第3話 思わぬ誘い

「それじゃあジゼル、行ってくるよ。すまないが、留守を頼んだよ」


 祝祭当日、私は玄関広間まで三人を見送りにやってきていた。今は日が暮れ始めた夕方で、そろそろ街に灯りが灯るころだ。私も三人を見送ったらすぐに出かけて、巡礼の森へ歌いに行かなければならない。


「はい、行ってらっしゃいませ、お父さま、お義兄さま。……フローラも、楽しんできてね」


 ぎこちなくフローラに笑いかけるも、冷たい視線が一瞬向けられるだけで、やはり笑みが返ってくることはなかった。いつでも彼女にぴたりと付き添っている侍女とともに、私に背を向けて歩き出してしまう。


 それでも病弱な妹が祝祭に遊びに行けるほど回復した事実に、胸の奥が熱くなった。


 ……あのとき、薬草を守れてよかった。


 私の選択は間違っていなかったのだ、とフローラの後ろ姿を見ながら改めて思う。あの日私が聖女の座を譲っていなければ、彼女がこうして元気に歩く姿は見られなかったはずなのだから。


 ……だから、ちゃんと務めを果たさなくちゃ。


 聖女の座を姫に譲って以来、輸入された薬草は一度王家に集められてから必要とする人々に売るかたちに変わってしまった。


 だから、私がクラウディア王女の代わりにきちんと歌を歌わなければ、王国の加護が薄まるだけでなく、フローラの治療に使う薬草も燃やされてしまうかもしれないのだ。


「ジゼル、気をつけて行ってくるんだよ」


 最後まで玄関広間に残ったお義兄さまが、心配そうに私の顔を覗き込む。今日も、クラウディア姫に私が傷つけられるかもしれないと恐れているのだろう。


「平気です、お義兄さま。どうか楽しんでいらして」


「……うん。聖騎士の行進をちゃんと見てくるから、楽しみにしておいで」


 お義兄さまから額にくちづけを受け、私もまた彼の頬にそっと唇を触れさせた。お義兄さまに触れられた箇所から、ぽっと温もりが広がっていくような気がする。


「……屋敷でいい子にしていたら、何かいいことがあるかもしれないよ」


 お義兄さまは私の頭を撫でながら、耳打ちするように囁いた。


「いいこと、ですか?」


「僕にとってはそういいことでもないけどね」


 お義兄さまは意味ありげな微笑みを残して、お父さまとフローラの後を追うように馬車に乗り込んでしまった。


 ……いいこと、っていったい何かしら?


 三人が乗り込んだ馬車が小さくなっていくのを見届けながら考える。お義兄さまのことだから、何か私を喜ばせるようなことを用意しているのかもしれない。


「……それなら、早く務めを果たして来なくちゃ」


 巡礼の森に向かうのは気が重いと思っていたが、お義兄さまのおかげで怖くなくなった。もしクラウディア姫に殴られても平気だ。帰ってきたらきっと、何か楽しいことが待っているに違いないのだから。


 ◇


 聖花の光を帯びて、きらきらと輝く森を遠目に眺める。たった今、クラウディア姫の代わりに歌を歌い、聖花を咲かせてきたところだった。


 今夜は聖騎士たちとともに街の中を行進する予定もあるためか、クラウディア姫は私のことなど眼中になく、歌を歌い終えるなりあっさりと解放してもらえた。こんなに素晴らしい夜はない。巡礼の森から無傷で帰って来られたのは、片手で数えられるくらいしかないのだから。


 ……これも、女神メルの祝福なのかしら。


 ありがとうございます、女神さま、と屋敷近くの礼拝堂の前で指を組む。祝祭の夜の恵みは、妖花の魔女の烙印を押された私にもどうやら届いているらしい。


 街の方から聞こえてくる賑やかな音楽を楽しみながら、私は人気のない屋敷の裏口に回った。今夜は使用人たちも祝祭に出かけているから、屋敷には警備のための最低限の人数しかいない。もともと私は使用人からも敬遠されているので、ひとりで過ごすのは珍しいことではなかった。


