第50話 幸・一・辛



紀澄きすみ――ァあッ!!!?」



 倒れたふうにほんの一瞬目を取られたサクラが、背後から迫ったレピアの跳弾ちょうだんけきれず被弾ひだん

 のけぞり前へと吹き飛んだ体を、その顔を――――まぶたを指でこじ開け・・・・・・・・・・ようにして、瞬時にサクラの前へと移動したヨハインがわしづかむ。



「いくら服に加護かごさずかろうと、肉体は汚いまま――所詮しょせん人間だな。こんな半人前の祓魔ふつまにさえ逃げ隠れていたこれまでの我が身を思うと情けなくて死にたいよ」

「ッッ――やめッ、」

「だが喜べ、メス。お前のような汚い女にも――俺は平等に恋堕あいをくれてやろう」

「あぁ、あ――――――――ぁぁあぁあああああああああああッッッッ!!!!!」



 立ち尽くす夢生むうの前で、霧洩きりえサクラが恋堕れんだちる。



 夢生むうは、ただその場でひざを折ってうなだれた。



雛神ひながみ夢生むうは独りになった。

 


そんな夢生の前に、天使がりた。

 


もはや夢魔王むまおうの女となり果てた、堕天使だてんしが。



「……どうして……」



 夢生が顔をゆがめ、涙を流す。

 レピアの能面のうめんのような顔に、涙が伝う。



「さあ。これでお前を守るものは何もなくなったな。お前が見捨てたからだ。ずっとお前だけを守り、そしてお前だけを求めていたたった一人の女を」

「どうして……どうしてこんなひどいことが、できるんだよ……!!!」

「そら。また勘違かんちがいだ」

「……は……?」

「『どうしてひどいことができるか?』その問いがそもそも間違いだ。『好き』は酷いんだよ最初から。『好き』とは誰かを辛い目にあわせて自分達が幸せになる呪いだ。だからその力は――――俺達のような悪魔に宿・・・・・・・・・・ってるんだよ・・・・・・

「……!」

「だがお前はそこから目をそらした。自分が幸せになるために他者を辛い目にあわせることを受け入れられず、レピアの気持ちに気付きながらその想いにこたえなかった。受け入れることも拒否きょひすることもしなかった。だからレピアは地獄を味わい――――俺に助けを求めた」



ヨハインがあやしく笑ってレピアの隣に歩み、彼女の尻をためらいなくみしだく。



「だから俺は、お前にむくいを与えた」

「だからそれがお前の勝手な――」

「『わたしだって幸せになりたい』」

「――――」

「レピアは訴えたぞ、俺に。涙を流し、すがるように。そんなになるまで彼女を生殺しに、ちゅうぶらりんにして苦しみを与え続けたのは誰だ?」

「……僕だって、いうのか……?」

「ハァ……どこまでも恥ずかしく情けなく失望させる見下げ果てた男だな、夢生。このおよんでまだ『罪』から逃れようとするとは」



 侮蔑ぶべつ狂喜きょうきの入りじった顔で悪魔が言う。



 それがどうしても――どうしても何故か許せなくて、夢生は悪魔をにらみ返す。

 悪魔の顔から笑みが消えた。



「そもそも。そうでなかったら撃た・・・・・・・・・・なかっただろ・・・・・・

「……え、」

「レピアはお前を撃たなかった。でも風やサクラは容赦ようしゃなく撃った。それがすべてだろ」

「……何を、」

「レピアはそんなことをする女か?」

「待って、」

「違うだろ?」

「そういうことじゃ――」

「じゃ誰だそうさせたのは?」

「論点が――!」

「お前だよ。他の女を殺してでも雛神夢生を自分のものにしたいと思うまでにレピアの感情をほったらかしにしたのはお前だよ。それが風を殺した。サクラをとした。灰田愛はいだめを潰した。灰田愛はいだめに通うすべての生徒を破滅させた。そして――――この後この国を、世界を。全部壊すんだ。ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ」

「違「ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶお前のせいなんだよ雛神夢生ぅぅううううううううううッッッッッ!!!!!!!」



 ――脳を悪魔の声が満たす。



 そんなことないと、違うと心がどこかで叫んでいるのに、どうしてもそれを声に出すことができない。

 それがヨハインの恋堕れんだ魔眼まがんによるものか、それとも――



(――そうだ。僕はレピアの気持ちには気付いてた)



 誰だってわかる。あんなことをされれば。

 でも動かなかった。

 体調や生徒会との戦い、様々なことを言い訳に――雛神夢生は動かなかった。

 恋のキューピッドと、恋する人間。

 決して成就じょうじゅすることのない想いがそこに生まれたと気付きながら、何もしなかった。

 どうしたって誰かが傷付くことになる結論を出したくなくて、決着を先延さきのばしにした。

 それは事実なのだ。



〝むーくん〟



 雛神夢生は逃げた。

 また逃げた。

 そしてまた血を見た。

 また「罪」を重ねた。



 だから、罰は与えられなければならないのだ。



「大切な人を奪われてなお、お前は自分の『罪』を認めない。救いようのない男だよ、本当に。だから――更なる痛みが必要だな」



 夢生の前方が、光る。

 夢生がゆっくりと、光を見る。



 レピア・ソプラノカラーが――――い桃色に光る極光きょっこうの弓矢を、両手の中に生み出していた。



 夢生はさとる。



 「クピドの矢」だ、と。



未調整みちょうせいのクピドの矢だ。よかったな夢生、お前に与えらえる痛みは、ただレピアと幸せに暮らすことだけだ――――すべての心を失ってな・・・・・・・・・・

「――――」



 闇のきりの中、桃の光が散る。

 夢生の目の前で、うつろな目と涙を桃色に光らせたレピアが弓を引きしぼり、夢生に狙いを定める。



 体は動かなかった。

 動こうと、思わなかった。



 これが「罪」だというのなら――少年は、それにこそ・・・・・向き合うのだと覚悟を決めたのだから。



 調整をあやまてば、片想いさえ両想いにしてしまうという、キューピッドの矢。



 引かれ切った弓とまっすぐこちらを向く極光きょっこうの矢じりを見つめながら、少年は、



「――――」



 天使この矢悪魔この眼と似ているな、と思った。



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