2.
その行為とは何か。
そう考える前におれの視界に、今まで無意識に見えていた宇乃美を取り囲むDVDの棚を、初めて認識した。よくあるだろ?灯台下暗し…とはまたすこし違うがよ。割と一番近くが見えてなかったりするもんだ。
宇乃美の両隣の棚にあるDVDが綺麗にめちゃくちゃになってるってことがな。
ああ、うん。
的確な表現をまだ見つけることができない。
綺麗にめちゃくちゃ、っつーのはなんというか変な表現だけどよ、箱自体はぴっちり枠に合わさってんだけどよ、DVDの外箱の色が、あべこべになってたんだよ。
吐き気を催すような、いとも見つけたものに不気味さを植え付ける、みたいな感じによ。何というか、
終わっている。
という感じだったな。
終わっていながら美しいってのも奇妙な話だが、おれはその配列に対して、芸術性を見出してしまった。ただ退廃的とあまた違った。
美しい。
そう思った。
これは宇乃美がやったんだろうか。おれはたずねた。これはあんたの仕業か、とね。
「ええ、そうよ。よく分かったわね。犯人は私よ」
気持ち悪い。
おれは素直にそう思った。女子に対してあけすけにものを言うほどおれは馬鹿じゃねえが、これは言わずにはいられなかった。
思わず口からこぼれそうになるほどその現実はとてつもなく気色悪かったぜ。
この世のものとは思えない、ってーのは言い過ぎかな。でもこんなこと言われちゃあ、おれはそれを覆すことはできねえ。
「私がここまでした結果、多分やりすぎだったのか、小学3年生の頃から、まともに私と相対しようとした奴は一人もいないわ。試験の面接官ですら私と一度も目は合せなかった。合格できたからいいんだけどね」
人間と面と向かって話すのって何年ぶりかしら―――と。
狂ってる。
「だから、弓継の『こいつは何をしているんだ?』っていう疑問がぽわぽわしてる眼球に返答するのであれば、そうね。DVDの並びをあべこべにしている――と言ったところかしら。綺麗な配列を、何も考えずにバラバラにする」
狂ってる。
「そうすることで、当たり前にあるはずの景色が無くなっただけで、体調不良をきたすこともあるみたいなのよ。私はそういうのを痙攣的な美と呼んでいるわ」
狂ってる。
「見てみなさい、弓継。この配列。考察に考察を重ねて、この配列が一番、痙攣的だと思ったの。ほら、美しいでしょう?」
いちいち言及するまでもねえ。宇乃美は狂っていた。何が狂っているって、それをすぐ近くの――レンタルビデオ店で行ってしまうことが、異常を極めていた。脳みその中で狂うの「狂」の字が乱舞した。
思いつくしたぜ、狂ってやがる、気持ち悪いってな。
実際口にも出しちまった。
「ふふ、ありがとう。それは私にとって誉め言葉よ」
宇乃美の方は、その罵倒語を全く意に介さず、どころか誉め言葉として受け止めちまってた。どこまで壊れれば気が済むんだこの女は。
「ほら、なんだかあるじゃない? 逸脱した世界の憧れとか、日常からの脱却とか。退屈な日常はこりごりだとか。でも、そこから外れるのはとても難しいのよね。どこにでも黒の組織がいるわけではないし、世界と彼女との命運を分けたりはしないし、妖怪と人間との争いに巻き込まれることなんてない――だから私は手軽に逸脱したかったのよ。インスタントラーメンを作るような感覚でね。このビデオ屋の配列はその練習。どう?ちゃんと埒外になっているかしら?」
自ら逸脱を望む以外に方法はねーのか、全部試したのか。
おれはついつい質問してしまったが、あんただってそう思うだろ?
おかしいよな?
周囲から変な奴と言われて、そして自分の周囲を狂わせてそれを普通だと順応させる?格好よくいうならこうか?
自分は変わらず、周囲を変える。
それは、駄目だろう。
「そうね、駄目かもしれない」
安直にスルーされちまった。返答の反応からして、宇乃美はまともにおれの話なんか聞いちゃくれねえ。駄目かもしれないなんかじゃない。駄目だ。それは人として達してはいけない領域だ。
「駄目かもしれないことを、駄目だと分かっていることをしたくなる気持ちって、一度は抱いたことあるんじゃない?」
確かに世間一般的に反抗期ともいえる時期にいるおれが言うのもなんだが…。
しかし。
おれが話すには、宇乃美とは価値観というか、歩んできた人生が違いすぎる気がしたんだよな。幼いころから英才教育を受けた奴は性格が曲がるとかよ、よくチャチな漫画で登場するだろ?
