第12話 永い悪夢
定期礼拝は、メル島の中にある大神殿で行われる。いつも祈りの歌を歌っている巡礼の森のすぐそばだ。
二週間後の定期礼拝では、「聖女」が祈りの歌を歌う手筈だ。
……今日の作戦がうまくいけば、そこで祈りの歌を歌うのは私になるのよね。
砂色の外套を何度も体に巻き付けながら、まもなく始まる礼拝に思いを馳せる。あたりには、礼拝のために集まった民が大勢ひしめいていた。貴族階級は特別席から参加しているのだろう。
隣には、私と同じ色の外套を纏ったアルフレートの姿ももちろんあった。アルフレートの黒髪はそこまで珍しい訳ではないが、私の銀の髪は一目で「妖花の魔女」と判断されてしまう可能性がある。だからこうして市場で買った古びた外套に身を包んで身を隠しているのだ。
初めにレアが意図していた形ではなかったが、結果的に私の髪を切ってくれたことはこうして役に立っていた。
「……狙うのは皆が祈りの歌を斉唱する直前だ。幸い、アディ卿の父親も列席している。アディ卿がそばにいない以上、無条件に信じるわけにはいかないが……アディ伯爵家が本物の聖女を庇護することを本望としているなら、必ず力になってくれるはずだ」
アルフレートに言われて視線を動かせば、神官たちが立ち並ぶバルコニーの真ん中に、青鈍色の髪の男性がいた。レアにそっくりな髪色ですぐにわかった。あの人がメル教の神官長、アディ伯爵家当主なのだろう。
大丈夫、守ってくれる人はこんなにもいるのだ。あとは、私が勇気を出して名乗り出るだけ。
それでも、かつてないほどの不安に飲み込まれてしまいそうだ。指先の震えを紛らわせるように、隣に立つアルフレートの手を握る。すぐに、宥めるような指先が絡みついてきた。
「大丈夫だ。……皆に、お前の綺麗な歌声を聴かせてやれ」
「アルフレート……」
彼の澄んだ声に酔いしれるように、ゆっくりと瞼を閉じる。彼が大丈夫だというなら、大丈夫なのだ。指先を絡めあったまま、そっと彼の肩に身を預けた。
……フローラ、どうか見守っていてね。私はやり遂げてみせるわ。
私が聖女になれば、彼女もいくらか浮かばれるだろうか。一刻も早く聖女になって、彼女をきちんと埋葬してあげたい。お義兄さまとレアを、暖かな部屋に迎え入れたい。
そして、誰に蔑まれることもなく、アルフレートの隣を歩きたい。
そのすべての願いを今、叶えにいくのだ。
神官長の祈りの言葉が始まる。この説教が終われば、祈りの歌の斉唱だ。運命の時は、刻一刻と近づいていた。
「妖花の魔女は、呪いの歌を歌い、国中に毒の花を咲かせ、人々から安寧を奪った。それでも聖女はその悪き魔女に怯むことなく、祈りの歌で魔女を打ち果たしたのです――」
聖女の教えと忌まわしき魔女の話を聞き流しながら、機会を窺う。
神官長の説教を聞いても、驚くほどに神聖な祈りの気持ちは湧いて来なかった。もはやこの国を守るためというよりも、大切な人たちの未来を守るために動いているせいだろうか。
……そういう意味では私は、聖女にふさわしくないのかもしれないわね。
王女となんら変わらない、自分のために動いているだけの人間だ。
でも、もうそれでいいと思ってしまう。フローラの望んだ「聖女」の姿とは違うのかもしれないが、清らかな祈りだけを心に住まわせるには、理不尽なことが多すぎた。
神官長の説教が終わりに近づいている。そろそろ作戦の決行の時だ。思わず、アルフレートと繋いだ手に力を込めた。
「……行こう」
「……ええ」
民衆の前に姿を現すべく、ひしめく人々をかき分けて進もうとしたそのとき、ふらりと、行く手を遮る影があった。お仕着せをまとったその人は、フローラにいつでも張り付くように支えていた侍女だ。
……フローラの、監視役。
味方であるはずがない。アルフレートもすぐに彼女の正体を悟ったのか、歩み出ようとしていた足を止め、彼女と相対した。
「……さま、姫……さま」
ぶつぶつと何やらつぶやく彼女の様子はどこかおかしかった。普段の厳しい雰囲気は薄れ、少しでも刺激を加えれば彼女を支えている細い糸がぷつりと切れてしまいそうな、そんな危うさがあった。
「ねえ、あなたなんでしょう、妖花の魔女」
髪も姿も砂色の外套で隠しているが、フローラに支えていた彼女には私の顔立ちだけで正体がわかってしまったのだろう。王家に属する人間が民衆の中に紛れ込んでいるのはあまりにも不自然だった。
「あなたが、殺したんでしょう……王女さまを、私の、聖女さまを……」
……王女を、殺した?
