第23話 好き・の・面影


◆     ◆


「あそこ。座ろう」

「う、うん」



 ふうに、当たり前のように腕を引かれ。



 夢生むうは屋上の一角、「Kill Youおまえをころす」と書かれた壁のそばにあるベンチに、彼女と二人で腰を下ろした。



「改めて。プールではありがとう、むーくん」

「!! あぁ……いやいや、別に」

うれしかった。こんな私を信じてくれたこと」

「――……『こんな』、なんてっ。言う必要ないよ」

「え」

「僕は本当に、お礼を言われるようなことは何もしてない。自分がやりたいって、こうしたいって思ったことが……やっと、できたってだけなんだ」

「……うん」

「むしろ僕がっ、ふうちゃんに――お礼を言いたいくらいだよ。僕はずっと風ちゃんに、勇気をもらってきた。君をこの灰田愛はいだめで知ってからずっと……ずっと憧れだった。君みたいになりたいって――メチャクチャ、カッコいいなって思ってた」

「ふふ。かわいいとかじゃなくて?」

「ひぇっ?! ああいやっ、かわいくないとかそういうアレではなくてっっ、」

「あはは、ごめんごめん。大丈夫だよ。自分でも『かわいい』とかはまだ似合わないかなって、思ってるところだから」

「そ、そんなこともないと思うけど……(『まだ』似合わないっていう言い方ができる自信がまたカッコいいんだよなぁ)」

「――私はかわいいってこと?」

「ふゥいッ?!?」

「あはははっ。出た、変な声。ははは」

「も、もうっ! やめてよ恥ずかしいな……」



 必死で会話をつなぎながら、その実ドキドキが止まらない夢生むう



 だって目の前で、あの紀澄きすみふうが笑顔なのだ。



 雛神ひながみ夢生むうと他愛もない話をして、笑っているのだ。



(もう死んでもいいかも……)

