トーマス・フェルディナント・ブラウンの陰極線管(うちゅう)

 ■ 画家座赤色矮星 カプタイン星

 銀河系の中では古参の部類に入るカプタイン星は重元素が少ないと考えられ、地球型の岩石惑星は存在確率が低いと思われていたが、スーパーアースクラスの惑星が二つも存在する。

 その片割れ、カプタインcの大地がざわめき、海が叫び、空気がどよめいた。うら若き女性戦闘世界文学者、三島玲奈(みしま・れな)が編み出した敵対勢力打倒法は天分の厨二病的才覚が余すところなく反映されていた。

「戦闘世界文学【解釈論の台頭】『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである』」

 彼女がニーチェ由来の術式を唱えると終焉宇宙走馬燈(フラッシュバッカー)がギラギラと輝いて稼働しはじめた。

 その大きさは長径が27キロ、短径が11キロで火星の衛星フォボスと同格である。内部は動物の消化器官のように粒子加速器が張り巡らされており、最終作戦に不可欠な素粒子を着々と溜め込んでいる。

「じっさい、この宇宙はビッグバン以降も何回か加熱しているんだよ。一般に宇宙の再加熱という現象が自然発生的に膨張を加速している」

 ねじくれたキャットウォークの手すりから玲奈が身を乗り出して解説している。向かって右に月ロケットの初段ほどもある円筒がそびえており、この中にインフラトンが詰まっている。父祖樹の所業を帳消しにする魔法の時間逆転粒子だ。機器の動作熱で対流がおこり、見学者のスカートを煽る。白や濃紺や臙脂色、ちらちらと色とりどりの花が咲き乱れて目のやり場に困ってしまう。それよりも、バレルと遼子は自分たちの足元が気になって説明が耳に入らない。

「インフラトンが宇宙誕生に関与しているのね。 それが終焉宇宙走馬燈爆弾(フラッシュバッカー)の炸薬になるってこと?」

「そういうことですよ。先生。開闢爆弾なんてねずみ花火に思えるくらい壮絶な破壊兵器になる」

「それほどの超高エネルギー粒子を人間の手で作りだせるものかしら? 何京、何穣、いや何那由他、何阿僧祇電子ボルト必要か見当もつかないわ」

 玲奈は黙ってアンジェラを円筒の正面に案内した。

「考え過ぎたことはすべて問題になるってニーチェも言ってます。わりと簡単に造れる。電磁波を重力で偏向すると渦巻き状になる。Bモード偏向といわれるんだけど、これが宇宙初期の状態に含まれている。逆用すれば、そういう状況を人工的に再現できる」

 彼女は改良型ナビエ・ストークス方程式砲がせっせとインフラトンを製造している様子をみせる。

「エエェェ(´д`)ェェエエ工工」とアンジェラが顔文字を叫んだ。

 なるほど、奇跡の連続に期待するような宇宙論など創造神話に近い。人間の想像が自然界の神秘に及ばないと考えた方が自然だろう。

「時間逆転の原動力を得たのは判るが、そう簡単に膨張を覆せるものだろうか?」

 中央作戦局長が疑問視するのも当然だ。インフレーションが知的生命体の技術力で阻止できるならだれかがとっくにやっている。

「宇宙は無限の自律的な回帰に従うと仮定して、その痕跡を宇宙背景輻射に求めてみたんだ。曲率ゼロの空間といえども膨張収縮を繰り返す内に構造疲労を起こすはずだからね。脆弱性を突いてみようと閃いた」

「その傷跡がカプタイン星にあったと?」

「うん。赤色矮星の寿命は一般的には宇宙よりも長い。最短で数百億年、長いもので数兆年に及ぶ。もしビッグバンを渡り歩く知的生命体がいるとすれば絶好の乗り物になる」

「そんな存在が宇宙開闢の衝撃を乗り越えられるとは思えない」

 アンジェラが肩をすくめると、玲奈は一枚の写真パネルを取り出した。カプタイン星の表面に黒いシミのようなものが見える。

「これは何だと思う? とうぜん、太陽黒点じゃない。カプタインは軽水素核融合が起きるほど重くはないからね」

「周囲よりも暗く見えるのはエネルギーを吸収しているからよ。まさか、人工物じゃないでしょうね?」

「正解。カプタイン人の集落だよ」

 玲奈の回答は驚きの声で迎えられた。ガロン提督は彼らの支援を得ることを即断し、表敬訪問を決定。アストラル・グレイス号はアンジェラたちを乗せてカプタインcを離脱した。

