第4話 ふたりきりの祝祭
長い銀の髪をレースのリボンでまとめ、アルフレートにもらったドレスを身につけた私は、駆けるようにして彼のもとへ舞い戻った。手には、以前彼にかけてもらった上着を抱きしめて。
「お待たせ、アルフレート」
彼は頭から爪先まで私の姿を確認すると、ふい、と視線をそらしてしまった。その横顔からはうまく感情を読み取れない。
「……これ、この間かけてくれた上着よ。どうもありがとう」
おずおずと差し出せば、アルフレートはあの夜と同じようにその上着を私の肩にかけた。彼が着ても丈の長いデザインであるせいか、私が着ると膝下まですっぽりと覆われてしまう。
「行くぞ。人目を避けられる道がある」
アルフレートは私に背を向けると、屋敷の裏口から人気のない小道に向かって歩き出した。置いていかれないように、慌てて彼の跡を追う。
ドレスの裾をつまみながらぱたぱたと小走りになれば、ほんのすこしだけ彼の歩く速度が緩んだ。それは昔から変わらない、彼のさりげない優しさだ。
……冷酷になってしまった今でも、昔のアルフレートの面影は確かにあるのね。
輝かしい思い出のかけらをひとつ見つけ出したような気になって、だらしなく頬が緩んでしまう。滅多に表情を動かしていなかったせいで、きっとぎこちない笑みにしか見えないのだろうけれど、愛想笑いでも強がりでもない、心からの笑みだった。
アルフレートは、小川のそばにある小道を進んだ。かろうじて人一人が通れるかというような幅の小道で、人の気配はまるでない。街の橙色の灯りは段々と遠くに見えて、ふたりを照らすものは月影だけになっていった。
やがて草木の生い茂る道に差しかかると、アルフレートは私の手を取り、転ばないよう支えてくれた。やっぱり言葉はなかったけれど、重なった手から彼の思いやりが伝わってくる。
紳士としての最低限の礼儀なのだとしても、嬉しかった。まるで子どものころに屋敷の周りを走り回って探検したときのような高揚感を覚える。
「ここだ」
「わあ……!」
アルフレートが連れてきてくれたのは、街からそう遠くはない、小高い丘だった。柔らかな草花が生い茂っていて、寝転んでも心地良さそうだ。
丘の頂上からは、橙色の灯りが灯った街が見下ろせた。月が綺麗だから星はよく見えなかったが、不思議と夜空が煌めいて見える。
「すてき……! なんて綺麗な場所なの!」
思わずくるくるとその場で回り、胸いっぱいに夜の空気を吸い込む。肩にかかったアルフレートの上着が、ふわりと風に靡いていた。
「ここはベルテ侯爵家が買った土地だ。勝手に入ってくるやつはいないから、自由にしろ。座りたければここに座れ」
アルフレートはぶっきらぼうにそう言い放ったかと思うと、上着を芝生の上に敷き詰め、その隣に座り込んだ。
……まさか、私のために敷いてくれたの?
今夜のアルフレートは、なんだかとても優しい。まるで昔の彼に戻ったかのようだ。これも、女神さまの祝福なのだろうか。
おずおずと彼が敷いてくれた上着の上に腰を下ろす。そのとき初めて、彼の右手に血が滲んでいることに気がついた。
「大変……! 怪我をしているわ」
「ああ……さっきの小道で枝にひっかかった。大したことはない」
アルフレートは切り傷のついた手の甲を一瞥すると、すぐに街の景色に視線を移してしまった。本当に気にしていなさそうなそぶりだ。
とはいえ、怪我をしている彼を放っておくことはできない。髪を結んでいた黒いレースのリボンを解いて、そっと彼の手を取った。
「もっと清潔な布があればよかったのだけれど……ひとまずこれで」
幅の広いリボンは、包帯の代わりになった。くるくると彼の手の甲に巻きつけ、解けない程度にしっかりと結ぶ。その結び目の上に手を置いて、小さく歌を口ずさんだ。
アルフレートが教えてくれた「痛くなくなる魔法の歌」だ。睫毛を伏せて、祈るように歌う。ひょっとすると、国の加護を願う聖歌よりも、心を込めて歌っているかもしれない。
「……それ」
思い出したように、ぽつりとアルフレートがつぶやく。
「この前の夜も歌っていたな。……今も、覚えているとは思わなかった」
「物覚えはいいほうなのよ」
冗談めかして口角を上げようとしたが、わずかに引き攣るばかりだった。無表情でいることが、すっかり癖になっているらしい。
レースのリボンの結び目をそっと撫でてから睫毛を上げれば、思ったよりも近い距離で彼と目があった。その瞬間、はっと息を呑んでしまう。
いつもは尊大な印象の彼が、柔らかく微笑んでいたのだ。
……私の、知らない表情だわ。
幼馴染として過ごしていたときに見ていたものともまた違う、色気すら思わせる笑みだ。金の瞳に焦がれるような熱が滲んでいる。
……おかしいわ。アルフレートが、そんな表情で私を見るなんて。
どうしていいのかわからなくなってしまう。普段はあんなに私に冷たくするくせに、何を考えているのだろう。
戸惑いを誤魔化すように遠くを眺めていると、代わりにアルフレートが口を開いた。
「本当は……もっと早くここに連れてきたかった。でも、『あいつ』の監視が外れるのが今夜くらいしかなかったんだ」
「あいつ、って? お義兄さまのこと?」
「いや……」
アルフレートは言葉に迷うようなそぶりを見せたかと思うと、渋い顔をして私から視線を逸らした。
その瞬間、はっとしたように辺りを見渡す。
「……なんだ? どうして、丘が光って……」
どこか警戒するように金の瞳を細めるアルフレートにならって、私も辺りを見回してみた。すぐに、見慣れた光が視界に飛び込んできて、ひゅ、と息を呑む。
……どうして? どうして聖花が咲いているの?
