第9話 魔女の守護者たち

 雨が降り続いている。王女と謁見した後の晴天が嘘のような荒れた天気に、引き連れる騎士団員たちの士気が下がっているのがわかった。


 指令を受けてすぐに移動せざるを得なかったが、悪天候のおかげで幸いまだジゼルのいる別邸には辿り着いていない。だが、限りなく近い場所まで来てしまった。


「……一旦あの教会で体勢を整えましょう。怪我をしている者もいることですし」


 もっともらしい言葉を並べて、教会へ馬を向かわせる。「聖女」の命令を遂行することに命をかけているような聖騎士たちからは不満の声が上がったが、冷たい雨を前にしぶしぶ従うことにしたようだった。


 急ぎの任務なので、ここで夜を明かす流れにはならないだろう。雨で濡れた体を拭いて、怪我人の治療をしたら、突撃することになるのは避けられない。


 ……どうにかジゼルに知らせなければ。


 この悪天候で、全力で駆けたらどのくらいで別邸につくだろうか。団員たちより先にたどり着ける見込みがあるのなら賭けてみる価値はあるが、間に合わなければ元も子もない。


 天気を伺うべく教会の外に出る。雨音がうるさいくらいに響いていた。


 教会の裏庭は、ひどく寂れた場所だった。団員はおろか、教会関係者すらいない。馬を繋いであるせいか、監視役も気が緩んでいるらしく、気配を察知できる範囲にはいないようだった。


 ……賭けてみるか。


 危険を伴うが、知らせないわけにはいかない。打ちつけるように激しい雨の中に、意を決して一歩踏み出した。


 その瞬間、死角から飛び出してきた黒い影に瞬く間に取り押さえられる。教会の白い壁に体を押し付けられ、大きな手で口を塞がれてしまった。


「っ……」


 相手は、真っ黒な外套を羽織った青年だった。その外套の留め金には、二重の細い金の鎖が繋がっており、既視感を覚えて目を細める。


 瞬時に記憶をたどり、どこで見たのかを思い出した。


 ……そうだ、隣国の怪しげな「魔術師」とかいう奴が纏っていたものに似ているんだ。


 いちど、神殿の周りを偵察していた不審者を捕らえたことがある。そいつは隣国で育てられた「魔術師」とかいうやつで、何もないところから火を生み出す不思議な術を使っていた。取り調べ中に自害してしまったので、残念ながら得られた情報は、隣国からやってきた「魔術師」と呼ばれる人間であったということだけだった。


 ……隣国ジーヴルの魔術師。


 これでも腕には覚えがあるのに、こうして一瞬で身動きを封じられてしまうなんて。打ちつける雨の冷たさに顔を顰めながら、情けなさとわずかな恐怖に身を震わせた。


 騎士として主人を守りきれないこと以上の恐怖なんてないと思っていたが、目の前の青年の纏う雰囲気があまりに殺気立っていて、とてもじゃないが平常心を保てない。


「ジゼルをどこにやった?」


 青年は静かに問いかけた。氷のように冷たい声だけで、殺されてしまいそうだ。


 一瞬本能的な恐怖で何もわからなくなったが、言葉の意味を理解して、はっと顔を上げる。初めて聞く声ではなかった。


 ……まさか、メルエーレ伯爵令息?


 目を見開いて外套の中の青年の顔を見上げれば、光のない薄紫の瞳と目が合った。怖いほどに整った顔立ちも、背の高さも、まちがいなく令息のものだ。


 ……ジゼルがそばにいないと、このひとの目はこんなにも昏いのか。


 でも、どうして彼が隣国の「魔術師」とやらと同じ外套を纏っているのだろう、と考えかけたところで首筋に冷たい何かが当てられた。触れただけで、ぷつりと肌が切れる感触がある。どうやら相当切れ味の鋭いナイフを突きつけられているらしい。


「叫べば殺す。ジゼルをどこにやった?」


 同じ問いを繰り返すと同時に、彼は私の口から手を離した。彼の纏う重苦しく暗い雰囲気に飲み込まれてしまいそうだ。


「……ジゼルは、別邸にいるはずです。いないのですか?」


「いない。……君は裏切ったのか? 聖騎士を引き連れて、ジゼルに何をした」


「違う、私たちはこれから向かうところです。……王家にジゼルの居場所が知られました。それで、聖騎士である私に妖花の魔女の捕獲命令が下された次第です。どうにかジゼルを逃がそうと画策していたところだったので……別邸にいないなら好都合です」


 一息に説明すれば、冷え切ったまなざしが見定めるように私を射抜いた。生きている心地がしない。雨で凍えているはずなのに、じっとりとした冷や汗が背筋を伝うのがわかった。


