ヤコブス・カプタインの星
■ 完全生命体(旧太陽系第三惑星)
死せる魂を吸引する永劫回帰惑星。神を自称する完全生命体(旧地球)。双方の邂逅は未曽有の事態を引き起こした。死後の闇に亀裂が生じ、現世が崩壊する。
もちろん、道連れにされる人類圏軍ではない。艦隊が、あるいは大陸まるごと一目散に高次元空間へ飛び込む。
「
人類軍総司令官ガロンが号令した。ムー・アトランチス・ゴンドワナ・レムリアの四大魔導軍がいっせいに防御魔法を展開する。虹色の漏斗が橋頭保都市や人類軍を包み込む。ドーナツにはまり込んだ野球ボールが穴を押し広げるようにプリリム・モビーレがめり込んでいく。完全生命体はリング状にひしゃげたものの、土俵際で踏ん張りを見せた。じりじり相手を押し戻す。
すさまじい衝撃が航空戦艦の竜骨をギリギリと軋ませる。
「どこまで行く気だよッ!」
アストラル・グレイス号は虚実直行座標軸(クロスホエン)ドライブに点火して虚構と現実の枠外へ飛び出した。安全な形而上の世界から戦場を見下ろすと、まるで本場所の千秋楽だ。巨大な惑星が四つにがっぷりと組んでせめぎあっている。
神の視点で一大スペクタクルを傍観できる艦は少ない。オーランティアカの姉妹と養父母そして傍系のバレルや奪衣婆たちに限られていた。
「ガロン提督はどこかしら」
中二病娘の艦がサジタリア旗艦をさがしている。
「実存と概念が錯綜する形而上世界では量子スキャナーが役に立たない」
彼女が戸惑っている真帆が助言した。「蒙昧模糊(デアヴァーン)サーチャーを使えば?」
「ウホッ。なるほど。今は神の視点に立っていたんだ」
玲奈はウキウキしながらクロスホエンドライブの付属装置を起動した。
認識するためにはまず世界観を確定し、観測に先立って事物が実在しなければならない。それを形而上から行うことはある種の天地創造といえる。デアヴァーンはそれに等しい原理で現実世界に作用する。まさに神のみぞ知るを御業として実践している。
混沌が晴れ、智慧の光が明晰をもたらした。
南十字座石炭袋(コールサック) 正式名称コールドウェル99暗黒星雲中心部。
ガロン提督はアストラル・グレイス号を見失って当惑していた。ただちに全軍の索敵能力を動員したが、どこにも見当たらない。
「娘よ。かくれんぼは終わったぞ」
おどけた声で呼びかけてみる。返事はない。
宇宙塵ひとつない広大な空間をサジタリア軍がくまなく捜索している。
彼は玲奈と絆を深めて実娘のように可愛がっていた。
戦闘指揮所の片隅で兵士が祈りをささげている。彼は、まさか自分たちの運命に関わる者を呼び寄せるとは思いもよらなかっただろう。
「そのペンダントは何だね?」
ガロンはふと気になって声をかけた。
「異教徒の手に触れさせるわけには参りません。いくら提督のご命令でも」
彼は礼拝を中断して拒絶反応を示している。それでもガロンは装身具に刻まれた文字列の意味を尋ねた。「どういうわけか先ほどから気になってしょうがないんだ」
「これは十年前に亡くなった祖母から貰った護符です」
男はしぶしぶ聖女レーナの教訓を語り始めた。
「レナだと?!」
ガロンは仰天した。そして笑いを堪えながら聞き入った。説教の内容はガロンあての言伝(ことづて)そのものだった。
