第11話 最後の夜

「アディ卿、ベルテ侯爵領から王都へ帰還していた聖騎士団が消息を絶ったそうです。妖花の魔女が関係しているかもしれません」


 そう報告を受けたのは、今から一刻ほど前のこと。雨を理由になるべく時間を稼ぎながら、私たちは消息を絶った騎士団がたどっていたはずの道を進んでいた。


 道のりの半分を過ぎたあたりで、雨ににじむように赤く光る何かが視界にちらついた。


 警戒しながら進めば、煌々と燃え上がる紅い炎が壁のように道を塞いでいる。その炎の周りには、血で汚れた聖騎士の制服を纏った無惨な遺体がいくつも転がっていた。


 まさか、ジゼルやベルテ侯爵令息がやったわけではあるまい。脳裏によぎるのは、ジゼルに盲目的なまでの愛を捧ぐ「魔術師」の姿だった。


 その予想を裏付けるかのように、炎の前に黒い影が浮かび上がる。黒い外套が夜明け前の風に靡いていて、まるで夜の名残を纏っているかのようだった。


「何者だ!」


 背後で声を上げる騎士団員を制して、騎乗したまま前へ歩み出る。よく見れば、彼の纏う黒い外套には、夥しいほどの血液が付着していた。


「っ……」


 彼の血ではないだろう。あれだけの血を流して、こうして立っていられるわけがない。無論、ジゼルやベルテ侯爵令息のものであるはずもない。


 ……真っ当に考えて、聖騎士たちのものなんだろうな。


 仲間を殺されたことに、怒りを覚えないといえば嘘になるが、それよりも私は目の前の彼の纏う気配に圧倒されていた。


 人間と対峙している気がしない。「魔術師」なのだからそれもある意味当然なのかもしれないが、何かが吹っ切れたような彼の雰囲気は怪しげで、安易に近づけるようなものではない。


「困るなあ。まだ『事情』を処理しきれてないのに」


 ぴりぴりと、肌が痺れるような重苦しい雰囲気には似合わぬ優しげな口調に、冷や汗が伝っていく。そのちぐはぐさが不気味でならなかった。


「結局、戦うことになってしまったね。君のこと、嫌いではなかっただけにちょっとだけ残念だよ」


 ゆらり、と夜の気配を纏ったまま、彼が一歩前に歩み出る。数では圧倒的にこちらが有利なはずなのに、彼以外の全員が恐怖に呑まれているのがわかった。


「なんだ……お前は……」


 恐怖に慄いた騎士の声が聞こえる。対して彼は、小さく声を上げて笑った。


「僕はジゼルと、ジゼルが愛している人間の味方だよ。それだけだ、そう……ただそれだけなんだ」


 笑みが滲んだままの声は、頭の中に直接染み込むような不思議な毒を纏っていた。闇色の外套から除いた薄紫の瞳には、昏い光が宿っている。


「……彼女を殺すつもりなら、僕が相手になるよ」


 夜闇に弧を描くように、嘲笑が浮かび上がった。


 ……私だって、あなたと戦いたくはなかった。


 芽生えかけていた知らない感情に蓋をして、馬上から睨みつけるように彼を見下ろす。


 決定的な決別が今、始まろうとしていた。



あれからどれくらい、ふたりで駆けただろう。時折追手らしき人影を見かけては、ぎりぎりのところですり抜けてきた。夜明けは、もうすぐそこまで迫っている。


 あと半刻足らずで、大神殿には辿り着けるだろう。大神殿で行われる定期礼拝には、大勢の民が集まる。そこで祈りの歌を歌い、聖花を咲かせるのだ。


 そこで、私が聖女だと皆にわかってもらえれば、「妖花の魔女」を逃がし続けたアルフレートもお義兄さまも、身の安全が保障されるだろう。フローラの最後の願いを叶える結果にもつながる。


 ……そう、だから私は聖女になるの。


 そうやって、ひとつひとつ理由を見つけなければ、とてもじゃないがまともな思考を保っていられなかった。ほんの数刻前に妹の死を見届けた衝撃は、未だ癒えていないらしい。


「……どうする? ジゼル。このまま、ふたりで逃げようか」


 ゆっくりと馬を進めながら、アルフレートは静かに問いかける。遠くの空に、暁が迫っていた。


「そうね……隣国まで逃げられたら、自由に暮らすこともできるかしら」


 不可能な話ではない。この馬はすでに疲弊してしまっているが、馬を取り替えて身を隠しながら移動を続ければ、国から逃げ出すこともできるだろう。アルフレートと一緒に、何者でもないふたりとして生きていくのだ。


「森の奥で、草花を愛でながら生活できたらすてきね。だれにも邪魔をされずに、ふたりきりの時間を生きていくの」


「夢のような光景だな」


「……ええ」


 眼裏に、アルフレートとふたりで小さな家で暮らす未来を思い浮かべる。なんの制約も受けずに、ふたりの心のままに生きられたらどんなに楽しいだろう。そんな人生を過ごせるのなら、たとえ寿命が半分になったって構わないような気がした。


 けれど、それは所詮夢物語でしかないのだと、きっとふたりとも理解していた。私たちは、私たちだけで幸せになるにはあまりに多くの犠牲を背負いすぎている。フローラの死、お義兄さまの覚悟、レアの水面下の援護。そのすべてを捨てて、私たちふたりだけが逃げるわけにはいかない。


 全員で幸せになれる道があるとすれば、それは私が聖女として公認されることだけだ。そうすれば、彼らは「妖花の魔女」を逃した罪人ではなく、本物の聖女を庇護してきた聖人として扱われるだろう。


 ……私の大切な人たちの幸福な未来は、私にかかっていると言ってもいい。


 そう考えれば、逃げるなんて選択肢は、端から存在しないのだ。私にできることは、民衆の面前で祈りの歌を歌い、本物の聖女が誰なのかを明らかにすることだけ。


「……魔女であろうと聖女であろうと、俺はジゼルを愛している。それだけは、忘れないでくれ。この心はいつまでもお前だけのものだ」


 覚悟の定まった声に、背後から包まれる。その声の隅々まで味わうように、ゆっくりと目を閉じた。


 これが、最後の安寧のような気もしていた。聖女になってしまえば、今まで通り過ごせるかもわからない。


「私も……同じ気持ちだわ。聖女であろうと魔女であろうと、ジゼル・メルエーレはあなたのものよ、アルフレート」


 そう告げると同時に、太陽がゆっくりと紺色の空を染め上げるのがわかった。美しい暁の空だ。少しずつ光を強めていく陽光は、アルフレートの瞳によく似ている。同じものは二つとない、尊く力強い色だった。


 アルフレートはゆっくりと馬を止めて、それから手綱ごとそっと私の手に指を絡めた。愛おしい温もりが触れ合った箇所から刻まれていく。


 指を絡め合ったのを合図と言わんばかりに、半身で注意深く振り返って、アルフレートを見上げた。そのまま吸い寄せられるように、ふたりの唇が重なる。夜明け前のくちづけは、陽の光を移し取ったかのように熱く深く刻み込まれていった。

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