名前もわからぬ雑多な花々には、白い光がまとわりついていた。花自体が淡く発光しているようだ。
この光景は何度も見たことがある。巡礼の森で、王女の代わりに聖歌を歌うたびに目にしている聖花そのものだ。
……でも今は、聖歌を歌っていないのに。
まさか、先ほど祈るように歌った「痛くなくなる魔法の歌」で咲いてしまったということなのだろうか。予想外の出来事に、ばくばくと心臓が暴れ出す。
……いけないわ、なんとか誤魔化さなくちゃ。
「あの……それが、妖花、だから……触っちゃいけないわ。毒の花だから。ごめんなさい、こんなすてきな祝祭の夜に……」
「ふうん……? 聖女がお前を糾弾していたときに見た花とずいぶん違うんだな」
あのときはなるべく禍々しく見えるよう、黒薔薇を加工して臨んだのだっけ。あれと比べてしまえば、目の前で白く光る花は確かに別物だ。どこまで誤魔化しがきくだろうか。
なにより、アルフレートに嫌悪されてしまうことが恐ろしくて、肩を縮こまらせて沈黙に耐えた。「妖花の魔女め」と突き飛ばされたっておかしくない。
だが、続くアルフレートの言葉は意外なものだった。
「綺麗な花だ。これに触れて死ぬなら悪くない最期だろうな」
妖花の魔女を毛嫌いする彼の言葉とはとても思えない。恐る恐る顔をあげ、彼の様子をそっと伺う。
「……怖くないの? いつもはあんなに、私を軽蔑しているのに……」
「怖くなんかない。それに……本当は、今みたいに過ごしたいんだ。冷たく接したくない」
「……どういうこと?」
思わず眉をひそめる。彼があのような態度をとっているのは、彼の本意ではないのだろうか。
彼は軽く視線を伏せて、光る花々を眺めていた。まるで、何から伝えようか迷っているような横顔だ。彼は私にいったい何を話そうとしてくれているのだろう。
今夜の彼ならば、私と向き合ってくれるような気がする。言いづらいならば、私から質問すればいい。そう思い、口を開きかけたときだった。
がさり、とすこし離れたところで木々が擦れる音が響く。風によるものではない。人か動物が通りかかったときのような、重みのある音だ。
アルフレートは何かに勘づいたように顔を上げると、私に黒い彼の上着を巻きつけ、ささやくように告げた。
「――ジゼル、つらそうな顔をしろ。笑顔を見せるな」
「え?」
耳に吐息が触れたことに戸惑ったのも束の間、彼の手が軽く私の肩を押す。不意をつかれた私の体は、あっけなく芝生の中に倒れ込んでしまった。
「――忌まわしい妖花の魔女め。思い上がるなよ。同情で婚約関係を続けてやっていることを忘れたか?」
先ほどまでとはまるで別人のような冷たい声に、背筋が凍りつく。いったい、何が起こっているのだろう。
「アルフレート……?」
金の瞳は、鋭く輝いている。嗜虐的にも見える眼差しだが、よく見ると何かをこらえるように瞳が揺れていた。
あたりに広がっていた淡い光が、すっと薄れていく。訳のわからぬ状況に、自然と肩は震え出していた。
「ベルテ侯爵令息、こんなところにいらっしゃったのですね」
沈黙を破ったのは、氷のように澄み切った、感情をのぞかせない人形のような声だった。
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