王女は、城で療養しているのではなかったか。長くはないとレアから聞いていたが、こんなにも早く女神のもとへ召されてしまったのだろうか。
「聖女さまは行ってしまわれたわ……女神さまのもとへ。今朝、日の出と同時に、遠い場所へいってしまったの。こんなに早く、いなくなっていい方ではなかったのに。あの方がいなくなったら、すべて、おしまいなのに」
ふらり、と侍女は私たちとの距離を詰める。彼女の不穏な空気を察したのか、周囲の注目が集まり始めていた。
「……一旦引こう、ジゼル。様子がおかしい」
耳打ちするように囁かれたアルフレートの声に、小さく頷く。幸い、周囲にはまだ私の正体は見破られていない。
ただ、侍女の発した王女の死を思わせる発言には、動揺が広がっているようだった。
「王女さまが……?」
「それじゃあ、この国の加護はどうなるの……?」
「次の聖女の誕生はまだ当分先なんじゃないか…?」
計画が狂ってしまったが、この混乱に乗じてこの場を離れるのが先決だろう。よりにもよってこの朝に王女が亡くなるなんて。最後まで私の邪魔ばかりするのが好きらしい。
そっと人混みに紛れようとしたそのとき、不意に背後から腕を掴まれる。先ほどの侍女が、何かに取り憑かれたかのように目を見開いて私を捕らえていた。
「よくも……よくも王女さまを……クラウディアさまを……!」
私の腕を掴む手とは反対側の手に、何か光るものが握られていることに気づいて、さっと血の気が引いていく。アルフレートも気づいたのか、私の腕を掴む侍女の手を捻り上げ、私を庇うように立ち塞がった。
「アルフレート……!」
きん、と刃物のぶつかり合う鋭い音が響き渡る。侍女はぼろぼろに泣きじゃくりながら、短剣を振り上げていた。それをアルフレートが手持ちのナイフであしらったようだ。
「殺してやる殺してやる殺してやる! よくも……よくもクラウディアさまを!!」
「アルフレート!」
再び振り下ろされる短剣を、アルフレートは私を庇いながらかわしていた。武術の心得がない私は明らかにお荷物だ。
ここで、祈りの歌を歌えば、何か変わるのだろうか。無理矢理にでも作戦を決行すれば、状況を打開できるのだろうか。
ああ、でも、どうしても祈るような気持ちが湧き起こらない。最愛の人の危機を目の前にしながら、人々の安寧を願い、草花を慈しむような気持ちになれるはずもなかった。
「……っ!」
アルフレートが侍女の短剣を振り落とし、その拍子に彼女の頬に大きな切り傷ができる。ぱっと、赤い飛沫が辺りに散った。
「きゃああ!」
アルフレートと侍女の攻防は、とっくに周囲に伝わっていた。皆、私たちを取り巻くようにして、すこし離れた場所からことの次第を見守っている。傍観している人々の顔には明らかな恐怖と、この非日常的なできごとに対する好奇心が滲み出ていて、吐き気がする。人の不幸を愉しもうとしているのだ。
「誰か、その女を殺して! そいつは、妖花の――」
叫び出す侍女を躊躇いなくアルフレートが殴りつける。衝撃を受け止め切れず崩れ落ちた彼女に、間髪入れずに彼はナイフを振り上げた。
「っ……」
すんでのところで身を捩って刃を避けた侍女は、口元から血を流しながらぼろぼろと泣き続けていた。痛くて泣いているわけではないのだろう。王女を失った悲しみと絶望のままに、涙を流し続けているのだ。
……あの愚かな姫に、ここまでする価値がある?
