める言葉に、おじさまはさらに挙動不審になる。

 嬉しいのだろうが、私の褒める言葉に素直に喜んでいいのか戸惑うような、はにかんだ笑顔を浮かべる。

 その挙動の何もかもが愛おしく感じることに、私自身が戸惑っていた。

―ああでもこれが俗に言えば「運命」なのかもしれないわね。

 そうだ、おじさまの作品は凡庸な大賞選考委員どもの眼鏡にかなうためでもなければ、つまらない凡百の読者のために書かれるものであってはならない。

私だけのものでなければならないのだ。


―ダークヒーローは、私だけのものでいい。

この日、たしかに私はおじさまを手に入れることを決意したのだ。


  






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