そういう、普通とは違う人生を歩んできたやつっつーのを、おれはここで初めて見たんだよ。
「でも、諦めなければきっと道は開けるんでしょう?」
こりゃ無理だ。
おれはこの瞬間、宇乃美への理解を諦めた。
何が無理なのかといえば、そいつを、この場合は宇乃美を理解することになるな。
あんたも知ってのとおり、こういう台詞は負けそうになった正義の奴が使うようなもんだろ。だから物語上では、こういう台詞を悪役が言わないように作者による介入があるはずなんだが…おれが思ってるように、これって物語じゃねーんだよな。
勿論最初はおれだってこいつただのアニメや漫画に影響されただけのしょぼい奴じゃねーかとは思ったぜ。
けど、宇乃美は違う。
もしかするとおれの見当違いかもしれねーが、宇乃美はあまりにも精神的に人間からかけ離れていた。
すげえ分かりづらい表現だけれど、おれにはこう言い表すほかねーんだ。再び周りを見渡した。そこには、さっきと変わらず人に不快さを催させるような並べ方で、DVDの箱があった。おかしいよな。日常的な風景をちょっと変えただけで、吐き気を催すほどの負担がくるなんてよ。
おれは危うく嘔吐しちまいそうになって、咄嗟に口を抑えた。まあ、宇乃美のことだからその辺もちゃんと観察されてたみたいでよ、宇乃美は、
「やっぱりみんなそういう目で私を見るのよね。まるで害虫でも見るような目で。嬉しいわ」
と言ったんだ。
なんでなんだろうな、おれの見間違いかもしれねーけど、なんだか楽しそうだったんだよ、宇乃美のやつ。
自分の存在を卑下されているというのに楽しそうっつーのは…まあ、被虐趣味か何かなんだろうが…ここまで来るとおれも現実を受け入れられるようになってきてよ、宇乃美の発言にいちいち驚くことが無くなったんだ。いつまでもビビってられねーしな。
だから宇乃美が笑みを浮かべた理由は、単なるマゾヒズムで、そうすれば今までの宇乃美の行動に説明がつくとか、そんなことを思ってたんだ。
ほら、詳しく説明しないで物語がどんどん進んでいくのになぜか人気が出ちゃう系のアニメ。
そんな感じで自分で納得した。
多分多くの小説家とかが、もしおれの人生を変えていたら、きっとこの辺りでおれが初めて鍵括弧を使って喋って終わるっていうオチにしたんだと思うぜ。
だが…そんな可能性は無いと思うが…万が一作家志望のクソ高校生の書いたような物語の上だったとしたら。
きっとそいつはすべてを開示しちまうんだろーな。
いやいや、メタ発言ってわけじゃなくてもしもの話だよ。
この世が小説なわけがねーだろ?だから、場合によってはコミュ障高校生の書いた気色悪い小説みたいな展開になることだって十全あり得るんだよ。
あくまで『みたいな』、だがな。
初めにも言ったようにおれは小説全般、特に素人小説が大嫌いなんだ。だけど嫌いだからと言って、その通りにならないとは限らねーのが現実なんだよなあ。残念なことによ。宇乃美は一度深呼吸をした。空気がかき回される感じがした。
「そういう目で見られるのも、嫌いじゃないことも確かだわ。ほら、もっと私を見て。私が、この痙攣的な美の作者よ」
おれは、それに耐えきることができただろうか。
分からない。
喉の奥から変な声が出てきたような気がする。しばらくの沈黙の後、おれは訊いたぜ。お前は一体何がしたいんだ、とな。お前のしたいことは一体何で、どうしてそんなことをしているのか――そりゃ、誰だって気になるよな。おれも気になった。だから、訊ねた。
「理由? そうね、弓継」
一呼吸おいて、宇乃美はこう言った。
「世界って、綺麗過ぎると思わない?」
何を言っているのだろう。こいつは。
「綺麗に顔を整えて、一から十まで並び奉って――確かにそれがただしい配置なのだろうし、間違いはないのかもしれないわ。でもそれって、そうでない可能性を徹底的に排除しているって思わない? こうして一件醜い並び方でも、表記でも――それでも美しいとかじることができるじゃない」
それは、そうだろうが、間違いはないのだろうが――どうなのだろうな。
それ以上、それを考えてしまってはいけないような気がした。それ以上、考えてしまっていいのだろうか。
「世界はこんな風に美しいというのに――そこから目をそらすだなんて卑怯だわ。だから、私が教えてあげようと思ったの」
そこまでやらなくともいいんじゃないのか。
お前が世界を乱せば、それを正す人間が現れるんじゃねえのか――そう思ったぜ。この場所なら、店員のようにな。