抑えこんでいた暗い感情が、次々と浮かび上がってきては心を揺るがせる。だめだ、今は冷静になってここから逃げ出さなければならないのに。
「ジゼル、行こう」
「ええ……」
アルフレートは素早く私の手を取ると、私を彼の外套の中に包み込むようにして、庇うように歩き出した。
周囲の人間は状況が掴めていないのか、こちらに手出しはしてこない。殴られ、傷つけられて崩れ落ちる侍女を、びくびくしながら見守っているだけだ。
「っ……逃がさない!」
侍女の叫び声が上がると同時に、光るものが投げつけられる。もう一本、刃物を持っていたのだろう。それはまっすぐに私の顔面めがけて飛んできた。
「っ……!」
咄嗟に身を屈めて避けようとするも、間に合わない。
ぱっと、視界に赤が舞う。同時に、金属がぶつかり合うような硬い音が響き渡った。
ぽたぽたと、生ぬるい血が腕を伝い落ちていく。
だが、どこも痛くない。数瞬遅れて私は、アルフレートに抱き止められていると気がついた。
「ぐ……っ」
「アル、フレート……?」
ずる、と彼の体重が私の体にのしかかる。慌てて受け止めようとしたが、背中に何か温かくてぬるついたものが付いているせいで、うまく支えられない。
「アル……フレート……?」
侍女が投げた短剣は、見事にかわされており、綺麗なまま私たちの足元に落ちている。彼を傷つけてはいないはずだ。
それなのに、どうして。
「……しくったな、弓まで見切れなかった」
彼が苦笑いとともにそう告げたことで初めて、彼の背中に白い弓が刺さっていることに気がついた。深々と刺さったその弓矢からは、絶えず赤黒い血が滴っている。
「どう……して?」
彼を支えながら弓矢が飛んできたであろう方向を見上げれば、神官たちの並んでいたバルコニーで弓を引き絞る聖騎士がいた。それは、私を狙っているようにも見える。
だが、その聖騎士を青鈍色の髪を持った男性が突き飛ばし、弓矢はバルコニーの壁に刺さった。神官長は、どうやら私たちの正体に気がついたらしい。
レアと同じように、彼も私たちの味方なのかもしれないが、もう遅い。アルフレートに矢は放たれてしまった。
肩で息をするアルフレートは、もう自分で立っていられないようだ。私に体重を預けたまま、ふたりで地面にしゃがみ込む。砂色の外套は、アルフレートの血で真っ赤に染まっていた。
「悪いな……ジゼル。ひとりで逃げられそうか?」
アルフレートの頭を膝の上に乗せれば、彼は弱々しく笑いながら問いかけてきた。冗談じゃない。最愛の人を置いて、逃げられるわけがない。
「私が……私が支えていくわ、ふたりで、逃げましょう? ね? お義兄さまやレアのところまで行けたら、きっと……」
励ますように笑いかけようとしたのに、声が震えている。そうこうしている間にも、彼の体からどんどんと血が溢れ出していた。血溜まりが、取り返しのつかないほどに広がっていく。
「いや……いやよ、アルフレート……いや……!!」
ついに、強がることもできなくなってしまう。だめだ、こんなにたくさん血が流れたら、アルフレートは――。
「こんなことなら、あのときに、何もかも全部捨てて……お前を閉じ込めておけばよかったな……」
こんなときにまで、揶揄うように彼は笑った。震える指で触れた彼の頬は、すっかり冷たくなっている。
「閉じ込められてあげる……なんでもするから、お願い、いかないで、アルフレート……!」
彼と一緒にいられるならもうなんでもいい。聖女だろうが魔女だろうが、この世に二人きりになろうが構わないから、私から離れていかないで。
その祈りを見透かすように、彼は淡く微笑んだ。そうして眩しそうに金の瞳を細めて、私の髪を撫でる。
「悪いな……ジゼル。なにも、成し遂げられなくて。情けないまま終わってしまって……」
「そんなことない! そんなこと言わないで!」
弱々しく私の髪を撫でる彼の手を思わず両手で握りしめ、頬に擦り寄せた。すこしでも、彼の温もりを繋ぎ止めようとするかのように必死に縋りついた。
「でも……それでもずっと愛している。一日たりとも、お前を好きでない日はなかった」