 ■ カプタイン星

 K型恒星カプタインは太陽よりも小さく、木製数個分の大きさしかない。玲奈は戦闘世界文学を行使するまでもなく、結界で輻射熱をしのぎながら黒点状の物体に接近していった。

 カプタイン人は実体を持たない精神的生命体である。赤色矮星の光彩に記憶媒体を浮かべて熱エネルギーと情報の代謝にいそしんでいる。

「対カプタイン意思疎通開始。標準水素波長帯域。通信プロトコル、CCITT国際基準 回線オープン」

 玲奈がサブシステムに対話開始を告げるとカプタイン人の代表格が呼びかけに答えた。

「わりとあっさりしたファーストコンタクトね」

 アンジェラが肩透かしを食ったようだ。

「マックスウェルの法則からベルの定理までこっちの通信ノウハウを丸投げしたんだ。あっちが咀嚼してくれたんで助かったよ」

 玲奈がドヤ顔をしている横でガロン提督が人類側全権大使として交渉を進めている。

 カプタイン側は見返りも要求せず、気前よく宇宙のリブートを了承してくれた。

「彼らにとっては宇宙の振幅こそが価値あるもののようだ」

 ガロンが会談の途中経過を報告しているとシアが口を開いた。

「振り出しに戻って何が楽しいのかしら。同じ歴史を歩むとかサドなの?」

「すべてが水泡に帰すわけじゃないさ。宇宙はインフレーションする度にエネルギーを蓄積するんだと。ちなみに前回のビッグバンででは生命誕生可能な宇宙が生まれたそうだ」

 ガロンが合意に達した理由を説明した。

 発展向上を望む知的精神生命体と父祖樹抹殺を目論む人類圏の利害は一致した。ただちに両者間で業部会が開かれ、共同作戦の細部を詰める協議に入った。

 カプタインb公転軌道 長軸中心空域。

「宇宙亀裂(コスモクラック)を中心に輪形陣を組む。各艦隊は所定位置につけ」

 カプタイン人は恒星を宇宙亀裂の付近に据えて、思念波のフィールドを張る。

 ガロン提督はムー、アトランティス、レムリア、ゴンドワナの四大魔導大陸文明軍を時計回りに配置した。

「バラ星雲の敗戦で敵は今まで以上に慎重になっているだろう。どんな奇策を仕掛けてくるかもしれん。気を抜くな」

 コヨーテ軍神が航空戦艦たちの気を引き締める。

「再起をかけてくるからには絶対に勝つんでしょ」

 真帆は見るからにやる気のなさそうだ。彼女は系統樹発射型弾道弾を内心快く思っていない。切り取られた歴史上の怪事件を弾丸として敵にぶつければそれに関わっていた人間の人生否定につながる。過激派のジハーティストが住民の生活をめちゃくちゃする事と何ら変わらない。この戦争を終わらせるためには宗教やイデオロギーを超えた許しが必要だと切に思った。


 走馬燈爆弾 近接絶対防御網付近。

 シリンダー都市の地平線まで鬱蒼と対空火器が茂っている。ところどころに爆弾の冷却塔や熱交換器らしい構造物が突き出ており、その陰にもミサイルランチャーが隠れている。爆弾内部では今もなおインフラトンの製造が進行中であるが、それとは別に特別な観測機器の設置作業が突貫工事で進められている。

 CMBモード偏向Bと呼ばれる宇宙開闢当時の熱波がはるばる百数億光年の距離を隔てて届いている。それのパターンをつぶさに観察して宇宙創成時の動きを模倣しようと試みている。その結果は起爆装置のプログラミングに反映される。

