第5話 青鈍の聖騎士

 動揺を隠しきれないまま声のしたほうへ視線を移せば、そこには白い制服に身を包んだ美しい女性がいた。騎士服のようにも見えるそれは、すらりと細い体躯によく似合っている。薄曇りの空のような青鈍色の髪は一つに束ねられ、霧のように彼女の背後へ靡いていた。


「アディ卿……今夜は聖騎士の行進があったのでは?」


 アルフレートの問いに、アディ卿と呼ばれた女性は表情を変えることなく受け応える。


「先ほど終わったので、令息の警護に馳せ参じた次第です。姫の大切な民が、妖花の魔女に傷つけられては大変ですからね」


 女性は私の目前までやってくると、冷めた目で私を見下ろした。その厳めしい表情に似合わず、瞳は柔らかな新緑だ。


 ……アルフレートの、警護? 


 じっと新緑の瞳を見上げていると、彼女は不快そうに眉を顰めた。妖花の魔女に見つめられるのがよほど嫌なのだろう。


「これが妖花の魔女ですか……。妖花の魔女を婚約者にしておくなんて、あなたは変わり者ですね、ベルテ令息」


「婚約者という立場でしかできない懲らしめかたもあるだろう。もう二度と生まれ変わることのないように、力を奪ってやるつもりだ」


 いつものように意地悪く笑うアルフレートに、アディ卿は冷めた目で受け応える。


「……信心深いベルテ侯爵家の令息らしい発想ですね」


 アディ卿は再び視線を私に戻すと、淡々とした声音で告げた。


「名乗る必要もないかもしれませんが、この際挨拶しておきましょう。私はメル教の聖騎士、レア・アディです。前任の騎士から引き継いで、ベルテ侯爵令息の警護にあたっておりますが……あなたが妙な真似をすれば処刑してもいいと命じられておりますので、お忘れなく」


 ……私を、殺してもいいと言われているの?


「……それは、誰の命令なのですか?」


 思わず、聞かずにはいられなかった。私を殺してしまったら、王国の加護が薄れるかもしれないのに。


「聖女クラウディア姫の直々のご命令です」


「王女さまが……?」


 ……まるで短絡的だわ。いくら私が目障りだからって、殺してしまっては王国が危険に晒されるかもしれないのに。


 心の奥にまたひとつ、姫への不信感が募る。元から尊敬できるような相手ではなかったが、ここまでとは思っていなかった。国のことなど、何も考えていないのだ。


「……そうですか、教えてくださってありがとう」


 ゆっくりと睫毛をあげて、アディ卿に礼を述べる。私の視線を受けるなり、新緑の瞳がすうっと細められた。


「……やはり、妖花の魔女というだけあって、あなたは独特な気配がしますね」


 アディ卿の視線が、そのまま辺りの芝生に向けられる。先ほどまで青白く光っていた場所なだけに、妙に緊張してしまった。


 ……聖騎士って、聖花の気配を感じるのかしら。


 私からしてみても、彼女のまとう雰囲気は独特だった。不思議と目を惹かれるような何かがある。それだけ、彼女が神聖な存在だということなのだろうか。


「それにしても、アディ卿、いくら心配してくれたとはいえ、ベルテ侯爵家の私有地にまで突然入ってこられたら驚くな」


 アルフレートは溜息混じりにアディ卿の肩に手を置く。彼女は感情をのぞかせない眼差しでアルフレートを一瞥した。


「では、あらかじめ行き先をお伝えくださいますよう。誰にも言わずに妖花の魔女に会いにいくなんて、危険です」


「これからはそうしよう。……さて、興も覚めたし帰るとするか」


 アルフレートは芝生の中でうずくまる私を見下ろすと、私を嘲るような薄い笑みを浮かべた。


「じゃあな、妖花の魔女さん。……次も楽しませてくれよ」


 あっさりと私に興味を失ったかのように、彼はさっさと歩き出してしまう。その後ろ姿を見て、混乱していた頭が少しずつ落ち着いてきた。


 ……アルフレートは、あの聖騎士の目を欺きたいのかしら。


 ふたりきりのときだけ優しいことといい、彼女が来てから豹変した態度といい、辻褄が合う。もっとも、そうであってほしいと願うあまり、都合のいい解釈をしてしまっている可能性もあるけれど。


 ……もっと、アルフレートとお話ししたかったわ。


 遠ざかっていくアルフレートとアディ卿の後ろ姿を見送りながら、ぎゅっと彼の上着を握りしめる。結局今夜も返しそびれてしまった。

 