アルフレートは弱々しい力で私の手を引き寄せると、そっと手のひらにくちづけをした。いつもは火傷するかのように熱い彼の唇が、氷のように冷たい。それの意味するところを、考えたくはなかった。
「大好きだ、ジゼル、こんなにも――……もっと、ふたりで一緒に生きたかった」
「何を言っているの、この先もずっと一緒でしょう? ……生きるのよ、この先も二人で」
アルフレートに顔を寄せながら言い聞かせれば、彼はゆったりと目を閉じて、幸せそうに微笑んだ。言葉とは裏腹に、まるで一片の悔いなどないと言わんばかりの穏やかな表情で。
「ああ……そうだな。いつまでも一緒だ、ジゼル」
それだけ言い切ると、彼は長く細い息をついた。
それを最後に、穏やかな笑みを残したまま、ぴくりとも動かなくなる。
「アル……フレート……?」
気づけば私たちは、血溜まりの中にいた。いつの間に、こんなにも彼の血が広がっていたのだろう。
……だめだわ、こんなにたくさん血を流したら、人は死んでしまうのよ。
「アルフレート……だめ……今、戻してあげるわ。あなたの血だもの、あなたに戻せば問題ないわよね……? そうすれば、また、私とお話ししてくれるのよね……?」
震える手で彼の血を掬い上げるも、指の間からこぼれ落ちてしまう。命が、すり抜けていく。
「だめ、もっとうまくやるわ。私、もっとうまくやるから……アルフレート……アルフレート、ねえ!!」
ぱしゃん、と彼の血が虚しい音を立てた。血に塗れた手で、彼の胸を掴む。そのまま突っ伏するように、彼の胸に顔を埋めた。
「アルフレート……お願い、返事をして。お願い!」
これだけ言っても、返事は返ってこない。私の体の揺れと同時に力なく彼の体も動いた。それが、すでにこの体に命が宿っていない何よりの証に思えて、言いようのない絶望に世界が覆い尽くされていく。
「うああ、あああ、あああああああああああ!!!!!」
人とは思えぬ声を上げて、訳もわからぬままに泣き叫んだ。
いちばん失いたくない人が今、私の目の前でいなくなってしまった。私を庇って、いなくなってしまった。
二度と戻らないなんて信じたくない。一緒に生きられないなんて、考えられない。
「あ……あああ……う」
文字通り声が枯れるほどに泣き叫んで、彼の体に縋りついた。こんなにも大切にしているのに、どうして彼の命を留めておけないのだろう。
一瞬、世界から音が消え去ったかのような静寂が訪れる。周りにいる人間たちは、息も忘れて私たちの様子を見守っているらしかった。
「あ、あれが妖花の魔女よ……! 聖女を殺したから、当然の報いを受けているだけだわ!!」
永遠に続くかのように思われた静寂を破ったのは、先ほどの侍女らしき女の声だ。吐き気がするほど耳障りだ。
「妖花の魔女を、許してはいけないのよ!」
その言葉と同時に、何か硬いものが投げつけられた。ごつ、と鈍い音を立てて頭に当たったそれは、どうやらその辺りに落ちていた石のようだ。よく見れば赤い血がついていたが、それが私のものなのかアルフレートのものなのかはわからない。
石を投げつけられた拍子に、深く被っていたフードは取れてしまった。肩のあたりで切り揃えた銀の髪が、夏の風に揺れる。ふわりと、彼の血の臭いを漂わせた。
「本当だ……あの銀の髪は、妖花の魔女だ……」
「魔女が聖女さまを殺したのよ! この女のせいでこの国はおしまいだわ!!」
煽るような女の声に、静寂を保っていた民衆が俄に騒めき始める。謂れのない濡れ衣だと、弁明するのも億劫だった。
……ああ、うるさい。アルフレートの声以外は全部、耳障りだわ。
少しでも、彼の残してくれた言葉を、声を、覚えていたいのに。こんなにも雑音が多いと薄れてしまう。
「よ、妖花の魔女め!」
「よくも聖女さまを!」
女の話を鵜呑みにすることにしたらしい人々は、次々に石を投げ始めた。その標的は「妖花の魔女」だ。本当に、どこまでも愚かしく浅はかで笑えてしまう。
ほんの一瞬でも、こんなひとたちのために祈ろうと思っていたことがあったなんて。