 観測員の一人が度重なる機器の異常終了に悩まされていた。

「おっかしいなあ。さっきユニットを丸ごと新品に交換したんだが五分もしないうちに壊れやがる」

 彼はピカピカに磨かれた金属部品を視線で嘗め回している。特に目立つ傷や凹みはない。

「チェック手順を基本項目からもう一度やり直してみろ」

 上司らしき相棒が点検表を見直した。点検結果が数値で記されている。たちまち驚きの表情を見せる。

「おい! これを見ろ」

 束になったチェックシートを先ほどの男に突きつける。

「だから、異常なんかどこにも無いっすよ……?!」

 彼は上司が指し示す箇所を見るなり、参ったなと小声で愚痴った。

「異常なのは宇宙の方です」

 彼は壁に埋め込まれた量子フォンでサジタリア軍大本営を呼び出した。


「宇宙が疲れてきているってどういうことなの?」

 報告を受けた作戦局長がアンジェラに通話を転送した。

「チェックシートを添付してくれたのね」

 アンジェラは手近な水晶板にウインドウを積み重ねた。一瞥してすばやく見解を纏める。

「宇宙早老症(コスモプロジェリア)よ。私たちの宇宙が予定よりも早く高齢化しているの。通常より速い速度で水素が核融合反応して、恒星が燃え尽きてしまう」

「水素融合が促進する原因の一つにミューオンがあるわね。電子よりもけた違いに重い粒子が触媒になる」

 シアはウインドウの一角を指摘した。ミュー粒子線が異常なほど検出されている。

「ミューオンは重い粒子を衝突させて作るの。それだけの大規模な反応は超銀河団や局部恒星系同士の激突でしか起こり得ない」

「どこから来ているの?」

 シアが満天の星空に思いをはせる。つかの間の夢想はアンジェラの鋭い一言で粉々に打ち砕かれた。

「ここよ。今、私たちがいる。この空域」

 それがどんな恐ろしい結末を予想させるか、シアには考えるだけの十分な知識があった。

「カプタインが崩壊する?!」

 元王妃率いる新ヴァレンシア艦隊は輪形陣の内側に突如として出現した。

「内懐(うちぶところ)を抉るぞ!」

 カミュは艦載機出撃を命じた。無数の無人攻撃機ヒュプノスが粘菌のように噴煙を分岐させる。

「第四種接近遭遇! 各対空部隊はありったけの高射をあびせろ!」

「第四から第十三人造特権者研究所、おなじく第四十二から四十九研究所は量産型リュミエールの出産を急いでください」

 走馬燈爆弾表面の研究施設群に緊急要請が殺到する。

 回転式拳銃を思わせる巨大なリボルバーがガシャリと重い音を立てて外れる。バラバラと薬莢のように空っぽのクローン培養槽が転がる。排出されたガラス容器は速やかに除去され、妊娠した人工胎盤が装填される。


 ベルトコンベヤーの上を裸の赤ん坊が列をなして運ばれていく。

「ベローゾフ」「「ベベ」」「ローゾフ」

「ジャポチン」「ジャボチ」「ジャジャ」「ジャボチンスキー反応」「ののう」

「パパパ」

「−タン」

「パターン」「パタパタ」「タタ」

「青」

「あおあおあおあお」

「青青おおお」

「特権者」「特権者」「とと」「トクトク」「特」

「者」「しゃ」

「でで」「です」


 ごぼごぼと青く泡立つ試験管の下を赤ん坊が通過するたびに機械の声が死刑宣告を下す。じゅうぶんなヴェローゾフ・ジャボチンスキー反応を得られなかった個体は選別され、強アルカリ溶液の中に容赦なく投げ込まれる。

