最初の人間

 ■ 最初の人間

 最初、シアは何を言われたのか理解できなかった。

 玲奈が対物狙撃銃を構え慈姑姫の後頭部を狙いすます。腹黒い輩は切羽詰まった場合に会談の場でとっさに脈絡のない事を言って相手を怯ませる手口を多用する。次に何を仕掛けてくるか予想がついている。隠し持った爆弾や催涙弾を炸裂させて逃走する時間を稼ぐに違いない。玲奈はチッチッと短く舌打ちして真帆に指図する。高速言語ウィスパーモードは素人の耳には早口言葉ではなく小鳥のさえずりに聞こえる。

 妹は慈姑小町の足元を【窮屈】の術式で狙撃した。慈姑姉妹はもんどりうって倒れた。

「ひどい……」

 小町が息も絶え絶えにうめく。慈姑姫はスタン弾を食らって昏倒している。どのみち今は安静にした方がいいだろう。

「実の娘に対してこうも冷血になれる母親っているのね。そっちにいる女の子二人が大事だなんて。は他人が孕んだ子でしょうに」

「つべこべ言うと、その減らず口をぶち抜くよ! それとも別口の方がいいかい?」

 逆上したシアが小町の口蓋にハンドガンをねじ込む。

「あががが。ふぉ、ふぉんと……」

 相手がじたばたして何か必死になって主張しているので、シアは銃口を引っ込めて言い分を聞いてやることにした。ただし、いつでも撃鉄を引ける状態で。

「何? 冥土の前座に爆笑させるような一発芸でも演るっての? 出来次第じゃ三分間だけ話を聞いてやるよ」

 シア・フレイアスターは女暴走族(レディース)の頭目(ヘッド)のような汚い言葉を使った。温厚品行方正で知られる彼女であるが、ここ一番でえげつない戦闘力を発揮する、という下馬評どおりの本領を発揮している。

「あなたは本当にひどい人。姉は航空事象艇(クロノサーフ)で自分さがしをした末に、ようやく貴女にたどり着いたんです。戦争を終わらせるための闘いに終止符を打つために。それなのにあなたは真実を偽りの娘に銃撃させた」

 小町が持って回った言い方をするので、シアはますます激昂した。

 逆上した女に正論を説いても無駄だ。女は感情がロジックに先立つという事をどうして誰も理解してくれないのだろう。

「もしかして、あなたは……いや、まさか、そんなことが」

 ヴァレンシア姫は慈姑姉妹について何か思い当たる節があるようだ。だが、その内容が想像を絶するために目の前の事実を許容しがたいのだろう。ふるふる、とかぶりを振っている。

「シアの血統といえば、バンケットホール戦役!」

 アンジェラと中央作戦局長は忘れていた記憶を思い出した。

 強襲揚陸艦シア・フレイアスターは世界で最初のライブシップである。その生体端末であるメイドサーバント開発のためにIAMCPが極秘入手したエルフの身体が用いられた。まぎれもなく召喚計画で得られた個体である。

 空軍パイロット候補生シア・フレイアスターは人間であったが訓練中に召喚魔法に巻き込まれてエルフに生まれ変わった。

 そして彼女は特権者戦争最大の激戦区である惑星「ハートの女王」に派遣された。その衛星「謁見室(バンケットホール)」には逃げ遅れた女子学徒動員兵がおり、シアは量子空爆開始ぎりぎりまで捜索任務を続けていた。奮闘むなしく、バンケットホールは玉砕してしまうのだが、空爆開始直前に偵察ドローンが瀕死の生存者を回収していた。

 量子空爆の前駆がなせる奇跡であろうか。確率変動の前触れが重傷者の肉体、それも口蓋アフタの中に子宮外妊娠する形でいくつかの命がめばえていた。物理学も医学もへったくれもない。開闢爆弾は、それらを強引にねじ伏せる。


 ■ 木星 クロノス工廠 ハンターギルド中央作戦局分室

「バンケットホールから持ち帰った受精卵はクロノス工廠で培養されてライブシップに育ったの」

 アンジェラが歴史の教科書に載っている話を述懐すると玲奈が複雑な顔をした。

「そう。造船樹にはいろいろな株がある。オーランティアカ、フレイアスター、ゼフィランサス、サイサリス、デンドロビウム……」「まさか、その中にクワイとかいう種類もあるんじゃない?」