「わかったわかった。ありがたい教えに従って約束の地へ舵を切ろう」
「何がおかしいんです」
教義を馬鹿にされたと勘違いした兵士が提督につかみかかったが、相手が敬虔な祈りを始めたので驚いた。
「なるほど。こうやって形而下と通信するのね。人間は便利に出来てるわね」
シアは呆れつつもガロンに啓示をあたえた。
フレイアスター艦隊は画家座のカプタイン星で合流した。シアが降臨した瞬間に件の兵士は仰天したが次の瞬間に彼の信仰心はペンダントもろとも消滅した。自分が熱心な信徒であった記憶にすら残っていないという。形而上世界を脱するとはこういうことである。
「カプタイン星は太陽から12.75光年離れている。ここまでくれば大丈夫だろう」
ガロンは舷窓に見える赤色巨星を横目に見ながら作戦開始を宣言した。オーランティアカの姉妹が彼我絶縁炉式ニュートリノ加熱爆弾を超生産し、恒星間跳躍弾道弾に搭載する。
仰々しいカウントダウン表示が始まり、管制室が重苦しい雰囲気に包まれている。
「ファイア!」
戦闘指揮所が逆光に照らされ、座席がガタガタと揺れる。ミサイルは約十三光年先の恒星に引導を渡した。
水素原子が重合する太陽中心核に彼我絶縁体が突如と出現した。表面に高温の電離ガスが超光速で叩き付けられた瞬間、絶縁体の運動エネルギーが原子核の加速度に転換され、無理やりな核融合反応が連鎖する。太陽中心部の水素はたちまち熱い鉄球に変わった。それでも有り余る運動量は鉄球にじゅうぶんな慣性質量を与えた。
パウリの排他原理が太陽十個分に匹敵する質量を支えきれなくなって、核が縮みはじめた。温度と圧力がますます上昇し、鉄原子が破壊されていく。最終的に中性子と電子に分裂し、彼我絶縁体に阻まれた。
寄せては返す衝撃波がギチギチに詰まった素粒子間でせめぎあい、絡み合い、まとまって、莫大なニュートリノを放出する。
固唾をのんで見守る旗艦クルー。
メインスクリーンに太陽探査ドローンからライブ映像が飛び込んできた。
「ニュートリノ加熱、開始ッ! ひゃっほう!」
玲奈が両足をルの字にして飛び上がる。スカートを激しく揺らして舞い踊る。アンダースコートとブルマの大サービスである。
ぱぁっと太陽から後光が広がる。ワンテンポおいて眩しい光球がゆっくりと膨らんでいく。
「全艦、惑星カプタインbに緊急着陸。先行波に巻き込まれるな」
ガロンが避難を指示した。ここからスーパーノヴァ化した太陽を拝めるのは十三年後であるが、光速を超
えて確率先行波が襲ってくる。
完全生命体は後頭部に永劫惑星というノックアウトパンチをくらい、顔面にメガラニカ大陸を見舞われ、あげくに太陽に焼かれるという地獄の三重苦をあじわっていた。
それでも惑星は必至で生きようとしていた。眼前の災厄を解決すべく頭脳をフル回転させて問題に対処した。食い込んだままの永劫回帰惑星が蒸気に包まれる。誰もいない地表には熱湯がざぁざぁと降りしきる。
瀕死の星が崩壊しまいと必死で自分を支えている。
「効いていない?」
ガロンは一抹の不安をおぼえた。ハッシェたち元奪衣婆艦隊に剥離力斉射を命じる。
超新星の輻射を術式でかき分けながら航空戦艦が突き進む!