「私も、自分がむーくんをこんなにからかっちゃうなんて思いもしなかった」

「ん、どういうこと?」

「プールで話した通り私、ここに来るまで友達が一人もいなかったから。あんまり知らないんだ。友達と話す自分が、どんな人間なのか」

「……難しいこと、考えるんだね」

「そうだね、考えすぎかも。まあ要するに、これからもこうしてむーくんをからかっちゃうかもってこと」

「こ。困るなあ、それ。変な声、出さないようにしなきゃ」

「ふふ! そうだね。あははっ」

「ははは――あたっ、」

「! 大丈夫? 顔の傷?」

「う、うん。はは……まだくっついてなくて、顔を動かすと痛むみたい」

「……ありがとうね。本当に」

「こっちこそだよ。プールでも、倒れて沈みそうになった僕を支えてくれたでしょ? 覚えてる」

「……おお。そっか、むーくん……あのときまだ、意識あったんだ。それはちょっと……思い出すと恥ずかしい、かも」

――」



 膝元ひざもとを見つめながら、右手でリボンのはしをいじいじとする風。



 彼女がシャツのはだけた・・・・姿で自分を抱きとめてくれていたことを思い出し、夢生の顔は一気にゆで上がった。



「ああああいやあえっと?!? でもちょっともうろうとしてて?!? あんまり見たこととかおおぼっ、おぼえてないかなーちょっとなッっ」

「…………覚えてないの?」

「うっうん?!? あんまり――」

「――抱きしめた」

「――んぇ?」



 風が、夢生に体を向けてその目を見た。



「私は君を支えて、そして抱きしめたよ。むーくん。……抱きしめずになんか、いられなかった」

「っ……!?」

「とってもカッコよかったよ。むーくんは」



 同じくらいの目の高さで、顔を赤らめて上目うわめづかいに、風が言う。



 口から心臓が飛び出しそうな気持ちというやつを、夢生少年は初めて体験した。



『………………』



 たがい、無言。



 時が、やたら遅く、流れていく。



「――――(ちょっとまってこれってキスとかのふんいきじゃ)ごはんっ!!」

「っ?!」

「ひ――昼休み。終わっちゃうから(終わってるのはお前だ!!!!)」

「――……はっ。ふふふ……そう。だね」



 不器用なごまかしを見透みすかし、風が笑って同意。無地むじの袋から弁当箱を取り出す。

 夢生も見透みすかされたことを理解し、恥ずかしくてばつが悪くて――風の反対側へと顔を向けながら、そちら側のポケットをまさぐり、昼食を取り出した。



「いただきます――む」

「う、」



 風が礼儀れいぎ正しく両手を合わせ、持ってきた弁当のふたを開けようとして――じ、と隣に座る夢生の手元を見る。

 夢生はギクリとした。



 彼がポケットから取り出した昼食。

それはコンビニに売っている、栄養えいよう補助ほじょバー一本だったのである。



「……それだけ? お昼」

「は、はい……」

「むーくん。私がミーティング終わりに言ったこと覚えてる?」

「……お疲れさまでした?」

「ワザと言ってるでしょ。怒るよ」

「?!? ごごっごめんなさッ、はい! 『体調を整えて』って言ってましたっ!」

「そう。むーくんなんて特に今、体を治すためにしっかり栄養が必要なのに」

「え、栄養ならコレにも……」

「足りません。むーくんがケガとかしてないなら何も――あ」



 風がはた、と言葉を切る。

 その意図を理解し、夢生が申し訳なさそうにバーを一口、小さくかじった。



「……実は、あんまり食欲ないんだ。ここ二日」

「……青白いわけだね。顔」

「かも……」

普段ふだんは何食べてるの?」

「えっっ。あー普段ふだんは、その……」

「…………じー」

「……コンビニとか、スーパーのお惣菜とか冷凍食品……とか」

「……それが悪いとは、言えない時代にはなってきてるけど」

「け、結構全部、量があったりして重たいからさあ。なんかどれも食べる気になんなくて……はは」

「うーん。じゃあ……これはどう?」

「へっ?」



 風が自分の弁当箱から――たまごきをひと切れ取り、夢生の口の前に持ってきた。



「私の手作り。甘い卵焼き、大丈夫? これなら食べられるんじゃない?」

「は――ァ、う?!? い、いいいいやいやありがたいし美味しそうなんだけどっ、その――――手、そう手!! コレほら手とかにっ、のせてくれればそれで――」

「そうやって恥ずかしがってる時間が手間だよ。いいからはい。あーん」

「っっ――――あ、あーんっ……」



 混乱と感激で表情が変になってしまいそうなのを、必死でこらえ。

胸に至福しふくを感じながら、夢生は風の卵焼きを――



〝むうくん。あーん〟



 ――――――無味むみ無臭むしゅう肉塊にくかいのように感じるそれを、ろくにめもせず飲み込んだ。



「――むーくん?」



 明らかに様子が急変した夢生に、風が弁当を置いて話しかける。



「どうしたの? もしかして、アレルギーとかじゃないよね?」

「ち、ちがう……違うから、大丈夫」

「そんな顔して大丈夫なわけ――ちょっとむーくん、本当に大丈夫? お水飲む?」

「大丈夫、大丈夫……大丈夫だから」

「落ち着いて。私がここにいる。できることがあれば何でも言って。何でも協力するから――」



〝私は、むーくんのためならなんだってするよ〟



「『何だって』とかッ――そういうことを軽々かるがるしく言わないでよッッッ!!!!」

「ッ!!?」

「ッあ――――」



 目の前に、呆然ぼうぜんとした風。

 自分が人の好意をみにじってしまったことを理解し、夢生の青白い顔が更に蒼白になっていく。



(――――いや。これ・・でいいんだ)

「ッ!? ちょ――どこに行くのむーくんっ!」

「保健室――保健室だよ。だから気にしないで、」

「気にするよっ! 付きいで行くから――」

「頼むから僕に付いてこないでッッ!!!」

「――――――」



 もう、風の顔を見ることもできず。



 雛神ひながみ夢生むうは、逃げるようにその場を立ち去っていった。



「やったよ紀澄きすみさんッ! とうとう校長が重い腰をあげ――うわっ!? え、雛神ひながみ君!?」



 ぶつかった伏里ふすりに目もくれず、階段を飛ぶように降りていく。



 降りて、降りて、降りて――――すでに一階まで降りているのに気付かず、更に下へ続く通路へ降りようと動いた体が、コンクリートの壁に激しくぶつかる。



「ッッ……!!」



 顔面を壁にしたたか打ち付け、壁を向いたままひざを折り、痛む顔を手でおおう夢生。



「……風ちゃん……」



〝好きだよ。むーくん〟



「風ちゃんッ……」



〝愛してるわ。夢生〟



 崩れ落ちるように、うずくまる。



〝好きなの。雛神君が〟



 壁に、頭を力無くぶつける。



〝好きよ、本当に。むうくん〟



「……僕も……」



〝ずっと一緒に居させて。むー〟



「……僕にもッ……!」



〝それが私の罪。それが私の覚悟。たとえ一生かかっても……私は彼らに償い続けるつもりだよ〟



 少年は頭を抱え、静かに嗚咽おえつする。



「君みたいな強さが、少しでもあればっっ……!!」



「泣いているの?」

「ッ!!?」



 慌てて嗚咽おえつを止め、振り向く。



 まるで最初からそこにいたかのように、



「――――霧洩きりえ、先輩?」



 黒の少女。



霧洩きりえサクラが、そこに立っていた。

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