そんな痙攣的な並びになっていたら、それがどれだけ美しくとも、正しくなければ、意味はないのではないか。
「ふうん、そう、弓継は美しさより、正しさを取るのね」
そういうことではないが――そう言おうとしたんだが、おれは確かに、そうだった。
美しさより正しさの方を取った。
するとなんだか、申し訳ないような気持ちになっちまったってわけだ。
なんでだろうな。
こいつに同情する余地なんてねえってのに。ただ、何となく宇乃美の気持ちを理解する事が出来ると思ってしまったのは、そうだな――何となく理解する事が出来たからかもしれない。宇乃美の思考回路にじゃねえぜ。
宇乃美という人間に対する、世間の目がな。
恐らくこいつは、自分の思想を開示することを躊躇するような人間ではない。
今までこいつが、周囲の人間からどういう目で見られてきたか――『おれでなかったらやばかったぜ』なんて思っているわけではないけれど、同情してしまった。
「あら、その視線は同情ね」
と、おれの目に気付いたのか(視線だけで気付くなんてすごい奴だ)宇乃美はそう返した。
「けれど気にはしないわ。私に何より味方なんていないもの。それに、他人と自分との世界を比較するなんて、愚かしいことだと思わない?」
世界、とてつもなく規模の大きい言葉だった。
「私には私の世界がある。私には逆に、世界が醜く見えるのよね。何、整って前へ倣えして、同じような人生を歩んで。そんな世界が皆お気に入りなのかしら。恐らく私はね、世間からみたら、壊れている人間。そう、そういうことだと理解している。こうして私が直した世界だって、いつかは正される。けれど、けれどね、弓継――だからといって私が行ったことが、世界に何も影響を与えなかったかと言えば、そうではない。でしょう」
どういう意味なのか、おれは理解することができなかった。
「そう、私はね。この無意味な行為に、意味を見出そうとしてやっているのよ。ふふ、褒めてくれて構わないわ。世界はこんなに美しいってことを、世の中の人間全員に知らしめてやるのよ。そのために、今ある世界には変わってもらおうってだけ」
褒める気は、おれには毛頭なかったぜ。ただ単純に、そんなことのために一所懸命になることができるっつう宇乃美って女は、間違いなく狂っているってことが分かった。
丁度おれが嫌う小説の登場人物よりも、実に生々しく、終わっている。しかしそれが、美しいんだよな。こいつの生き様も、間違っていて、何一つ正解していないけれど、それでも美しい――って。
思っちまったんだわ。
それこそ、おれの論理的敗北ってやつだ。
そこに納得しちまえば、もう負けたみたいなものだろう。おれの思考回路はその辺りで限界だった。
こんな壊れた人間が当たり前みたいに――小説みたいに存在していることを、許容することができなかった。
すまん、ちょっとおれはもう限界だよと、そう言った。理解できないって、そう言った。理解できないし、受容することもできない。
「ええ、そうだろうと思っていたわ」
まるで分かっているかのように、宇乃美は言った。
ハッタリだと分かっているのに、本当に言っているように感じてしまう。その言葉の選び方は、宇乃美っぽかった。
こんな短時間しかいないのに、まるで半生を共にしたような気分になっていたんだ。
奇妙だよな。
この宇乃美がおれに与えた言葉の影響は、確かに大きかったぜ。
「いい? 弓継」
宇乃美は言い聞かせるように、おれの耳にこそばゆい息をかけながら静かに言った。
「世界っていうのは、こんなにも美しいの。それを忘れちゃだめ。間違っていても、ずれていても、正しくなくとも、美しい瞬間というのがあるの。それこそが、痙攣的な美しさよ」
一体その言葉から、宇乃美が言いたかったことを理解することはできなかったけれど――それでも、何だか何となく何かのように、分かりあえたような気がしたんだよ。
それから先、おれと宇乃美はしょーもない話を繰り広げて、そして別れた。
感傷とかは特になかったぜ。
ああ、ただ、宇乃美と会った(遭った?)前と後では、決定的な何かが違っていた。
何かを奪われてしまったっていうか。
何て言うか――まあ実際に唇は奪われているから、下手に言及するのは避けたいんだけどな。おれとしては。
なんつって。
(続)
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