 真帆は嫌な予感がした。どうか違いますようにと心の中で祈りつつ、尋ねた。

「アロウヘッドは生育不良で死滅した株よ。どうしても癌化してしまう。最終的に木星大気中に投棄するしかなかった」

 アンジェラは胸中の秘め事を吐き出して、解放されたようなすがすがしい面持ちでいる。

「アロウヘッド。慈姑は学名でサジタリアともいうね」

 中二娘がラテン語の知識をひけらかすと、ガロン提督がビクッと体を硬直させた。

「な、何を言うかッ。サジタリアは銀河中心、射手座方向を指向するヤポネ独立十二部族州の御名だ」

 提督は愚弄されて怒り心頭だ。

「さっきから何やってんの?」

 真帆はアンジェラと玲奈がコンソールに向かってせっせと数式を描いている様子をいぶかる。

「調和解析だよ。離散的な数値から隠れた相関関係を見出すんだ。妖精王国やら侵略ロボット軍団やらヤポネやらカミュやらのシニフィエを一貫する不変要素を見つけている」

 中二娘の難解な解説をアンジェラが翻訳した。

「慈姑姫が発見したナビエ・ストークス方程式の一般解を使ってみんなの妥協点を探っているの」

 それぞれのシニフィエは一つの大きな複素数式で括れることが明らかになった。ただ、近似できない雑音のような細々したランダム性があって、すっきりとした式に統一できない。

「点と線がつながりそうだね。廃棄されたはずの航空戦艦根株が何らかの因果で父祖樹と関わりを持った。その原因はどこにあるのだろう」

「このノイズは何かしら。どんな項にもついて回ってる」

 アンジェラが似たような数値の羅列に注目した。ある規則性がありそうでなさそうなパラメータが繰り返している。

「何だろう。循環性が見かけ上は保ちながら、ふわっとした微妙な変化がおきている」

 玲奈が何度も同じデータ数列をスクロールしているとアンジェラが何らかの兆候をつかんだ。

「わかったわ。これはある種のウイルスよ。一定の独特性を保持しながら徐々に変異していってる」

 シニフィエとは文化固有の獲得形質をさまざまな指標で数値化した符号である。隔絶した文化に共通の変異性が顕著になっているという事は異文化の干渉に他ならない。

「父祖樹よ。変異パターンを再回帰曲線で近似してフィルター除去して」

「やってみる」

 玲奈がアンジェラの助言に従って近似式を組み立てた。不整合な事実が取り除かれて、やがてカミュやガロンの前に美しい一連の数式が示された。

「事象や事件に感染するウイルスってのもおかしな比喩だけど、数学的にあり得ない話じゃない。やっぱり裏で父祖樹が関与しているのかしらん?」

 中央作戦局長が腕組みして考え込む。

「慈姑一族は盗まれたライブシップよ。スライスシャトル・ホワイトドーブ号やウルトラファイトは木星由来のバイオテクノロジーの産物よ」

「姉はビートラクティブに蝕まれていく中で必死に解毒法を突き止めていたんです。そのためには自分自身を深く理解することが早道だと考えて、慈姑の起源を調べていました」

 小町がアンジェラの仮説を裏打ちする。

「父祖樹め!」

 遼子が机を殴りつけた。

「奴は銀河中にさっそくコロニーを建設している!」

 アストラル・グレイス号が超光速ドローンを急造して半径十万光年にばらまいた。その偵察結果がメインスクリーンに浮かび上がる。

「どうやら彼はわれわれ人類の社会そのものに感染して繁殖するようだな。だからこそ我々に人類の将来像を競わせたんだ。感染経路を充実させるためだ。月に奴が一時的に根付いた理由も説明がつく。鎖国政策を敷いて、滋養を蓄える時間がほしかったんだ」