「……君の他にジゼルの捕獲命令を知っている者は?」


「フローラ付きの侍女が密告したようですから、その侍女と、あるいはフローラ自身も知っているかもしれません」


「フローラが……」


 いつのまにか、首筋からナイフが離れていた。ほっと息をつきながら、令息を見上げる。


「私には監視がついている。どうにか時間を稼ぎますから、あなたはジゼルを追ってください。きっと、あなたの助けが必要なはずです」


「そのつもりだよ」


 冷え切った声で受け応えると、彼はナイフを外套に仕舞い込んだ。いつもの知的な雰囲気とは打って変わって、まるで暗殺者のような出立ちだ。


「……その服は、隣国ジーヴルの魔術師と同じ服ですね。あなたこそ、裏切り者ですか」


「そうだよ。聖女殺しの任務を請け負って僕らはここにきた。王女を討ったのは僕らだよ、アディ卿」


 淡々と、わずかな罪悪感も後悔も感じさせない声で彼は続けた。


「この数日で仲間に会ってきたんだ。……彼らは今も王女が聖女だと思い込んでいる。このまま引き上げる流れになりそうだ」


「……だからあなたは、ジゼルを聖女として立たせたくなかったですね。聖女だと知られてしまえば、彼女が殺されてしまうから」


 彼はすべてを知っていて、ジゼルの代わりに王女を殺させたのだ。彼の深い愛は、ジゼルにのみ捧げられるものなのだと改めて思い知る。ジゼル以外の人間なんて、虫けらほどにも気にかけていないに違いない。


「その通り。でも、いずれジゼルが聖女として立つつもりなら……僕は僕の仲間たちを殺しておかなければならない。隣国へ引き上げる際に、全員討つつもりだ。新たな魔術師は生まれるだろうが、時間稼ぎにはなるだろう」


「あなたの力は、それほど強いのですか」


 魔術師というものがどれほど強力な力を持っているのか知らないが、神殿で尋問した魔術師は何もないところから火を生み出していた。そんな不思議な術を使う者を相手に、令息一人で立ち向かえるのだろうか。


「いちばん得意なのは変化の魔術だよ。この髪の色も瞳の色も偽物だ。王国の偵察のため、伯爵家に紛れ込むには打ってつけだったけど……戦闘ではまるで役に立たないよね」


 冗談じゃない。それではみすみす死にに行くようなものではないか。


「……私もお手伝いいたします。聖女の身を守るのは、聖騎士の務めでもありますから」


 決意を込めて彼を見上げる。ジゼルを守る気持ちに嘘がないのならば、たとえ隣国の人間であろうとも、彼は私の仲間だ。


 黒い外套の影から、苦笑するように細められた瞳が覗く。その表情は、ジゼルが目の前にいるときに見せていたものによく似ていた。


「お気持ちだけで充分だよ、聖騎士殿」


 令息はくすりと笑うと、不意に私の首筋にくちづけた。じくり、と鋭い痛みが走る。先ほど彼が突きつけたナイフで切れた箇所なのだろう。


「……っ、なにを、急に」


 雨に打たれているというのに、顔が熱くなるのを感じた。心臓がうるさいくらいに高鳴っている。私らしくもない。


 彼は私の首筋から顔を上げると、唇に付着した血を舐めとるように舌先を覗かせた。凄絶な色気を漂わせて微笑む彼を前に、ますます脈が早まっていく。


「二番目に得意な魔術はこれだから、まあ、心配いらないよ。これ使えるの僕だけなんだ」


 それじゃあね、と悪戯っぽく笑って彼は雨音の中に姿を消した。


 彼にくちづけられた傷口に手を伸ばしてみる。いつのまにか傷口は跡形もなく消えて、指先には滑らかな皮膚が触れるばかりだった。


 同時に、未だ速いままの脈も意識させられてしまった。聖騎士ともあろうものが、たかだかくちづけひとつでここまで惑わされるだなんて。


 ……それもこれも、相手がメルエーレ伯爵令息だからだ。


 こんな危機的状況で自覚するにはふさわしくない想いに蓋をして、息を吐く。すべてはジゼルの身の安全が確保されてからの話だ。


 どんよりと立ち込める雲を見上げれば、首筋に雨粒が伝っていった。傷口があった箇所は、すこしも痛まない。


 ……本当に、「魔術師」なのだな、あの人は。


 いつも神秘的な雰囲気を纏っていた理由にも納得がいった気がした。魔術師が仲間だなんて心強い。


 ……私は、時間稼ぎをしよう。多少不自然に思われようとも、できる限り長く。


 令息のあの様子では、ジゼルたちはもう別邸のそばにはいないのだろう。まずは別邸を念入りに捜索して、ゆっくりと捜索範囲を広げることにしようか。すくなくとも、令息がジゼルに合流するまでの時間は稼ぎたい。


「アディ卿、怪我人の手当てが終わりました」


 教会の中から、聖騎士が話しかけてくる。私の監視も兼ねているであろう部下だ。


「……日没とともに奇襲を仕掛けましょう。幸いにも雨音が我々の存在を隠してくれる」


「はい、皆に伝えます」


 折り目正しく礼をして、聖騎士は教会の中へ舞い戻っていった。私も、濡れた体を拭いて態勢を整えることにしよう。なるべく、時間をかけて。


 ……この間に、できるだけ遠くへ行ってくれ。ジゼル。


 聖女として迎えにいく準備ができるその日まで、会えなくなっても構わない。無事で、いてくれるのならば。

 

 ……そのときはきっと、とびきり上等な白い衣装を持っていこう。


 きっと、ジゼルにはよく似合う。彼女が聖女として立つ輝かしい日が来ることを信じて、私はこの雨の中に突き進むのだ。

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