「ヴァンネヴァヴル・バニッシャー!!」
暁と柊真がプリリム・モビーレめがけて主砲を連射した。
ヨーヨーを手繰り寄せるように、めり込んだ惑星が二隻の前に軽々と舞い戻ってきた。
弾みをつけて、完全生命体の赤道をうちのめす。
パリン、と何かが遠くで砕けた。
「来たわよ。完全生命体の心が折れた」
シアが待ちに待った攻略法を行使する。ヴァンネヴァヴル・バニッシャーを誘導し、相手の心理的脆弱性をえぐるように打撃する。
最初の衝撃。
【合理化の粉砕】
完全生命体は思った。「父祖樹のせいだ! 父祖樹が人間どもを掃討しないから悪いんだ」
「責任転嫁するの? 神様のくせに?」
シアが叱責する。
二撃目。
【逃避の粉砕】
完全生命体は耽った。「暑い、眩しい、太陽が……そうだ。俺はいま真夏の炎天下で逆上せているんだ。冷たい飲み物がほしいな」
「目の前の戦いから逃げるわけ? 万能の神様が?」
三撃目。
【抑圧の粉砕】
完全生命体は諦めた。「痛い、熱い、苦しい……これは夢だ。俺は悪い夢を見ているんだ。そうだ。ありもしない幻に悩まされているんだ。忘れよう」
「神様が現実逃避してどうするのよ?」
とどめ。
【退行の粉砕】
完全生命体は呆けた。「いたいよ〜あついよ〜おか〜さ〜ん」
「造物主のくせに保護を求めるわけ? バカなの? 死ぬの?」
防衛機制と呼ばれる人間の精神的抵抗力をシアが徹底的に責めさいなむ。完全生命体はついに幼児退行してしまった。もはや知的生命体としては発達段階以前の知能しか持ち合わせていない。
神を名乗る存在のトラウマに塩がたっぷりと塗り込まれた。
完全生命体の情報処理能力が飽和し、熱暴走が極まった。
「表面温度、臨海突破」
「旧地球完全生命体、崩壊します! ハッシェ、お先に逝くわ」
暁と柊真の艦が光に飲まれていく。
「「「脱出!」」」
ハッシェは蒸発する肉体と艦を捨てて身軽になった。ふよふよとした霊魂がカプタインbの海に吸い込まれていく。
ざっとバスタードソードで切り付けてやりたいような激しい雨が降る。急ごしらえの野戦キャンプでインフラ整備が進められてはいるが、熱湯はまだぜいたく品である。
女たちは翼のリンスを洗い流すと、濡れたつま先を半透明な下着に差し込んだ。
「おねーちゃん! それ、わたしのアンダーショーツ!」
「あっ、ごめ〜ん」
暁のヒップは妹よりわずかに大きい。支給品の
「わたしが悪いのよ。二人ともツルッパゲだとどっちがどっちだかわかんない。わたしもだけど」
ハッシェが着替えの入った紙袋を提げてきた。暁姉妹は奪い合うようにカツラを被る。
「釣り目が可愛い方がアカツキ。何度転生してもこれは変わらない。覚えておいてね」
ブロンドヘアを肩にながしながら姉がいう。
「何よ! この三白眼! 目が可愛いのはあたしの方」
妹も負けじと睨み返す。
「貴女、もう一遍、転生する?」
「おねーちゃんこそ死ねば?」
ハッシェはいがみ合う二人の髪をつかみ、黙って浴槽へ叩き込む。短い悲鳴と高いしぶきがあがり、長いカツラが手元に残った。
「結局、人類はカプタインbでやり直すことになったの?」
彼女は通りすがりのシアに臨時軍事評議会の結果を尋ねた。
「完全生命体の死亡確認されてからよ。それにここも無事じゃすまない」
「でも衝撃波が来るのは十二年後でしょ?」
「それだけ居座ったら引っ越しが不可能になるほど繁栄する」
シアはカプタインbでの長居は無用だと説明した。
「銀河中に子種を捲いた男が帰ってきたよ」
玲奈が遼子を遠回しに揶揄した。
「子孫繁栄に適した星はありそう?」
「玲奈、皮肉はやめてくれ」
疲れ切った様子で遼子は腰をおろした。スカートのジッパーをおろしてアンダースコートとブルマの間に挟んだ水晶板を取り出す。
「最新の勢力図だ。見てくれ。おとめ座超銀河団が植物生命体で蝕まれている」
少女はやるせない瞳でメイドサーバントたちを見回した。元凶を作った張本人に冷たい視線が集中する。その一人、玲奈がさっと手を挙げた。
「現状をどうこう言うより、これからどう動くか、だと思う」
「どーすんのさ、これ!」
柊真がドンとテーブルをたたいた。玲奈は我が意を得たりとばかりにファイルを置いた。
「オールリセット!」