 カミュはこぶしを打ちうるわせて喝破した。

「父祖樹の栄養はシニフィエだ!」

 ■ 敵は系外宇宙にあり

「ユズハ!」

 遼子はガラスケースの中で眠っているような妹の遺体と対面した。

「再起動した宇宙のアダムとイブにしようと考えていた」

 加嶋遼平の培養体液カプセルを手渡すカミュ。遼子は無言で彼を殴りつけた。その手で容器を床に叩き付ける。瓶が割れる瞬間、やわらかな光が液体を受け止めた。

「何をする!」

 遼子がにらみつけた先にはシア・フレイアスターが待っていた。動画を逆転するように液体が瓶の中に吸い込まれ、破片が寄り集まる。

「ユズハちゃんの魂はここよ」

 アンジェラが霊魂回収ボックスを慎重に運んできた。

「どういうことだってばよ」

「完全生命体が人間の心理的脆弱性を学ぼうとしてサンプリングしていたのよ。魔王や愚者王の精神パターンもある。奴は銀河中にコピーを配信していた」

「俺の妹を量産品みたいに流通させやがって!!」

 遼子の怒りはますます燃え上がる。

「これをあなたがどうするかはあなた次第よ」

「うるせえ!」

 遼子はアンジェラのお節介を撥ね付けようと遺体に銃を向ける。

『ばかあにい……』

 安らかな死に顔の口元が微かに動いた。少なくとも遼子にはそう見えた。

「ユ、ユズハ!」

 兄は銃を置いて、ガラスケースに縋りつく。

「姿かたちはどうあれ、生きていきたい。言ってたわよね? 大アルカナ市上空で、そう願ったんでしょ?」

 シアが静かに遼子を諭す。とめどない時間が流れる間、遼子は前髪を涙で濡らし、何やらぶつぶつと棺に語り掛けていた。

 そして祈るように呟く。

「もう一度ユズハと暮らしたい」

 アンジェラはその意思をくみ取ってクローニングラボへ二人を連れて行った。

 入れ替わりに文豪が駆け込んできた。まるで「歴史的な大発見」をした子供のように爛々と目を輝かせている。男の子の澄んだ瞳だ、とメディアは本能的に悟った。

「何と我々は妥協点に達した! 奇跡が起こった!」

 カミュは興奮冷めやらぬ様子で玲奈のセーラー服を引っ張った。隕石が落下するように二人ともソファに腰をおろし、同時に口を開く。

「「わた」」

 口をつぐんで、ばつが悪そうに笑い、発言権を譲り合う。

「「いや、どうぞ」」「「そちらこそ」」

「何やってんのよ。おねーちゃん」

 真帆が姉の代わりにメインスクリーンを点灯した。


 現世利益をとことんまで追求した人類の理想像が画面いっぱいに広がった。文豪、サジタリア、慈姑王朝、人類圏、四者の要望を可能な限り詰め込んだ。それでいて、過剰感があふれることなく、無理なく調和がとれている。

 鋭角的なデザインのライブシップが亀の甲羅に似たドーム型ユニットをけん引している。その中には植木鉢のような基底部とツリー状の都市が繁栄している。ドームの周囲を土星の輪が取り巻いている。

「ボルトネジとワッシャーね。植民地工学的機能美の到達点といえばいいかしら」

 玲奈がうっとりするように理想図を披露する。

「ドームの中は完全運命循環型の閉鎖都市になっていて、外界とは独立しています。いわばケンタウルス座の2M1207bラーナのような非束縛型惑星浮遊天体プラネターというわけ。違うのは彼我絶縁体で遮蔽された隔絶世界(パラレルワールド)ということ。それぞれの超長距離移民船団は一つのワールドを経営しながら宇宙を移動するの」

 ドームと取り巻く運命車輪が真帆の上でキラキラと回転した。

「長い旅路には艱難辛苦がつきまとう。ちなみに古い英語でトラベルといえば困難という意味を含んでいる」

「すごい! さすがカミュさんだわ。抵抗欠乏症を自己解決しちゃったじゃない!」

 小町は文豪を尊敬のまなざしで見つめている。

「いや。称えるべきは隣にいる中二女子君だ。彼女の奇想がなければ全ては調和されなかった」

「いえいえいえ。一般解を見つけた慈姑姫さんの功績が大きかったですよ〜」

 玲奈がデレていると、ムッとした表情の小町が姉を連れてきた。頭に包帯を巻いた姿が痛々しい。

「謝ってください」

 相手に促されて中二娘は深々と頭を下げた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「銀河中にはびこった父祖樹を根絶する方法なんかあるわけない」

 ヴァレンシア姫の絶望を中二娘の啓明がうちやぶった。

 クロノス工廠の生産ラインには改良型ブラックポロサスがひしめいており、満天の星空のように溶接機が火花を散らしている。

 玲奈は父祖樹の樹液を完全に無効化する新たな術式を開発した。量子力学の基本原理のひとつである測定誤差と擾乱に関する不確定性関係として知られるハイゼンベルクの方程式は万全ではなく、条件付きで成立する。観測行為に強弱をつけることで観測者自体が確率変動の揺らぎに参入できる。部分的に不確定性原理が破れている。いや、恣意的に適用範囲を制御できるとさえ言える。