 愛くるしい顔が上澄みの中に浮かび、ぽろりと眼球が零れ落ちる。ガバっと廃液が循環系に垂れ流され、再処理工場で人生をやり直す。

 キュルキュルと寄宿学校らしい建物に人影がちらつき、蛍の光が流れる中、桜の花が舞い散る。校門が開いて促成教育を終えた少年たちが飛び出した。

 美少年の特権者たちは揃いの半ズボンにブレザーを纏い、軍靴を鳴らす。

 彼らはお椀型の盆地を渡るつり橋の上にいる。プエルトリコのアレシボ天文台を模して作った巨大反射望遠鏡だ。

「最大出力『南方郵便機』 美少年充填百二十パーセント」

 アンジェラが特権者の攻撃を準備している。かつて、天敵と恐れられた存在を味方につけたばかりか牧畜できるまでになった人類。種としての力強さを象徴している。

 特権者の攻撃力を束ねる集光器がお椀と向き合うようにぶら下がっている。人造特権者たちはサンテグジュペリの文学を刷り込まれている。

 走馬燈爆弾制御室のパワーゲージがぐんぐんレッドゾーンに近づいている。

「まだまだ男子力が足りないわ。百五十パーセント、いや、二百%まで増量なさい!」

 中央作戦局長が鼻腔を全開にして発奮する。

 絶対防空ラインを楽々突破した新ヴァレンシア軍は航空戦艦相手に丁々発止の挑発をくりかえしている。

「ええい! ちょこまかと!!」

 遼子は縦横無尽に飛び回る無人攻撃機に手を焼いていた。このような有象無象に対処するためにネットセントリック(ネットワーク中心戦略)という戦術思想がある。艦隊同士の連絡を密にして情報共有と効率化を図っているが、それとて限界がある。

 航空戦艦シトラスを旗艦としてハッシェと暁姉妹が群がる蠅を追い払っているが、敵は勢いを増すばかりだ。

「カブキ・フレシェット、一本いっとく?」

 アストラル・グレイス号が冗談めかして多弾頭誘導弾を装填した。

「おね〜ちゃん、あのねぇ!」

 サンダーソニア号が姉と走馬燈爆弾の間に割って入る。

「二人とも、じゃれあっている間に逃げといた方がいいわよ」

 メディア・クラインが特権者の攻撃開始を宣言した。因果律を捻じ曲げ、大宇宙の意思に抗う強力破壊効果が局所的な破滅をもたらす。オーランティアカの姉妹は慌ててクロスホエンドライブを起動した。

「エナジーゲージ・オーバーフロー。オムニマックス拡大投影 彩度三十。対衝撃、失明対策用意!」

 メディア・クラインが双眼鏡のようなごついゴーグルを掛け、背もたれを倒す。白魚のような指先に走馬燈爆弾の運命がゆだねられる。

 カウントダウンが始まって五秒後にシリンダー都市前端のパラボラアンテナから禍々しい魔光が迸った。

 新ヴァレンシア艦隊旗艦。

「ヒュプノス、絶賛誘爆中!」

 偵察要員が友軍の被害をカミュに報告した。

「ブラヴォー! 上出来だ」

 彼は手をたたいて称賛した。

「リュミエールよ。お前は駄作『夜間飛行』の中で”弛まない前進こそが勝利である。自分が永遠の勝利者であり続けるために、世界が失敗に気付く前に二の矢、三の矢を空に放つ”という旨をほざいた。確かに一理あるよ。だから、貴様のいう通りに俺は抵抗を続ける」

 フランス文豪の手元にはエントロピー時計が握られている。長針がみるみるうちに十二に近づく。人造特権者の悪あがきが宇宙の可能性を著しく消費していくのだ。確かに人類はヒュプノスという雑魚相手に勝利しただろう。その小さな勝利獲得の積み重ねが、敗北者の可能性を摘み取り、宇宙の将来性が狭まっていく。

 そして――

 無限の可能性が枯渇する時が来た。


「リュミエールよ。いや、サンテグジュペリよ。それを利用する人間たちよ。お前らの選んだ選択肢が――」


 カミュは下卑た顔で高らかに笑った。


「ご覧のありさまだよ!」


 彼を含む宇宙が。

 古びたアナログテレビのブラウン管がプツと消えるように。

 広大無辺な宇宙が細長く引き伸ばされて、鰐が口を閉じるように消えた。


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