投げつけられた石が額に当たって、生温かい血が顔を伝っていく。私の血はこんなに熱いのに、手にまとわりついた彼の血はどうして冷たいのだろう。
……どうして? どうしてだっけ。
どうしてなのかは忘れてしまったけれど、全部、あいつらが悪い気がしている。流されることしか能のない、祈りとは名ばかりの妄執に囚われているあいつらが、彼を殺したような気がしている。
……「彼」を殺した? やだ、誰のことだっけ。
アルフレートがこうして私の膝の上で眠っていると言うのに、他の男性のことを考えるなんて我ながら不実だ。思わず頬を熱くしながら、すやすやと眠る愛しい人の頭を撫でた。思いのほか甘えん坊の彼は、一度眠るとなかなか話してくれないのだ。二人で過ごした初めての夜もそうだった。
「ふふ……あはははははは!」
石を投げつけられる度、得体の知れない涙がこぼれ落ちてくる。それをかき消すように気づけば私は声を上げて笑っていた。
全部、ぜんぶ呪ってやる。私たちを引き裂こうとする、私たち以外のすべてを、壊してやる。
「お望み通り、歌ってあげる。あなたたちを想って、『祈って』あげるわ」
眠る愛しい人の体を抱きしめながら、石を投げつける民衆に笑いかける。かすかに心の中に留まっていた「何か」が、黒く取り返しのつかないほどに澱んでいくのがわかった。
「……大嫌い。みんなみんないなくなればいいのよ。私と、私の好きな人に酷いことする人間はぜんぶ」
すう、と大きく息を吸って、何千回と繰り返した祈りの歌を口にする。だが、辺りから浮かび上がるのはいつもの白い光ではなく、毒々しい紫の闇だった。
「な……んだ? うああああ!」
ちらちらと舞う紫の闇に触れた人々が、たちまち血を噴き出すのがわかった。赤と幻想的な紫が混じり合って、歌いながらその光景に見惚れてしまう。
「ねえ見て、アルフレート。綺麗ねえ……」
ほんの息継ぎの間に、内緒話のように彼に笑いかけた。よほど深く眠っているのか、彼はぴくりとも動かない。
「もう……せっかく綺麗なのに」
ちょっとだけ拗ねるように唇を尖らせる。そこかしこから断末魔のような声が上がっていてうるさいから、目覚めなくてよかったかもしれないが。
「あとで起きたらまた見せてあげる。楽しみにしててね、アルフレート」
眠る彼の瞼にくちづけて、再び高らかに歌い上げた。紫の闇が、夏の風に乗ってどんどんと広がっていく。やがて、巡礼の森の木々も、ぼんやりと闇を纏い始めた。
「やめろ、やめてくれ!!」
「お願い、子どもだけは……子どもだけは逃がして!」
叫び声の間に何かが聞こえた気がしたが、歌うのに忙しいので無視した。叫び疲れ、枯れた声で歌う「祈り」の歌は我ながら聞き苦しいほどに見にくかったが、その分闇が濃く深くなる気がして不思議と気分は悪くなかった。
……女神さま、この国の隅々に至るまで、私の「祈り」が届きますように。誰一人として「聖女」の手からすり抜けることがありませんように。
霧のように深くなっていく闇の中で、私は歌い、アルフレートを抱きしめて笑い続けた。
そうして何も、見えなくなってしまえばいい。もうなにもかも、なくなってしまえばいい。
「女神さま、どうか、私と、私の好きな人を傷つけた人たちがみいんな、死んでくれますように!」
そのまま、どれだけの間歌い続けていただろう。いつの間にか当たりに響き渡った叫び声は止んで、私たちふたりだけが取り残されていた。
彼は、いまだに眠ったままだ。どうしてか、がたがたと震える腕でそっと彼の体を引き寄せる。
おかしくてたまらなかったはずなのに、ふっと笑みが消えた。後に残ったものは、限りなく無に近い。果てのない荒野に、一人で取り残されたような心地だ。誰の呼吸の音も聞こえない、正真正銘の静寂に包まれる。
暗い闇の中で、ただ、ぎゅう、と彼を抱き締めた。決して離れないよう、骨が軋むほどに強く、強く。
「……愛してる」
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