手元の表紙には彼我絶縁体取扱読本と書いてある。
アストラル・グレイス号のタラップを昇ろうとして玲奈はシアに呼び止められた。
「開闢爆弾の全宇宙規模バージョンなんて本当に造れるの?」
「わたしはすべてのシステムを変える企てをするの。そしてわたしは人々に長く記憶される」
玲奈は粛々と超生産能力を稼働した。シアが懸念している間にも重機が動き回って基礎工事をはじめた。
「勝手な真似はやめなさい」
アンジェラが息せき切って駆けてきた。玲奈は彼女に目もくれず、背後の人物に声をかけた。
「あっ、提督殿〜☆」
「おっ、悪戯っ娘め!」
猛将は中二女子を抱き上げ、何やらひそひそ話をはじめた。二人は会話を弾ませている。
「作戦が承認されたよー」
玲奈は両手で大きな輪を作った。
「ちょっと!」
抗議しようとするアンジェラを提督が制した。
「諸君、私は偉大なる戦闘世界文学者の提案を実行しようと思う」
「ちょ」
たまりかねたシアが長女の耳をつねろうと走り寄る。
「フレイアスター君、実演は結構だ」
ガロンが手を伸ばして母親の虐待から中二病娘を守る。
「君がエルフピッチすべきなのは、この宇宙だ。時間軸を逆さに捻じ曲げ、すべてを帳消(リセット)しにする」
「ほぉんとにそんなことができるの?」
シアが目を丸くしているとアンジェラがサラサラと情報宇宙論を水晶板に書き付けた。
「十分に可能よ。時間とは物体が運動する情報量のことなの。極言すれば時空間は情報そのものよ。列車の時刻表をイメージすればわかりやすいわ。情報の塊でしょ?」
「そういえばそうだけど。情報を逆転するって、具体的にどうするの?」
「エントロピーの概念は情報理論でいえば平均情報量を意味する確率概念なの。平均情報量はある事件の情報量と確率を掛けた物の総和といえる。これで、時間の概念ととエントロピーが結びついた。OK?」
アンジェラはカップ麺と置き時計とキッチンスケールを持ってきた。まず、時計の重さを計量する。
「物事には本質と意味がある。シニフィアンとシニフィエ。時計の重さは、ええっと二百グラム。これがシニフィアン」
続いて、カップ麺にお湯を注いで、きっちり三分間待った。
「このラーメンが乾燥状態からホカホカのチャーシュー緬にこの三分で変化した。状況の時間経過は物事の属性ではないから、シニフィエよね?」
アンジェラが説明している間に玲奈がカップを横取りして綺麗に平らげた。
「ごるああ!」
間髪を入れずシアの雷が落ちる。
「まぁ、だいたいわかったわ。シニフィエを操るノウハウは戦闘世界文学という形で完成している」
「そうよ。シアのいう通り、宇宙の終焉というエントロピーが極まった状態を術式でどーにかなるってわけ」
アンジェラはちゃっかりスナック麺をどこかから調達して貪り食っている。
「そんな都合のよい術式があるのか?」
遼平が半信半疑で玲奈を見やる。
「ニーチェだよ」
中二娘は自信たっぷりに答えた。
「今の戦況は舵輪のようなものだ。敵は舵輪の上部にいて戦勝気分を満喫しているが、舵輪は回るものだ」
ガロンが旗艦の舵を切った。
「画家座(ピクトリス)β付近に大規模な重力波探知! シニフィエ識別子・カミュ」
カプタインb全土に非常警報が鳴り渡った。
「ヘボ作家め、生きてやがったか」
遼子のシトラス号が押っ取り刀で静止衛星軌道上に昇る。青く輝く系外惑星周辺に人工的な構造物が密集している。
「ユズハは残存可能性の世界に生きているといっただろう。功を焦るなよ」
ガロンが先走る遼子に釘を刺した。
「フレイアスター艦隊は複縦陣のままカプタインcの公転軌道を哨戒。終焉宇宙走馬燈(フラッシュバッカー)を完成まで死守すること」
旗艦スティックス号が激を飛ばせば、僚艦たちが威勢よく答える。
「「「諒解」」」
彼らが見下ろすと、赤い惑星を背にして灯篭そっくりなシリンダー都市が浮かんでいる。
■ 画家座近接空域 海洋惑星
「偉大な行動や思想は、ばかばかしいきっかけで生まれる。街角やレストランの回転ドアから、名作は生まれるのだ」
カミュが戦闘世界文学を唱えると、負け組を乗せた艦隊がゆらゆらと浮上した。
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