 ……お義兄さまは、どんな楽しいことを用意してくださっているのかしら。


 私の好きな焼き菓子だろうか。それとも、隣国の珍しい本でも用意してくれているのだろうか。


 胸を躍らせながら裏庭へ足を踏み込む。その瞬間、がさり、と木の影から物音がした。


「……どなた?」


 まさか、侵入者だろうか、と身構えたのも束の間、その人は月影の中にすっと姿を現した。


「……どこ行ってたんだ? もう夜だぞ」


 ぶっきらぼうなその声を聞き間違えるはずがない。光を背にしているせいで表情はよく見えなかったが、相手が誰なのかはすぐにわかった。


「アルフレート……」


 どうして彼がここにいるのだろう。今頃令嬢たちと楽しく祝祭を回っていると思っていたのに。


「……さっさと祝祭に出かけるぞ」


 その言葉とともに、ばさりと何かを投げつけられる。咄嗟に受け取ったそれは、さらりと滑らかな肌触りをしていた。


 月の光に翳してよく観察してみる。銀の光を細やかに反射するそれは、美しく繊細な装飾の施されたドレスだった。


 それも、私の大好きな淡い空色の生地だ。


「すてき……」


 うっとりと見惚れながらそっとドレスの生地を撫でる。こんな可憐な服に触れたのは何年振りだろう。触っているだけで、心が満たされていくような気がした。


「何をしているんだ? さっさと着替えてこい。あんまり遅くなると伯爵たちが帰ってくるだろ」

 

「え? 私が着てもいいの……?」


「俺が着ると思うか?」

 

「でも……私は妖花の魔女だから、黒しか……」


 万が一、黒以外を纏っているところを王家の関係者に見られたら大変だ。フローラの治療に使う薬草を燃やされてしまうかもしれない。


「初めから誰にも見せるつもりはない」


 私の不安を見透かしたように、ばっさりと彼は言い切った。鼻で笑うような声だったが、私にとっては夢のような申し出だ。


 アルフレートが大丈夫だといえば、不思議と本当に大丈夫な気がしてしまう。自信に満ちた彼の姿は、昔から私の憧れでもあった。


「ありがとう……気遣ってくれて」


「気遣ったつもりはない」


「どうして私がひとりだとわかったの?」


「……あいつから聞いた。今夜、お前がひとりになると」


 ……「あいつ」って、お義兄さまのことよね。

 

 それを聞いて、納得がいくと同時に、ほんのすこしだけ寂しい気持ちにもなった。


 お義兄さまがおっしゃっていた「いいこと」はきっとこのことだったのだろう。私がアルフレートに未練を抱いているから、お義兄さまは私のためにアルフレートに私と祝祭を回るよう頼んだに違いない。


 ……そうよね。アルフレートが私と一緒にいたいって思うはずないもの。


 それでも、会いにきてくれたことが嬉しかった。昔のようにとはいかずとも、彼と並んで歩けるならいい思い出になるだろう。


「……お義兄さまの頼みを聞いてくれてありがとう。すぐに着替えてくるわね」


「は? 何を言って――」


 アルフレートは何やら言い訳めいた言葉を並べていたが、聞こえないふりをしてやりすごした。

 

 彼の言いたいことはわかっている。誤魔化そうとする優しさを今も持ち合わせていることを嬉しくも思っている。これ以上、彼を困らせてはいけない。


 それでも、断ち切れない幼馴染への想いが疼くのだ。


 ……ねえ、アルフレート。今夜、この淡い空色のドレスを用意してくれたのは、私があなたに会うときに来ていた服と同じ色だって、覚えていてくれたからなの?


 そんなこと、あり得ないとわかっている。妖花の魔女だとからかって、私が怯えるのを見て喜ぶような残酷なひとなのだ。淡い期待を持つだけ、苦しくなるのは私なのに。


 逃げるように私室に飛び込んで、アルフレートから渡されたドレスを抱きしめた。どうしたって口もとがにやけてしまう。こんなふうに笑うのは、本当に久しぶりだ。

 

 彼はお義兄さまに頼まれたから渋々来ただけ。そうだとわかっていてもなお、今夜の思い出はきっと私の宝物になると確信していた。


 ひとりでもできるとびきりのおしゃれをして、彼に会いに行こう。お義兄さまとアルフレートに与えてもらった「いいこと」を今は目一杯楽しむのだ。

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