 解けた髪を靡かせながら、丘の頂上で立ち上がる。


 遠くの世界のもののように見えていた橙色の灯りたちが、不思議とすこしだけ、温もりを帯びて見える気がした。


 ◇


 アルフレートと話し込んだ丘から帰った私は、湯浴みを終え、私室の窓辺でぼんやりと考えごとをしていた。主に、アルフレートについてだ。


 ……聖騎士の護衛がついているなんて知らなかったわ。アディ卿は後任だと言っていたし、今までも知らないうちに聖騎士に見られていたのね。


 彼女たちは、アルフレートを見守って――否、見張っていたのかもしれない。彼が「監視」という言葉を口にしたことも気にかかる。


 ――本当は、今みたいに過ごしたいんだ。冷たく接したくない。


 アディ卿が来る直前、彼が口にしていた言葉を反芻する。


 あれが彼の本音なのだとしたら、どんなに嬉しいだろう。公の場で冷たく残酷な態度を取るわけが、聖騎士の目を欺くためなのだとしたらどんなにいいだろう。


 期待しすぎてはいけないと思うのに、つい、自分の都合のいいように考えてしまう。昔に戻ったかのようにおしゃべりができた今夜は、夢のように楽しかった。


 髪を撫でる夜風にそっと目を閉じると、私室の扉がノックされた。こんな時間に私の部屋を訪ねるひとは限られている。


「お入りになって」


「ジゼル、ただいま。『いい子』にしていたかい?」


 柔らかく澄んだ声が飛び込んできたかと思うと、お義兄さまは後ろ手に扉を閉めて入室してきた。片手には小さなキャンバスを持っている。


「お義兄さま、おかえりなさい。ええ。いい子にしていたから、『いいこと』がありましたわ」


「……へえ、あいつはちゃんと会いにきたんだ?」


 私とお揃いの薄紫の瞳が、面白がるように細められる。お義兄さまに椅子をすすめながら、こくりと頷いた。


「お義兄さまの頼みを聞いてくれたみたいです」


「僕の頼み? 僕はただ、『ジゼルは今夜ひとりで屋敷にいるよ』って教えてあげただけだよ」


「……え?」


 ……お義兄さまに頼まれて連れ出してくれたわけじゃなかったの?


 先ほどのあの夢のような時間は、彼が自分の意志で用意してくれたものだったのだろうか。


 それを意識した途端、たちまち頬が熱を帯びるような気がした。こんなふうに顔を熱くするのは、生まれて初めてだ。


 ……なんだか、変な感じ。嬉しいのに、くすぐったいわ。


 早鐘を打つ心臓を押さえこむようにそっと胸に手を当てれば、お義兄さまから慈しむような眼差しが投げかけられた。


「ジゼルが嬉しそうで、僕も嬉しいよ。……ほんのすこしだけ、あいつのことを見直したな」


「お義兄さま……」


 くすり、と笑いながらお義兄様の隣に腰を下ろせば、彼は手に持っていたキャンバスを私に見えるように差し出した。


「あいつと過ごした時間に比べれば劣るかもしれないけど、僕からのお土産だよ。ちょうど、聖騎士の行進を描いていた画家がいたから買ってきたんだ」


「まあ、嬉しい。ありがとう、お義兄さま」


 お義兄さまからキャンバスを受け取れば、そこにはひとつに結い上げた青鈍色の髪を靡かせて歩く美しい女性の聖騎士が描かれていた。冷たささえ思わせる凜とした面差しに、はっと息を呑む。


 ……アディ卿だわ。


「どうやらこの女性の騎士が令嬢たちには人気らしい。皆、なんだか神聖な雰囲気をまとっていたよ。白い制服がよく似合っていた」


「そう……人気者なんですね」


 絵の中のアディ卿をまじまじと見つめる。彼女の特徴をよく描いている絵だった。凜とした雰囲気は、老若男女問わず惹きつけるような魅力がある。


「残念ながら、行進が終わるなり仕事へ戻ってしまったようだったけどね。『聖女さま』が残念そうにしていた」


「姫とお友だちなのかしら……」


 ……だから直々に、私を――『妖花の魔女』を処分する権利を与えられたのかしら。


「でもまあ、聖騎士とは名ばかりの滑稽な奴らだよ。本物の聖女が誰かも知らないで」


 お義兄さまにしては珍しく、皮肉げな笑みを見せる。


「王女さまは公の場では完璧ですから。信じてしまうのも無理はありません」


 王女の深い青の瞳に浮かぶ慈愛を、つくりものだと見抜ける人はそうそういないだろう。陽の光を編み込んだような金の髪の神々しさといい、優美な微笑みといい、彼女は人々が思い描く聖女像そのものだった。


 私では、ああはなれない。私には聖女にふさわしい華がないという王の指摘も、間違いとは言い切れないのだ。


 絵の中のアディ卿にそっと触れて、聖女と聖騎士の行進を思い描く。美しい聖女を筆頭に聖騎士たちが街の大通りをいく様は、さぞかし神秘的だっただろう。軽く瞼を閉じて、想像のなかの光景に酔いしれた。


 しばらくそうしていると、不意にふわりと背後から抱きしめられる。目を開けば、お義兄さまが私の肩に顔を埋めるようにして私により縋っていた。


「お義兄さま?」


「……君がつらい思いをしているのは嫌だけど、結果的に君が聖女として公表されていなくてよかったのかもしれない」


「どうしてです?」


 一瞬、空気が張り詰めるような感覚に襲われたが、すぐに悪戯っぽい笑い声が響いた。


「ジゼルが聖女さまだったら、こうして僕とのんびり過ごす暇がなくなってしまうだろう?」


「まあ、そんなことを心配なさっていたのですか? お義兄さまったら」


 くすくすと笑って、応えるようにお義兄さまに擦り寄る。心から安心する触れあいに、またひとつ、お義兄さまへの愛しさが募っていった。

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