「魔紅茶の量子効果を解消するような術式を浴びせるんだ。これで父祖樹は枯れる」

 ブラックポロサスに不確定性原理破壊砲が艤装されていく。その作業を玲奈はウキウキしながら監督した。


「サンダーソニアの花言葉は『望郷』って知ってた?」

 真帆は丸っこい瞳でアンジェラを見上げる。新造成った航空戦艦サンダーソニアは玲奈の提案した超長距離隔絶移民船団の仕様に準拠している。

「地球で本物のサンダーソニアが咲いているとこ、見たことある? 下から順番に開花するの。慎ましくて可愛い花よ」

 アンジェラはその甲板から幾何学的なデザインのマストによじ登って可変量子効果を計測している。客船の煙突を思わせる構造物には細かい網がかぶさっており、霧状の彼我絶縁体を噴射できる。

「因果絶縁効果は設計上の誤差範囲内よ。細工は流々ってとこ」

 中央作戦局長の知恵袋が太鼓判を押した。


 中央のドックではサジタリアの艦船にごっついシリンダー都市が連結されている。液体燃料ロケットの初段と同サイズのブースターが艦尾に束ねてあり、羽虫が飛ぶようなエンジン音を奏でている。

「インフラトン機関の吹きあがりはいかがでしょうか」

「悪戯っ娘が立派なエンジニアに成長して私も鼻が高いよ」

 提督はドヤ顔娘にドヤ顔を返した。

「まぁ、君の仕様を具体化した我がヤポネの技術陣もナンボのものではあるがな」

「わたしのほうこそドヤですよぉ」

「何を、このドヤ娘がぁ」

「ドヤっ」

「「ドヤ」」

 二人が張り合っていると文豪が仲裁に入った。

「諸君、最初の人間という言葉を知っているかな? 拙著の題名でもある」

 中二娘は耳を傾けることなくドヤ顔合戦を続行している。

「ごるぁああ!」

 すかさず、天下の宝刀エルフピッチが炸裂した。

「いだいいだい、おが〜さんいだいーー」

 にらみ合いは提督のTKO勝ちに終わった。中二娘はスカートを派手に翻しつつ、退場させられた。

「最初の人間というのは貴方の御母堂のことでしょう」

 博識なアンジェラが文豪の出題に答えた。

「そうだ。私はアルジェリアの貧しい母子家庭に育った。最初の人間というのは文字通り、人類最初の人間。女だ。我が子を愛おしむ母のような人物が連鎖すれば争いや憎しみのない世界が維持できる。誰もが最初の人間になれればいい」

「そう巧く運びますか。私は信じられません」

 アンジェラが達観したように言うと、提督が反論した。

「是が非でも成さねばならぬ。万難を排してでもやり遂げる。我が艦隊はインフラトン・ドライブに乗って膨張宇宙の淵に立つ。そこで父祖樹を待ちかまえ、原理破壊砲をお見舞いする」

 サジタリア艦隊は工廠を揺るがせて遥か八億光年先へ旅立っていく。木星の「瞳」が黄色に染まっている。ブラックポロサスの大編隊があまりにもひしめいて大赤班が赤く見えない。

「私たちもおいとましなきゃ」

 遼子がシトラス号の戦闘指揮所を掃除していると慈姑姫と小町が挨拶しに来た。

「どちらへ行かれるんですか?」

 おろしたてのセーラー服に身を包んだユズハがテーブルにコーヒーを置いてもてなす。車いす生活のころとは打って変わってキビキビとした身のこなしだ。

 ひらりひらりとスカートの裾が軽やかに舞う。

「おい。パンツ見えるぞ」

 遼子が眉をひそめるが、開放感に浸ったユズハはくるりと一回りして濃紺ブルマを見せびらかす。

「うるさいわね。馬鹿おねえ!」

「ば、馬鹿オネーだとぉ」

 二人は慈姑姉妹を差し置いて取っ組み合った。

「どうやら『最初の人間』には程遠いみたいね」

 慈姑小町が苦笑していると、シアが慈姑艦隊の識別符号票を持ってきた。

「新天地で鎖国政策をやり直すつもりなら、外国勢と尚更うまくやっていかなきゃ」

「いいえ。節度的な入出国制限はしますが、人類圏のインバウンドを呼び込んで栄えてみますよ」

 彼女はにこやかに微笑みながら無限へのパスポートを受け取った。

「慈姑というのは日本語で慈悲深いお母さんと書くんですって」

「そうよ。芋が根を張る姿が授乳する母親に似ているからよ」

 慈姑姫はシトラス号の甲板からスライスシャトルが立ち並ぶハンガーを見下ろす。

 さぁっと艦隊の間を風が吹き抜けていく。まるで慈愛の幹がが絆という枝葉を張り巡らせるように。


 地球から約八億光年。観測可能宇宙の限界。

「全方位に大規模な重力波探知!」

 超長距離侵攻戦艦アストラル・グレイスがブラックポロサス編隊に索敵結果を配信する。見渡す限り、星の帯。渦状銀河の辺縁を彷彿させる。その一粒一粒が敵の個体である。

 迎撃編隊は現宇宙の膨張速度と同期しているため、じっと所定位置で待ち構えているだけでいい。

「各機、配置完了しました!」

 フレイアスター艦隊の共同光線システムに次々と報告が入る。

「ごるぁあ! A2231、ぼやぼやすんじゃないよ」

 シアはドラ息子を叱り飛ばすオカンのごとく、パイロットたちを指弾する。

 父祖樹の胞子と思しき群れが小惑星を粉砕しながら迫りくる。ブラックポロサスは多弾頭核誘導弾を斉射して焼尽をはかる。

「母体が接近。距離二万天文単位」

 サブシステムがサンダーソニア号の戦闘指揮所に大勝負の開始を告げる。

「インフラトン爆弾。終端フェイズ。目標、父祖樹胞子群。ロック・オン」

 真帆は艦の射撃統制能力を総動員して父祖樹に引導を渡す。

「【世界の狂気】『結局のところ、芸術の偉大さとは、美と痛み、人類愛と世界の狂気、耐えがたい孤独、疲弊させる人々、拒絶と同意との間の絶えざる緊張にあるのだろう』」

 カミュが、慈姑姫の、シアの、ヴァレンシア姫の、ガロン提督の、多種多様な人類の向上心を総括して戦闘世界文学に高める。

 シニフィエの濁流が父祖樹の知性を洗い流す。彼はすでに自分が何者であるか認識できない。


「不確定性原理破壊砲。撃ち方はじめ!」

 サジタリア艦隊は積もり積もった怨念を玲奈お手製の必殺兵器に込めた。漆黒の空間に荷電粒子が飛び交い、満艦飾を呈する。

「インフラトン爆弾。起爆(イグニッション)」

 色彩の洪水をひとつ、ふたつ、太陽が照らし出す。

 そして、シトラス艦隊がはるばる太陽系から決定打を運んできた。

「木星中心核。父祖樹前面にワープアウトします!」

 航空戦艦ユズハから全艦に撤退勧告が下る。蜘蛛の子を散らすように人類圏の艦船が高次空間へ消えていく。

「外さないでね。馬鹿あねぇ」

「見くびるんじゃないよ。馬鹿ユズハ」

 二隻はぴったりと寄り添って仇敵に誘導ビームを照射し続けた。

 惑星クラスの天然量子脳が幾億光年を飛び越えて、宇宙的悪意に衝突する。それは持ち前の記憶力を最大限に活用して父祖樹のシニフィエを根こそぎ搾り取った。さながら、宇宙の遊走性食細胞(マクロファージ)である。

 インフラトン粒子が分解して観測可能宇宙の一角が崩れ始めた。

「敵意消滅まであと三秒、二、緊急ワープ!」


 遼子は完全勝利を信じてクロスホエンドライブを起動した。


 ■ 第二走馬燈爆弾管制室


「宇宙を再々起動するよ」

 父祖樹が一掃された後、玲奈はふたたび走馬燈爆弾を製造した。すべてを旧態に帰すために。

「ビッグバンの瞬間にはある一定期間の安定が必要だ。さもなくばインフレーションを加速するために必要な空間と時間が確保されない」

 カミュは玲奈に爆弾起動の初期条件をいじって、手心を加えるよう指示した。

「存在の無に対する激しい抵抗を緩和する要素、それは『愛』そのものですね」

 シアと慈姑姫が母性の重要度を訴える。

「そうだ。私は正義を信念としているが、正義よりも母を先に守る」

 カミュは起爆ボタンを押して、永遠の夏を迎え入れた。


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Soyez les bienvenus露の都の慈姑姫 水原麻以 @maimizuhara

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